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<br /><br />熊野古道への旅をしてきました。<br /><br />再び東京発のパックツアです。最近はこれが多くなりました。<br />なぜならまず格安であること。格安ですけど宿とかバスとかは上級なんです。<br />ほんとうに。それから移動は往復飛行機でした。<br />行きは関空へ、帰りは白浜空港から羽田へ。かなりラクチンです。<br /><br />パックツアで気に入っている他の点はバスガイドさんです。最近のバスガイドさんには<br />感心します。容色ではなく内容で勝負している。話が巧みで知識も深い。<br />毎回啓発されています。<br />考えてみれば良い仕事ですよね。バスガイド。勉強して知識なり考え方を披露する。表現者。<br />語り部。バスのなかに30-40名の観客を確保して舞台に立つ。クリエイティブな世界。<br />笑いを取る作業も面白そうだし。できれば一度やってみたい職業ですね。バスガイド。<br /><br />今回は二泊三日でこんなルートでした。<br />一日目:<br />羽田空港→関空→高野山→龍神峡→白浜(泊)<br />二日目:<br />白浜→発心門王子→(熊野古道ハイキング)本宮本社→瀞峡→新宮の速玉大社→勝浦(泊)<br />三日目:<br />勝浦→那智大社→(熊野古道ハイキング)大門坂→海岸線を見物しつつ白浜空港→羽田<br /><br />添付の手書き地図を参照願います。「本宮大社」と「速玉大社」と「那智大社」の三つが<br />熊野三山です。いずれも紀伊半島の南部にあって京の都から遠い世界です。赤線で書いた道が大阪方面からの主なるルートでした。熊野古道は沢山ありますが要するに熊野に詣でる道で残っている道を熊野古道と言っているのです。<br /><br />檜肌葺の神社は熊野本宮です。神社建築でよく見るスタイルではありますが重厚で美しい。こんなデザインを誰が考えたのでしょうかね。<br /><br /><br />僕は和歌山県って初めて行ったんですけど、かなり山ばっかりの県ですね。<br />山が海岸まで迫ってますので鉄道は海岸線をくねくね走ってます。<br />新幹線で名古屋→大阪は1時間ですが、紀伊半島をまわって移動したら<br />特急で8時間ほどかかるそうなんですよ。<br /><br />高速道路はないそうです。これには感心しました。今後高速道路なんかできたら熊野の神秘なんて飛んでしまいますよね。今でもなんだかありがたみが薄くなってるのに。<br /><br />まず一日目は高野山<br /><br />旅行会社の計らいで金剛三昧院なるところで精進料理の昼食を摂りました。<br />ここは1211年に北条政子が頼朝の菩提のために建てたもの。鎌倉時代では<br />将軍家菩提寺として高野山の中心的寺院だったそうです。<br />高野山にてたびたび起こった大火からの類焼を免れて古い建物が残っていました。<br />多宝塔は国宝です。<br />密教風の毒々しい仏像たちもそのまま。暗い御堂の中にひっそりといらっしゃる。コワーイコワーイ雰囲気。<br /><br />高野山では知らなかった事で知ったことのもう一つは奥の院の存在です。<br />空海の廟を中心にして日本の歴史の中で著名人の墓石が集結している所です。<br />信長秀吉家康以下江戸時代の大名達それから最近の大企業墓碑にいたるまで。要するに宗派に関係なく空海を慕い高野山奥の院に納骨、建碑する風習が日本にあることを知りました。成功者達がこぞって建碑してました。<br /><br />そんな風習を広めたのは誰か。それは高野聖(こうやひじり)と呼ばれる人々です。<br />要するに高野山の営業マンたち。<br />日本全国を行脚して高野山の信仰を説いたり寄付をあつめたりしたそして納骨・建碑を勧めた。名高い西行も高野聖であった時期があったそうです。<br />中世の流浪の僧、「高野聖」だれか小説書いてましたね。そう<br />泉鏡花。<br /><br />この日は高野山からバスで白浜の旅館へバスで移動し終わりでした。<br />夕食後夫婦で白砂のなぎさを裸足で歩きました。星空でした。<br />

熊野古道・中世人の憧れ

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2006/09 - 2006/09

6702位(同エリア8437件中)

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木場三郎

木場三郎さん



熊野古道への旅をしてきました。

再び東京発のパックツアです。最近はこれが多くなりました。
なぜならまず格安であること。格安ですけど宿とかバスとかは上級なんです。
ほんとうに。それから移動は往復飛行機でした。
行きは関空へ、帰りは白浜空港から羽田へ。かなりラクチンです。

