2007/02/26 - 2007/03/02
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イスカンダル亜力山大さん
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上海ぼらぼら<フランス租界の後編>
フランス租界の前編のつづき。
カドーリー邸(上海市少年宮)を出て、地豊路(烏魯木斉北路)を南下。
Great Western Roadグレート・ウェスタン・ロード大西路(延安西路)を通り越して、Haig Avenueハイグ・アベニュー海格路(華山路)へ右折したら、フランス租界の西の外れへ出る。
ここからが試練だった。
見れない施設が続出!
まあ、よそ様の敷地なんやけん、シャーナイけどなあ。
ほれししても厳しかった。
せめてもの救いは、プラタナスの並木。
新緑から夏にかけては、空を覆い尽くすほど見事な並木だが、今は葉を落としているので、見晴らしがエエ。
たまに樹齢100年を越える古木もあり、見事な枝振りだ。
プラタナスは、蒸し暑い上海の夏を出来るだけ快適に過ごせるように、フランス人が持ち込んだ木だ。
我が母校・城東高校の脇にもあったが、交通の邪魔になるので切り倒されて、今は無い。
上海へ行く度に、母校のプラタナスが思い出される。
って言いながら、母校は我が家から歩いて3分走って1分、角を二つ曲がったところだ!
何を感傷的になっとンイスカンダル亜力山!
さあて、後半戦じゃあ!!!
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Brookside Apartment ブルックサイド・アパートメント 枕流公寓
1931年竣工 イギリス式高級フラット(マンション)
周純卿庭園は門が閉まって入れん。
まあ、こんなこともあるわい。
気を取り直して、次行こう!
どこ?
ブルックサイド・アパートメントなりぃ〜〜
ブルックサイド・アパートは、竣工当初から上海の有名人が集まるマンションとして名を知られていた。
歌手で映画スターだった周[王旋]は、ここの6階に住んでいた。
([王旋]は王偏に旋という一字)
ほれって誰?
彼女は、1918年江蘇省常熟県(現在の常熟市)の生まれ(諸説有り)。
12歳で芸能活動を始め、1932年の第一次上海事変の時に愛国歌「民族之光」を歌い、一躍有名歌手になる。
1935年17歳で映画デビュー。
スターダムを駆け上がる。
そんな中で生まれたのが、今も歌われ続ける「何日君再来(1937年発売)」。
渡辺はま子、李香蘭(山口淑子)も競作していた。
戦後は麗君(テレサ・テン)がリメイクして再びヒットした。
こんな曲だ。
http://www.youtube.com/watch?v=TRyXd-tiDFs
冒頭で、テレサ・テンが「50年前に亡くなった私のアイドル」と紹介しているのが、周[王旋]。
そのテレサ・テンも、今は亡い。
華山路699号 -
廃屋
1918年竣工 スペイン様式建築
Haig Avenueハイグ・アベニュー海格路(華山路)を西へ西へ。
途中に廃屋があった。
何かいわれがあるのかなと思って立ち止まったら、壁に上海市歴史建築のプレート有り。
やっぱし何か由緒があったんや。
レンガとコンクリートの混構造らしい。
今はどこかの華僑の持ち物で、改装を待っているのかもしれない。
次に来たときは、オシャレなレストランにでもなっているのかな。
ほれとも、あなた、買いますか!?
1億円は下らんと思うけど(-_-)
華山路831号 -
李鴻章別邸丁香花園(絵葉書から)
1880年代竣工 アーリーアメリカン様式建築。
現在はレストラン申粤軒
しれっと入ろうとしたら、またしても守衛にダメ出しされた。
シャーナイなあ。
レストランの予約客しか入れんのやって!
ケチ、減るモンやなし
李鴻章(1823〜1901年)は、清朝末期の直隷総督兼北洋大臣(軍閥)。
清仏戦争(1884年)や日清戦争(1894年)の戦後処理をする清国側全権として知られる。
上海の李鴻章別邸は、別名丁香花園。
丁香は李鴻章の7番目の愛妾。
李鴻章が江蘇巡撫(総督)に任ぜられたときに、丁香のために作ったとされる。
7番目ってことは、もっといたのかお妾さんが?!
