1998/04/28 - 1998/05/04
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旅人のくまさんさん
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<1998年4月28日>
朝の9時30分の大韓航空機に機乗するため、6時頃に家を出ました。放射冷却の影響でしょうか、少しひんやりとした空気が心地よかった。
地下鉄駅では少し待って、6時15分頃発に乗ることができました。西春駅まで乗り換えなしに30分少しで着きました。バスに乗換え、空港へも十分に余裕をもって到着しました。空港までの経路は空いていました。早い通勤の人がまばらに乗車している程度でした。こんな状況で、早くも旅の風情を感じることができました。
今日はまだゴールデンウィーク前であり、早い時間の通勤の人には少しだけ遠慮をしながらの旅行出発でした。
<経済不況>
機内は空いていて、経済不況の煽りかと心配になりました。このところ、長引く不況の影響が、日本、韓国を始めアジア各国に蔓延していることの情報が、新聞、テレビなどのマスコミを通じて流されていました。
日本の経済不況にも増して、韓国のそれは更に厳しいものがあるとの報道もされていました。しかし、そのこととは無関係に、予定通りのフライトにより1時間半余りでソウル近郊の金浦(キンポ)空港に降り立ちました。
この韓国経済不況の状況は到着した金浦空港内での照明間引き等で早速実感することができました。例えるなら、オイルショック後の日本のような感じでした。至る所にIMFを意識した『公共交通機関を利用しましょう』などの看板が目に付き、ボランティアの人と思われる街頭基金集めの人とも、人の集まるあちこちで出逢いました。
日本円は去年、1997年の今頃に較べますと3割ほど下がっていました。しかし、ウォンはそれより更に下がっていました。海外旅行者としては有り難いような、韓国の人に同情したくなるような複雑な気持ちにさせられました。
昨年は、ウォンから円への換算は、一桁下げて5割増で暗算していました。例えば、1万ウォンを一桁下げて千円、その5割増しで1500円の換算でした。しかし、今回は丁度1桁下げるだけで換算できました。1万ウォンが千円見当です。因みに、一昨年は一桁下げて2割増しの計算であり、1200円程でした。
<旅のメンバー>
今回の旅行はMuさんが従兄弟を連れてくることになっていました。従兄弟の彼にとっては、初めての海外旅行だとお聞きしました。しかし、一人で入出国手続きとって別の便で日本を飛び立つことにしてありました。Muさんの教育的指導の一環でした。G大に合格した祝いの旅行ともお聞きしました。
そのHg君を出迎えに、時間を見計らって2人で金浦国際空港に向かいました。荷物はソウル市内のコインロッカーに預け、身軽な格好で地下鉄に乗って出掛けました。
Hg君の乗った便は予定通りに到着しましたが、30分以上経っても落ち合えずに、少し心配しました。ゲートから出てくる元気そうな顔を見て、二人でほっとしました。私はこの時が初見でした。サッカーが趣味だとお聞きしました。
<旅のテーマと宿探し>
今回の旅のテーマは、さしずめ『停戦ライン巡り』と言ったところです。西端はソウルの北数十キロの板門店(パンムンジョム)と、東端は38度線より相当北に位置する統一展望台(トンイルチョンマンデ)の観光を主な目的地としました。
何れも私自身は始めての所です。Hg君とも落ち合ったところで、宿探しです。これは金浦空港の観光案内所で紹介してもらうことにしました。3万ウォンから5万ウォンくらいのクラスでソウル市内の安宿を名簿で捜して貰ったところ、ソウル市内の地下鉄に近い場所で2万5千ウォン程の安宿が見つかりました。思ったより安い料金でした。早速、観光案内所から連絡を入れてもらい、その宿の付近図が印刷された名刺大のカードを貰いました。
<地下鉄乗車券自動販売機>
ソウル駅から宿までの移動は地下鉄です。自動販売機で切符を買う時に、少しとまどいました。お金を先に入れるか、区間と枚数を先に指定してからお金を入れるかの違いです。2種類の機械があるのでややこしくなっていました。
新しい機械は、お金を先に入れると、そのお金で買える区間のランプが点灯するようになっていました。同じようにとまどっていた旅行姿の若い女性から、切符の買い方を尋ねられましたので、アドバイスしました。たった今経験したばかりなので簡単なことでした。流暢な日本語を話す人でした。
彼女が日本語に堪能な理由は、後で解りました。実は仙台市教育委員会の仕事で、日本人の英語教師に英語のアドバイザーをしているためでした。アメリカ人で、名前をロイス・フレージャと言われる方です。
交換した名刺にも、お聞きしたことが印刷されていました。その前には、3年間、福井で仕事したこともあるとお聞きしました。
