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アンカラからイスタンブールまで、イズミット経由し、450kmを6時間をかかるバスの旅を紹介する。ボスポラス大橋を渡り、イスタンブールのトプカプ宮殿観光まで。

冬のトルコの旅4

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2007/02/17 - 2007/02/17

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tabijiisanさん

アンカラからイスタンブールまで、イズミット経由し、450kmを6時間をかかるバスの旅を紹介する。ボスポラス大橋を渡り、イスタンブールのトプカプ宮殿観光まで。

旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • アンカラ中央駅に近いホテルETAP ALTINEL.<br />今回のツアーはアンカラからイスタンブールまで夜行寝台列車で行く予定だったが、鉄道の補修工事のため急にアンカラに宿泊し、翌日、早朝6時半にホテルを出発しバスで午前中に、イスタンブールに着く事になった。私にとって普通のツアーでは目にすることが出来ないアンカラからイスタンブールの車窓風景を目にすることが出来、ラッキーだった。

    アンカラ中央駅に近いホテルETAP ALTINEL.
    今回のツアーはアンカラからイスタンブールまで夜行寝台列車で行く予定だったが、鉄道の補修工事のため急にアンカラに宿泊し、翌日、早朝6時半にホテルを出発しバスで午前中に、イスタンブールに着く事になった。私にとって普通のツアーでは目にすることが出来ないアンカラからイスタンブールの車窓風景を目にすることが出来、ラッキーだった。

  • 標高800mのアンカラ市を抜けると、空港の脇を通る。この空港は軍との共用空港のようで、道路沿いに古い戦闘機が陳列していた。道路は山岳地帯に入り、緩やかな上りが続く。腕時計に付いている高度計は今回のツアーで最高の1565mを指していた。<br />写真は高原地帯風景。西側に見えた高山と思ったが、雲だった。

    標高800mのアンカラ市を抜けると、空港の脇を通る。この空港は軍との共用空港のようで、道路沿いに古い戦闘機が陳列していた。道路は山岳地帯に入り、緩やかな上りが続く。腕時計に付いている高度計は今回のツアーで最高の1565mを指していた。
    写真は高原地帯風景。西側に見えた高山と思ったが、雲だった。

  • 谷間の小集落にも、中心にモスクがある。

    谷間の小集落にも、中心にモスクがある。

  • 北に行くにつれ、雪原に変わる。

    北に行くにつれ、雪原に変わる。

  • 9時半にマルマラ海に面した工業都市イズミット(人口21万人)を通る。車窓から見えたトヨタの工場。<br />他にホンダ、現代の自動車工場が立地している由。

    9時半にマルマラ海に面した工業都市イズミット(人口21万人)を通る。車窓から見えたトヨタの工場。
    他にホンダ、現代の自動車工場が立地している由。

  • 右側の丘陵地には高層住宅群があった。

    右側の丘陵地には高層住宅群があった。

  • 真新しい工場。業種不詳。

    真新しい工場。業種不詳。

  • イズミットには、トルコで1番大きい国営トルコ石油の製油所がある。<br />1999年8月17日にマグニチュード7.8の地震に遭遇し、大きな被害を被った。新潟地震の昭和石油新潟製油所と同じように、浮き屋根タンクで火災が発生し、3日間に亘って炎上した。

    イズミットには、トルコで1番大きい国営トルコ石油の製油所がある。
    1999年8月17日にマグニチュード7.8の地震に遭遇し、大きな被害を被った。新潟地震の昭和石油新潟製油所と同じように、浮き屋根タンクで火災が発生し、3日間に亘って炎上した。

  • 石油化学工場?

    石油化学工場?

  • 製鉄工場。

    製鉄工場。

  • 12時に、ボスポラス海峡に、最初にイギリスが架けた橋である第一ボスポラス大橋(中央スパン1074m、1973年完成)を、アジア側からヨーロッパ側に渡る。ラッシュ時には、渋滞がひどいとの事だが、20分位の渋滞で渡る事が出来た。<br />ボスポラス海峡には、もう一本の橋がある。日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成した第二ボスポラス大橋である。<br />それでも、交通量増加に追いつかず、2004年5月24日着工、2009年開通予定で、日本の大成建設グループにより全長13.7kmの海底トンネルが現在建設されている。<br />

    12時に、ボスポラス海峡に、最初にイギリスが架けた橋である第一ボスポラス大橋(中央スパン1074m、1973年完成)を、アジア側からヨーロッパ側に渡る。ラッシュ時には、渋滞がひどいとの事だが、20分位の渋滞で渡る事が出来た。
    ボスポラス海峡には、もう一本の橋がある。日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成した第二ボスポラス大橋である。
    それでも、交通量増加に追いつかず、2004年5月24日着工、2009年開通予定で、日本の大成建設グループにより全長13.7kmの海底トンネルが現在建設されている。