パックツアで気に入っている他の点はバスガイドさんです。最近のバスガイドさんには
感心します。容色ではなく内容で勝負している。話が巧みで知識も深い。
毎回啓発されています。
考えてみれば良い仕事ですよね。バスガイド。勉強して知識なり考え方を披露する。表現者。
語り部。バスのなかに30-40名の観客を確保して舞台に立つ。クリエイティブな世界。
笑いを取る作業も面白そうだし。できれば一度やってみたい職業ですね。バスガイド。

今回は二泊三日でこんなルートでした。
一日目:
羽田空港→関空→高野山→龍神峡→白浜(泊)
二日目:
白浜→発心門王子→(熊野古道ハイキング)本宮本社→瀞峡→新宮の速玉大社→勝浦(泊)
三日目:
勝浦→那智大社→(熊野古道ハイキング)大門坂→海岸線を見物しつつ白浜空港→羽田

添付の手書き地図を参照願います。「本宮大社」と「速玉大社」と「那智大社」の三つが
熊野三山です。いずれも紀伊半島の南部にあって京の都から遠い世界です。赤線で書いた道が大阪方面からの主なるルートでした。熊野古道は沢山ありますが要するに熊野に詣でる道で残っている道を熊野古道と言っているのです。

檜肌葺の神社は熊野本宮です。神社建築でよく見るスタイルではありますが重厚で美しい。こんなデザインを誰が考えたのでしょうかね。


僕は和歌山県って初めて行ったんですけど、かなり山ばっかりの県ですね。
山が海岸まで迫ってますので鉄道は海岸線をくねくね走ってます。
新幹線で名古屋→大阪は1時間ですが、紀伊半島をまわって移動したら
特急で8時間ほどかかるそうなんですよ。

高速道路はないそうです。これには感心しました。今後高速道路なんかできたら熊野の神秘なんて飛んでしまいますよね。今でもなんだかありがたみが薄くなってるのに。

まず一日目は高野山

旅行会社の計らいで金剛三昧院なるところで精進料理の昼食を摂りました。
ここは1211年に北条政子が頼朝の菩提のために建てたもの。鎌倉時代では
将軍家菩提寺として高野山の中心的寺院だったそうです。
高野山にてたびたび起こった大火からの類焼を免れて古い建物が残っていました。
多宝塔は国宝です。
密教風の毒々しい仏像たちもそのまま。暗い御堂の中にひっそりといらっしゃる。コワーイコワーイ雰囲気。

高野山では知らなかった事で知ったことのもう一つは奥の院の存在です。
空海の廟を中心にして日本の歴史の中で著名人の墓石が集結している所です。
信長秀吉家康以下江戸時代の大名達それから最近の大企業墓碑にいたるまで。要するに宗派に関係なく空海を慕い高野山奥の院に納骨、建碑する風習が日本にあることを知りました。成功者達がこぞって建碑してました。

そんな風習を広めたのは誰か。それは高野聖(こうやひじり)と呼ばれる人々です。
要するに高野山の営業マンたち。
日本全国を行脚して高野山の信仰を説いたり寄付をあつめたりしたそして納骨・建碑を勧めた。名高い西行も高野聖であった時期があったそうです。
中世の流浪の僧、「高野聖」だれか小説書いてましたね。そう
泉鏡花。

