1999/05/26 - 1999/05/28
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旅人のくまさんさん
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<1999年5月26日>
日付けが1ヵ月ほど飛んで、ここからは今年2回目のソウル旅行記です。
今回の旅行メンバーは、初めての韓国旅行の人が多いこともあって、ソウル市内を主に巡ることとしました。4月の旅行と違って、今回は大韓航空のため、2泊3日でも、フルに時間を活用できました。『行きは午前中の便で、帰りは夕方の便』と、最初から旅行社に注文を付けていましたので、自然とこうなりました。
週間天気予報によれば、雨に遭う確率が高いようでした。それで、この短い旅行でも傘の用意だけはしておきました。もっとも、1週間程度の旅行であれば、必ず傘は携行していますので、短い旅でも忘れることはありません。
いつもながら、旅立つ日の朝は何とも言えない気分になります。既に行ったことがある場所に、想像の中で自分を置いてみたり、知らない訪問地に思いを膨らませる事も、このひとときの楽しみです。
<名古屋空港で>
名古屋空港には約束の時間の30分ほど前に着きました。もう1本後の犬山行きの地下鉄に乗っても十分に間に合うことは分かっていましたが、早い電車にしました。時間に余裕を持って行動するに越したことはありません。
先月の旅行で、名古屋空港の新しい国際ターミナルは経験済みでしたので、迷うことはありません。余った時間でターミナルのあちこちを回ってみました。
シーズンオフに近いせいか、人は疎らでした。約束の時間の少し前に、3階のカウンターに顔を出しましたら、三々五々に人が集まり、やがて全員が揃いました。皆さんも早く来ていて、適当に時間をつぶしていたのかも知れません。
頼んだ旅行社の人にも、予定通り合流することができました。新しい国際線ターミナルは、ソファーなどの設備が少なく、旅行社の人とは、レストランで打合せをする事にしました。まだ若い男性の方でした。
その彼が、『飲み物は1杯ずつこちらでサービスします』と、言ってくれましたので、その言葉にすかさず乗って、ほとんど全員が生ビールを頼んでしまいました。彼には、少しだけ申し訳ない気持ちではありましたが。
さして打合せる項目はありませんでした。『ご連絡が遅れましたが、ここで、宅配便でのお土産を承ります』と言って、彼がカタログを全員に配ってくれました。酒類や、キムチなど、手荷物になっては大変なので、早速ワインとキムチを現金払いで申し込みました。
キムチは*寿司のお店のメンバーのIkさんに頼まれていましたので6パックを頼みました。ワインもボルドーワインがありましたので、紅白3本づつ、計6本を頼みました。締めて3万円余りでした。
他にもウイスキー(オールドパー)やアンドン焼酎がカタログにあったら頼むつもりでしたが、残念ながら、こちらは載っていませんでした。
とにかく、先にお土産を調達しておけば、帰りが気楽です。いつも、呑んだついでに色々と約束をしてしまいますので、取りあえずの義理は果たせそうです。
結構ほかのメンバーも頼んでいましたので、旅行社の彼は、予想外と言った感じでした。このメンバーには、生ビール1杯の効果が、絶大だったのかも知れません。
旅行企画は中*興業さんを通じて頼みました。それで、わざわざIt所長さん達が見送りに来てくれていました。手土産に図書券まで頂きました。所長からは旅立つ前にお話を聞いていましたので、予想はしていましたが、申し訳ないことでした。
後日、『国際線が新しくなってからは初めてなので、見学を兼ねてのことです』とのお話を聞き、少しほっとしました。お値打ちな旅行パックを、更にお安くして貰ったので、つい、そんな気持ちになりました。
<機内で>
ソウルまでは1時間半余りの旅なので、何かと忙しい機内です。格安旅行なので、日本からの出国カードから始まって、韓国への入国カード、検疫カードも全部自分たちで記入が必要です。
そこで、真っ先に記入して皆さんに回覧しました。これまでに、何度も記入したせいか、「MP22*****」と、自分のパスポートナンバーも暗記していました。
旅行メンバーには、万が一を考えて、『パスポートのコピーと、出来たら写真の予備をパスポートとは別に所持するように』と出発前の打合せで話して置きました。
どれだけの人が実行してくれたかは、分かりませんが、言った手前、自分だけはいつも用意しています。この準備が、幸い役に立ったことはないですが、『後悔先に立たず』です。
<到着>