  • はしを渡って直ぐに、ドルマバチェフ宮殿の前を通る。ここは10年前に訪れた時に、友人と訪れた所である。この時は開場時間前であったにもかかわらず、係員の厚意から入場させてもらった嬉しい思い出がある。<br />今回はイスタンブール半日観光となったため寄る事は出来ない。<br />ドルマバチェフ宮殿は最後ののサルタンが1856年にトプカプ宮殿から移り住んだ所。昨年150年祭が行われた。初代大統領アタチェルクは官邸として使用し、1938年宮殿で執務中に脳溢血で死亡した。これに因んで宮殿内の時計は彼の臨終時間にあわせて9時5分を指し示している。<br />

    はしを渡って直ぐに、ドルマバチェフ宮殿の前を通る。ここは10年前に訪れた時に、友人と訪れた所である。この時は開場時間前であったにもかかわらず、係員の厚意から入場させてもらった嬉しい思い出がある。
    今回はイスタンブール半日観光となったため寄る事は出来ない。
    ドルマバチェフ宮殿は最後ののサルタンが1856年にトプカプ宮殿から移り住んだ所。昨年150年祭が行われた。初代大統領アタチェルクは官邸として使用し、1938年宮殿で執務中に脳溢血で死亡した。これに因んで宮殿内の時計は彼の臨終時間にあわせて9時5分を指し示している。

  • トプカプ宮殿に直行し、敷地内のボスポラス海峡に面したレストランでランチを食べる。<br />写真はトプカプ宮殿入口の表敬の門。

    トプカプ宮殿に直行し、敷地内のボスポラス海峡に面したレストランでランチを食べる。
    写真はトプカプ宮殿入口の表敬の門。

  • 宮殿内では自由行動となる。<br />お目当ての宝物館内は撮影禁止である。お目当ての世界最大の86カラットのダイアモンドやエメラルドをちりばめて短剣は壁面のケース内に収まっている。前に来た時には陳列台にあったように思うが、観光客増加で致し方ないのだろう。<br />「聖遺物の間」が1番混んでいた。ここはムハンマドの足型、髭、着用したマントが陳列されている所だ。館内は聖職者のコーランを朗読する声が鳴り響き、荘厳な雰囲気に満ちていた。この季節、欧米の観光客よりトルコ国内の観光客が多いのだろう。<br />写真は聖遺物の間の入口。

    宮殿内では自由行動となる。
    お目当ての宝物館内は撮影禁止である。お目当ての世界最大の86カラットのダイアモンドやエメラルドをちりばめて短剣は壁面のケース内に収まっている。前に来た時には陳列台にあったように思うが、観光客増加で致し方ないのだろう。
    「聖遺物の間」が1番混んでいた。ここはムハンマドの足型、髭、着用したマントが陳列されている所だ。館内は聖職者のコーランを朗読する声が鳴り響き、荘厳な雰囲気に満ちていた。この季節、欧米の観光客よりトルコ国内の観光客が多いのだろう。
    写真は聖遺物の間の入口。

  • 聖遺物の間で英語の説明を読んでいたら、「メディナ」の声が聞こえたのだろう。傍らの女学生に「メディーナ」と笑って言い直された。この女学生に出口で再び遭遇したら、彼女の方から彼女のカメラで、私とのツーショットを撮る事を頼まれた。こちらのカメラで撮らせてもらったのがこの写真である。<br />トルコの人の親日振りを改めて認識させられた嬉しい出来事だった。<br />1890年のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難し、地元住民の献身的な救助活動で69名が救出され、民間から募金をつのってトルコまで送り届けた故事を今でも学校で教えている国なのである。(587名が遭難死)現在、串本沖でトルコがその遺品の捜査を行っているとテレビで紹介していた。<br />日露戦争で日本がロシアに勝った時の、今まで幾度もロシアに苦杯を飲まされていたトルコの共感だけでないのである。<br />アタチェルクに日本語を教えた沼田藩士山田寅次郎など、長年、トルコとの親善に勤めた多くの日本人の存在も欠かせない。

    聖遺物の間で英語の説明を読んでいたら、「メディナ」の声が聞こえたのだろう。傍らの女学生に「メディーナ」と笑って言い直された。この女学生に出口で再び遭遇したら、彼女の方から彼女のカメラで、私とのツーショットを撮る事を頼まれた。こちらのカメラで撮らせてもらったのがこの写真である。
    トルコの人の親日振りを改めて認識させられた嬉しい出来事だった。
    1890年のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難し、地元住民の献身的な救助活動で69名が救出され、民間から募金をつのってトルコまで送り届けた故事を今でも学校で教えている国なのである。(587名が遭難死)現在、串本沖でトルコがその遺品の捜査を行っているとテレビで紹介していた。
    日露戦争で日本がロシアに勝った時の、今まで幾度もロシアに苦杯を飲まされていたトルコの共感だけでないのである。
    アタチェルクに日本語を教えた沼田藩士山田寅次郎など、長年、トルコとの親善に勤めた多くの日本人の存在も欠かせない。

  • トプカプ宮殿の内庭。

    トプカプ宮殿の内庭。

  • 宮殿を警護する兵隊さん。

    宮殿を警護する兵隊さん。

  • スルタンの調理場前にて。<br />同行した短大生。

    スルタンの調理場前にて。
    同行した短大生。

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