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2006/10/14(土)第7日目:ブダペストからセンテンドレ日帰り<br />中央広場、マジパン博物館、ブラゴヴェシュテンスカ教会、フェレンツィ美術館、コヴァーチ・マルギット美術館、丘の上のカトリック教会、セルビア正教会&博物館<br />シュカンゼン(野外博物館)で約2時間半<br />ブダペストに戻った後:バッチャーニ広場付近で夜景撮影<br /><br />野外博物館のエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」の3つは地続きで、地図を見ないと自分がどのエリアにいるか、分からなくなってしまいます。<br />家屋を見て、どのエリアらしいか、と区別できないものですから。<br />絵地図を見ながらひととおり回った後でも、野外博物館で買った本に掲載された写真でチェックしないと、今でもあいかわらず区別がつきません。<br /><br />しかし、これらの3つのエリアでは、どれがどのエリアか、見分けがつかないものの、興味深い家屋はたくさんありました。これらのエリアの前に回ったエリアVIの「大平原」よりもたくさんありました。<br />エリアVI「大平原」の方は、裕福な家でもあくまで田舎の農家というかんじだったのに対し、こちらはどちらかというと町の家、というか、職人や商人の家というかんじでした。メインストリートに整然と並んでいて、どこかお洒落な家が多く、これはこれでまたわくわくしました。<br /><br />それから、去年の2005年のポーランド旅行で注目し、気に入った屋根と似た屋根を持つ家屋に目が引き付けられました。<br />表紙の写真の家屋がそうです。<br />屋根面が四方にそそぐ形式「寄棟造り」の変形、といったらいいでしょうか。<br />妻側の屋根(棟に対して直角に接する側面)が途中で短くなっていて、その下にもう1枚ある屋根が見えているのです。<br /><br />あのときは、これはポーランドで特徴的な家かと思っていましたが、ハンガリーの野外博物館にあったということは、ハンガリーの代表的伝統家屋でもあったということですね。<br />ポーランドらしい、とか、ハンガリーらしい、とか、いつになったら見分けがつくようになるのかしら。<br />でも、敢えて違いを挙げるとした、ポーランドの場合はスレート屋根(あるいはそのようなもの)、ハンガリーの野外博物館ではわら葺きばかりでした。<br />もっとも、素材の違いは、単に時代が違うせいかもしれません。<br />とにかく、このタイプの屋根の家は、車窓から見かけて、写真に撮りたくて撮りたくてたまらなかった家なのです。<br />でも、2005年のポーランド旅行時はまだコンパクト・フィルムカメラでしたので、フィルムがムダになると分かっていて、車窓からの写真にチャレンジする気にはなれませんでた。<br /><br />幸い、2005年に訪れたポーランドのルブリンの野外博物館に、そのような家が一軒ありました。<br />もちろん、いそいそと写真を撮りました@<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10416484/<br />関連の旅行記「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その16 ルブリン」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032646/<br /><br />ここセンテンドレの野外博物館では、表紙のような、お気に入りのタイプの屋根の家屋を、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」やエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」のあちこちで見ることができました。<br />こんなにたくさんあるなんて、幸せ〜!と思いながら、しつこく写真を撮りました@<br /><br />余談。<br />野外博物館で買った本では、表紙の写真の家屋の屋根をhalf-hippedと表現してありました。<br />辞書を引くと「入母屋根」とありました。<br />ネットで調べてみたところ、「入母屋根」は、屋根が2枚山形で組み合わさった「切妻屋根」と四方にそそぐ「寄棟屋根」の複合型でした。表紙の写真の屋根とは似ていません。<br />「入母屋根」は、正面からみて切妻屋根の山形が形づくる三角形のうち、日本の入母屋根は下半分を覆うように屋根が半分ついているのですが、こちらの場合は、上半分の方を覆っているのです。<br />さらに調べたところ、むしろ「半切妻」屋根というのではないかと思いました。<br /><br />屋根の形態の参照サイト<br />http://daiwa-kawara.com/yane/yane_01.html<br /><br />ただし、正面側の上からちょこっと出ている屋根が、もう少し下まで伸びているかんじですね。<br />その半分の屋根の下には、美しく装飾された板張りが見えている家屋もありました。<br /><br />この旅行記では上記のとおり3つのエリアを対象としていますが、敢えてエリアごとに分けたアバウトな感想は……。<br /><br />まず、エリアIXの「西ドナウ川地方」。<br />小高い丘があったりブドウ畑あり、道が交差する村の中心に木造の小さな鐘楼があったり、など、一番変化に富んでいた気がします。「大平原」エリアの風車を見下ろす眺望もなかなか良かったです。<br /><br />洒落た「町」だと思ったのは、エリアXの「Kisalfold(西部低地/小平原)」の家屋です。<br />町というより、規模からすると村落なので、村の中心、あるいは商業エリアといったかんじでしょうか。<br />白壁の家だけでなく、うっすらパステルカラーの壁の家もありました。<br />また、正面から見ると正三角形と正方形がきれいに重なった、箱のような家(いわゆるツーバイフォー工法の家ですね)が印象的でした。車窓の外を眺めながら、ハンガリーらしい家屋ってこういうのかしら、と思ったタイプの家です。<br />このタイプの家は、通りから見えない中庭の方にものすごく長く延びていました。<br /><br />お洒落だなぁと思った家は、エリアVIIの「南ドナウ川地方」にもありました。<br />このエリアは、正面から見るとツーバイフォー・タイプの細長い家がメインストリートに整然と並んでいるところと、納屋などが併設された茅葺屋根の農家とがありました。<br />あいにく後者は、私には、エリアVIの「大平原」の農家とほとんど区別がつきませんでした。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第7日目(7):センテンドレの野外博物館(2)西部低地+南・西ドナウ川地域