キンポ空港には概ね順調に到着しました。天気予報通り、天候は余りすぐれませんでした。しかし、高度がある程度下がったところでは、海上の船や陸地も見晴らしが利きました。雨雲はそんなに低くありません。もし、雨に遭っても、大したことがなさそうな雲行きに思えました。
手荷物以外の荷物出しで、少し時間がかかりました。しかし、現地ガイドさんとは、トラブルもなく合流できました。ベテランクラスの女性ガイドさんでした。
このガイドさんの案内で、出迎えのマイクロバスに乗り込みました。バスの運転手さんは、まだ若い人でした。そのほかに、いつも笑顔を絶やさないベテランの付添人さんが居ました。私はカメラマンと直感しました。
<景福宮(キョンボックン)>
最初に案内して貰ったところが、ソウルの最後の都、景福宮でした。お決まりのコースです。今回のメンバーでは、初めての人も多く、止むを得ません。止むを得ないと言うより、必然、当然のお決まりのコースです。
私にとっても、先月の時は快晴だったので、今回は雨のキョンボックンを見学することができました。雨にぬれてしっとりとした風情の古(いにしえ)の都、宮城跡に、旅と歴史のロマンを感じることができました。
ベテランの付添人さんは、要所要所で『写真を撮りますから』と、カメラを向けてくれました。私も最初はお付き合いしていたが、後は適当にあしらいました。それにしても人の良さそうな方なので、余り冷たくするのは気が引けました。
小雨がぱらついたり、記念写真を撮るには、適した天候ではありませんでした。しかし、名所だけあって、こんな天気であっても、新婚さんカップルの記念撮影のシーンに何度か出合うことがありました。
花嫁さんの純白のドレスの下は、ズボンです。これまでの経験で、幾度か垣間見ることができました。この天候では、ドレスの裾が汚れないよう、たくし仕上げて撮影場所を移動します。それで、否応無しに目に留まります。それにしても、毎度の事ながら花婿さん献身に些か同情をしてしまいます。
<国立民族博物館>
国立民族博物館はキョンボックンに隣接しています。と言うより、昔の宮殿敷地の中に建てられているのかも知れません。以前は、国立博物館とセットで回ることができましたが、今はこれだけしか見学することができません。
国立博物館は、日本帝国時代、つまり韓国が日本統治下に置かれていた時の総督府として使われていた建物でした。このため、取り壊される運命になりました。建物は既に取り壊されていて、囲いの中では、キョンボックンの宮殿が元の位置に再興されているようでした。
この国立民族博物館は、他の類似施設と同じように、生徒や学生さん達の歴史や文化、それに民族教育の場所として活用されているようです。我々が見学中にも、先生に引率された大勢の子供達を見かけました。説明書きを熱心に写し取っている子供があちこちにいました。これは、戦争博物館等でも見かけた光景です。
展示の中では、先月旅行した水原(スウオン)城の模型、和冦に対峙した亀甲船、ハイテク弓矢等が印象に残りました。ハイテク弓矢とは私の勝手な造語です。連発式の移動弓矢発射機のことです。動力源を替えれば、そのまま機関銃かと思わせるメカニズムです。
ガイドさんが熱心に解説してくれましたので、概ねその後について回りました。旧石器時代から近代まで、発掘の品々と模型を見ながら歴史の勉強ができますので、私にとっては貴重な時間でした。
<昼食、ビビンバ>
2時頃に遅い食事を摂りました。観光地巡りや土産店巡りでお腹が空き、ガイドさんから
「食事はいいですか?」
と確認がありましたので、すかさず
「昼飯食べましょう」
と、答えました。ガイドさんの案内によれば、
「土産物店の近くに、ビビンバが美味しい店があります」
という。美味しかろうが、不味かろうが、ここはガイドさんに従う他はありません。その前の土産店にも付き合うしかありません。土産店は地下1階にあり、入り口には500万円クラスの瑪瑙の彫刻が飾ってありました。思わず、何度か桁数を確認しました。
一通りのお土産が揃っていて、ここでは、絵葉書2種類とマグネットバンドを6つ買いました。この磁気バンドは定価3千円を2個で3千円の特価販売中でした。先月の旅行では2千5百円か、安くて2千円でしたので、まとめ買いをしました。適当にプレゼントする品ですが、荷物にならないのがいい品です。
昼食の店は、本当に直ぐ近くでした。全員が揃っての昼食は1回キリなので、メッチュも沢山頼みました。全員がビビンバを注文し、それ以外に「ヘムルパージョン」を適当に頼みました。お好み焼きにネギと海産物が入った料理です。
「ヘ」は海で、「ムル」とは「物」です。これは4月の旅行で、Muさんに教えて貰いました。「ヘ」は、釜山のキムヘ(金海)空港の「海」の読みと同じです。ただし、キムヘは、パッチムでキメと発音します。
