2007/10/30 - 2007/11/06
4541位(同エリア4953件中)
明石DSさん
ハノイで三日間泊まったATSホテル
繁華街とは違って、夜も7時半頃になると周囲は暗くなる
旅の宿は賑やかな場所がいいけど:評価=良
2007.平成19年10月31日(水):雨
■えっ、雨が降ってる
昨日遅かったが6時くらいに目が覚めた。まあそう言っても日本時間8時だからこれでも遅い目覚めだったけど。
日本を出る前に調べたハノイの天気予報は私が滞在する間はずっと晴れだったのに・・・。夢にも思っていなかった初日からの雨である。傘も持って来なかった。
昨日の夜はベッドで寝ずに床に薄い掛け布団を敷いて寝た。
クッションがフワフワ過ぎるので・・・。何処でも寝れるようになることが私の密かで?切実な今後の目標でもある。
一応蚊取り線香もして寝たが、蚊はいないようだった。
朝、6時過ぎに目が覚め窓から外の景色を見たら曇り空だったように思ったのに・・・ムムムどう見ても外は雨だった。
-
4階だったと思う
エレベーターのドアが空いたら突き当りが私の部屋 -
部屋の窓から写す
右隣が軍隊のホテル(宿泊所)のようだった
門にはいつも警備兵が立っていた -
初めて見たが、見て直ぐにこれがフォー・ボーだろうと思った
電熱器の汁を入れて食う
あっさり麺・ラーメン?うどん?そうめん? -
バイキングの朝食を食べに行った。
ホテルは部屋も綺麗し広いし文句はなく、レストランも良かった。早速、朝からPho Bo(フォー・ボー)が目についたので食べる。美味かった。
そして・・・。
やはりフランスの植民地の影響なのかフランスパンは美味い。
日本人客も多いようである。
その後、傘を買いにホテルを出て近くの雑貨屋で初の買い物。値切ったけど駄目だった。でも正直そうなおばちゃん店主で、傘は役立ち品質良く、置いて来るのが惜しくて日本に持って帰って来た。
3万ドン(220円)の良い傘だった。
ミネラルウォーターは¥8,000ドン=58円 -
ホテルを出たところの道、よく出入りしました
この道を歩けば必ず声が掛かります
バイクタクシーorシクロの運転手から -
このおばちゃんの店で
おばちゃんが手に持っている折りたたみ傘を買いました
ベトナムもシェムリアップもそうですが
製品が思ったよりしっかりしている気がしました
何処に比べてなのかって??モチロン隣の大国
中国からインドシナ半島に物作りはシフトすべきです -
エリートガイド?ホアン君
何か、文句でも・・・。
ホーチミン廟にて
■ハノイ半日ツアーに
8時半にロビーにツアーのTNKトラベルJAPAN のガイドが来てくれた。
日本で最初に申し込んだ時は、一人料金でハノイ半日ツアーが33ドルだったのに、もう一人参加する人があり19ドルになった。おかげさんで14ドルも安くなった。
このガイドのホアン君(24歳・男)が優秀なガイドだった。優秀と言うのは、そのハノイ大学ガイド学科卒業という学歴もそのようだが、記憶力抜群で日本の歴史と並行しながらの説明には、何でそんなにすらすら詳しく出てくるの・・・と、ホトホト感心するしかなかった。
ホアン君
父はベトナム戦争当時ドイツと中国に留学、母は当時フランスの機関に勤務しフランス語は堪能。姉は、ハノイ大学卒業後、日本の東京大学に留学しその後で韓国にも留学、今はハノイのJTBで勤務し、結婚している。
弟はハノイ大学を目指す高校生。ホアン君自身も日本への留学を目指しているそうだ。ハノイのエリート家族なのだろう。 -
こんな車の後部座席に坐って
この車、この旅行社の社長のマイカーだと言っていた
車が足らずに使うことになったようだ
私の横にはSさんが坐っています
迎えのワンボックスカーには同行の日本人女性が坐っていた。
名前はSさん30代だと思う。
ホーチミンで日本の友人が日本語講師として勤めており、その友人を訪ねての旅行のようで、ついでにクイニョンを観光しハノイにも一泊で来たとのことであった。昨日着いて今日には又飛行機でホーチミンに戻るらしい。
Sさんは今回が初めての一人旅と言っていた。ハノイよりもホーチミンの方がやはり経済都市で活気もあり騒々しさも全然違うと言っていた。
ハノイは古都でもあり政治の中心でもある首都なのだ。それでもオートバイの多さには驚く。昔はこれがそのまま自転車の洪水風景だったようだ。 -
やっぱし雨でした
-
天安門広場に雰囲気は似てたかな?