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2006/10/14 - 2006/10/14

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まみ

まみさん

2006/10/14(土)第7日目:ブダペストからセンテンドレ日帰り
中央広場、マジパン博物館、ブラゴヴェシュテンスカ教会、フェレンツィ美術館、コヴァーチ・マルギット美術館、丘の上のカトリック教会、セルビア正教会&博物館
シュカンゼン(野外博物館)で約2時間半
ブダペストに戻った後:バッチャーニ広場付近で夜景撮影

野外博物館のエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」の3つは地続きで、地図を見ないと自分がどのエリアにいるか、分からなくなってしまいます。
家屋を見て、どのエリアらしいか、と区別できないものですから。
絵地図を見ながらひととおり回った後でも、野外博物館で買った本に掲載された写真でチェックしないと、今でもあいかわらず区別がつきません。

しかし、これらの3つのエリアでは、どれがどのエリアか、見分けがつかないものの、興味深い家屋はたくさんありました。これらのエリアの前に回ったエリアVIの「大平原」よりもたくさんありました。
エリアVI「大平原」の方は、裕福な家でもあくまで田舎の農家というかんじだったのに対し、こちらはどちらかというと町の家、というか、職人や商人の家というかんじでした。メインストリートに整然と並んでいて、どこかお洒落な家が多く、これはこれでまたわくわくしました。

それから、去年の2005年のポーランド旅行で注目し、気に入った屋根と似た屋根を持つ家屋に目が引き付けられました。
表紙の写真の家屋がそうです。
屋根面が四方にそそぐ形式「寄棟造り」の変形、といったらいいでしょうか。
妻側の屋根(棟に対して直角に接する側面)が途中で短くなっていて、その下にもう1枚ある屋根が見えているのです。

あのときは、これはポーランドで特徴的な家かと思っていましたが、ハンガリーの野外博物館にあったということは、ハンガリーの代表的伝統家屋でもあったということですね。
ポーランドらしい、とか、ハンガリーらしい、とか、いつになったら見分けがつくようになるのかしら。
でも、敢えて違いを挙げるとした、ポーランドの場合はスレート屋根(あるいはそのようなもの)、ハンガリーの野外博物館ではわら葺きばかりでした。
もっとも、素材の違いは、単に時代が違うせいかもしれません。
とにかく、このタイプの屋根の家は、車窓から見かけて、写真に撮りたくて撮りたくてたまらなかった家なのです。
でも、2005年のポーランド旅行時はまだコンパクト・フィルムカメラでしたので、フィルムがムダになると分かっていて、車窓からの写真にチャレンジする気にはなれませんでた。

幸い、2005年に訪れたポーランドのルブリンの野外博物館に、そのような家が一軒ありました。
もちろん、いそいそと写真を撮りました@

関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10416484/
関連の旅行記「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その16 ルブリン」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032646/

ここセンテンドレの野外博物館では、表紙のような、お気に入りのタイプの屋根の家屋を、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」やエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」のあちこちで見ることができました。
こんなにたくさんあるなんて、幸せ〜!と思いながら、しつこく写真を撮りました@

余談。
野外博物館で買った本では、表紙の写真の家屋の屋根をhalf-hippedと表現してありました。
辞書を引くと「入母屋根」とありました。
ネットで調べてみたところ、「入母屋根」は、屋根が2枚山形で組み合わさった「切妻屋根」と四方にそそぐ「寄棟屋根」の複合型でした。表紙の写真の屋根とは似ていません。
「入母屋根」は、正面からみて切妻屋根の山形が形づくる三角形のうち、日本の入母屋根は下半分を覆うように屋根が半分ついているのですが、こちらの場合は、上半分の方を覆っているのです。
さらに調べたところ、むしろ「半切妻」屋根というのではないかと思いました。

屋根の形態の参照サイト
http://daiwa-kawara.com/yane/yane_01.html

ただし、正面側の上からちょこっと出ている屋根が、もう少し下まで伸びているかんじですね。
その半分の屋根の下には、美しく装飾された板張りが見えている家屋もありました。