「丁香」は、中国語で「リラ=ライラック」の意味。
愛妾の名前が本名だったのか愛称だったのかは不明。
華山路849号 -
プラタナス並木
Route Boissezonルートゥ・ボワセゾン白賽仲路(復興西路)
プラタナスはラテン語のplatanusが語源。
意味は知りましぇんσ(^_^;)
日本語では鈴懸の木。
中国語は懸鈴木。
語順が逆だ。 -
Haig Avenueハイグ・アベニュー海格路(華山路)とRoute Boissezonルートゥ・ボワセゾン白賽仲路(復興西路)の角 -
Swire House スワイヤー・ハウス 太古洋行
1935年竣工
現在は興国賓館
Haig Avenueハイグ・アベニュー海格路(華山路)からRoute Paul Legendreルートゥ・ポール・ルジャンドル雷上達路(興国路)へ左折(南下)。
ここも入れなかった。
というか、お目当ての1号楼が改装中。
なワケないだろうと確認に行ったら、ホンマや。
全部ビニールシートで覆われて、全く見えへん。
門のプレートのみ撮して引き揚げた、シュン(x_x) -
Swire House スワイヤー・ハウス 太古洋行の上空(Google Earthから)
かつては、これ全部Swireさんの別荘だった!!
スワイヤーグループは、イギリスのリバプールに拠点を構える巨大コンツェルン。
アジアの拠点は香港。
香港上海銀行やキャセイ航空の大株主。
中華圏では太古集団と呼ばれる。
スワイヤーハウスは、15haの敷地の中に13棟のさまざまな様式の別荘風建物が点在するお屋敷だった。
もちろん、スワイヤーグループ社主の別荘。
上海市優秀近代建築(1号楼は第1登録群 2、4号楼は第3登録群)
興国路72号 -
Normandie Apartment ノルマンディー・アパルトマン 諾曼第公寓
1924年竣工 ルネッサンス様式建築
現在は武康大楼
手近なレストランで昼食後、Route Paul Legendreルートゥ・ポール・ルジャンドル雷上達路(興国路)を更に南下。
Route Fergusonルートゥ・フェルグソン福開森路(武康路)とAvenue Joffre アベニュー・ジョッフル 霞飛路(淮海中路)の五差路に突き当たる手前に、Normandie Apartment ノルマンディーアパルトマン 諾曼第公寓が聳える。
通りに面した1階部分が歩道にオーバーハングして、南国風の造りになっている。
雨よけ陽よけは完璧だ。
ほれにしても、この存在感はどーよ!
周りに背の高い建物がないけん、よけいに重量感がある。
まさに戦艦か重巡洋艦やな、これは。
カリブ海に浮かぶ豪華クルーザーとは言い難い(^ω^)
ほな、パイレーツオブカリビアンか? -
Normandie Apartment ノルマンディー・アパルトマン 諾曼第公寓の上空(Google Earthから)
人よんで軍艦ビル。
角が軍艦の舳先に似ているからだ。
上海市優秀近代建築
淮海中路1858号 -
Bauer Hause バウル・ハウゼ バウル邸(絵葉書から)
1920年竣工 フランス様式建築
現在は宋慶齢記念館
ノルマンディー・アパルトマンからAvenue Joffre アベニュー・ジョッフル霞飛路(淮海中路)を反対側に渡り、少し東へ行ったらバウル邸。
バウルはドイツ人海運業者。
邸宅は彼の別邸として建てられた。
変遷の後、蒋経国(蒋介石の子=台湾の第二代総統)の所有になる。
1948年に蒋経国から宋慶齢に贈られる。
宋慶齢(1890〜1981年)は、上海生まれの社会運動家で政治家。
宋家の三姉妹の次女。
1914年に孫文(1866〜1925年)と結婚。
夫の死後、国民党左派に属し、国民党の右傾化阻止に努める。
新中国成立後も共産党で政治活動を続け、国家副主席に就き、死の直前には国家名誉主席になる。
ここには1963年まで居住。 -
宋慶齢の公用車 紅旗
宋慶齢の公用車が2台展示されていた。
1台はビュイックで1台はこれ。
中国要人の御料車で車名は「紅旗」
紅旗は長春第一汽車製造廠が造った国産のリムジン。
今では小型化した紅旗を一般向けにも販売しているが、高価格悪燃費で人気はイマイチ。
※余談
中国語の「汽車」は、日本語の「自動車」の意味。
ボンネットの赤いエンブレムは、今の車種でも健在なので、中国へ行ったら探してみては如何だろうか?
