2007/07/19 - 2007/07/19
384位(同エリア457件中)
まみさん
2007/07/19(木)第12日目:シゲット・マルマッツィエイ1日フリーデイ
【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】
ウクライナ正教会、カトリック教会、ルーマニア正教会、社会主義時代の被害者のメモリアル博物館、民俗博物館、野外民俗博物館
本日最後の観光メニューは、ここシゲット・マルマッツィエイでも一番楽しみにしていた野外博物館です。
ただし、今日はマラムレシュ地方で過ごす最後の日なので、ペンションに戻り、夕食をすませたあとに、また午後20時すぎから1時間ほどヴァド・イゼイ村を散歩しました。
それが、今日一日の本当の最後の観光メニューになります。
そのときに撮った写真はこちらの旅行記の後半。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第9日目(5)マラムレシュ地方:ヴァド・イゼイ村を散歩」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10189140/
シゲット・マルマッツィエイ観光は、教会めぐり、民俗博物館、社会主義時代の暗黒の歴史のメモリアル博物館と予定どおりすませました。
情報を求めて観光案内所代わりに旅行会社に寄ってみて、結局市内地図だけ買ったり、また書店に寄ったりもしました。
時間は14時。
ほかにも市内には、市場やシナゴーグ、ノーベル平和賞受賞のユダヤ人作家エリ・ヴィーゼル(Elie Wisel)の生家跡の博物館など、気にかかるところはまだまだあります。
でも、それらを回っているうちに、一番楽しみにしている野外博物館で時間が足らなくなっては困ります。
それに今日は17時に野外博物館の入口で、現地ガイド兼ペンションのオーナーのニコラエさんに迎えにきてくれることになっています。
ニコラエさんは時間厳守ですし、好意で迎えにきてもらうのですから、私も当然、時間厳守です。
のんびりしていられません!
野外博物館は、町の中心から3km離れているので、タクシーで行きました。
観光を優先させるために昼食抜きです。
タクシー代は6レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
こういう値段が「地球の歩き方」どおりというのは、私の旅行経験の中では珍しいです。
タクシーは冷房がよくきいた、日本のタクシーに劣らぬ新しいきれいな車両でした。ニコラエさんの車が
冷房がきかない、かなり古い車だったのと対照的です。
こんなところでも、シゲット・マルマッツィエイって都会なのね、と思ってしまいました。
でも、涼むヒマもなく5分ほどで着きました。
シゲット・マルマッツィエイの野外博物館も、バイア・マーレの野外博物館と同様、丘の斜面に開けています。
Lonely Planetでは、バイア・マーレの野外博物館の紹介はあっさりなのに、シゲット・マルマッツィエイの野外博物館は絶賛しています。申し込めば宿泊もできるそうです。しないけど。
なので、半日足らずでは回り切れないのではないかと心配です。
中に入ってしばらく、ちょっとした山道を登らなければなりませんでした。
17時に入口に戻るには、何時に見学を切り上げなければならないか逆算せねば!───と慌てて時間を測りましたが、10分くらいで集落のあるところに着きました。
結論からいうと、14時10分に入場し、まちあわせの17時より30分前に出てきてしまいましたし、博物館でものんびり回り、途中30分ほど休んだりしたので、そんなに焦らなくても、時間は余りました。
これが市内であれば、その余った時間でもう少し他の観光ができたでしょうが、仕方がありません。
時間が余るか足らなくなるかなんて、行ってみないと分かりませんからね。
野外博物館では、家屋と家屋の間の道はともかく、移築されている家の門から敷地内の建物まで草ぼうぼうのところばかりでした。人が入った形跡がほとんどみられません。
いや、ところどころ草が倒れたり折れたりしているのが、歩いた形跡ですね。
ほとんど獣道です。バイア・マーレの野外博物館よりも激しかったかもしれません。
でも、バイア・マーレの野外博物館で慣れました@
博物館見学というより、半ばピクニック感覚でした。
こりゃあ、たしかにLonely Planetにあるように、子供たちが喜びそう。