この旅行記では上記のとおり3つのエリアを対象としていますが、敢えてエリアごとに分けたアバウトな感想は……。

まず、エリアIXの「西ドナウ川地方」。
小高い丘があったりブドウ畑あり、道が交差する村の中心に木造の小さな鐘楼があったり、など、一番変化に富んでいた気がします。「大平原」エリアの風車を見下ろす眺望もなかなか良かったです。

洒落た「町」だと思ったのは、エリアXの「Kisalfold(西部低地/小平原)」の家屋です。
町というより、規模からすると村落なので、村の中心、あるいは商業エリアといったかんじでしょうか。
白壁の家だけでなく、うっすらパステルカラーの壁の家もありました。
また、正面から見ると正三角形と正方形がきれいに重なった、箱のような家(いわゆるツーバイフォー工法の家ですね)が印象的でした。車窓の外を眺めながら、ハンガリーらしい家屋ってこういうのかしら、と思ったタイプの家です。
このタイプの家は、通りから見えない中庭の方にものすごく長く延びていました。

お洒落だなぁと思った家は、エリアVIIの「南ドナウ川地方」にもありました。
このエリアは、正面から見るとツーバイフォー・タイプの細長い家がメインストリートに整然と並んでいるところと、納屋などが併設された茅葺屋根の農家とがありました。
あいにく後者は、私には、エリアVIの「大平原」の農家とほとんど区別がつきませんでした。

