2007/02/15 - 2007/03/16
132位(同エリア154件中)
こんべるさん
古代ローマ時代の隊商都市”パルミラ”。”ナツメヤシ”を意味する”タドモール”と言う町にあり、ナツメヤシのギリシャ語”パルマ”が派生して”パルミラ”と呼ばれているらしい。
その昔、ヨーロッパと中国を結んだシルクロードの中継地点にあったこの町は、その交易によってBC1世紀からAC3世紀まで栄えました。特にヨルダンのペトラがローマ帝国に吸収されたAC3世紀に繁栄の頂点を迎えます。しかし力を持ち始めたパルミラの独立を恐れたローマ帝国に攻め込まれ、歴史の中からその名が消えていく事になります。
最初の予定ではそのパルミラに1泊して、その後ハマに抜けるつもりだったのですが、ホテルの情報ノートを見ているとダマスカスからパルミラへの日帰りは普通に出来るみたい。
荷物を持って移動する手間を省くのもあって日帰りする事にしました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
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今日はシリア最大の見所”パルミラ遺跡”へ日帰り観光。6:00に起き、準備を済ませて7:00にホテルを出発しました。
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パルミラ行きのバスは中心部から少し離れた”ガラージュ・ハラスター”と言うバスターミナルから出るらしい。
タクシーかセルビスに乗ろうと大通りを歩いているとセルビスが数台止まっている所を発見。
そこに行き、来たセルビスに”ガラージュ・ハラスター?”と聞くと”そうだ”との答え。早速乗り込む(SP5)。 -
セルビスで7分。ガラージュ・ハラスターに到着。
どこに行けばいいのか分からないので、昨日買ったバスチケットを周りの人に見せながらバス会社のオフィスへ。 -
バス会社の窓口に7:30に到着。8:00まで時間があるのでその辺をうろうろしていると見た事のある顔が・・・ヌエバ(エジプト)とペトラ(ヨルダン)で出会った3人組だ!まさかこんな所で再会するとは。
この3人はパルミラで1泊して、その後ラタキアに行くらしい。他にも日本人が2人いて、みんな私達と同じホテルに泊まっていたらしい・・・気づかなかったけど、結構日本人泊まってたんや。 -
8時になりバスが出発する。他の5人は8:30出発のバスらしく、「また後でね」と一足お先にパルミラへ向かう。
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ダマスカスから2時間30分程走ったところでパルミラ遺跡が見えてきた。この辺りで一度バスが止まり運転手の人が「ホテルはどこ?」と聞いてきた。私達は日帰りなので「ホテルには泊まらない」と言うとバスは再び走り出し終点まで行ってしまった。
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バスの終点は遺跡からかなり離れた場所にありました。さっきの所で降ろしてもらえば良かった・・・
仕方ないので今バスで来た道を戻る事に・・・ -
途中にあったお店で水やパンを買いながら遺跡を目指す。アラブ城が見えているので方向は判るのだが、全然遺跡が見えてこない・・・
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バスの終点から歩くこと50分で、ようやく遺跡の入り口に到着。何でしょっぱなからこんなにしんどい思いをしなくちゃならんのだ??
