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<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />10月の末から11月の初めにかけて滋賀県へ行ってきました。<br /><br />義母が日本画をやっているのですが、その日本画教室の写生旅行について行ったのです。<br /><br />表紙の水彩画は近江八幡堀で見た古い蔵の窓です。<br /><br />蔵の窓ってなにか興味を起こさせます。<br /><br />蔵の頑丈な壁の厚さが表現されている部分です。日本独特のデザイン。<br /><br /><br />近江八幡は興味深い町でした。<br /><br />お城のあった八幡山を囲む御堀とか<br /><br />古い近江商人商家の町並みとかを見物しました。<br /><br />この町は1585年に豊臣秀次によって八幡山城と共にその城下町として築かれました。<br /><br />恥ずかしながら私が知らなかったのはこの豊臣秀次という人のことです。<br /><br />1568生まれ1595没27年の生涯。<br /><br />秀吉の姉の子なんですが、秀吉と共に働き共に出世し、<br /><br />最後には秀吉の後継者として秀吉の養子となり関白にまでなってしまう。<br /><br />しかしその後秀吉に実子(淀君との間に秀頼)ができたことから<br /><br />秀吉の邪魔になり謀反を働いたとして一族郎党含め抹殺されるに至る。<br /><br />こんな人生もあり得るかと理不尽な気持ちが残ります。<br /><br />秀吉よあんたが悪い<br /><br />散々褒めて頂上まで上げておいて最後に墜落させて殺すなんて。<br /><br />秀次の話に関連して色々悲話があります。<br /><br />例えば駒姫の話。<br /><br />秀次が秀吉の全国統一のために東北へ出兵したとき山形の最上義光宅に<br /><br />宿泊しその時姫の駒姫を見初め側室として招きいれることとした。<br /><br />近江八幡へ輿入れした直後、この秀次事件が起こり駒姫も連座して京都三条河原で処刑された。<br /><br />関白様の新婚花嫁が一転して処刑。御年16歳。<br /><br />このとき秀次に連座して京都の三条河原で処刑された妻妾子女はなんと39名。<br /><br />駒姫だけがかわいそうではありません。<br /><br /><br />加えて秀次側近の前野長康等の家臣連中も秀次の無実を主張したがために多くが切腹させられている。<br /><br />もともと秀吉の忠臣だった人々で秀吉自身が秀次に与えた家臣達なんです。<br /><br />秀吉自身も可愛がっていた部下達。こんな乱暴なことってありますかね。<br /><br />狂気と化した独裁者秀吉の末期。<br /><br />1595年のことです。<br /><br />その後秀吉は朝鮮へ再出兵し墓穴を掘り1598年に没した。<br /><br />その時秀吉が後継者とした秀頼はたったの5歳。<br /><br /><br />この秀次のお話って有名なんだそうですね。<br /><br />つい先日も大河ドラマ功名が辻でもやってたみたい。<br /><br />女房にこの話をしたらそんなの知ってると言われました。