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  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」の3つのエリアの家屋があった元の場所を示す地図の一部<br />(野外博物館で買った本の巻末地図より)<br /><br />野外博物館で買った本には、エリアごとの民俗学的な歴史や家屋の特徴・変遷の解説があります。<br />ひととおり読んで、自分の興味がある部分を中心に要約してみました。<br /><br /><br />この地方は、土地は貧しく粘土質であるため穀物生産には向きません。そのため、放牧による畜産業が発達しましたが、小規模経営が多かったため、農奴解放、それから1948年革命後のヨーロッパの飼料生産ブームに押され、徐々に衰退しました。<br />このエリアは森がちな丘陵地帯と平地とがありますが、どちらもL型の家屋がみられました。<br />農業スペース───おそらく家畜用のスペースは、通常、母屋に対して直角に建てられました。それで、母屋の方が長く、農業スペースの方が短いL字を形成しています。<br />また、18世紀後半の村落では、まん中に農場の庭があり、1〜2軒ずつL字型に散在する形態がよくみられました。<br />森がちな丘陵地帯では、伝統的な家屋は19世紀半ばまで木造でした。編み枝と土で作った漆喰の壁が特徴です。<br />伝統的な家屋は、木彫りのオーク材の敷居を基本に、壁は木彫りで上部が交差した松の木で造られていました。<br />溝のある柱や丸太の壁も見られました。丸太の壁の場合は、鳩尾型のほぞを用いて接合されました。丸太の間は、麦を混ぜた粘土で密着されました。<br />屋根の形態はたいてい屋根面が四方にそそぐ「寄棟造り」でした。<br />通りに面した正面は、半切妻タイプの屋根が普及していました。私がポーランドで目をつけた、お気に入りの屋根です。<br />19世紀後半から、焼きレンガ屋根が見られるようになります。<br />同じ頃、この地方に外国の職人、大工、タイル工が住み着くようになったため、タイルや焼きレンガ造りで、屋根付玄関のある新しいタイプの家屋が、町を中心に見られるようになります。それは少しずつ周辺の村にも広まりました。<br /><br />野外博物館のエリアIXの「西ドナウ川地方」では、19世紀の村落が保存されています。<br />その家屋の内装では、19世紀の変遷が分かるようになっているそうです。<br />たとえば、暖房設備です。室内で直接火を炊いて暖めるのではなく、外から温かい空気を送るストーブが浸透していく時代ですが、一方で、この地方には珍しい煙突のある家屋も保存されています。<br />また、家具・調度品を含む部屋全体も、19世紀における伝統家屋の生活の変遷が分かるようになっているそうです。<br />残念ながら私にはその差はちっとも分かりませんでしたけど。<br />その点に注目して観察すれば、本を読んだ今は、少しは分かるでしょうか。無理かな。<br /><br />また、この地方の村落では、父子・兄弟の家族が同じ屋根の下で、同じキッチンを共有し、経済面すら共有して共同で暮らす大家族制度が19世紀中頃まで多かったようです。<br />このエリアの展示では、そういった大家族が少しずつ小家族に分離していく様子も見ることができるようです。<br /><br /><br />Ksalfoldとは、低地オーストリアや西スロヴァキアを含む盆地です。<br />フェルトゥー湖(オーストリア側ではノイジードラ湖)や排水処理された泥炭湿地もあります。<br />この地方は、コウノトリが屋根に巣を作る光景が名物の1つとなっています。<br />後日、ショプロンからエステルハージ城へ行く途中、運良ければバスの車窓からそういう光景が見られるかも、と楽しみにしていましたが、残念ながらそれらしき民家は見ることはできませんでした。<br /><br />この地方は、14世紀に帝国自由都市や世俗都市、ジェールやパンノンハルマといった宗教都市とのネットワークにより発展し、16世紀には経済的・文化的に重要性を増しました。当然、どのエリアよりも一番マーケットが発達しました。<br />宗教は、一度はプロテスタントがこの地に根を下ろしたのですが、ハプスブルグ支配時代と重なる反宗教時代にカトリック勢力が戻りました。でも、プロテスタント勢力も細々と残ったようです。<br />この地方は13世紀にドイツ人が西から入植し、その後にクロアチア人が続きました。<br />18〜19世紀、住民のほとんどはドイツ人でした。ハンガリー人が入植したのは18世紀で、反対の東のカルパチア盆地からです。<br /><br />19世紀に広範囲にわたって排水処理が行われました。新たにできた土地は、半分は耕作地、半分は牧草地・牧場となりました。<br />飼料が集約的に生産されることで、この地方で大規模な畜産経営が可能となるとともに、飼料はポジョニ(現ブラチスラヴァ)やウィーンにも輸出されました。<br />大地主経営のため、農作業の機械化を比較的早く進めることができました。<br /><br />18世紀、新しい素材を使った伝統建築の保護の動き、特に中世的な要素の保存の動きが起こりました。<br />19世紀には、練り土と焼かない粘土による「ムーア風」のレンガの壁が一般的となりましたが、従来の編み枝の壁の家屋も一部に残りました。<br />また、この地方は、焼きレンガが、ハンガリーの中で最も早く普及しました。ショプロン近郊では、地元の大理石とレンガの両方を使った壁も見られるようになります。<br /><br />家屋の構造は、部屋─キッチン─食糧所蔵室が一列に並び、これに家畜小屋が続きます。<br />家族や家畜の規模が大きくなるに従い、部屋数も一列に追加されていきましたが、18世紀末にはL字型の家屋が普及します。真ん中に廊下があり、通りに面した正面から農場へ通り抜けられるようになっています。<br />通りから家屋に接近すると、たいていは垂直の切り妻と急勾配な屋根が見られます。<br />私が、洒落た「町」の家屋かしら、と思った、ツーバイフォー・タイプの箱のような家です。<br />同時にこのエリアでも地方によっては、わら葺き屋根に編み枝や板張りの切妻の家、タイル屋根、棟木(屋根を支える木組みの一番てっぺんの水平材)がY字型に支えられた家屋などが見られます。<br />また、この地方では、中世の社会的・宗教的組織や生活習慣が他の地方と違って20世紀初頭まで根強く残りました。そのため、民俗文化の面でも貴重な地方だそうです。<br /><br /><br />野外博物館のエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」では、8つの違う地方の特徴を示す8つの小農場が展示されています。<br />ハンガリー人の小農場だけでなく、ショプロン近郊のルター派のドイツ人やカトリック教徒のクロアチア人や、モショニのカトリック教徒のドイツ人の家屋もあります。<br />家屋の内装は、19〜20世紀の伝統的な生活スタイルの変遷を強調するような展示になっているそうです。ぜんぜん分かりませんでしたけど@<br /><br />(参考「Hungarian Open Air Museum Szentendre」英語版/センテンドレ野外博物館発行2003年)<br /><br />エリアVIIの「南ドナウ川地方」は、野外博物館の本が発行された2003年にはまだ未完成だったらしく、記載がないので、オフィシャルサイトを参考にしました。<br />でも、オフィシャルサイトの方は、野外博物館には何がどのように展示されているか、という説明はあっても、このエリアの歴史記述や家屋の特徴の説明はありませんでした。<br /><br />野外博物館のエリアVII「南ドナウ川地方」で展示されている家屋は、19世紀のものです。<br />8つの区画があり、家屋の他に、墓地あり、ブドウ園あり、納屋あり。<br />メインストリートに沿って整然と並ぶのは、日干しレンガあるいは土壁造りの裕福な家で、南ドナウ川地方でも東部の家屋のようです。<br />通りの終わり、エリアの隅の土手に不規則に並んでいる農家は、木造枠組みのわら葺きの家で、主に南ドナウ川地方の中でも南西部の家屋のようです。<br />屋内の家具調度品は、このエリアの主な住人、ハンガリー人、ドイツ人、ブコヴィナ(現ルーマニア)のセーケイ人の生活スタイルを、その社会的地位・宗教もうかがわせる形で整えられています。<br /><br />センテンドレ野外博物館のオフィシャルサイト(英語版)<br />http://www.sznm.hu/engn/index2.html<br />南ドナウ川地方<br />http://www.sznm.hu/engn/index2.htm

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」、エリアVII「南ドナウ川地方」、エリアIX「西ドナウ川地方」の3つのエリアの家屋があった元の場所を示す地図の一部
    (野外博物館で買った本の巻末地図より)

    野外博物館で買った本には、エリアごとの民俗学的な歴史や家屋の特徴・変遷の解説があります。
    ひととおり読んで、自分の興味がある部分を中心に要約してみました。


