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2007/07/19(木)第12日目:シゲット・マルマッツィエイ1日フリーデイ<br />【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】<br />ウクライナ正教会、カトリック教会、ルーマニア正教会、社会主義時代の被害者のメモリアル博物館、民俗博物館、野外民俗博物館<br /><br />マラムレシュ地方4日目の今日は、かつての県庁所在地シゲット・マルマッツィエイで1日フリーデイです。<br />これは私から事前に申し出たことです。<br />シゲット・マルマッツィエイのような、「地球の歩き方」にも載っていて、博物館めぐりが主目的で、歩いても回れる町なら、ガイドに案内してもらうのでなく一人で回りたかったからです。<br />そのため、この1日分はペンション代のみで、ガイド料と車代は代金に加算されていません。<br /><br />なので、現地ガイドのニコラエさんに、朝・夕、シゲット・マルマッツィエイの送り迎えを頼むのはずうずうしいかなと気が引けました。<br />現地旅行会社の担当者に事前に相談したところ、頼めばそのくらいはやってくれるだろうが、帰りにどうやって迎えに来てもらうかという問題がある、とのことでした。<br />これを頼みに、思い切ってニコラエさんに頼んでみたところ、あっさりOKしてもらえました。<br /><br />これでも、バスで自力で往復することも考えたのです。<br />ペンションのあるヴァド・イゼイ村は、シゲット・マルマッツィエイの隣村とはいえ、8km離れています。<br />ところが、村外れのバス停は、車窓から確認した限り、確かにバスを待つ人が何人もいましたが、なんにもないところです。<br />びっくりした私が、時刻表は?───と聞くと、そんなものはなく、ただひたすら待つだけだ、とニコラエさん。<br />村人はせっかちではないので、1時間でも2時間でもバスが来るまで待てるというのです。<br /><br />ひぇーっ!<br />私にはとても待てそうにありません。<br /><br />それで結局、ニコラエさんに送り迎えをお願いしてしまいました。<br /><br />帰りの迎えのこともすぐに解決しました。<br />ニコラエさんは、4日前の7月16日にバイア・マーレのホテルのロビーで落ち合ったときから、ペンションでの食事時間、出発時間など、いつも時間厳守で信頼できます。<br />帰りはシゲット・マルマッツィエイの市内ではなく、町の中心から約3km離れた野外博物館の入口に5時に迎えに来てもらうようにお願いしました。<br /><br />そしていつもと同じ時間の朝9時30分にペンションを出発し、久しぶりに一人で観光しました。<br />ガイドとつきっきりの観光は、分からないことは聞けばすぐに教えてもらえるし、通訳を介してですが現地の人との交流もしやすいという、一人歩きにはない利点がたくさんあります。<br />でも、慣れた一人歩きというのは、やはりのびのびできます。<br /><br />シゲット・マルマッツィエイ観光は、まずは教会めぐりから始めることに決めていました。<br />国境に近いシゲット・マルマッツィエイは、民族のるつぼなのです。<br />そのことは、一昨日、少しだけシゲット・マルマッツィエイの町中を案内してもらったときに、ニコラエさんからも教えてもらいました。<br />あいにく道行く人を眺めても私にはちっとも分かりませんでしたが、代わりに教会の多様さから判断できます。<br />メインストリート沿いにいろんな教会が並んでいるのはそのせいなのです。<br />ルーマニア人のコミュニティためのルーマニア正教会。<br />ハンガリー人のコミュニティのためのカトリック教会。<br />ウクライナ人のコミュニティのためのウクライナ正教会。<br />そしてドイツ系の人々のための改革派教会。<br />改革派教会を除く3つの教会は、無事に中も見学することもできました。<br />それも、朝のミサは終わったばかりで、入口が閉められてしまうまでまだ間がある、という、一番人気がなく、写真を撮るのにちょうどよいタイミングで。<br /><br />写真はダメとどこにも書かれていないから撮ってよい、という理屈にはならないですが。<br />昨日のイェウドの教会でのニコラエさんのように、ルーマニア人だって、ダメといわれなければ撮っちゃっていいんじゃないか、という人もいるし、実際に教会内の写真を撮っていました───と、ちょっと自分に言い訳したりして。<br /><br />「(前略)このあたりは盆地なので標高も280mと低く、古くから交通の要所として栄えてきた。ウクライナとの国境がマラムレシュを分断し、県庁所在地がバイア・マーレに移される以前は、名実とともにマラムレシュの中心地だったのだ。国境が近いせいもあり、住民にはハンガリー人やウクライナ人が多い。<br /> 町を歩けば、流行のファッションと民族衣装、自動車と馬車が共存する風景に出会う、現代文明と伝統が交錯した地方都市だ。マラムレシュ各村へはここからバスが出る。」<br />(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)<br /><br />「シゲットはルーマニアでも辺境の辺境で、ルーマニア人達は愛着を込めて、シゲットよりいい町はない、とよく歌うまた、マラムレシュの3つの渓谷沿いの村人もシゲットには特別の思いを持っている。子供たちにとってもあこがれの町である。町並みが均整がとれて、クリーム色のメインストリートはややしなって、優美な印象がある。諸民族のことばが、通りでふんだんに聞える。ルーマニア語にまじってハンガリー語、ウクライナ語。曽祖父がイタリア人、曾祖母がオーストリア人、途中、今まで、ドイツ人、チェコ人、ルーマニア人、ハンガリー人、ポーランド人などの血がまじり、インターナショナルだという人も。」<br />(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社)より)