何処がって?
だだっ広いところが
■まず最初に行ったのがホーチミン廟
天安門広場に良く似た感じの風景の広場に廟は立っていた。ここは毎年10・11月は中に入れないそうである。未だにホー・チ・ミン主席の遺体がガラスケースに入れられ安置されているとは・・・。
そして広場の一角にはベトナム戦争を戦った元軍人たち??の集団が居た。こんなに小柄な兵士たちが粘り強く戦ったのかと、その姿と米軍兵士との対比を思うと感無量である。
ホアン君の説明によればベトナムも蒙古襲来が三度にわたってあったらしいが撃退したそうである。「地球の歩き方」にも『特筆すべきは元の軍隊をゲリラ戦で撃破したことである』と書いている。なるほどこの時もゲリラ戦・・・か。
そしてホアン君曰く「日本は神風が吹いて助かったそうですね・・・」との事。
これには私は異存があったが・・・丁度、昨日飛行機の中で読もうと「真実の日本戦史」(別冊宝島)という本をハーバーランドの書店で購入し、「元寇は神風がなくても勝っていた」という専門家の分析を読みフムフムと納得していたからだ。 -
ホーチミンの遺体が安置とは
ロシアにシナに・・・そして
ベトナムよ愚かな奴らの真似はよせ -
ホンマにあんたら米軍と戦った元兵士?
ちょっとしょぼいけど
性根はあるんやろな -
雨でも観光客多し
この一団が話す言語は中国語でした
■大統領府とホーチミンの家
ホーチミン廟の横には大統領府があった。
ホーチミンも1954年〜1969年の亡くなるまで執務を行っていた。そして今も現役の大統領府である・・・ここで10月10日にグエン・ミン・チェット国家主席が朝日新聞記者のインタビューに応じたそうだ。
その奥にホーチミンの家がある。確かに案内通り素朴な家で当時使っていた車も展示されている。
しかし結局、社会主義政権は独裁政権となり今や賄賂と汚職にまみれた政権になっているのだ。そして貧富の差は益々開く。
所詮ホー・チ・ミンの理想も権力を前にしては、下らぬ組織と成り下がり三等国家としての範疇から抜け出すことは出来ないのだろうと思う。
何でアジアの諸民族がこの体たらくから抜け出せないのか?タイ・ビルマ・ベトナム・カンボジア・支那を巡って思うことである。豊かな自然にも恵まれながら・・・。一体なんでやねん?? -
今も現役の大統領府
フランス風の建物多し -
-
ホーチミンの乗っていた車
写しました -
ホーおじさんの家
そりゃあ、高邁な理想に燃えて独立運動を牽引したリーダーは
確かに立派な指導者だったのかも知れませんが
こんな貧富のある国になってしまいました
もうちょっと何とかならんかと思いますが
植民地よりはましということなのですか・・・ね -
-
-
土産物店の一角で生演奏
-
一柱寺
1049年創建、ベトナムを代表する古刹と言われても
コンクリートになってしまっていたら・・・。
■一柱寺を見て、次に文廟へ
一柱寺を見て、文廟に行った。文廟とは孔子廟とも呼ばれベトナム最初の大学でもあり科挙の合格者の名前を刻んだ石碑がある。ホアン君がこれでもかとばかりに詳しく説明してくれたが、頷くばかりで耳に入らず。大学と言っても小さいものである。
ベトナムが長いこと中国の支配下にあったことが、この孔子廟を見ても、まだまだ漢字があちこちに残っているのを見てもその歴史を物語っている。
ベトナムは紀元前から長い間中国の支配下にあったから中国文化の名残は当然なのだろう。ホアン君は中国とは過去に10回戦ったと言っていた・・・が。そして「元々南北ベトナムは違う民族の住む、違う国だった」とも言っていたのが印象に残った。
ホアン君の中国に対する印象は、「中国は中華思想で世界の中心だと思っているから、どうしようもない・・・」と言うことであった。そんな巨大な大国に昔から侵略されてきたベトナム民族の歴史も苦難の連続だったのは当然の成り行きなのだろう。
今の私の中国語の若き女性の先生も「ベトナムは昔は中国だった」と、平然と言うくらいである。それが一般的な中国人の意識なのだろう。
因みにハノイ大学で学んだ優秀なホアン君も漢字はほとんど読めないと言っている。 -
一柱寺の内部
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文廟
1076年〜1779年までの約700年間・・・か
良くぞベトナム語が消滅しなかったものだ -
3年に一度の科挙試験の合格者の名前を刻む石碑
亀の大きな石碑は、良くなかった時代の石碑だと
ホアン君は説明してくれた
それを聞いたSさんは、小さい石碑の亀の頭を撫ぜていた
私はどっちも撫ぜなかった -
亀の石碑も屋根の龍も、ホアン君が詳しく説明してくれました・・・が
時代によって龍の形が違うそうです -
ハスの花
同行のSさんはハスの花が好きで、写真を撮っていました
小さいデジカメとでっかいカメラ持参でした -
ハノイの佐川急便
トラックは見かけなかったですが -