「仙台で仕事をするようになっても、中々福井訛りが取れずに困りました」
とも後で語ってくれました。仙台の人達から、『変な外人』と思われてしまったようです。ロイスは、今回は一人旅だと言うので、夕食を一緒にする約束をしました。先ほどの自販機の件で、たまたま同じ路線の地下鉄を利用することが分かりましたので、最寄の地下鉄駅で落合う時間を決めて別れました。
<泊まった旅館>
観光案内所で貰ったホテルの名刺には、なにやら立派なことが書いてありましたが、かなり年季の入った旅館でした。この旅館の場所を探すのに、随分と時間がかかってしまいました。
ホテルの名刺に描かれた略図がかなり端折ったものだったからです。付近の人に名刺の地図を示して旅館の場所を尋ねましたら、わざわざ旅館の場所まで一緒に付いて来てくれました。実に親切な人でした。
案内してくれた人にお礼を言って、その旅館に入りました。ソウル駅の観光案内所で紹介されたと告げましたら、宿の女将さんは、すぐに了解して部屋に案内してくれました。
かなり古い建物でしたが、部屋ごとに風呂も付いていて、鍵も二重に施錠できるようになっていました。翌日の板門店ツアーを考えて、この宿で2泊することにしました。
部屋に荷物を置いたところで、女将さん(こちらでは、何と呼んだらいいのか分からないので、取りあえずそう呼ばせて戴きます)に、お勧めの焼き肉店を教えて貰いました。アメリカ人のロイスには、魚料理よりは、カルビ焼きなどの焼肉の方が大丈夫と予想した上での店選びだでした。
<ロイスとの再会>
ロイスとは、約束した地下鉄駅の改札口で、難なく予定の時間に再会できました。地下鉄での話の続きです。
「今回は、私の女性友達と2人で旅行する予定でしたが、相手の都合が悪くなり、迷った末に一人旅にしました」
等の話を歩きながらお聞きしました。どうやらお友達が、急に体調を壊されてしまったようです。
「宿の人から、カルビ焼きの店を紹介してもらったので、その店にしませんか?」
と確認しましたら、予想したとおり、
「焼き肉は大好物です」
との答えが返ってきました。宿で紹介してもらった焼肉店はすぐに見つかりました。ビル造りの中々立派な店でした。店の周りには、広い駐車場もありました。店の案内の方に、座敷ではなく椅子席をお願いしました。
食事の時にお聞きした話です。
「教育委員会の仕事で1年間オーストラリアに留学した時、オーストラリア訛りが移ってしまい、困りました」
「アメリカに一時帰国した時に、その訛りがでて、友達から変な目で見られてしまいました」
等と語ってくれました。また、
「宿は1万5千ウォンで、私を含めて6人の女性が相部屋になっていました」
と教えてくれましたので、
「こちらは、それぞれお風呂が付いた個室です。設備は古いですが2万5千ウォンでした」
と話しましたら、
「私もそんな宿にすればよかった」
と随分悔しがっていました。
「韓国は2回目の旅行です。今回ソウルで1泊した後、翌日からは4日間のタイ旅行に出掛ける予定です」
「タイでは、バンコクとそれより北の少し温度が低い町に行く予定にしています」
とも教えてくれました。こちらも大雑把な今回の旅行計画をお話したり、かつて、行ったことがある韓国の名所旧跡などの紹介をしました。
野菜で包んで食べるカルビ焼き(カルビクイ)が美味しかったせいか、
「韓国はもう少し日程を伸ばせばよかった」
と、ロイスは残念がっていました。食事が終わった後で、
「旅行から戻ったら、インターネットで便りを交換しましょう。でも、私はローマ字になりますが、いいですか?」
と尋ねられましたので、
「それでも構いません」
と約束して、メールアドレスを交換しました。食事が済んでも、まだ早い時間でしたので、
「近くに南大門市場がありますので、そちらを見学する予定です。よろしかったらご一緒しませんか?」
と誘いましたら、すぐに賛同してくれました。帰りは、散歩を兼ねて3人で彼女を宿まで送り届けました。女性専用の宿らしく、頑丈な鉄策が張り巡らされていました。門の前まで送り届けて、お互いの旅の無事を祈って別れました。
ロイスは、色々な込み入った内容の話題でも、すぐに日本語で反応でき、相当なインテリに見受けました。とにかく、笑顔が絶えない態度にも感心させられました。しかし、日本語があまりにも上手なので、こちらの英語の勉強にならなかったのが、少し残念でした。韓国旅行の初日から、楽しい出逢いの旅になりました。
名古屋空港へ向かう途中にて
逝春や人は疎の旅の朝
この春も韓半島を巡る旅
燕や巣は定まらず飛交える
長旅の燕我を見送りぬ
暖冬の名残か旅装迷いけり
目を閉て想い浮ぶる去年の春
新緑の力漲る若欅
ハナミズキ若葉優りて花咲ける
休耕田最早野草の覆いける
金浦空港に降り立って
節電の韓国不況春暗し
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