    この地方は、土地は貧しく粘土質であるため穀物生産には向きません。そのため、放牧による畜産業が発達しましたが、小規模経営が多かったため、農奴解放、それから1948年革命後のヨーロッパの飼料生産ブームに押され、徐々に衰退しました。
    このエリアは森がちな丘陵地帯と平地とがありますが、どちらもL型の家屋がみられました。
    農業スペース───おそらく家畜用のスペースは、通常、母屋に対して直角に建てられました。それで、母屋の方が長く、農業スペースの方が短いL字を形成しています。
    また、18世紀後半の村落では、まん中に農場の庭があり、1〜2軒ずつL字型に散在する形態がよくみられました。
    森がちな丘陵地帯では、伝統的な家屋は19世紀半ばまで木造でした。編み枝と土で作った漆喰の壁が特徴です。
    伝統的な家屋は、木彫りのオーク材の敷居を基本に、壁は木彫りで上部が交差した松の木で造られていました。
    溝のある柱や丸太の壁も見られました。丸太の壁の場合は、鳩尾型のほぞを用いて接合されました。丸太の間は、麦を混ぜた粘土で密着されました。
    屋根の形態はたいてい屋根面が四方にそそぐ「寄棟造り」でした。
    通りに面した正面は、半切妻タイプの屋根が普及していました。私がポーランドで目をつけた、お気に入りの屋根です。
    19世紀後半から、焼きレンガ屋根が見られるようになります。
    同じ頃、この地方に外国の職人、大工、タイル工が住み着くようになったため、タイルや焼きレンガ造りで、屋根付玄関のある新しいタイプの家屋が、町を中心に見られるようになります。それは少しずつ周辺の村にも広まりました。

    野外博物館のエリアIXの「西ドナウ川地方」では、19世紀の村落が保存されています。
    その家屋の内装では、19世紀の変遷が分かるようになっているそうです。
    たとえば、暖房設備です。室内で直接火を炊いて暖めるのではなく、外から温かい空気を送るストーブが浸透していく時代ですが、一方で、この地方には珍しい煙突のある家屋も保存されています。
    また、家具・調度品を含む部屋全体も、19世紀における伝統家屋の生活の変遷が分かるようになっているそうです。
    残念ながら私にはその差はちっとも分かりませんでしたけど。
    その点に注目して観察すれば、本を読んだ今は、少しは分かるでしょうか。無理かな。

    また、この地方の村落では、父子・兄弟の家族が同じ屋根の下で、同じキッチンを共有し、経済面すら共有して共同で暮らす大家族制度が19世紀中頃まで多かったようです。
    このエリアの展示では、そういった大家族が少しずつ小家族に分離していく様子も見ることができるようです。


    Ksalfoldとは、低地オーストリアや西スロヴァキアを含む盆地です。
    フェルトゥー湖(オーストリア側ではノイジードラ湖)や排水処理された泥炭湿地もあります。
    この地方は、コウノトリが屋根に巣を作る光景が名物の1つとなっています。
    後日、ショプロンからエステルハージ城へ行く途中、運良ければバスの車窓からそういう光景が見られるかも、と楽しみにしていましたが、残念ながらそれらしき民家は見ることはできませんでした。

    この地方は、14世紀に帝国自由都市や世俗都市、ジェールやパンノンハルマといった宗教都市とのネットワークにより発展し、16世紀には経済的・文化的に重要性を増しました。当然、どのエリアよりも一番マーケットが発達しました。
    宗教は、一度はプロテスタントがこの地に根を下ろしたのですが、ハプスブルグ支配時代と重なる反宗教時代にカトリック勢力が戻りました。でも、プロテスタント勢力も細々と残ったようです。
    この地方は13世紀にドイツ人が西から入植し、その後にクロアチア人が続きました。
    18〜19世紀、住民のほとんどはドイツ人でした。ハンガリー人が入植したのは18世紀で、反対の東のカルパチア盆地からです。

    19世紀に広範囲にわたって排水処理が行われました。新たにできた土地は、半分は耕作地、半分は牧草地・牧場となりました。
    飼料が集約的に生産されることで、この地方で大規模な畜産経営が可能となるとともに、飼料はポジョニ(現ブラチスラヴァ)やウィーンにも輸出されました。
    大地主経営のため、農作業の機械化を比較的早く進めることができました。

    18世紀、新しい素材を使った伝統建築の保護の動き、特に中世的な要素の保存の動きが起こりました。
    19世紀には、練り土と焼かない粘土による「ムーア風」のレンガの壁が一般的となりましたが、従来の編み枝の壁の家屋も一部に残りました。
    また、この地方は、焼きレンガが、ハンガリーの中で最も早く普及しました。ショプロン近郊では、地元の大理石とレンガの両方を使った壁も見られるようになります。