この日は高野山からバスで白浜の旅館へバスで移動し終わりでした。
夕食後夫婦で白砂のなぎさを裸足で歩きました。星空でした。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
JALグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 二日目はいよいよ熊野古道。バスで発心門王子という場所まで連れて行ってもらい、そこから熊野本宮大社まで約3時間をハイキングしました。山村をつたいながらののんびりハイキングでした。<br />添付は途中伏拝王子というところから見た風景スケッチです。<br />真ん中の白抜きした場所が熊野本宮大社でかすかに建物が見えました。<br />京からの長旅を経て初めて拝み見る本宮大社。昔の参詣者のみなさんはここで感涙にむせんだそうですよ。<br />確かに熊野は山又山。山の霊場。そんな雰囲気ありませんか。<br /><br />そして古道をつたってしばらく歩くとその憧れの本宮に到着しました。その時ちょっと失望しましたよ。だって本宮大社とは深山幽谷の静寂の場所にあるのではなくて普通の町中にあるんです。人里離れた山の中の神秘な聖域と思っていたら間違いでした。<br />3000人位の人々が住んでいる町なんです。<br /><br />もっとも本宮大社はもともと十津川、音無川、岩田川の合流する洲に社殿があり、それが<br />明治22年の大洪水で流出し、現在の場所に移転再建されたものだそうです。その大きな洲は現在は大斎原と呼ばれる場所でさすがに今でも聖域の雰囲気を漂わしておりました。<br /><br />今回の旅でそのほかの速玉大社、那智大社へも行きましたが、建物そのものも、それからそれを取り巻く周囲の雰囲気とかはそれほど感銘を受けるようなものではありませんでした。<br />そんなに古い建物でもないし(那智大社は秀吉時代の再建、速玉大社は1951年の再建)特に<br />威厳を示すような大掛かりな雰囲気作りもありません。<br />例えば伊勢神宮とか明治神宮とか<br />もしくは宇佐八幡とかは入り口から本殿までの景観演出が素晴らしいと思うのですが。<br /><br />意外と質素な印象ですから熊野三山とは従来よりそんなに経済的に恵まれた信仰対象ではなかったのじゃないかと推測しました。ちょっと調べてみましたが中世の最盛期以後江戸時代には熊野詣はかなり廃れてきており明治大正昭和の時代は参拝者は随分少なくなっていたようです。それが21世紀になって世界遺産として突然カムバックしたと考えるのが正しいようです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    二日目はいよいよ熊野古道。バスで発心門王子という場所まで連れて行ってもらい、そこから熊野本宮大社まで約3時間をハイキングしました。山村をつたいながらののんびりハイキングでした。
    添付は途中伏拝王子というところから見た風景スケッチです。
    真ん中の白抜きした場所が熊野本宮大社でかすかに建物が見えました。
    京からの長旅を経て初めて拝み見る本宮大社。昔の参詣者のみなさんはここで感涙にむせんだそうですよ。
    確かに熊野は山又山。山の霊場。そんな雰囲気ありませんか。

    そして古道をつたってしばらく歩くとその憧れの本宮に到着しました。その時ちょっと失望しましたよ。だって本宮大社とは深山幽谷の静寂の場所にあるのではなくて普通の町中にあるんです。人里離れた山の中の神秘な聖域と思っていたら間違いでした。
    3000人位の人々が住んでいる町なんです。

    もっとも本宮大社はもともと十津川、音無川、岩田川の合流する洲に社殿があり、それが
    明治22年の大洪水で流出し、現在の場所に移転再建されたものだそうです。その大きな洲は現在は大斎原と呼ばれる場所でさすがに今でも聖域の雰囲気を漂わしておりました。

    今回の旅でそのほかの速玉大社、那智大社へも行きましたが、建物そのものも、それからそれを取り巻く周囲の雰囲気とかはそれほど感銘を受けるようなものではありませんでした。
    そんなに古い建物でもないし(那智大社は秀吉時代の再建、速玉大社は1951年の再建)特に
    威厳を示すような大掛かりな雰囲気作りもありません。
    例えば伊勢神宮とか明治神宮とか
    もしくは宇佐八幡とかは入り口から本殿までの景観演出が素晴らしいと思うのですが。

    意外と質素な印象ですから熊野三山とは従来よりそんなに経済的に恵まれた信仰対象ではなかったのじゃないかと推測しました。ちょっと調べてみましたが中世の最盛期以後江戸時代には熊野詣はかなり廃れてきており明治大正昭和の時代は参拝者は随分少なくなっていたようです。それが21世紀になって世界遺産として突然カムバックしたと考えるのが正しいようです。