■次にドンスアン市場・ハノイ教会・ホアンキエム湖に行った。
その後、ドンスアン市場(Cho Dong Xuan)に入り三人連なって中をウロウロ歩く。私が旅したアジアのマーケットはどことも規模こそ違うが同じような感じである。通路は狭く小さな個人商店がひしめき合いながら商品を山積みしている。
一体此処は卸市場なのか?個人が日々に買い物に来ているのか?客がどれくらいいて商売に成っているのか?否か?良く分からないが客ではなく店が混み合っている。
店で寝てる者もいれば、互いに話す者いれば、商品を並べる者もいれば・・・その光景見るも楽しや。
賑やかで活気ある市場もあり、鳴りを潜めて静かな市場もある。
このドンスアン市場は、さほど賑やかではなかったが・・・。他は同じようだった。
ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)は植民地の名残り?1886年仏教寺院の跡地に建立とあるから、何か曰くはありそうだ。中には入れず外から写真だけ
ホアンキエム湖にはその時が当然初めてだったが、その後この湖を目標に何度も歩いた場所である。この湖から徒歩20分くらいでATSホテルまで戻れる。
いろんな詳しい説明をしてくれるが興味の無いものは記憶に無い。
車のナンバー赤色は軍関係:青色は政府や警察関係らしい。ここベトナムの車は目につくのはほとんどが日本車でトヨタとホンダ、特にトヨタが多い。ベンツやVMも時折見かける程度であった。
ベトナムは教育制度は5・4・3・4で通算は日本と同じだ。
徴兵制があるが大学に入学すれば徴兵は免除されるらしい。大学に行く為にみんな頑張るようだ。でも大学でも1年間くらいの軍事教練のようなものがあり一定期間集団生活も体験するらしい。ホアン君もそれは楽しい思い出になっていると言っていた。
10台並んだら8〜9台は日本車の感じがした。ホアンキエム湖で半日観光は終了だったが、Sさんがガイドブックを見て行きたい場所があったのでまだ時間も余裕があり、そこに連れて行ってもらった。 -
ドンスアン市場の内部:倉庫ではありません
勿論、服屋だけではなく食料品まで何でも売っているような -
-
ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)
-
これが社長の車です。
そして運転手の方です -
ホアンキエム湖
ハノイ市街の中心にあって、
私のハノイ旅での中心街でもあった -
-
伝説
1428年、黎朝(しちょう)の始祖レ・ロイは、湖に住む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐し、
ベトナムを中国支配から解放した。ホアンキエムは「還剣」という意味だそうです
ムムム・・・それで、この亀は???
-
フォーン・セン:お茶屋
100グラムのハス茶を作るのに100個以上のハスの花が必要
・・・って、ホンマ?かいな
疑り深い私ですが
■ハス茶の店へ
そことは・・・フォーン・セン(Huong Sen)というハス茶の店であった。
地球の歩き方にも紹介されており、Sさんはそれに記しを付けていた。そして、ハス茶をお土産に買って帰るつもりだったようだ。本の中に写っている写真の人がそこに居た。店内に入るとハスのお茶を出してくれる。
ハス茶は精神を落ち着かせる・リッラクス効果があるようだ。100グラムのハス茶を作るのに100個以上のハスの花が必要とのこと。Sさんがハス茶とハスの実の甘納豆のセット(12ドル+1ドル)を4セット買い、私は話の種に1セット買った。
値段はガイドブック通り。一人なら当然のように値切るがSさんがメーンなのでそのまま買った。
奥さんと二人でこの店を出している。子供は男の子が二人、店の壁に家族の写真を飾っていた。案の定、毎日、日本人の客が来るそうだ。私が日本に持って帰るハス茶は何時誰が飲むのだろうか??? -
二児の父親店主
顔に「儲かって仕方がないです」と書いていました
日本語ほとんど話せませんが英語は得意のようです -
ブンチャーと春巻と葉っぱ
■昼食はSさんと一緒にダックキムで
その後、またSさんが調べて来ていたレストランまで車で送ってもらい今日の半日コースは終わりとなった。そして私も一緒にそこで昼食をすることにした。
Sさんのガイドブックも私のと全く同じで、ちゃんとした調べをしたのか印を付けていた。その店は大衆食堂ダックキム(Dac Kim)ブン・チャーの専門店であるようだ。
何故なら、それしかメニューが無いのか何も聞かずに持ってきた。聞かれたのは春巻きを要るのか要らないのか?だけであった。そして、春巻きも頼んだ。Sさんは友達が長くベトナムのホーチミンに住んでいるので、このハノイの食い物のことも聞いていたのだと思う。
ブン・チャーは、そうめんような米の麺(ブン)だそうで、それにチャー(焼肉)・チャーゾー(揚げ春巻)とをタレにつけて食べる。なかなかの一品であった。春巻もボリュームがあって美味い。
