2007/02/16 - 2007/02/17
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tabijiisanさん
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カッパドキアのほてるを朝出発し、カッパドキア観光後、アンカラまで走り、アンカラ泊。
翌朝、バスにて、イズミットを経由して、ボスポラス大橋を渡ってイスタンブールの着き、ここで宿泊する。
イスタンブール観光後、ミュンヘン経由で成田へ。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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朝7時45分ホテルを出発する。
カッパドキアには、きのこの形をした多数の岩があることで有名である。この地形は3000万年前にエルジェス山(標高3916m)が噴火し、火山灰と溶岩が堆積し、軟らかい凝灰岩と硬い溶岩の層を作った。その後、侵食が進み軟らかい凝灰岩の層は雨、風に削られ硬い岩を中心に残り、いろいろな特異な形状の岩が残された。私は男の逸物と見てしまい、つい顔を赤らめてしまう。
写真はカッパドキアで1番有名な岩「バジャバア」
3人姉妹、妖精の煙突とも呼ばれる。 -
一方、凝灰岩は掘りやすく、崩れないだけの強度があるので、古くから人類は横穴を掘り住居として利用してきた。特異な自然の景観に無数の洞窟がプラスされた。特に4世紀頃からキリスト教の修道士は外敵から身を守り、迫害から信仰を守るために、洞窟内に移り住んだ。特に、イスラム勢力が進出してきた6世紀頃から、洞窟内で牧畜、ワイン作りまで行い、何万人も暮らす地下都市まで出現した。
写真はギョレメ野外博物館入口にある岩山(修道院)。 -
ギョレメ野外博物館の対岸の岩窟。
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ギョレメ野外博物館の洞窟壁画。
偶像禁止の時代にキリストの象徴として描かれた十字架。 -
ギョレメ野外博物館の洞窟壁画。
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ギョレメ野外博物館内の特別料金の教会部分。
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絨緞センター幹部のヌスレット・サンジャクリさん。
彼は1981年ー83年まで、東大地震研究所に留学していて、日本語がペラペラで、日本人でもこれほど巧みに説明できる人が居ない位、トルコ絨緞の素晴しさを解説する。染料まで自然の素材を使用しているので、年を経るほど鮮やかさを増す。これは、ドイツのバイエルの化学者のお墨付きを得ているとか、店内に小池百合子、小沢一郎、三笠宮が訪問した時の写真を飾る。このエコノミックなツアーでは異例な、10人も高価な絨緞の購入者が出た。地場産業の発展に力を尽くす彼の姿勢に好感が持てた。
彼は日本留学時代に、「トルコ風呂」が本来の意味とはかけ離れた意味で使われていることを知り、その廃止運動を立ち上げ、名前を変更させた立役者でもある。 -
絨緞センターに掲げてあったトルコ風呂の絵。
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自然の奇観。ラクダ。
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自然の奇観。ナポレオンの帽子。
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ウチヒサールへの車窓風景。
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寒雀。
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ウチヒサールの土産物屋。
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ウチヒサールのキノコ岩。
岩山の洞窟に土産物屋の若者の部屋があり、中を見せてくれた。 -
ラクダ岩に因んだのか、観光客用のラクダが居た。
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丘をくりぬいた真新しい地下レストラン。
民俗音楽を聴きながらランチを食べた。 -
カイマクルの地下都市入口。
地下都市の通路は狭いので、入ると、4階建てのビルを上下することになりますが、1人だけ引き返すことは出来ませんよと念を押されてしまう。
この地下都市の発見は比較的新しく60年前であるとNHKの探検ロマン世界遺産で紹介していた。最初の住民はビザンティンの偶像破壊運動を逃れたキリスト教徒で、オスマン・トルコの攻撃を避けるために多くのキリスト教徒が逃げ込み、3000人が生活していた。蜂の巣上に洞窟内部を拡げ、地下水脈に通じている垂直の換気口があり、新鮮な空気が供給された。住居、炊事場、穀物貯蔵庫、ワイン製造所、家畜小屋、教会、墓間であった。通路は迷路になっていて、道をふさぐ可動式の大きな石、狭まった通路の横壁に開けた穴から槍を射して敵を仕留める工夫もしてあった。 -
カイマクル地下都市入口の土産物屋。
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カイマクル地下都市を見た後、3時半にアンカラに向け出発する。
カッパドキアはイランからイスタンブールに抜けるシルクロードの要衝にあり、カッパドキア付近のバス道路からキャラバン・サライ(隊商宿)を2ヵ所見ることが出来た。
往事には、15kmから20kmに一つの隊商宿があった。 -
キャラバン・サライ(隊商宿)の一つ。
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車窓からの眺め。雪原。
アクサライ付近に完成したばかりの甜菜糖工場をガイドは教えてくれた。トルコで甜菜糖の栽培を奨励していると言う。ドイツなどでは、天才糖農家に多額の補助金を出して、南米、アフリカのサトウキビ生産国から批判されているが、EU加入を控えたトルコが甜菜糖を栽培すると事態がますます複雑になる。
アクサライまで戻り、ここから、北へ方向を変え、塩湖のトウズ湖のほとりを通る。薄暗くなった車窓から塩の山が見える。ここでトルコの60%の塩が作られている由。トウズ湖は琵琶湖の2倍の広さがあるが、最近、白い浜辺は国道から離れてしまったとのこと。 -
7時半にようやくアンカラ市内に入る。
バスは林に囲まれた巨大なアタチェルク廟を周り、アンカラ中央駅前を経て、アタチェルクの巨大な騎馬像のあるロ−タリー近くのレストランへ。道路は週末の帰宅を急ぐ人たちがバス、トロリーバスに乗ろうと大変な混雑である。女性は色とりどりのベールを被っている。車内は男女同席で、今日は金曜日で、イスラムの安息日のはずだが、この賑わいである。
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