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この遺跡、入り口から遺跡までがこれまた遠い。
とりあえずベル神殿を目指してさらに歩く。 -
これは駐車場に止まっていたバス。
後輪より後ろが長く見えるのは気のせい?? -
「ラクダは楽だ」とかべたべたな事を言うラクダ引きをあしらいながら”ベル神殿(またはバール神殿)”にたどり着く。入り口で入場料(SP150)を払って中へ。学割は年齢制限があって使えなかった。
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中に入ると、さっきダマスカスのバスターミナルで出会った人たちがいた。遺跡まで歩いている間に抜かされたようだ。
聞くところ、この人達は昼から”墓の谷”と”アラブ城”に行くツアー(SP100)に参加するらしい。私達もその2箇所に行きたいので、集合時間に行ってみる事にしよう。 -
神殿の真ん中に立っている至聖所に入る。この神殿は豊穣神であるベル神・太陽神ヤヒボール・月神アグリボールの3神に捧げられた神殿。この至聖所の南北にはその神像が祭られていたらしく、神像の祭ってあった祭壇が綺麗に残っていました。
ゆっくり至聖所の中を見たかったけど大量の学生達に占領されていて落ち着かない・・・もっと見たかったけど早々に退散。 -
至聖所の外には、至聖所の天井部分にあった壁画が置いてありました。これらは地震で落ちてしまったそうです。
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この神殿は縦・横ともに約200mの大きさがあり、結構広い。その神殿の中庭や至聖所の周りには列柱が何本か立っていて、柱の基礎だけ残っている物もあ合わせると昔は相当数の柱が立ってたみたい。
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神殿内には横たわったままの柱が沢山ありました。これから修復されるのか、綺麗に並べられていました。
でも向こうの壁なんか柱を組んで作ってあるし・・・あれは元からそうなのかな? -
これは川になっていた所なのか、ちゃんとアーチ状の橋を作ってその上に柱を立ててありました。
ホント、ローマ人の建築技術はすごかったんですね。 -
ベル神殿を見終わり外に出る。少しお腹が空いてきたのでここらで食事タイム。日陰を探してさっき買ったパンを食べました。
ホント、シリアのパンは美味しい。 -
ベル神殿の向かいに”TOURIST INFORMATION”と書かれた建物があって、そこでトイレを借りました。
でもこの建物の中は普通のお土産物屋さんで、トイレチップにSP10払ったら拒否され、SP25も要求されました。チップに金額を決めるなって! -
その後、列柱道路を見に行く。列柱道路の入り口にはローマ記念門が建っています。
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記念門を抜けると、両脇に柱が綺麗に並んでいました。中国やローマを出た商人達はこれと同じ風景を見てここを通って行ったんですねぇ。
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柱には台座が付いていて、この町の造営にお金を出した人の像が置かれていたそうです。日本で言う所の神社に寄進した人の名前の入った灯篭や柱みたいなものか?
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列柱の脇には水道管の跡が残っていました。
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記念門をくぐってすぐ左側に”ナボ神殿”と言う神殿跡がありますが、基礎部分しか残っていませんでした。
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列柱通りをしばらく進むと交差点にあたる場所に”四面門”があります。
この門に使われている石は遠くエジプトから運ばれてきたそうです。門の中には石像を置く台座が残っていました(石像は無し)。 -
これは四面門の横にある”アゴラ”と呼ばれる取引場。ここでアジアから来た商人とローマから来た商人が取引をしたそうです。
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四面門から見たアラブ城。四面門の辺りを見ていると、エジプト・ヨルダンで出会った3人組の内の1人がやってきた。今から彼はこの暑い中アラブ城を登りに行くそうだ(この人はお城が好きらしく、他の2人から”城マニア”と呼ばれていた)。
アラブ城までの道のりは結構遠いし、影もないし、しかもあの山の上・・・よく登る気になるもんだ。 -
四面門からさらに進む。ここから先はあまり整備されていなくて石がごろごろして歩きにくい。柱もあまり修復されていませんでした。
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この辺りの左側にある小山の斜面にはお墓(塔墓)がいくつか見えます。
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列柱の終わり辺りにある”葬祭殿”。
建物の中には穴が一つありました。この穴が石棺かな? -
列柱通りの最北にある”ディオクレティアヌス城砦”。”ディオクレティアヌス”はローマ帝国の東方を統治していた皇帝の名。
状態はかなり悪く、瓦礫の山と化していました。 -
帰りは列柱通りの外を歩きました。
この辺りは住宅地の跡だそうですが、沢山の石が転がっているだけでした。 -
これは”バール・シャミン神殿”。”バール・シャミン”とは雨と豊穣の神で、ベル神殿のベル神(バール神)と同じ様な位置付けの神様。ギリシャ語では”ゼウス神”になるそうです。
この建物は途中教会として利用されていたためか、保存状態は良好。何故か中に木が一本だけ植えられていました。 -
列柱通りに戻り、ローマ劇場へ。この劇場は写真の通り保存状態は良さそう。と言うより新しく作ったみたい。
入り口に行くと1人SP75とある。ここに来るまでに沢山のローマ劇場を見てきて「お金を払ってまではもう見なくても良いや」と言うのと”墓の谷”と”アラブ城”のツアーへの時間も迫っていたので、ここはパスしました。 -
ツアーバスはローマ記念門の前に14:00に来るらしい。
5分ほど前から待っていると、朝バスターミナルで出会った日本人が4人集まってきた。みんな(城マニア以外)参加するみたいだ。 -
14時丁度に小型のバスが現れた。「予約してないけど参加して良い?」と聞くと即答で「OK」との事。やった〜。
ほぼ満員になったバスはまず”墓の谷”を目指して走り出しました。
後編へ続く・・・
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