近江スケッチ旅行・秀次それから浅井三姉妹

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2006/10 - 2006/10

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木場三郎

木場三郎さん








10月の末から11月の初めにかけて滋賀県へ行ってきました。

義母が日本画をやっているのですが、その日本画教室の写生旅行について行ったのです。

表紙の水彩画は近江八幡堀で見た古い蔵の窓です。

蔵の窓ってなにか興味を起こさせます。

蔵の頑丈な壁の厚さが表現されている部分です。日本独特のデザイン。


近江八幡は興味深い町でした。

お城のあった八幡山を囲む御堀とか

古い近江商人商家の町並みとかを見物しました。

この町は1585年に豊臣秀次によって八幡山城と共にその城下町として築かれました。

恥ずかしながら私が知らなかったのはこの豊臣秀次という人のことです。

1568生まれ1595没27年の生涯。

秀吉の姉の子なんですが、秀吉と共に働き共に出世し、

最後には秀吉の後継者として秀吉の養子となり関白にまでなってしまう。

しかしその後秀吉に実子(淀君との間に秀頼)ができたことから

秀吉の邪魔になり謀反を働いたとして一族郎党含め抹殺されるに至る。

こんな人生もあり得るかと理不尽な気持ちが残ります。

秀吉よあんたが悪い

散々褒めて頂上まで上げておいて最後に墜落させて殺すなんて。

秀次の話に関連して色々悲話があります。

例えば駒姫の話。

秀次が秀吉の全国統一のために東北へ出兵したとき山形の最上義光宅に

宿泊しその時姫の駒姫を見初め側室として招きいれることとした。

近江八幡へ輿入れした直後、この秀次事件が起こり駒姫も連座して京都三条河原で処刑された。

関白様の新婚花嫁が一転して処刑。御年16歳。

このとき秀次に連座して京都の三条河原で処刑された妻妾子女はなんと39名。

駒姫だけがかわいそうではありません。


加えて秀次側近の前野長康等の家臣連中も秀次の無実を主張したがために多くが切腹させられている。

もともと秀吉の忠臣だった人々で秀吉自身が秀次に与えた家臣達なんです。

秀吉自身も可愛がっていた部下達。こんな乱暴なことってありますかね。

狂気と化した独裁者秀吉の末期。

1595年のことです。

その後秀吉は朝鮮へ再出兵し墓穴を掘り1598年に没した。

その時秀吉が後継者とした秀頼はたったの5歳。


この秀次のお話って有名なんだそうですね。

つい先日も大河ドラマ功名が辻でもやってたみたい。

女房にこの話をしたらそんなの知ってると言われました。

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  • 琵琶湖の北に隣接して余呉湖という小さな湖があります。<br /><br />周囲は6km程度。<br /><br />周囲を山に囲まれた静かな湖です。<br /><br />その南端にぽつんと一軒国民宿舎があり、その周辺でスケッチをしました。<br /><br />添付がその時の作品です。<br /><br />人物は旅行を共にした義母です。80歳。<br /><br />なんだか太ったおじさんみたいになってしまって<br /><br />申し訳ないと思っています。<br /><br />実物はこんなんじゃないです。<br /><br /><br />私がスケッチをした背後には山があります。<br /><br />賤が岳と言います。古戦場だという話を聞きました。<br /><br />私は知らなかったのですが<br /><br />この賤が岳で起こった「賤が岳の合戦」<br /><br />のことだそうです。<br /><br /><br /><br />天正10年(1582)明智光秀は織田信長から<br /><br />備中出陣を命じられ出陣しますが、<br /><br />方向を変えて京都の本能寺を急襲します。<br /><br />本能寺の変です。<br /><br />信長は自刃します。享年49歳。<br /><br />備中に出陣していた秀吉は信長死すの情報を得て<br /><br />急遽東上し京都の山崎にて光秀軍と決戦し<br /><br />勝利します。<br /><br />翌年1583年に信長の後継を狙い秀吉と柴田勝家が、<br /><br />この賤が岳で合戦し秀吉が勝利し<br /><br />信長後の覇権を決定的にました。<br /><br />即ち尾張から近江と勢力を伸ばしてきている秀吉と<br /><br />越前越後に勢力があった柴田勝家がここで<br /><br />ぶつかった。<br /><br />これが賤が岳の合戦なのです。<br /><br /><br />私の絵を見てください。<br /><br />賤が岳は私の背後に位置するので見えませんが<br /><br />頂上に砦がありました。<br /><br />それからこの絵の右側のこんもりとした山、<br /><br />ここに大岩山砦と岩崎山と砦がありました。<br /><br />この三つの砦は秀吉軍の陣地でした。<br /><br />この三つの砦は戦いの初めに柴田勝家軍に<br /><br />占領されてしまいましたが、<br /><br />その後秀吉軍の大軍が砦を奪還し、<br /><br />その勢いで柴田勝家軍を彼の居城である越前北の庄<br /><br />まで追い込み最後勝家は自害するに至りました。<br /><br />僕が座っていたこの場所。<br /><br />三つの砦に囲まれた恐ろしい場所だったんです。<br /><br />戦いが行われた場所であり両軍が<br /><br />駆け抜けた場所でした。<br /><br />血に塗られた刀がこの湖で洗われたのです。<br /><br /><br />我々は静かな湖面を見ながらそんなことも知らずにス<br /><br />ケッチしてたんですよ。<br /><br /><br /><br />もうひとつ知らなかった事<br /><br />柴田勝家は北庄の居城で妻の市の方と共に<br /><br />自刃しました。お市の方です。<br /><br />織田信長の妹です。<br /><br />このときお市の方の連れ子三人娘は<br /><br />秀吉側に渡されました。<br /><br />私はこのお市の方と浅井三人娘のことも<br /><br />知りませんでした。<br /><br />整理するとこの女性達にこんなことが<br /><br />起こってるのです。<br /><br /><br />お市の方(織田信長の妹1547生まれ)<br /><br />浅井長政と政略結婚(1567)。三人の娘をもうける。<br />↓<br />浅井長政は織田信長と戦い自害(一乗谷城の戦い1573)<br />お市の方と三人娘を信長が償還<br />↓<br />お市の方は三人娘をつれて柴田勝家と政略結婚(1582)<br />↓<br />柴田勝家は羽柴秀吉と戦い自害(賤が岳の合戦1583)<br />そのときお市も自害。三人娘は秀吉に渡る<br />↓<br />秀吉に渡った三人娘のその後は<br /><br />・ 長女淀君は秀吉と結婚<br /><br />・ 次女のお初は京極高次と結婚<br /><br />・ 三女お江与は二代将軍徳川秀忠の妻、家光の母となる<br /><br /><br />織田家→浅井家→柴田家→豊臣家→徳川家となんたる運命をたどった人々か。<br /><br />歴史小説とかテレビドラマの格好の材料なんですね。<br /><br />女房にこの話をしたらそんなに驚きませんでした。そんなの知ってるそうです。<br /><br />みなさんにも付き合わせて申し訳ありませんでした。<br /><br />ところで上記の我が義母はブログで日本画の作品を<br /><br />発表しております。<br /><br />http://kiyo7252.at.webry.info/<br /><br />お時間があるとき訪問して戴ければ喜びます。