それは別にバイア・マーレの野外博物館でも同じだと思いますけどね。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第8日目(1)バイア・マーレ:花盛りの野外民俗博物館・その1」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10185200/
「2007年ルーマニア旅行第8日目(2)バイア・マーレ:マラムレシュ地方の田舎の生活を垣間みて・野外民俗博物館・その2」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10185202/
この日は、市内にいた昼すぎまでは、風もあって、まだ過ごしやすかったです。
ルーマニアを襲った異常猛暑も今日は中休みか、とホッとしていたのですが、野外博物館に着いてから、風はぴたっとやんでしまいました。
しかも、ハイライトの教会にたどりつくまで上り坂ばかり。
途中、暑さのせいで息苦しくてたまりませんでした。30分の休憩もこのために必要でした。
もっとも、ハイライトまでたどりついてしまえば、残りの見学にかかる時間も見当つきます。このままでは時間が余りそうだと分かったからこそ、ゆっくり休めたわけです。
野外博物館があるあたりは、シゲット・マルマッツィエイといっても、ほとんど隣村といってよい郊外です。
なので、再び、マラムレシュの村めぐりのときと同じような、まったりとした時の流れに、しばし身を任せることになりました。
また、2時間半いて、入場料を払ったとき以外、出会ったのは夫婦1組と5人くらいの家族連れ1組のみ。
バイア・マーレの野外博物館見学のときと同様、ほぼ完全に私だけの世界でした。
でも、もう寂しさは感じません。
むしろ、豊かな自然と古い家屋の温かさに囲まれて一人の世界に浸りながら、世俗の垢とつまらない悩みが洗い流されていくような心地よさがありました。
───しかしそれも、17時にはちゃんとニコラエさんが迎えに来てくれるからこその余裕。
時間になれば元の世界に戻れるという保険をきっちり確保したうえでこそ成り立つ、一時的な逃避に過ぎませんね。
「シゲトゥ・マルマツィエイ農村博物館
マラムレシュ地方の旧県庁所在地にある野外博物館。マラムレシュ地方の民家を中心に収集している。この地方では木柵に装飾を施した伝統的な門構えは、現在でもよく目にすることができるが、民家は近代化のため急速に消失している。マラムレシュ地方の伝統的な住居環境を知るには必見。オンチェシュチの教会(16世紀)が移築されている。」
(「街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より)
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野外博物館の最初の建物、すなわちチケット売り場@
入場料は4レウ、写真代も4レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
野外博物館は、ドバイエシュ(Dobaies)丘にあります。
建物の右に延びている山道を少しばかり登ります。 -
野外博物館の地図(看板)
チケット売り場で地図を調達できなかったので、この写真は役立ちました。
野外博物館には、主に17〜18世紀の伝統家屋が移築されています。
家屋は、コサウ(Cosau)とマーラ(Mara)、イザ(Iza)、ヴィセウ(Viseu)、ルスコヴァ(Ruscova)、ティサ(Tisa)渓谷───と、エリアごとに分けて移築されています。あたかも実在の村を再現するように。
一番重要な建物は、教会です。イザ川渓谷のオンチェシュチ(Oncesti)から移築されました。ただし、この教会は、もともとは、17世紀に建てられた、クリサネシュティ(Crisanesti)でした。
(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)
http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html
ガイドのニコラエさんによると、このシゲット・マルマッツィエイの野外博物館はバイア・マーレの野外博物館によく似ているとのことでしたが、丘の上に展開しているところと、どちらもマラムレシュ地方の建築物を集めているところからそう言ったようです。
Lonely Planetでは「半日をかけてもよい」と絶賛しています(Allow at least half a day to wander through the incredible construction.)。