  • 三日目は <br />那智の大滝を見学した後、那智大社から熊野古道を代表する大門坂を経て麓まで下りました。一時間ぐらいのハイキング。かって後白河上皇が、後鳥羽上皇がそれから藤原定家とか和泉式部が歩いた道です。<br /><br />杉の巨木が道の両側に林立してかなりの迫力でした。熊野古道の貫禄でした。スケッチはそれを表しているつもりです。<br /><br /><br />今回の感想です。<br />熊野古道と言ってもけして特別な道ではないことが分かりました。<br />道そのものは日本全国あちこちにある山道と殆ど同じです。杉の木立は目を見張りますが<br />これとて日本全国探せばあちこちにある風景です。特別になにか仕掛けがあるとか、面白いものが出てくるとかはありません。なにか特別を期待してはだめです。<br /><br />重要なのは平安時代から戦国時代にかけて人々の憧れの聖地であったことです。<br />古今和歌集とか新古今和歌集とか梁塵秘抄とか様々な人々が様々に熊野を詠んでいます。<br />彼らの感慨を知ってそして歴史を知って初めて熊野を鑑賞できると思いました。<br />古の人々と共感しつつ熊野三山を参拝する。これがポイントだと思いました。僕には今回それがなかった。<br /><br />今後熊野古道に行かれるかたには以下に述べるこんなイメージを持って訪問されたらどうかと思います。<br />せめて昔の方々の気持ちを憶測することによりその印象が随分異なると思います。<br /><br />昔のメインのルートは京都から紀伊半島の西側を南下して、田辺白浜あたりから<br />山の中へ入り、本宮大社→舟で速玉大社→那智大社だったそうです。前往復行程は30日ほど。<br /><br />田辺から山の中に入り、何日もも山路を歩き、漸く本宮が見える伏拝王子に辿り着く。そこからは奇跡のように中州にたたずむ熊野本宮大社を遠望し感涙にむせぶ。<br />本宮に着けば川を徒歩で渡り中州の本宮大社を参拝する。<br />翌朝、清らかに流れる熊野川を舟で下る。両岸は壁のように立ちふさがる急峻な山々で、仙人峡の趣き。その峡谷を抜けると眼前に太平洋の大海原が広がる新宮に到着する。舟を降りて速玉神社へ参拝する。翌日は大海原沿いの海岸道から、奥深い那智の山に分け入る。昼なお暗い杉木立を登ると、原生林の中に日本一の那智の大滝が忽然と現われ驚かされ、そしてありがたく那智大社に参拝。<br />これで三山詣でを完遂し、帰りは山を越えるか川を上るかして本宮へ帰りその後同じ道を京都まで帰ることとなる。<br /><br /><br />後白河上皇は1160年から1191年31年間の間に34回もの熊野詣をやってます。<br />何故かといえばきわめて単純です。熊野信仰があったから。毎回熊野詣を行うたびに<br />現世利益があったし、回数を重ねることにより極楽浄土へ行けることとなったからです。<br /><br />当時の彼らこそ熊野古道を歩く喜びを最も感じていた人々なんでしょうね。<br /><br />

    三日目は 
    那智の大滝を見学した後、那智大社から熊野古道を代表する大門坂を経て麓まで下りました。一時間ぐらいのハイキング。かって後白河上皇が、後鳥羽上皇がそれから藤原定家とか和泉式部が歩いた道です。

    杉の巨木が道の両側に林立してかなりの迫力でした。熊野古道の貫禄でした。スケッチはそれを表しているつもりです。


    今回の感想です。
    熊野古道と言ってもけして特別な道ではないことが分かりました。
    道そのものは日本全国あちこちにある山道と殆ど同じです。杉の木立は目を見張りますが
    これとて日本全国探せばあちこちにある風景です。特別になにか仕掛けがあるとか、面白いものが出てくるとかはありません。なにか特別を期待してはだめです。

    重要なのは平安時代から戦国時代にかけて人々の憧れの聖地であったことです。
    古今和歌集とか新古今和歌集とか梁塵秘抄とか様々な人々が様々に熊野を詠んでいます。
    彼らの感慨を知ってそして歴史を知って初めて熊野を鑑賞できると思いました。
    古の人々と共感しつつ熊野三山を参拝する。これがポイントだと思いました。僕には今回それがなかった。

    今後熊野古道に行かれるかたには以下に述べるこんなイメージを持って訪問されたらどうかと思います。
    せめて昔の方々の気持ちを憶測することによりその印象が随分異なると思います。

    昔のメインのルートは京都から紀伊半島の西側を南下して、田辺白浜あたりから
    山の中へ入り、本宮大社→舟で速玉大社→那智大社だったそうです。前往復行程は30日ほど。

    田辺から山の中に入り、何日もも山路を歩き、漸く本宮が見える伏拝王子に辿り着く。そこからは奇跡のように中州にたたずむ熊野本宮大社を遠望し感涙にむせぶ。
    本宮に着けば川を徒歩で渡り中州の本宮大社を参拝する。
    翌朝、清らかに流れる熊野川を舟で下る。両岸は壁のように立ちふさがる急峻な山々で、仙人峡の趣き。その峡谷を抜けると眼前に太平洋の大海原が広がる新宮に到着する。舟を降りて速玉神社へ参拝する。翌日は大海原沿いの海岸道から、奥深い那智の山に分け入る。昼なお暗い杉木立を登ると、原生林の中に日本一の那智の大滝が忽然と現われ驚かされ、そしてありがたく那智大社に参拝。
    これで三山詣でを完遂し、帰りは山を越えるか川を上るかして本宮へ帰りその後同じ道を京都まで帰ることとなる。


    後白河上皇は1160年から1191年31年間の間に34回もの熊野詣をやってます。
    何故かといえばきわめて単純です。熊野信仰があったから。毎回熊野詣を行うたびに
    現世利益があったし、回数を重ねることにより極楽浄土へ行けることとなったからです。

    当時の彼らこそ熊野古道を歩く喜びを最も感じていた人々なんでしょうね。

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