    琵琶湖の北に隣接して余呉湖という小さな湖があります。

    周囲は6km程度。

    周囲を山に囲まれた静かな湖です。

    その南端にぽつんと一軒国民宿舎があり、その周辺でスケッチをしました。

    添付がその時の作品です。

    人物は旅行を共にした義母です。80歳。

    なんだか太ったおじさんみたいになってしまって

    申し訳ないと思っています。

    実物はこんなんじゃないです。


    私がスケッチをした背後には山があります。

    賤が岳と言います。古戦場だという話を聞きました。

    私は知らなかったのですが

    この賤が岳で起こった「賤が岳の合戦」

    のことだそうです。



    天正10年(1582)明智光秀は織田信長から

    備中出陣を命じられ出陣しますが、

    方向を変えて京都の本能寺を急襲します。

    本能寺の変です。

    信長は自刃します。享年49歳。

    備中に出陣していた秀吉は信長死すの情報を得て

    急遽東上し京都の山崎にて光秀軍と決戦し

    勝利します。

    翌年1583年に信長の後継を狙い秀吉と柴田勝家が、

    この賤が岳で合戦し秀吉が勝利し

    信長後の覇権を決定的にました。

    即ち尾張から近江と勢力を伸ばしてきている秀吉と

    越前越後に勢力があった柴田勝家がここで

    ぶつかった。

    これが賤が岳の合戦なのです。


    私の絵を見てください。

    賤が岳は私の背後に位置するので見えませんが

    頂上に砦がありました。

    それからこの絵の右側のこんもりとした山、

    ここに大岩山砦と岩崎山と砦がありました。

    この三つの砦は秀吉軍の陣地でした。

    この三つの砦は戦いの初めに柴田勝家軍に

    占領されてしまいましたが、

    その後秀吉軍の大軍が砦を奪還し、

    その勢いで柴田勝家軍を彼の居城である越前北の庄

    まで追い込み最後勝家は自害するに至りました。

    僕が座っていたこの場所。

    三つの砦に囲まれた恐ろしい場所だったんです。

    戦いが行われた場所であり両軍が

    駆け抜けた場所でした。

    血に塗られた刀がこの湖で洗われたのです。


    我々は静かな湖面を見ながらそんなことも知らずにス

    ケッチしてたんですよ。



    もうひとつ知らなかった事

    柴田勝家は北庄の居城で妻の市の方と共に

    自刃しました。お市の方です。

    織田信長の妹です。

    このときお市の方の連れ子三人娘は

    秀吉側に渡されました。

    私はこのお市の方と浅井三人娘のことも

    知りませんでした。

    整理するとこの女性達にこんなことが

    起こってるのです。


    お市の方(織田信長の妹1547生まれ)

