2007/02/17 - 2007/02/19
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tabijiisanさん
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アヤソフィア、ブルーモスク、エジプトバザールなどのイスタンブール観光し、一泊後、ミュンヘン経由で成田へ帰国するまで。
写真はオリエント急行の終着駅のスィルケシ駅。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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次に近くのアヤ・ソフィアに案内される。
写真は拝廊入口のイコン。中央はマリア、右はマリアにコンスタンチノーブルを捧げるコンスタンティヌス帝、左はマリアにアヤソフィアを捧げるユスティアヌス帝。
アヤソフィアはAD537年にローマ皇帝ユスティニアヌスが再建した大聖堂である。900年間、キリスト教の大聖堂として機能してきたが、1453年にオスマン・トルコに破れ、ビザンチン帝国は滅亡する。コンスタンチノーブルはイスタンブールと改名され、大聖堂内のイコンは漆喰で塗り込まれ、イスラム教のモスクとして500年間使用されてきた。1923年のトルコ共和国誕生後、アヤソフィアは博物館に生まれ変わった。塗り込められたイコンは漆喰をはがし、姿を見せつつある。現在、欧米のキリスト教徒の間で、ギリシャ正教の総本山に戻す運動があるようだ。 -
アヤ・ソフィア内部。
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アヤソフィア内部。
中央に地震対策として恒久的な鉄骨のストラクチャーが組んである。工事用の足場ではない。 -
2階の回廊では、イコンの展覧会が行われていた。
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アヤソフィアのミフラーブ。
聖地メッカの方向を示す。 -
ブルーモスク前から見たアヤ・ソフィア全景。
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アヤソフィアから見たブルーモスク全景。
ブルーモスクは、大建築家スィナンの弟子メフメットが設計したモスクで正式名はスルタン・アフメット・モスクだが、内部の壁が美しい青と白のタイルで飾られている事からブルーモスクと呼ばれている。
内部は真っ暗で、ブルーモスクを実感出来なかった。 -
ブルーモスク正面入口。
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ブルーモスク内部。
内部はフラッシュ禁止だった。
大勢の観光客が押し掛けていたが、立ち入り禁止エリアが半分以上あり、異教徒は勿論立ち入る事は出来ない。 -
ガラタ橋の袂にあるモスク。
最初てっきりこれが、大建築家スィナンのスレイマニエ・ジャミー(モスク)かと思ったが、イエニ・ジャミーと言うモスクだった。 -
ガラタ橋上の通行人。
大勢の釣り人が糸を垂らしていた。 -
釣り人の戦果。ボラのようだ。
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金閣湾にかかるガラタ橋から、エジプシャン・バザール、スレイマニェ・ジャミーを望む。
ここで、自由時間があったが、エジプシャン・バザールは一寸覗いただけで、専らガラタ橋を渡ったり、周囲の見物に過ごした。流石にスレイマニェ・ジャミーまでは行けなかった。 -
時間がタイトなのに、皮の専門店に案内され、ファッション・ショーを見せてくれた。
同行者のおじさんはモデルに選ばれ、のりのりだった。彼は10万円もする皮のジャケットを購入し、我々同行者を救ってくれた。 -
オリエント急行の終着駅のスィルケシ駅。
オリエント急行は復活したけれども、現在では、年に2本しか走っていない。ホームには普通の列車が止まっていた。 -
この駅の待合室は、レストランになっていて、2週間のツアーの最後の夕食を供された。壁には、往時のオリエント急行の英姿、映画の名画面のスチール写真が飾ってあった。
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翌朝、イスタンブール空港発8時20分と言うとんでもない早いフライトに乗らねばならない。ホテルは朝5時からビュフェ・スタイルの食事を用意してくれた。5時半ホテルを出発する。
ミュンヘンまでのフライトは、眼下に、オーストリア・アルプスが手に取るように見渡す事が出来た。
オーストリア・アルプスに行った事がないので、山の名前は不詳。 -
眼下のオーストリア・アルプス。
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ミュンヘン空港で成田行きのフライトに乗り換えた。
待ち時間は5時間半! -
37名の同行者のイスタンブール空港での記念写真。
添乗員のHさんが1人で、過不足なく世話してくれた。
14日間、バスの走行距離5000kmに達する大旅行だった。
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