ほとんど走ってないけん、なかなか探しあたらんとは思うけど。
上海市重要文化財
淮海中路1843号 -
Picardie Apartment ピカルディー・アパルトマン
1936年竣工 アールデコ様式建築
現在は衡山賓館
バウル邸から更に東へ。
Route Winling[シ文]林路(宛平路)へ右折(南へ)。
前方左手に、Picardie Apartment ピカルディーアパルトマンが見えてくる。
この建物は、フランス系の万国儲蓄会が建てた外国人専用マンション。
中央部分が16階で、両翼が10階建てと階段状にセットバックする美しいフォームに設計されている。
上海アールデコマンション建築の典型。
竣工当初は全87室。
新中国成立後は、衡山招待所としてホテルになったが1960年から現称に。
1994年に従来の部屋をちょんちょんに3分割に間仕切って大改装。
上海市優秀近代建築
衡山路534号 -
Washington Apartment ワシントン・アパルトマン 華盛頓公寓
1928年竣工
現在は西湖公寓(一般のアパート)
ピカルディー・アパルトマンの前にKeven's Cafeって喫茶店がある。
最近はスタバが増殖中だが、喫茶店の少ない上海では貴重な美味しいコーヒーを提供する喫茶店だ。
ン?
スタバが美味しい?
mmm〜〜
入りたかったが、れいによって時間があ〜〜〜(x_x)
Avenue Petainアベニュー・ペタン貝当路(衡山路)を東へ。
貝当路(衡山路)×Route Cohen ルートゥ・コーエン 高恩路(高安路)の南西角に、ワシントン・アパルトマン登場。
外壁を塗り直したのか、サッパリと化粧直しをしている。
当初9階建て。
1982年に上2階分を継ぎ足す。
反対側に古めかしい華綺公寓ってマンションがあるが、じつはこざっぱりとしたワシントンアパルトマン(西湖公寓)のほうが古い!
上海市優秀近代建築
衡山路303号 -
Route Herve de Sieyes ルートゥ・エルベ・ド・シエイエス 西愛威斯路(永嘉路)界隈
アベニュー・ペタン貝当路(衡山路)から斜めにRoute Herve de Sieyes ルートゥ・エルベ・ド・シエイエス西愛威斯路(永嘉路)へ入る。
この通りはお屋敷通り。
前世紀に建てられた様々な建築様式の洋館が建ち並ぶ。
ちょっと見せてちょうだい、ってずけずけ上がり込むワケにはいかないので、通りから眺める。
これはRoute Herve de Sieyes西愛威斯路(永嘉路)とRoute Kaufmann ルートゥ・カウフマン 国富民路(安亭路)の角の家。 -
Route Herve de Sieyes ルートゥ・エルベ・ド・シエイエス西愛威斯路(永嘉路)界隈
外壁ブツブツ仕上げ?
建築の専門家の方、教えてくださいm(_ _)m
永嘉路621号 -
外壁に小石を貼り付けてるの?
永嘉路555号 -
こちらもブツブツ外壁?
ハーフティンバー様式っての?
柱をそのまま見せているのが特徴的な建物です。 -
岳陽路200弄住宅
Route Chisiルートゥ・チシィ祁済路(岳陽路)に古い石庫門住宅群があるらしい。
石庫門住宅は、近代の上海で発達した独特の中洋折衷建築様式で、かつてはどこででも見られた。
今は?