    浅井長政と政略結婚(1567)。三人の娘をもうける。

    浅井長政は織田信長と戦い自害(一乗谷城の戦い1573)
    お市の方と三人娘を信長が償還

    お市の方は三人娘をつれて柴田勝家と政略結婚(1582)

    柴田勝家は羽柴秀吉と戦い自害(賤が岳の合戦1583)
    そのときお市も自害。三人娘は秀吉に渡る

    秀吉に渡った三人娘のその後は

    ・ 長女淀君は秀吉と結婚

    ・ 次女のお初は京極高次と結婚

    ・ 三女お江与は二代将軍徳川秀忠の妻、家光の母となる


    織田家→浅井家→柴田家→豊臣家→徳川家となんたる運命をたどった人々か。

    歴史小説とかテレビドラマの格好の材料なんですね。

    女房にこの話をしたらそんなに驚きませんでした。そんなの知ってるそうです。

    みなさんにも付き合わせて申し訳ありませんでした。

    ところで上記の我が義母はブログで日本画の作品を

    発表しております。

    http://kiyo7252.at.webry.info/

    お時間があるとき訪問して戴ければ喜びます。

  • 今回スケッチにもう一箇所行きました。<br /><br />湖北町の琵琶湖沿岸です。<br /><br />添付の絵は湖北町水鳥公園から<br /><br />対岸の鉢伏山を見たところです。<br /><br />またまた間抜けなことに、東京に帰ってから<br /><br />知ったことがあります。<br /><br />この地域は戦国時代に小谷城を拠点にしていた<br /><br />浅井氏の統治下にあった場所だったんです。<br /><br />浅井長政が織田信長に敗れた姉川の古戦場跡も<br /><br />おなじ地域にあります。<br /><br />浅井長政は自害する前に妻のお市の方と<br /><br />二人の間に生まれた三人娘を<br /><br />織田信長側へ逃がしました。<br /><br />私はそんなことも知らずにのんびり<br /><br />スケッチしてました。<br /><br /><br />今回我々は浅井三姉妹とそうとう<br /><br />縁が深かったようです。<br /><br />私はこの三人についてもっと勉強することと<br /><br />しました。<br /><br />そしてどうせならもうすこし大河ドラマを<br /><br />真面目に見なければいけませんね。<br /><br />見たとしても全て忘れてるのです。<br /><br />

    今回スケッチにもう一箇所行きました。

    湖北町の琵琶湖沿岸です。

    添付の絵は湖北町水鳥公園から

    対岸の鉢伏山を見たところです。

    またまた間抜けなことに、東京に帰ってから

    知ったことがあります。

    この地域は戦国時代に小谷城を拠点にしていた

    浅井氏の統治下にあった場所だったんです。

    浅井長政が織田信長に敗れた姉川の古戦場跡も

    おなじ地域にあります。

    浅井長政は自害する前に妻のお市の方と

    二人の間に生まれた三人娘を

    織田信長側へ逃がしました。

    私はそんなことも知らずにのんびり

    スケッチしてました。


    今回我々は浅井三姉妹とそうとう

    縁が深かったようです。

    私はこの三人についてもっと勉強することと

    しました。

    そしてどうせならもうすこし大河ドラマを

    真面目に見なければいけませんね。

    見たとしても全て忘れてるのです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ウサギさん 2007/01/01 15:29:19
    あけましておめでとうございます
    木場さん

    昨年中はあたたかいコメントありがとうございました。
    今年もよろしくお願いいたします。

    戦国時代は(も)詳しくないんですけど、
    淀君の生涯を漫画にした本を小学校時代に読んだことがあったので、
    浅井家の三姉妹のことに関しては、わたし、木場さんより詳しいかも
    ヤッタ(^^)v

    わたしも近々、先月頭に行った念願のパリを旅行記にするつもりです。

    では、2007年も木場さんが健康に、ステキな絵がいっぱい描けますように♪
    「新作」楽しみにしてますね。

    ウサギ

    木場三郎

    木場三郎さん からの返信 2007/01/01 22:42:39
    RE: あけましておめでとうございます
    うさぎさん。

    明けましておめでとう。
    お久しぶりです。パリ旅行記待ってますよ。
    小学校時代に読んだ淀君の話を覚えてるなんて
    そうとうおつむが明晰ですね。
    僕はこの年で戦国時代に初めて入門しました。
    今年の探索課題の一つです。

    今年もよろしくお付き合い下さい。

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