バイア・マーレの野外博物館についてはここまで書かれていません。 -
井戸の見えるアングルで
坂を上がって見え来たほぼ最初の家屋です。
Metaneira社のマラムレシュガイドブックで、たくさんの写真とイラストで図解されていた、典型的なマラムレシュの農家です。
でも写真は、一番興味を惹いた井戸を中心に撮りました。 -
伝統的な井戸
といってもマラムレシュ地方では現在も井戸は現役です。
ガイドのニコラエさんのペンションでも井戸が使われていました。
村にはまだ、上下水道設備が整っていないため、水は自給自足。
マラムレシュ地方、それから翌日から訪れたブコヴィナ地方では、村ではほとんどそうでした。
ニコラエさんちの井戸の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12887459/
関連の旅行記
「07年ルーマニア旅行第9日目(5)マラムレシュ地方:ヴァド・イゼイ村を散歩」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10189140/ -
花に焦点を当てて
花に焦点を当てるためにほとんど寝そべるようにして撮りました。
奥のとても急な屋根は母屋です。
高い寄せ棟屋根の母屋の屋根裏部分は、乾燥や燻製にした食糧の貯蔵スペースだそうです。
(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック) -
井戸と貯蔵庫(左)と伝統的な乾草小屋(右)
四角い乾草小屋は、乾草の量によって屋根の高さを変えられる、マラムレシュ地方の伝統的なタイのものです。
ガイドのニコラエさんのペンションのお隣さんちにもありました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12887456/
関連の旅行記
「07年ルーマニア旅行第9日目(5)マラムレシュ地方:ヴァド・イゼイ村を散歩」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10189140/ -
編んだ小枝の生垣と貯蔵庫
マラムレシュ地方の門は立派ですが、柵は境界線を示す役割だけなので、門よりもずっと低いです。
伝統を色濃く残しているといわれているマラムレシュ地方ですが、社会主義体制崩壊後は近代化の波が押し寄せ、せっかくの木造家屋はどんどん建て直されてしまっています。
村全体的に木造家屋がよく残っているところはごく一部でした。
実際、木造家屋はとても狭いし、煉瓦や石づくりの近代的な家の方が快適なのは確かだそうです。
ニコラエさんも、伝統的な家屋がマラムレシュからどんどん失われていくのを惜しみつつも、そう言っていました。
しかし、農閑期の出稼ぎが昔からふつうに行われていたマラムレシュの人々にとっても、家を建て替える資金を貯めるのは大変なことでした。
とりあえず建て始めながらも、資金不足で続けられずにずっと中断せざるをえなかったり、出稼ぎの期間が延びて、本業の農業に支障を来し、家に残した女子供や村の隣人にしわ寄せがいったりする厳しい現実もあります。
そのことを、私は行くに前に、みやこうせいさんの本で知りました。
「マラムレシュの多くの村々では古い木の家をとり壊して新築ブームである。この20年近くで、村々の風景は様変わりした。(中略)これまでの、いかにも自然に溶け込み自然に親密な木の家の多くは早晩消える運命にあろう。4世紀半にわたり、いろいろな村の消長を見てそう思わざるを得ない。
モロシェニ(マラムレシュの人のこと)の特に若者は、木の家は時代遅れとする。トランシルヴァニアのように、煉瓦づくりの家が保温にもいいし、明るくて清潔で快適だという。それはその通りである。賢明なモロシェニは、樅の木の家に住み、使われている樅の木と同様に呼吸をしたい、木は健康にいい、心臓にいいということを知っているものの、いかんせん、上等な木の家をつくるより煉瓦の家のほうが安上がりなのだ。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より) -
空の乾草小屋とコップを乾いている木
「ところで、笑えぬ事態がここ数年、マラムレシュのあちこちに起っている。イザ川流域やマラ川流域の村を歩いてよく目につくのは建てかけのままで、がらんどうの家である。壮大な家の外枠をつくった、というよりは、おっ建てたという表現が似つかわしいが、それから先が進まない。屋根もあるのに、多くなると7つも8つもの部屋は赤い煉瓦がむき出しで窓さえ入っていない。