開発ラッシュで急速に無なくなりつつある。
行ってみたのだが、、、。
確かに歴史的建造物のプレートはあったが、岳陽路側の里弄(横丁)の入口が、全部コンクリートで塗り固められている。
どこから入るんじゃ?
北側へ回り込む。
やっぱし高い塀でガードされ、出入口無し。
さては南側がこの区画の入口か?
と気づいたときはもう遅い。
れいによって時間があ゛〜〜〜。 -
諦めて、もと来た道へ引き換えそうとしたら、婆ちゃんが洗濯物を取り込んでいるのに出くわした。
どこに干しとん?
電話線じゃあ。
ほな、まだエエわなあ。
人によったら、電線に干すンもおるけんな。
危ない危ない。
まあ、電話線だったら、感電せえへんけんいける(^^)/~~~ -
器用じゃなあ。
ン?
竹竿かあ。
ほな、仮に電線でも、感電せえへんのだろう。
ほれにしても、日本じゃあ絶対にこんな干し方せえへんでヨ。 -
宋子文邸
1935年竣工 オランダ様式建築
現在は上海市退職幹部大学
歴史的建造物の角をコンビニに貸しとうとはなあ。
何とかならんのか。
宋子文邸のシンボル、尖塔が泣っきょうぞう(`_´♯)/
景観条例!
まだ言よう(-_-)
宋子文(1893〜1971年)は、上海生まれの財閥系実業家であり政治家。
宋家の三姉妹の兄弟であり、宋家の長男。
宋靄齢(孔祥熙夫人)、宋慶齢(孫文夫人)の弟、宋美齢(蒋介石夫人)の兄にあたる。
1915年にハーバード大学卒業後、ニューヨーク国際銀行事務員をつとめた。
17年に帰国して、23年に広州に赴き、孫文の下で広東軍政府の商務庁長、財政部長を歴任。
また中央銀行を創設し総裁となった。
孫文の死後は、四大家族の一角をなす宋家の当主として蒋介石を支えた。
(四代家族:宋子文家、孔祥熙家、蒋介石家、陳立夫家の四氏、近代中国を引っ張った名家)
1927年以後、南京国民党政府財政部長、行政院院長、外交部長・駐米大使などの要職を歴任。
49年、国民党政府が台湾に移ると、アメリカに居住。
1971年、サンフランシスコで死去。 -
宋子文邸のメインタワー(絵葉書から)
木立に隠されて、表通りから充分見えへんかったけん、絵葉書で代用m(_ _)mぺこり
上海市優秀近代建築
永嘉路501号 -
ありゃ?
歩道にお年寄りがいっぱい。
通れんでえ!
何しよん?
孫のお出迎えだヨん!
誘拐防止のため、小学生の送り迎えはだいたい爺ちゃんや婆ちゃんのお仕事なのら。
ほれはエエんやけど。。。。
学校から出てきたがきんちょは、爺婆にカバンを放りつけて、自分は手ぶらで帰るンよ、ことごとく。
長幼の序、なんっつーのは、元々Made in Chinaでなかったで?
14億総「望子成龍&望女成鳳」で、子どもを甘やかしたら、アカンわなあ。
望子成龍は我が子を成龍(ジャッキー・チェン)にしたい!
とチャうワ。
我が子を龍にしたい=我が子に過大な期待を掛け、爺ちゃん婆ちゃん父ちゃん母ちゃんの6人がかりでちゃほや育ててでも、出世させたい、ってこと。
望女成鳳も同じ意味だが、女の子の場合はこう言う。
なんともまあ、Sigh!