    家屋の構造は、部屋─キッチン─食糧所蔵室が一列に並び、これに家畜小屋が続きます。
    家族や家畜の規模が大きくなるに従い、部屋数も一列に追加されていきましたが、18世紀末にはL字型の家屋が普及します。真ん中に廊下があり、通りに面した正面から農場へ通り抜けられるようになっています。
    通りから家屋に接近すると、たいていは垂直の切り妻と急勾配な屋根が見られます。
    私が、洒落た「町」の家屋かしら、と思った、ツーバイフォー・タイプの箱のような家です。
    同時にこのエリアでも地方によっては、わら葺き屋根に編み枝や板張りの切妻の家、タイル屋根、棟木(屋根を支える木組みの一番てっぺんの水平材)がY字型に支えられた家屋などが見られます。
    また、この地方では、中世の社会的・宗教的組織や生活習慣が他の地方と違って20世紀初頭まで根強く残りました。そのため、民俗文化の面でも貴重な地方だそうです。


    野外博物館のエリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」では、8つの違う地方の特徴を示す8つの小農場が展示されています。
    ハンガリー人の小農場だけでなく、ショプロン近郊のルター派のドイツ人やカトリック教徒のクロアチア人や、モショニのカトリック教徒のドイツ人の家屋もあります。
    家屋の内装は、19〜20世紀の伝統的な生活スタイルの変遷を強調するような展示になっているそうです。ぜんぜん分かりませんでしたけど@

    (参考「Hungarian Open Air Museum Szentendre」英語版/センテンドレ野外博物館発行2003年)

    エリアVIIの「南ドナウ川地方」は、野外博物館の本が発行された2003年にはまだ未完成だったらしく、記載がないので、オフィシャルサイトを参考にしました。
    でも、オフィシャルサイトの方は、野外博物館には何がどのように展示されているか、という説明はあっても、このエリアの歴史記述や家屋の特徴の説明はありませんでした。

    野外博物館のエリアVII「南ドナウ川地方」で展示されている家屋は、19世紀のものです。
    8つの区画があり、家屋の他に、墓地あり、ブドウ園あり、納屋あり。
    メインストリートに沿って整然と並ぶのは、日干しレンガあるいは土壁造りの裕福な家で、南ドナウ川地方でも東部の家屋のようです。
    通りの終わり、エリアの隅の土手に不規則に並んでいる農家は、木造枠組みのわら葺きの家で、主に南ドナウ川地方の中でも南西部の家屋のようです。
    屋内の家具調度品は、このエリアの主な住人、ハンガリー人、ドイツ人、ブコヴィナ(現ルーマニア)のセーケイ人の生活スタイルを、その社会的地位・宗教もうかがわせる形で整えられています。

    センテンドレ野外博物館のオフィシャルサイト(英語版)
    http://www.sznm.hu/engn/index2.html
    南ドナウ川地方
    http://www.sznm.hu/engn/index2.htm

  • 野外博物館の地図より、エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」<br /><br />食料品店があり、村の中の商業エリアというかんじです。<br />白い手のマークは、デモンストレーションが行われる場所です。<br />ジンジャーブレッド作り、レース編み、ろうそく作り、といったところでしょう。<br />私が行ったのは土曜日で、これらを作っている最中ではなく、もう出来ている商品が売られていました。たぶん、デモンストレーションは、日曜日や祝日に行われるのでしょう。<br />ちなみに、このエリアで「Hungarian Open Air Museum Szentendre」(英語版)を買いました。<br /><br />ところどころにあるX印は、写真を撮ったところです。<br />隣のエリアIV平原」でたくさん撮ったせいで、ここではあまりたくさん写真を撮っていません。<br />家屋の一部だけ切り取る写真はインパクトが少なく思えたせいです。<br />かといって、なるべくたくさんファインダーに収めようと欲張ると、写真に込めたいと思った感動が、被写体の多さと反比例するようにこぼれ落ちてしまう気がしたのです。

    野外博物館の地図より、エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」

    食料品店があり、村の中の商業エリアというかんじです。
    白い手のマークは、デモンストレーションが行われる場所です。
    ジンジャーブレッド作り、レース編み、ろうそく作り、といったところでしょう。
    私が行ったのは土曜日で、これらを作っている最中ではなく、もう出来ている商品が売られていました。たぶん、デモンストレーションは、日曜日や祝日に行われるのでしょう。
    ちなみに、このエリアで「Hungarian Open Air Museum Szentendre」(英語版)を買いました。

    ところどころにあるX印は、写真を撮ったところです。
    隣のエリアIV平原」でたくさん撮ったせいで、ここではあまりたくさん写真を撮っていません。
    家屋の一部だけ切り取る写真はインパクトが少なく思えたせいです。
    かといって、なるべくたくさんファインダーに収めようと欲張ると、写真に込めたいと思った感動が、被写体の多さと反比例するようにこぼれ落ちてしまう気がしたのです。