「ムル」は、「パンムルガン」(博物館)の「ムル」と同じだと納得して覚えました。「パンムルガン」は何年か前の旅行で、岡崎のTnさんに教えて貰ったことを覚えていました。
残念ながら、ビビンバもへムルパージョンもそれほど美味しくはありませんでした。しかし、ビールだけは喉が渇いていたので、本当に美味かった。
<ヨンドンホテル>
旅立つ前は、「ヨイド」にあるホテルと完全に勘違いしていました。「ヨイド」とは、いわゆる韓国の「マンハッタン島」です。マイクロバスの中で、ガイドさんに
「ヨイドのどの辺りのホテル?」
とお聞きした時
「ヨイドのホテルではありません、ヨンドンホテルです」
と言われて、初めて別の場所のホテルと言うことが分かりました。
それでもヨンドンホテルは、ハンガンの直ぐ南に位置した、便利な場所にありました。そのホテルの外観は、焦げ茶色の外壁の余り目立たないホテルでした。
どっちみち泊まるだけのホテルなので、ちゃんとしたベッドと風呂、それにセキュリティーさえしっかりしていれば十分です。何しろ格安旅行なので、贅沢は言えません。清潔なベッドと風呂、それに広さも十分でしたが、セキュリティーの方は「?」でした。
結果に問題はなかったものの、セーフティボックスに貴重品を預ける時に、立会せてはくれませんでした。鍵も若いフロントの女の子が、貴重品を入れた袋をカウンターに置いたままで、
「あとで鍵を掛けておきますから」
と言った態度でした。
「本当に鍵を掛けてくれるのかな?」
との思いが一瞬よぎり、
「預けなかった方が安全だったかな?」
と反省したくらいです。
ただし、ドアーウーマン(?)の若い女の子は親切で、働き者でした。重い荷物をせっせと運び、愛想も良かった。この子には、ホテルを去るときに少しチップを渡して置きました。
「チップは要りません」
と、辞退していましたが、最終日のチェックアウト後の荷物を預かって貰ったので、結局は受け取ってくれました。
<釜山カルビ>
折角の慰安会旅行なので、最初の夜は夕食を全員一緒に摂ることにしました。大多数の総意は『本場の焼き肉を食べたい!』でした。
ガイドさんが、バスの中で『焼き肉食べ放題で8千円、飲み代は別』と言って勧めてくれたお店がありました。ホテルへ着いてから場所を聞きますと、梨泰院の近くだと言います。
しかし、焼き肉の代金として、8千円はあまりに高過ぎます。
「そのカルビ店は、釜山カルビと梨泰院カルビの近くにあるの?」
と訪ねますと、店の名前は教えてくれず、
「この件では、降りました」
と返事されました。結論から言いますと、2倍ほど高い値段だったようです。こちらが相場を知っていましたので、ガイドさんは勧めるのを諦めたようです。
梨泰院までの道は混んでおり、3台に分乗した最後のタクシーが到着するまでは、10分以上も間がありました。どうやら、道を
間違えたようです。それでも、何とか全員が無事集合することができました。
釜山カルビは、先月の旅行の時も食事をしましたので、若い女性のウェイターさんは、よく覚えてくれていました。先回の時に帰り際に、精算のお金とは別にチップを渡して置いたので、そのせいかも知れません。
日本語もそこそこに話せる娘さんで、愛嬌が良かった。何より働き者で、注文の品をてきぱきと運んでくれました。美人タイプの人ではない(今回も失礼しました)ですが、性格の良さそうな娘さんでした。
一行の中のOさんは、何度か韓国旅行に来ているらしく、この店で早速ケジャンを頼もうという。私も大好物なので、異論は全くありません。
しかし、何しろ高いし、辛い料理に慣れない人には申し訳ないので、量を少な目に頼みました。全員一切れづつでしたが、やはり食べない人が居ましたので、2切れご相伴に預かりました。久しぶりに食べるケジャンの味に、大いに満足しました。
ところで、ケジャンとは、生の渡蟹を唐辛子味でつけ込んだ料理です。唐辛子味の中で、甘みのある生の蟹肉が何とも言えず美味しい。ぶつキリにした甲羅の横から吸い出すようにしてこの身を食べます。
材料の渡蟹は、ほとんど日本に輸出するので、韓国内ではいい蟹が手に入り難いと言います。値段が高くなったのも、品薄の影響かも知れません。10センチ程のパックに詰めたお土産品は、5千円ほどもします。
この店では、締めて1人当たり5千円程度でした。ケジャンを頼んだり、お酒も沢山飲みましたので、こんなところでしょうか。焼き肉食べ放題、飲み物別の8千円とは、較べようも無く安い値段でした。
<梨泰院散策>
食事の後は自由解散にしました。概ね2組に分かれました。我々の組は梨泰院を散策した後で、タクシーを拾ってヨンドンホテルに戻るというコースにしました。ホテルの近くにコンビニがあるのを確認していましたので、そこで今夜の宴会用のセットを買い込む計画にしました。