永嘉路420号の違襄小学 -
Marshall Residence マーシャル・レジデンス(ホテルのパンフから)
1928年竣工 後期ルネッサンス様式建築
現在は瑞金賓館太原別館
ここも行く予定だったが、時間の関係でパス。
このあと本館(Morris邸)へ行くけん、まあエエかあ〜m(_ _)m
っで、説明だけちょこっと。
イギリス人貴族ディバータ侯爵の私邸として建築。
本館の他に4棟の別館を有する豪華邸宅。
国共内戦時に、アメリカの和平仲介特使として上海へ赴いたマーシャル将軍の宿舎になったことから、マーシャル・レジデンスと呼ばれるようになった。
上海市優秀近代建築
太原路60号 -
フィリピンルイス商会上海支店
1936年竣工 イギリス農村式建築
現在は??? 何だっけ?失念
上海市優秀近代建築
永嘉路389号 -
孔祥熙邸
1936年竣工
現在は軍の施設
衛兵が構えていたので、ビビってカメラも向けられなかった。
よって、別の写真でごまかす。
いずれにしても、本館は門からずっと奥で、通りからでは背中の一部しか見えなかった。
上海市優秀近代建築
永嘉路385号
この後、Route Herve de Sieyes ルートゥ・エルベ・ド・シエイエス 西愛威斯路(永嘉路)を更に東進、Route Mercier ルートゥ・メルシエ 邁爾西愛路(茂名南路)を北へ。
本日の最終目的地へとなだれ込む。 -
Morris邸 モリス邸(ホテルのパンフから)
1917年に最初の一棟が完成 イギリス農村様式建築
現在は瑞金賓館
は〜い、終点だよ〜。
このままここに泊まりたい(^ω^)
モリス邸は1ブロックほぼ全域を占める広大な邸宅。
Route Mercier ルートゥ・メルシエ 邁爾西愛路(茂名南路)沿いの西門から敷地内へ入る。
モリスは旧上海競馬界の大物。
1924年に北東角を日本の旧三井財閥に売却(現在は民貿大厦)。
日本占領時は憲兵司令部の付属機関だった。
1945年、終戦とともに国民党に接収され、三民主義青年団が使用。
解放後(1949年)は、1956年以降現在の呼称となり、上海市政府の高級賓館として、国賓や党、政府の要人ご用達ホテルとなる。
1979年、民間に払い下げられ、ホテルとして再開業。
6ヘクタールの広大な敷地に80室の一般棟と数棟のコテージが点在する。 -
モリス邸本館
現在は瑞金賓館2号楼(環楼)
ここへ通じるまでの園内の道には白木蓮の花が咲いていた。
白木蓮は上海市の花で、中国では白玉蘭と言う。
白い大きな花だ。 -
モリス邸本館 瑞金賓館2号楼(環楼)
屋根の上の鹿の飾りがかわいい。 -
モリス邸本館 瑞金賓館1号楼(臥茵楼)
この真ん中に写っている部屋(車寄せ左の2階)は、かつてイスカンダル亜力山伯爵が泊まった部屋。
な〜んちゃって。
ホンマだよん~~~\(^^)/~~~
泊まるなら1号楼(臥茵楼)がお薦め!
っで、こちら側が1号楼(臥茵楼)で正面玄関やけど、フロントは反対側の2号楼(環楼)にある。
ナもので、Route Pere Robertルートゥ・ペル・ロベール金神父路(瑞金二路)側が正門。
広すぎてすみませんσ(^_^;)A -
モリス邸本館 瑞金賓館1号楼(臥茵楼)
庭園から臥茵楼を見る。
1階サンルームには喫茶スペース。
意大利濃珈琲(エスプレッソ)をいただいた。 -
モリス邸の庭園
広すぎて、ファインダーに納まりきらない。 -
さりげなくこんなのが置いてあったりして。。。
上海市優秀近代建築
瑞金二路118号
このあと、近くのレストランで夕食をして、走り走りのフランス租界縦断&横断は終了した。
明日は郊外へ出かける。
上海租界ぼらぼら<古猗園>へ つづく
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この旅行記へのコメント (7)
-
- mudayoさん 2010/07/30 17:17:43
- 1票
- 旅行記のコメント それに写真がいいですね 1票!
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2010/08/01 08:54:49
- RE: 1票
- ありがとうございます!
多忙を理由に、全く更新していない旅ブログですが、景色が180°変わることは、まぁないでしょネ(^^;ゞ
ほな、好運常伴!(Good Luck !)