  • 野外博物館の地図より、エリアVII「南ドナウ川地方」とエリアIX「西ドナウ川地方」<br /><br />2つのエリアを分けて写真を撮るのは難しかったので、一緒に撮りました。<br />白い手のマークは、デモンストレーションが行われる場所です。<br /><br />エリアVII「南ドナウ川地方」では、枝編み細工、トウモロコシの皮細工、ガマの葉の機織りのデモンストレーションがあると書かれていますが、確かに観光客がトウモロコシの皮細工を作っていました。<br />赤いT印はトイレです。<br /><br />エリアIX「西ドナウ川地方」には地図には家屋以外には特別でデモンストレーションは何もないですが、私が回れたエリアの中では、ここが一番変化に富んだ場所でした。<br />左手に三角形のブドウ園、右手の三叉路の真ん中には木造の小さな鐘楼があります。<br />土地は平坦ではなく、起伏があり、見晴らしも良かったです。<br />また、ここから近くの紅葉の山がよく見えました。<br /><br />ところどころにあるX印は、写真を撮ったところです。<br />気に入った家屋がたくさんあったので、再び撮影意欲が俄然と増したところです。

    野外博物館の地図より、エリアVII「南ドナウ川地方」とエリアIX「西ドナウ川地方」

    2つのエリアを分けて写真を撮るのは難しかったので、一緒に撮りました。
    白い手のマークは、デモンストレーションが行われる場所です。

    エリアVII「南ドナウ川地方」では、枝編み細工、トウモロコシの皮細工、ガマの葉の機織りのデモンストレーションがあると書かれていますが、確かに観光客がトウモロコシの皮細工を作っていました。
    赤いT印はトイレです。

    エリアIX「西ドナウ川地方」には地図には家屋以外には特別でデモンストレーションは何もないですが、私が回れたエリアの中では、ここが一番変化に富んだ場所でした。
    左手に三角形のブドウ園、右手の三叉路の真ん中には木造の小さな鐘楼があります。
    土地は平坦ではなく、起伏があり、見晴らしも良かったです。
    また、ここから近くの紅葉の山がよく見えました。

    ところどころにあるX印は、写真を撮ったところです。
    気に入った家屋がたくさんあったので、再び撮影意欲が俄然と増したところです。

  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」<br />Harkaから移設された家屋<br />段々になっている屋根にも可愛い煙突にも魅せられてしまいました@

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」
    Harkaから移設された家屋
    段々になっている屋根にも可愛い煙突にも魅せられてしまいました@

  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」<br />メインストリート沿いの家<br />奥に半切妻屋根の家があります@

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」
    メインストリート沿いの家
    奥に半切妻屋根の家があります@

  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」の農場<br />こういうのを見てしまうと、大平原地方の農場との違いが分からない……(泣)。

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」の農場
    こういうのを見てしまうと、大平原地方の農場との違いが分からない……(泣)。

  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」の農場<br />フェルトゥード(Ferdod)から移設した家屋の中<br />きりがないと思っていたけれど、撮りたくなってしまいました、家屋の中の写真@

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」の農場
    フェルトゥード(Ferdod)から移設した家屋の中
    きりがないと思っていたけれど、撮りたくなってしまいました、家屋の中の写真@

  • エリアVII「南ドナウ川地方」のコーンハウス<br />農場の屋根の内側と土壁

    エリアVII「南ドナウ川地方」のコーンハウス
    農場の屋根の内側と土壁

  • エリアVIIの「南ドナウ川地方」の家屋<br />私の後ろからカメラの液晶を覗いていた人が、Good picture ! と感心くれました@

    エリアVIIの「南ドナウ川地方」の家屋
    私の後ろからカメラの液晶を覗いていた人が、Good picture ! と感心くれました@

  • エリアVIIの「南ドナウ川地方」の農家のキッチン<br />焦げたかまどに木製のパンすくいに注目@

    エリアVIIの「南ドナウ川地方」の農家のキッチン
    焦げたかまどに木製のパンすくいに注目@

  • エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」<br />野外の共同オーブン、3タイプ<br />Kisbodakから移設<br />この手の野外オーブンは、1954年までにはすっかり見られなくなってしまったそうです。

    エリアX「Kisalfold(西部低地/小平原)」
    野外の共同オーブン、3タイプ
    Kisbodakから移設
    この手の野外オーブンは、1954年までにはすっかり見られなくなってしまったそうです。

  • エリアVII「南ドナウ川地方」のお洒落な家屋

    エリアVII「南ドナウ川地方」のお洒落な家屋

  • 出ました〜!<br />お気に入りの半切妻屋根の家屋。それも2軒も!<br />特に奥の家は、半切妻屋根の下から見える板張りが可愛いです@<br /><br />エリアIX「西ドナウ川地方」にて

    出ました〜!
    お気に入りの半切妻屋根の家屋。それも2軒も!
    特に奥の家は、半切妻屋根の下から見える板張りが可愛いです@

    エリアIX「西ドナウ川地方」にて

  • エリアVII「南ドナウ川地方」のお洒落な家屋<br />ストリート沿いのツーバイフォー・タイプの家。<br />でもこれ背後に長いのです@

    エリアVII「南ドナウ川地方」のお洒落な家屋
    ストリート沿いのツーバイフォー・タイプの家。
    でもこれ背後に長いのです@

  • エリアVII「南ドナウ川地方」の茅葺き屋根の下から<br />あんなところにも、お気に入りの半切妻屋根の家が!<br />しあわせ〜@

    エリアVII「南ドナウ川地方」の茅葺き屋根の下から
    あんなところにも、お気に入りの半切妻屋根の家が!
    しあわせ〜@

  • エリアIX「西ドナウ川地方」のL字型の家屋<br />といっても、これはLの字の長い部分のみです。<br />これも半切妻屋根!<br />れんがの煙突も可愛い@<br /><br />Szentgyorgyvolgyから移設された19世紀の家屋