梨泰院は、夜遅くまでは賑わっていないようです。先月に来た時もそのように感じました。名古屋の地下街ほどではないですが、早く閉める店が多い。店を閉める準備をしながらも、土産品を勧めてくれますが、熱心ではありません。いつもの強引な客引きに較べると、些か拍子抜けです。
梨泰院の南西の外れには、公衆トイレがある事を知っていましたので、用事を済まして帰途につきました。帰りの道は混んでなく、時間も早く、タクシー料金も行きよりは大分安く上がりました。
<夜の小宴会>
夜の宴会は、ホテルの私達の部屋で行うことにしました。お酒とつまみは十分に用意しました。お酒は名古屋を発つときに手に入れたオールドパーと、先ほどコンビニで買ってきた缶ビールです。
缶ビールのことは「ケン・メッチュ」と言うことを、昨年11月の旅行で李先生に教えて貰いました。もとより、コンビニでは黙って差し出して、お金を払って、せいぜい『カムサハムニダ』と言うくらいで事が済みます。
つまみもコンビニで買ってきましたが、Igさんが日本から持ってきたつまみもあって、これで十分でした。一日の反省会と、明日の行動予定の打合せといった、夜の小宴会でした。
明日の予定は、戦争博物館、ロッテワールド、南大門などが候補に挙がりました。
翌日の待ち合わせ時間も一応決めて置きましたが、『起きられたら、フロントに集合して一緒に行動する』と言った具合で、些かファジーな約束でした。午前様になったので、明日は8時近くまで寝ることにして、解散しました。
名古屋空港へ向かう途中にて
道祖神我招きたる五月尽
朝立に風の涼しき薄暑哉
旅立や五月の季語を懐に
気儘旅忘れ物無し若葉萌ゆ
走り梅雨止むも止まぬも旅の朝
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
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景福宮(キョンボックン)に隣接する国立民族博物館をバックに記念撮影です。
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景福宮の宮殿の1つ、康寧殿の前での記念撮影です。
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景福宮の中での1コマです。
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景福宮の前で記念撮影です。総勢は12人でしたが、同じツアーに参加された娘さん二人もご一緒です。
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2日間朝食を摂ったお店での記念撮影です。愛想の良かったおかあさんがキムチを漬けているところです。
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韓国国宝の南大門です。ビルに取り囲まれ、ポツンと大路に取り残されました。
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ロッテワールドの正面玄関前です。Igさんは大き きさを比較するための見本の役でしょうか?
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正面玄関の上の大時計です。これは大きさを比較するものが無くて残念です。
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戦争博物館の中庭です。とにかく規模がでかい施設です。返還された米軍跡地に造られたと言います。
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戦争博物館の東中庭には、実に様々な兵器が展示されています。いずれも用済の本物です。
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中庭に展示されたミサイル類です。イラク戦争で有名になった、スカッドミサイルもありました。
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中央は移動して使うことができるレーダ装置です。手前にはB52等の輸送、爆撃用の軍用機が展示されていました。
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