-
- こまちゃんさん 2007/05/12 23:42:31
- こまも乗った老紅旗!
- こまは駐在時代の1996年、西安センター開業式で会社の
会長が来られた時、社員の中国人北京所長が頑張って、会社の
会長にこの車を提供しました!
彼は西安外語学院出身者で、西安には同級生が沢山居ました。
その中の数人が、外事服務公司勤務の中間管理者だったので、
彼らの特権で、VIPに使う紅旗を引っ張り出してくれました。
オマケに公安にも手を伸ばし、「00001」ナンバーの付いた
アウディが先導車になりました。(蛙クラクション付き!)
信号なんか全部関係なく、車を見た警官は、速攻で交通整理を
して、我々を優先的に流してくれました。
お陰でスケジュールは半分の時間で廻る事が出来ました。
ドアは観音開きなので、後部座席からの乗り降りがラクラク。
車内は長くて対面シートになっていました。
会長を見送った後、空港からホテルまでの移動時に、こまも
乗せて貰いました。
サスペンションがへにょへにょで、乗り心地は最悪でしたけど、
気分は中々良かったです〜♡
こま
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2007/05/14 13:54:12
- RE: こまも乗った老紅旗!
-
えっ!
紅旗のフォーマルリムジンに乗ったン?!
エエのお、一生の記念やのお。
私ゃその他大勢の一員として、金魚のウ○コでくっついていっただけ。
流石に信号はノンストップで、紅旗においてけぼりくらうことはなかったですが。。。
車は同じくスプリングへにょへにょの上海でした。
上海のインパネはスピードメーターがぴくぴく痙攣しとっておもっしょかったでヨ〜〜〜〜^^
まさか紅旗はほんなことなかったでしょ?
ほな、好運常伴!
- こまちゃんさん からの返信 2007/05/14 17:04:28
- RE: こまも乗った老紅旗!
- はは!
最初は会長が居たので、同じく・・・いや、こまはワゴンだったからもっと
うん○でした!(~o~)げ○○んモードかも。(*o☆)\バキッ!汚い!
会長を送った後にラッキーが♡
メーターも普通でしたよ。ワインレッドとウッドのコンビのインパネが印象的でした。
パノラマで写した写真があるんですけど、どかっとまとめた写真の中なので、どこにあるのか現在不明です・・・
フィルム写真のモノをアップしたら、結構古い街並みや何やらで面白そうですけど、最近時間がありません(>o<;
こま
-
- 真@tokyoさん 2007/04/21 01:37:05
- フランス租界
- イスカンダル亜力山さん こんばんは
イヤー良く歩きましたね。
来週の上海は、同じようなルートになりそうです。
興国賓館が工事中というのがなんとも残念です。
前回は冬、しかも雨のため今度こそと思っていたのですが。
うーむ、残念。
しかし、まだまだ見るもの沢山あるので元気出します。
宋子文邸 無理そうだが挑戦します。
前回、正面突破を試み、正門から入り警備員にはるばる東京から来たのだからと言うと、日本語が通じたのかつまみ出されはしなかった。庭をみるならOKだがカメラを向けると大声を出した。今度は大目に見てもらいたいもの。
とまあ、できそうも無いことを空想しています。
この旅行記を参考に行ってまいります。
では
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2007/04/21 10:02:15
- RE: フランス租界
-
真@tokyoさん、まいど!
イスカンダル亜力山です。
> 興国賓館が工事中というのがなんとも残念です。
いやあ、ホンマに。
工事用のビニールシートを見たときは、気が抜けました。
私らはほのまま背を向けましたが、興国賓館の2号楼と4号楼も第3登録群ではありますが、上海市優秀近代建築に指定されています。
登録No.351と352番です。
ちなみに1号楼は第1登録群で、登録No.057番です。
ン?
旅行ブログに間違い発見!
慌てて、訂正しました。
2号楼と4号楼が第二次登録などと大嘘を書いてしまいました。
おかげさまで、間違いに気がつきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
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