2007年ルーマニア旅行第12日目(1)シゲット・マルマッツィエイ:教会の多様さは民族のるつぼだったから

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2007/07/19 - 2007/07/19

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まみ

まみさん

2007/07/19(木)第12日目:シゲット・マルマッツィエイ1日フリーデイ
【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】
ウクライナ正教会、カトリック教会、ルーマニア正教会、社会主義時代の被害者のメモリアル博物館、民俗博物館、野外民俗博物館

マラムレシュ地方4日目の今日は、かつての県庁所在地シゲット・マルマッツィエイで1日フリーデイです。
これは私から事前に申し出たことです。
シゲット・マルマッツィエイのような、「地球の歩き方」にも載っていて、博物館めぐりが主目的で、歩いても回れる町なら、ガイドに案内してもらうのでなく一人で回りたかったからです。
そのため、この1日分はペンション代のみで、ガイド料と車代は代金に加算されていません。

なので、現地ガイドのニコラエさんに、朝・夕、シゲット・マルマッツィエイの送り迎えを頼むのはずうずうしいかなと気が引けました。
現地旅行会社の担当者に事前に相談したところ、頼めばそのくらいはやってくれるだろうが、帰りにどうやって迎えに来てもらうかという問題がある、とのことでした。
これを頼みに、思い切ってニコラエさんに頼んでみたところ、あっさりOKしてもらえました。

これでも、バスで自力で往復することも考えたのです。
ペンションのあるヴァド・イゼイ村は、シゲット・マルマッツィエイの隣村とはいえ、8km離れています。
ところが、村外れのバス停は、車窓から確認した限り、確かにバスを待つ人が何人もいましたが、なんにもないところです。
びっくりした私が、時刻表は?───と聞くと、そんなものはなく、ただひたすら待つだけだ、とニコラエさん。
村人はせっかちではないので、1時間でも2時間でもバスが来るまで待てるというのです。

ひぇーっ!
私にはとても待てそうにありません。

それで結局、ニコラエさんに送り迎えをお願いしてしまいました。

帰りの迎えのこともすぐに解決しました。
ニコラエさんは、4日前の7月16日にバイア・マーレのホテルのロビーで落ち合ったときから、ペンションでの食事時間、出発時間など、いつも時間厳守で信頼できます。
帰りはシゲット・マルマッツィエイの市内ではなく、町の中心から約3km離れた野外博物館の入口に5時に迎えに来てもらうようにお願いしました。

そしていつもと同じ時間の朝9時30分にペンションを出発し、久しぶりに一人で観光しました。
ガイドとつきっきりの観光は、分からないことは聞けばすぐに教えてもらえるし、通訳を介してですが現地の人との交流もしやすいという、一人歩きにはない利点がたくさんあります。
でも、慣れた一人歩きというのは、やはりのびのびできます。

シゲット・マルマッツィエイ観光は、まずは教会めぐりから始めることに決めていました。
国境に近いシゲット・マルマッツィエイは、民族のるつぼなのです。
そのことは、一昨日、少しだけシゲット・マルマッツィエイの町中を案内してもらったときに、ニコラエさんからも教えてもらいました。
あいにく道行く人を眺めても私にはちっとも分かりませんでしたが、代わりに教会の多様さから判断できます。
メインストリート沿いにいろんな教会が並んでいるのはそのせいなのです。
ルーマニア人のコミュニティためのルーマニア正教会。
ハンガリー人のコミュニティのためのカトリック教会。
ウクライナ人のコミュニティのためのウクライナ正教会。
そしてドイツ系の人々のための改革派教会。
改革派教会を除く3つの教会は、無事に中も見学することもできました。
それも、朝のミサは終わったばかりで、入口が閉められてしまうまでまだ間がある、という、一番人気がなく、写真を撮るのにちょうどよいタイミングで。