・・・と、言っても日本食よりは美味いとは思わないが、ベトナムで食えば十分美味い。でも量が多く全部は食べれなかった。草のような野菜?も皿に山盛りだが食う気はしない。
この草(ザウ?野菜)はベトナム食堂でしょっちゅう出てくるが、地元の人はこれは当たり前のように食する食材のようだった。小さい頃から食べていれば、この風味こそベトナム料理ということになるのだろう・・・。 -
美味かった。量多かった。春巻ボリュームあった。残した。安かった。
葉っぱは食えん・・・これぞベトナム風味なのか
一期一会の出会いであったSさん。群馬県の人だった。初めての一人旅で、一緒にレストランで食事出来たことを「心強い」と喜んでくれていた。一応勘定も遥かに年上の私が払ったが・・・二人分で6万ドン(440円)とは安いものだ。
彼女はこれから水上人形劇を見て夕方には又飛行機でハノイからホーチミンに戻るそうだ。一泊二日のハノイ滞在である。その店を出て互いに挨拶をし左右に分かれた。これも旅の出会いであり、思い出である。午後12半頃・・・。 -
大衆食堂ダックキム(Dac Kim)
「地球の歩き方」07〜08版、246頁参照あれ -
ダックキムを写す
別れ際、Sさんが向こうに行くので
私はこっちに歩いた・・・方角も何も分からないまま
「良い旅を続けて下さいね」と声を掛けて別れるのに
一緒の方向に歩くのはオカシイし、だから・・・。
その後、しばし立ち止まり自分の位置を確認し改めて歩く -
我がATSホテルの直ぐ近く
左:市劇場、パリのオペラ座を模している
右:ヒルトンホテル
私:ここから徒歩5分のATSホテル
■2時頃・・・。
一旦、ホテルに歩いて帰りしばし休憩の後、又散策に出発。
まずはホアロー収容所に向かった。
ATSホテルから出てヒルトン・ハノイ・オペラ(ホテル)の横を通りハイバーチュン(Hai Ba Trung St)通りを真っ直ぐに西に向かって歩く。 -
これがパリのオペラ座を模した市劇場です
フランス統治時代の1911年建築
現在も演劇などが上演されているそうです -
歩道の使用は何でも誰でもどのようにも自由のようです
歩きにくいですし、車椅子は無理です
それでも一応歩道がある??のが可笑しいところです -
オートバイの集団も見ごたえあります
-
MAISONってフランス語で小さい家って意味なのか、
なら、オモロイ
■ホアロー収容所
大きな通りには名前が付いており、地図を見て行ける。後は距離感が今一掴めないが、大体の中心部の範囲なら歩いて移動が可能だ。
ホアロー収容所は19世紀末にフランスが作った監獄である。その後も使い続けられ1953には2000人以上が収容されていたそうだ。
ベトナム戦争当時は米軍捕虜も収容されたようで、米軍捕虜たちが「ハノイ・ホテル」と此処をそう呼んでいたそうだ。 -
今も昔もこれからも
地球って星に生きる人類は
否が応でも白人たちが牛耳る世界ってことだろう
そんな世界で日本人は誇りある地位を如何に確保するか・・・だ
・・・・・・・・・
ベトナムのこういった展示館はどことも中にある展示品の写真撮影もOKだった。今はその監獄の大部分がハノイタワーとなって聳えており一部だけが保存されている。入場券は¥5,000ドン(36円)と安い。そのくせパンフレットは美しく立派なもので驚いた。
中はギロチンあり、そして人形によってリアルに鉄の金具で足かせをされた収容状態が再現されており真に迫るものがある。ベトナムの暗部でもありフランス植民地時代の暗部でもあるのだろう。 -
ホアロー収容所の全景写真
・・・・・・・・
その中のある部屋で私は大いなるショックを受けた・・・それはトイレの有様
その部屋は、鉄の足かせで多くの人間が収容されている大部屋であり、正面にトイレが二つ並べて作ってあった。
そのトイレの場所と有り様に白人であるフランス人の醜い部分が凝縮されているのを感じた。そのままが白人の性根であり、有色人種に対するあくなき人種差別、蔑視、偏見であると感じた。今も奴らの心の奥底には同じ血が流れ同じ意識を共有しているのに違いないと信じる。
その大部屋のトイレは、教室で言えば正面教壇の位置にあった。そして三段の階段を設けわざわざ高くし、まるでスポットライトを浴びる舞台の様に作ってあった。
そこでみんなの方向を向いてしゃがみ用を足す。鉄の足かせの仲間は下から正面方向のやや高い場所に坐ってしゃがんで糞をする仲間をほぼ真正面から見る格好になる。
よくもこんなことを考えたものだ。白人野郎はこんな汚い根性なのか?それは人間としてのプライドを互いにこれ以上なく辱め、精神をズタズタにする効果があるのだろう。
その部屋に説明があったのか?なかったのか?多分何もなかったように思う。そしてそれを残し保存したベトナム人に拍手を送る。沢山の白人老若男女が訪れていたが、この有様を見て何を感じたのか?美しく済ました白人美女はどう思ったのか?