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より)
現地ガイドのニコラエさんと車でマラムレシュを回った3日間に車窓から見ただけでも、こういった時代の変遷は明らかでした。
煉瓦や石づくりの家は、確かに思ったより多かったです。
失われるだけの運命だった木造家屋のうちの何軒かは、こうして野外博物館に移設されることで生きながらえているかもしれませんが、おそらくごくごく一部でしょう。 -
木の門の人のためのゲートの上部の浮彫装飾
ニコラエさんと車でマラムシレュ地方を回って眺めた限り、家屋が木造から煉瓦に建て替えられても、門だけは伝統的な木の門にしているお宅も多かったです。
煉瓦の家をつくるためには、(中略)人々はかなりの無理をしている。細君と子供に多少のしわ寄せがあっても、「クニ(ブカレストのあるワラキアなどルーマニアの他の地方。マラムレシュの人々も祖国感覚で「ツァーラ(=クニ)」と呼ぶ)」へ行き、かなりの現金収入を得るのだ。(中略)
つまり、モロシェニは、新しい家を夢見て骨を折ったものの、一軒の家が構えを整えるまでどのくらい金子がかかるかという点で誤算があった。出稼ぎのために、自分の家だけしわ寄せがいくのではなく、同じ村の親族にも影響がある。手が足りなくなると、隣人、友人、親族が力を合せて共同作業(クラカ)をする習わしがマラムレシュにはある。場合によると、本来、共同体には不自然な出稼ぎのため、他の人に余計、負担がかかるという結果になる。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より) -
ポーチが立派な、マラムレシュ地方の伝統的な家屋
たいていホール付のワン・ルーム・ハウスです。
ただしこれは、地下室もあって、木造家屋の中では特に立派な家です。
「マラムレシュの村々は今や木の家と新築の煉瓦の家とが相半ばするようになった。でも、4つの川(ティサ川、ヴィセウ川、イザ川、マラ川)の流域の最奥に入ると、まだ木の家が多く、マラムレシュの原世界が残っている。自給自足が利いて、暮らし向きが極端に悪いことはなく、時に、「クニ(ブカレストのあるワラキアなどルーマニアの他の地方。マラムレシュの人々も祖国感覚で「ツァーラ(=クニ)」と呼ぶ)」へ出稼ぎに行ける村には趣きのないこれ見よがしの新しい家が多くなりつつある。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より) -
柵の向こう
シンプルな模様の柵も気に入りました@
「この状況は2000年に入った今も変らない。体制が変ったことで、現金のやりくりにも変化が見られる。貨幣価値が変動し、インフレ状態が膠着している。材料費も高騰した。家をつくるのに、かつてなら、村の衆が力を合せ、互いに助け合ったが、人々はよく平原部へ出稼ぎに出るので、都合もうまくつきかねる。資金不足で建てかけのまま2階はがらんどうといった例はまれではない。家を建てるのに長期戦の構えなのだ。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より) -
木造教会の一部と宿泊できる家屋
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宿泊できる家屋の脇とピンクの花
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宿泊できる家屋の中を覗いて
窓から中を覗いてみると、正面にバスルームが見えました。
隣は居間のようです。 -
荷車と何かの搾り器
一人で見学していると、「これ、なあに?」という疑問に答えてくれる人がいなくて不便ですね。 -
16世紀のオンチェシュチの木造教会
残念ながら中には入れませんでした。 -
木造教会と石の墓碑
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木造教会のテラスから野外博物館を見下ろして
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木造教会のテラスから教会前の墓地を見下ろして
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木造教会前の墓標は、なんとサプンツァ風!