    エリアIX「西ドナウ川地方」のL字型の家屋
    といっても、これはLの字の長い部分のみです。
    これも半切妻屋根!
    れんがの煙突も可愛い@

    Szentgyorgyvolgyから移設された19世紀の家屋

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の高台にある家屋<br />これも半切妻屋根!<br />背景の紅葉も美しいです@

    エリアIX「西ドナウ川地方」の高台にある家屋
    これも半切妻屋根!
    背景の紅葉も美しいです@

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋のキッチン<br />オーブンがだいぶ現代的なかんじがします。<br />ひと昔前というくらいかもしれません。

    エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋のキッチン
    オーブンがだいぶ現代的なかんじがします。
    ひと昔前というくらいかもしれません。

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の茅葺き屋根の家屋<br />これもやはり大平原の家と区別がつかない(泣)。<br />でもすてきな家なので、もう、それだけでいいです@

    エリアIX「西ドナウ川地方」の茅葺き屋根の家屋
    これもやはり大平原の家と区別がつかない(泣)。
    でもすてきな家なので、もう、それだけでいいです@

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋<br />Kondorfaから移設。<br />白壁に梯子が絵になります@

    エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋
    Kondorfaから移設。
    白壁に梯子が絵になります@

  • エリアIX「西ドナウ川地方」のL字型の家屋<br />うふふ、これもお気に入りの半切妻屋根です@

    エリアIX「西ドナウ川地方」のL字型の家屋
    うふふ、これもお気に入りの半切妻屋根です@

  • エリアIX「西ドナウ川地方」<br />三叉路の真ん中にある木造の鐘楼と、可愛い可愛い半切妻屋根の家。<br />れんがの煙突もお似合い@<br /><br />家屋はBagladから移設。<br />鐘楼はFelsoszenterzsebetから移設。

    エリアIX「西ドナウ川地方」
    三叉路の真ん中にある木造の鐘楼と、可愛い可愛い半切妻屋根の家。
    れんがの煙突もお似合い@

    家屋はBagladから移設。
    鐘楼はFelsoszenterzsebetから移設。

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の半切妻屋根の家<br />これも可愛いっ!<br />Redicsから移設。<br />半切妻屋根の下の板張りに、十字と、キリストを意味する IHSの字が見えます。

    エリアIX「西ドナウ川地方」の半切妻屋根の家
    これも可愛いっ!
    Redicsから移設。
    半切妻屋根の下の板張りに、十字と、キリストを意味する IHSの字が見えます。

  • エリアIX「西ドナウ川地方」の高台からエリアVI「大平原」の風車を見下ろして

    エリアIX「西ドナウ川地方」の高台からエリアVI「大平原」の風車を見下ろして

  • アンティークなイスのある部屋<br />エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋

    アンティークなイスのある部屋
    エリアIX「西ドナウ川地方」の家屋

  • エリアIX「西ドナウ川地方」<br />鐘楼のある三叉路

    エリアIX「西ドナウ川地方」
    鐘楼のある三叉路

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この旅行記へのコメント (2)

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  • noriakiさん 2007/04/04 08:39:24
    素晴らしい写真ですね・・・
    まみさん

    毎回素敵な写真、有難う御座います。
    まみちゃんのココログを拝見しますと、かなり詳しい旅行計画があり、非常に参考になりました。
    今年は、僕ももしかしたら、東欧への旅行をするかも知れません・・・
    この資料がかなり約に立ちそうです。
    まみちゃんの今年の計画は出来ましたか?

    まみ

    まみさん からの返信 2007/04/04 20:42:42
    RE: 素晴らしい写真ですね・・・
    noriakiさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    お褒めの言葉も嬉しいくこそばゆく。
    ココログも読んでいただいて嬉しいです。
    noriakiさんも今年は東欧に狙いを定めているんですか!
    わあ、楽しみです。
    私が最近行ったところであれば懐かしいし、まだのところはこれからのターゲットにする可能性大です。

    私は今年はルーマニア再訪計画を立てています。
    いまのところルーマニアに絞る予定。
    新しい国への欲もないこともなく、Lonely Planetがルーマニア・モルドヴァなので、ちょっとモルドヴァに一泊旅行を考えたり、「歩き方」がルーマニアとブルガリアなので、ブルガリアもちょっと考えたり。
    でもルーマニアだけでも結構、行きたいところがどんどん出てきます@
    交通公共機関が西欧よりは不便そうなのと、思ったより大きな国なので移動に時間がかかりそうなので、日程に少し余裕を持たせなければならないところもあるようですし。

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