奴らの秘められた胸の内は今も昔も変わっていないはずだ。薄い薄い理性のベールで今はこそっと隠し覆っているだけだ。一旦化けの皮が剥けたら・・・何時だって同じ性根で有色人種に対するだろう。
白人いや人間の心の奥底に潜む正体をまざまざ見せられたようで気分が悪くなった。金輪際白人野郎の奴隷になんかなってたまるか・・・である。
この場に立ち、白人vs有色人種、そして白人列強が世界を制圧していた植民地時代を思う時に、当時列強の一角を占めていた唯一の有色人種国家:日本の立場を思う。そしてそれは大東亜戦争に引きずり込まれたのも、きっと白人の黄禍論が根底にあったのだ。
それが人間と言うものだ。複雑なことは何も無い。この部屋の、このトイレを見て全てが分かったような気がした。今回の旅の価値はここにあり???か、しゃあない・・・率直に正直に言えばそうだからだ。くそったれ。
原爆二発もそうだ。奴らと付き合う上で、このことを何処かに置き忘れると手痛いしっぺ返しを食わされるのがオチだと思う。それを踏まえて白人と付き合わねばならない。
理不尽ではなく、誰がどう見ても奴らが優越感を持つのは当然のことなのだ。もし自分が白人なら・・・きっとそうだから。
ここは内容といい、人形のリアルさといい、雰囲気もそうだが十二分に一見の価値はある。 -
当時の収容風景
こんな時代、こんな所で足枷に繋がれて生きた人たち
どんな精神状態で、どう日々を過ごしたのか?
自分がこんな状況になれば、一体自分はどうなるのか?
当時の彼らの心中は知りたいが、自分のことは分かりたくも無く -
正面暗がりの中にかすかに見えるのが舞台トイレ
ホンマ良くぞこんな物を作ったものだ
これぞ白人根性っていうものだろう
傑作であり、未来永劫残して欲しい -
舞台トイレ
交代で舞台の上にこっちを向いて二人が坐り・・・。
白人たちにもやらせたいなあ
「この部屋は良く出てきていますねえ・・・」
こんな部屋で暮らすのは如何でしょうか?と
済まし顔した白人女性に感想を聞きたい -
舞台トイレ
デザインもなかなか素晴らしい
足型もちゃんとこのようにみんなの方向を向いて
創意工夫がある
こんな立派でオープンなトイレはここにしかないのか? -
舞台トイレのある部屋:正面がトイレ
お〜い、そこに立ってる白人女性
何を考え何思う
正直に話してくれ -
なかなか表情もあり、リアルでいい作品だ
これがあるからこの部屋の雰囲気も様になっていた
べトナム人の逞しき真相に触れたような気がする
でも全ては大東亜戦争あったればこそだと思う
それまで白人に完膚なきまでに牛耳られていたのだから
このトイレがそれを如実に物語っている -
-
ギロチンか
これは本物なのか?本物だったら一体何人の首を落としたのか?
ガイド無く、説明も分からず
でも物は本物のようだった。初めてギロチンを見る -
ベトナム戦争当時の米軍捕虜の写真
家族がこれを見ればどう思う
生きて故国に帰っているなら構わないだろうけど
でも、まあ、戦争って何でもありだから文句は言わん -
-
ホアロー収容所、跡地に今
跡地の大部分はこんな物が突っ立っています
全部そのまま置いておけば良かったのに
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