写真はダメとどこにも書かれていないから撮ってよい、という理屈にはならないですが。
昨日のイェウドの教会でのニコラエさんのように、ルーマニア人だって、ダメといわれなければ撮っちゃっていいんじゃないか、という人もいるし、実際に教会内の写真を撮っていました───と、ちょっと自分に言い訳したりして。

「(前略)このあたりは盆地なので標高も280mと低く、古くから交通の要所として栄えてきた。ウクライナとの国境がマラムレシュを分断し、県庁所在地がバイア・マーレに移される以前は、名実とともにマラムレシュの中心地だったのだ。国境が近いせいもあり、住民にはハンガリー人やウクライナ人が多い。
 町を歩けば、流行のファッションと民族衣装、自動車と馬車が共存する風景に出会う、現代文明と伝統が交錯した地方都市だ。マラムレシュ各村へはここからバスが出る。」
(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)

「シゲットはルーマニアでも辺境の辺境で、ルーマニア人達は愛着を込めて、シゲットよりいい町はない、とよく歌うまた、マラムレシュの3つの渓谷沿いの村人もシゲットには特別の思いを持っている。子供たちにとってもあこがれの町である。町並みが均整がとれて、クリーム色のメインストリートはややしなって、優美な印象がある。諸民族のことばが、通りでふんだんに聞える。ルーマニア語にまじってハンガリー語、ウクライナ語。曽祖父がイタリア人、曾祖母がオーストリア人、途中、今まで、ドイツ人、チェコ人、ルーマニア人、ハンガリー人、ポーランド人などの血がまじり、インターナショナルだという人も。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社)より)

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  • ウクライナ正教会<br /><br />あいにく私にはウクライナ正教会とルーマニア正教会との違いはよく分かりません。<br />最初はこちらがルーマニア正教会かと勘違いしていました。<br /><br />「ルーマニア語で正式にいうと、スィゲットゥ・マルマーツィエイとなる。スィゲットというとハンガリー語では島の意となる。すなわち、ここはティサ川、マラ川、イザ川に囲まれるかたちになっている。ルーマニアの地方史には、シゲットが主にハンガリー人とユダヤ人の街であったことは出て来ない。ハンガリー語でシゲットはマラマロシュスィゲットと呼ばれた。係争の町で、もとマラムレシュが国境の川ティサを越えてザカルバートの奥まで延びている頃、シゲットは県庁所在地だった。」<br />(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社)より)

    ウクライナ正教会

    あいにく私にはウクライナ正教会とルーマニア正教会との違いはよく分かりません。
    最初はこちらがルーマニア正教会かと勘違いしていました。

    「ルーマニア語で正式にいうと、スィゲットゥ・マルマーツィエイとなる。スィゲットというとハンガリー語では島の意となる。すなわち、ここはティサ川、マラ川、イザ川に囲まれるかたちになっている。ルーマニアの地方史には、シゲットが主にハンガリー人とユダヤ人の街であったことは出て来ない。ハンガリー語でシゲットはマラマロシュスィゲットと呼ばれた。係争の町で、もとマラムレシュが国境の川ティサを越えてザカルバートの奥まで延びている頃、シゲットは県庁所在地だった。」
    (「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社)より)

  • イコノスタシスのある正面<br /><br />正教会にはめずらしく、信者席があります。<br />ルーマニア正教会にも少しは信者席がありますが、壁にそってあるだけで、中央部分は他の正教会と同じように、信者が立ってミサに参加する空間です。<br />それにしても、壁の聖人の絵がすばらしいです@

    イコノスタシスのある正面

    正教会にはめずらしく、信者席があります。
    ルーマニア正教会にも少しは信者席がありますが、壁にそってあるだけで、中央部分は他の正教会と同じように、信者が立ってミサに参加する空間です。
    それにしても、壁の聖人の絵がすばらしいです@

  • 天使の絵が並ぶ美しい天井

    天使の絵が並ぶ美しい天井

  • イコノスタシスと美しい壁画<br /><br />イコノスタシスの手前のアーチをよく撮るために横で撮ってみました。<br />三角形になったところには、福音書記者が描かれています。