今回のルーマニア旅行でハイライト中のハイライトと楽しみにしてきた、サプンツァの陽気な墓と同じです。
この野外博物館にある家屋や建物は、全てオリジナルのものを、保存も兼ねて移設してきています。
だからこれもレプリカではなく、古い本物の墓標をこちらに移設してきたのではないかと思います。
サプンツァの「陽気な墓」の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第10日目(1)サプンツァ:ついにやって来ました、陽気な墓」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10191098/
「2007年ルーマニア旅行第10日目(2)サプンツァ:きりがないです、陽気な墓@」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10191101/ -
「陽気な墓」タイプの墓標と教会と小屋の一部
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木造教会前の、「陽気な墓」タイプの墓標とレースフラワー
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野外博物館のお隣さんの積みわら(クライエ)のある風景
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編んだ生垣と
鋭い杭を立てて、これを横糸のようにして枝をからませて編んでいるのですね。 -
マラムレシュ地方のもう一つの伝統的なタイプの井戸
天秤の片方のヒモの先に桶をぶら下げて、井戸に突っ込むタイプですね。
これも現役です。
ブルサナ村の彫刻家のお宅で、写真を撮るチャンスがありました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12985034/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第11日目(2)マラムレシュ地方:ブルサナ村の木彫り師のアトリエを訪ねて」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10195173/ -
あの木の門からこの母屋まで、足跡全くなし@
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しばらく休んだイス
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教会の門と長椅子(スカウン)のある風景
ちなみに、野外民俗博物館は、かつて木造の家屋ばかりだった頃の村めぐりの疑似体験になるではないかと思ってガイドのニコラエさんにそう感想を話したところ、一つの村では木造家屋はほとんどタイプが同じだけれど、野外民俗博物館はあちこちの村からさまざまなタイプの家屋をまとめて集めたものだからだいぶ違う、と言われてしまいました@ -
マラムレシュ地方の伝統的な木の門
門を出てたいてい右側に、「スカウン」と呼ばれる長椅子があります。
この写真でも右端にちょこっと写っています。
ここは、家人のみならず誰が座っても構わない、村の小さな社交場です。
昨日までの3日間、車でマラムレシュの村々を走りぬけたとき、どの家にも見られました。 -
野外博物館の羊たち
草を食べるのに一生懸命でした。
顔を上げてくれません。 -
「何してるの?」
と私の方を見る子羊!? -
小屋から出てきた羊たち
異常な猛暑に襲われた2007年7月のルーマニア。
動物たちも暑さでぐったりやられていました。
最初のうちは熱心に草を食んでいた羊たちも、やがて涼しい小屋の中に入ってしまいました。
木造の小屋は、天然のクーラーなのです。
しかしそれではつまらない!
まだもっと写真が撮りたかったものですから、手のひらをパンパンと叩いてみました。
すると「何事よ?」というかんじに何頭か羊たちが小屋から出てきました。
そしてまた草を食べ始めました。
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「体制崩壊(1989年)後、ついに煉瓦の家が昔の木造の家より多くなった。もっと完成していない部屋がなお目立つ。モロシェニは部屋を作ると同時に、各々、家具を取り揃え、チェルガ(毛布)や刺繍をそのためにあつらえねばならぬ。煉瓦の家は、威風堂々として、まるで城のようである。それで、金子もなく手入れもせずに放ったらかしの、傾きひしゃげた木の家は敗残兵といった趣で吹けば飛ぶような雰囲気がある。そんな家でも、身寄りのないお年寄りが、ふせっていたりして胸をつかれる。食事は近所の者が面倒を見ているとのこと。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社/2000年発行)より)
現地ガイドのニコラエさんと車で回っていた昨日までの3日間、建てかけのままのがらんどうな家をちらほら見かけました。特にイザ川渓谷を回った昨日です。
行く前にみやこうせい氏の本を読んでいたせいもあり、かなり寂し気で惨めにすら見えてしまいました。
でも、ニコラエさんも、2階部分ワンフロアそっくりペンションとして貸し出している今の家を、お金を貯めながら自分の手で少しずつ、8年かけて建てたそうです。木造家屋ではありませんが。
あの家も、時間をかけてゆっくり、人の住む家になっていくと思いたいです。
代わりにその家の主がそれまで住んでいた伝統的な木造家屋が一つ消えてしまうことになるのでしょうが。
ニコラエさんは、伝統的な木造の家は小さくて、設備も古く、快適な暮らしを求めるとしたら住みづらいとコメントしていました。
また、政府にこういった伝統的な木造の家屋や建物を保存しようとする動きがないので、人々は木造建築を手放さざるをえない、と先日訪れた木造彫刻家の方も嘆いていました。
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