    イコノスタシスと美しい壁画

    イコノスタシスの手前のアーチをよく撮るために横で撮ってみました。
    三角形になったところには、福音書記者が描かれています。

  • 聖なる旗と2階<br /><br />カトリック教会ならこの2階のところにオルガンがありますよね。<br />正教会の場合は、2階は少年たちの席だと思います。

    聖なる旗と2階

    カトリック教会ならこの2階のところにオルガンがありますよね。
    正教会の場合は、2階は少年たちの席だと思います。

  • カトリック教会とシゲット・マルマッツィエイの街並み<br /><br />塔のある建物が教会です。<br />手前の2つのパステルカラーの家は教会ではないです。<br />シゲット・マルマッツィエイのセントラルは、こういうパステルカラーなバロック風の街並みなんだよ、ということを一緒に写したかったのです。<br />このバロック風の街並みは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の領土であったときの名残りです。

    カトリック教会とシゲット・マルマッツィエイの街並み

    塔のある建物が教会です。
    手前の2つのパステルカラーの家は教会ではないです。
    シゲット・マルマッツィエイのセントラルは、こういうパステルカラーなバロック風の街並みなんだよ、ということを一緒に写したかったのです。
    このバロック風の街並みは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の領土であったときの名残りです。

  • パステル・ピンクなカトリック教会

    パステル・ピンクなカトリック教会

  • 中もパステル・ピンクが基調のカトリック教会<br /><br />説教台のある左寄りに撮りました。

    中もパステル・ピンクが基調のカトリック教会

    説教台のある左寄りに撮りました。

  • 美しいシャンデリアとマリア礼拝堂と説教台

    美しいシャンデリアとマリア礼拝堂と説教台

  • とても目を引くルーマニア正教会<br /><br />都会的な服装の彼女をファインダーの中に捉えました。<br />村ではみかけない服装です。さすがシゲット・マルマッツィエイは都会@

    とても目を引くルーマニア正教会

    都会的な服装の彼女をファインダーの中に捉えました。
    村ではみかけない服装です。さすがシゲット・マルマッツィエイは都会@

  • ルーマニア正教会内部<br /><br />三廊式になっていました。<br />主廊と側廊の境となるアーチの柱の並びが美しいです。

    ルーマニア正教会内部

    三廊式になっていました。
    主廊と側廊の境となるアーチの柱の並びが美しいです。

  • ルーマニア正教会内部<br /><br />ふつうは信者席のない正教会ですが、ルーマニア正教会の場合は、お年寄りや体の弱い人のために少しだけ信者席があります。<br />たいてい、十字架の形の平面図の横に延びた両サイドのところにあります。

    ルーマニア正教会内部

    ふつうは信者席のない正教会ですが、ルーマニア正教会の場合は、お年寄りや体の弱い人のために少しだけ信者席があります。
    たいてい、十字架の形の平面図の横に延びた両サイドのところにあります。

  • ルーマニア正教会のイコノスタシスと説教台

    ルーマニア正教会のイコノスタシスと説教台

  • 閉まっていたプロテスタント教会<br /><br />塔がすてきな建物です。<br />中に入れなかったのが残念。<br /><br />「中心でまず無数の教会が目立っている。その内、15世紀に建築されたゴシック様式の ハンガリーの革命教会がある。近くには同じ時代に築かれたルーマニア・カトリック教会が立っている。その上、ややみつけにくいシナゴーグやユダヤ人の墓地などもあり、この町にはユダヤ人が多かったということの証である。」<br />「旅人の東欧についてのページ(日本語版)」─「ルーマニア」より<br />http://www.tabibito.de/balkan/jrumaenien.shtml<br />「シゲット(シゲット・マルマッツィエイ)」のページ<br />http://www.tabibito.de/balkan/jsighet.shtml<br /><br />第二次世界大戦前、ユダヤ人はシゲットの人口40パーセントを占めていましたた。<br />現在では100人ほどしかいないそうです。<br />(RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックより)<br />http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html<br /><br />マラムレシュのユダヤ人については、この7月19日の旅行記「(3)社会主義時代の影の記憶の博物館」で、みやこうせい氏の著書「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア(未知谷社)からの抜粋引用により説明に代えたいと思います。

    閉まっていたプロテスタント教会

    塔がすてきな建物です。
    中に入れなかったのが残念。

    「中心でまず無数の教会が目立っている。その内、15世紀に建築されたゴシック様式の ハンガリーの革命教会がある。近くには同じ時代に築かれたルーマニア・カトリック教会が立っている。その上、ややみつけにくいシナゴーグやユダヤ人の墓地などもあり、この町にはユダヤ人が多かったということの証である。」
    「旅人の東欧についてのページ(日本語版)」─「ルーマニア」より
    http://www.tabibito.de/balkan/jrumaenien.shtml
    「シゲット(シゲット・マルマッツィエイ)」のページ
    http://www.tabibito.de/balkan/jsighet.shtml

    第二次世界大戦前、ユダヤ人はシゲットの人口40パーセントを占めていましたた。
    現在では100人ほどしかいないそうです。
    (RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックより)
    http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html

    マラムレシュのユダヤ人については、この7月19日の旅行記「(3)社会主義時代の影の記憶の博物館」で、みやこうせい氏の著書「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア(未知谷社)からの抜粋引用により説明に代えたいと思います。

  • シゲット・マルマッツィエイの市庁舎<br /><br />これは教会ではありませんが、おまけ@<br />道路沿いにずらっと駐車中の車は、なんとかファインダーの外に追い出しました。<br /><br />シゲット・マルマッツィエイは、現地では単に「シゲット」と呼ばれています。<br />旧石器時代からここに集落があったことが分かっています。長いことマラムレシュ地方の政治・文化の中心であり、1948年までは県庁所在地でした。<br />現在は、今のマラムレシュ地方の県庁所在地であるバイア・マーレに続き、マラムレシュで2番目に大きな町です。<br />歴史的エリアは歩いて回れます。<br />研究者によると、シゲット(Shiget)の名前の由来は、ダチア人の言葉で要塞を意味する「zeget」ではないかということです。<br />シゲットのソロヴァン丘(Solovan)には、ダチア人の要塞跡が残っているそうです。<br />町で一番古い建物は、14世紀まで遡ることができるカルヴァン派教会です。<br />町の中心の自由広場(Piata Libertatii)は、15世紀に造られたものですが、広場を囲む現在の建物はもっと後の時代のものです。<br />そのほかにも町中には、18〜19世紀に遡る魅惑的な建物があります。<br />ただし、私はシゲット・マルマッツィエイでは、民族のるつぼを象徴するさまざまな教会めぐり、民俗博物館と野外博物館とメモリアル博物館!───と、中に入って見る観光スポットばかりに注目していたので、町中の写真はあまり撮りませんでした。<br />いままでのマラムレシュの村々めぐりの3日間に比べて、あまりにも都会なのにひどくギャップを感じたせいもあります。<br />と思ったのですが、実は、民俗博物館は1730年の建物、ローマ・カトリック教会は1736年、ウクライナ教会は1791年、ネオ・ゴシックのルーマニア正教会は1892年、市庁舎は1893年で、主だった歴史的建造物の写真はちゃっかり撮っていました@<br />(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)

    シゲット・マルマッツィエイの市庁舎

    これは教会ではありませんが、おまけ@
    道路沿いにずらっと駐車中の車は、なんとかファインダーの外に追い出しました。

    シゲット・マルマッツィエイは、現地では単に「シゲット」と呼ばれています。
    旧石器時代からここに集落があったことが分かっています。長いことマラムレシュ地方の政治・文化の中心であり、1948年までは県庁所在地でした。
    現在は、今のマラムレシュ地方の県庁所在地であるバイア・マーレに続き、マラムレシュで2番目に大きな町です。
    歴史的エリアは歩いて回れます。
    研究者によると、シゲット(Shiget)の名前の由来は、ダチア人の言葉で要塞を意味する「zeget」ではないかということです。
    シゲットのソロヴァン丘(Solovan)には、ダチア人の要塞跡が残っているそうです。
    町で一番古い建物は、14世紀まで遡ることができるカルヴァン派教会です。
    町の中心の自由広場(Piata Libertatii)は、15世紀に造られたものですが、広場を囲む現在の建物はもっと後の時代のものです。
    そのほかにも町中には、18〜19世紀に遡る魅惑的な建物があります。
    ただし、私はシゲット・マルマッツィエイでは、民族のるつぼを象徴するさまざまな教会めぐり、民俗博物館と野外博物館とメモリアル博物館!───と、中に入って見る観光スポットばかりに注目していたので、町中の写真はあまり撮りませんでした。
    いままでのマラムレシュの村々めぐりの3日間に比べて、あまりにも都会なのにひどくギャップを感じたせいもあります。
    と思ったのですが、実は、民俗博物館は1730年の建物、ローマ・カトリック教会は1736年、ウクライナ教会は1791年、ネオ・ゴシックのルーマニア正教会は1892年、市庁舎は1893年で、主だった歴史的建造物の写真はちゃっかり撮っていました@
    (情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)

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