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2006/10/10(火)第3日目:ブダペスト<br />国会議事堂ツアー(再訪)、民族博物館、王宮の丘の軍事歴史博物館・マジパン博物館・マーチャーシュ教会(再訪)・三位一体広場と漁夫の砦(再訪)、ブダ側から夜景撮影<br /><br />マーチャーシュ教会の再訪と軍事歴史博物館を目当てに、午後は王宮の丘に向かいました。<br />そのまま王宮の丘で午後いっぱい過ごし、暗くなる前に降りてドナウ河畔のブダ側で夕食をとることにしました。<br />そうすれば、昨日とは逆のブダ側からの夜景撮影にチャレンジできます。<br /><br />王宮の丘では、できれば王宮のハンガリー美術館にも再訪したいところなのですが。<br />2年前の2004年の初ブダペストのときには、王宮の美術館を行きたいところの筆頭に挙げて実際にたっぷり時間をとりましたが、そのときは無料の日のせいか、あるいは何か別の都合のせいか、1番楽しみにしていたハンガリー近代美術部門の絵は見られませんでした。<br />そのリベンジをしたいと思ったのですが、軍事歴史博物館を優先させるとしたら、ちょっと無理そうです。<br />軍事歴史博物館と王宮では、王宮の丘の端と端にあたりますから。<br /><br />マーチャーシュ教会は美術館ほど内部見学に時間がかからないと思うので、再訪は適うでしょう。<br />2年前に感動した、壁一面のフレスコに囲まれた、どこかオリエンタルで神秘なムードを、もう一度味わいたいです。<br /><br />王宮の丘のうち軍事歴史博物館は、それだけで1つの旅行記にまとめましたので、ここでは王宮の丘がらみで撮った写真を集めました。<br /><br />マーチャーシュ教会は、15:55〜16:45までいました。<br />宝物館も見学し、ひととおり回った後は、イスがあるのを幸い、少し休みました。<br />閉館は17時までなので、17時ぎりぎりまでいられるかと思ったのですが、16時半を過ぎると人もめっきり減り、係員が団体客を促して追い出し始めていました。<br />何も言われなかった私は、信者席に座ったまま主祭壇を眺めていました。<br />残っていたのは別に私1人だけではなかったからです。<br /><br />45分になって、最後に見納めにもう一度ぐるりと回ろう立ち上がったら、関係者らしき人たちが、私を見てびっくりした様子で、もう出るように促しに来ました。<br />入口の人も慌てて鍵を開けています。<br />もしかしたら私ってば、とじこめられるところだったのでしょうか。<br /><br />それにしても17時が閉館なら17時まで見学させてくれればいいのに。閉館は17時ではなかったのかしら。<br />よくわからないです、教会の閉館時間って。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第3日目(4)ブダペスト:王宮の丘散策

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2006/10/10 - 2006/10/10

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まみ

まみさん

2006/10/10(火)第3日目:ブダペスト
国会議事堂ツアー(再訪)、民族博物館、王宮の丘の軍事歴史博物館・マジパン博物館・マーチャーシュ教会(再訪)・三位一体広場と漁夫の砦(再訪)、ブダ側から夜景撮影

マーチャーシュ教会の再訪と軍事歴史博物館を目当てに、午後は王宮の丘に向かいました。
そのまま王宮の丘で午後いっぱい過ごし、暗くなる前に降りてドナウ河畔のブダ側で夕食をとることにしました。
そうすれば、昨日とは逆のブダ側からの夜景撮影にチャレンジできます。

王宮の丘では、できれば王宮のハンガリー美術館にも再訪したいところなのですが。
2年前の2004年の初ブダペストのときには、王宮の美術館を行きたいところの筆頭に挙げて実際にたっぷり時間をとりましたが、そのときは無料の日のせいか、あるいは何か別の都合のせいか、1番楽しみにしていたハンガリー近代美術部門の絵は見られませんでした。
そのリベンジをしたいと思ったのですが、軍事歴史博物館を優先させるとしたら、ちょっと無理そうです。
軍事歴史博物館と王宮では、王宮の丘の端と端にあたりますから。

マーチャーシュ教会は美術館ほど内部見学に時間がかからないと思うので、再訪は適うでしょう。
2年前に感動した、壁一面のフレスコに囲まれた、どこかオリエンタルで神秘なムードを、もう一度味わいたいです。

王宮の丘のうち軍事歴史博物館は、それだけで1つの旅行記にまとめましたので、ここでは王宮の丘がらみで撮った写真を集めました。

マーチャーシュ教会は、15:55〜16:45までいました。
宝物館も見学し、ひととおり回った後は、イスがあるのを幸い、少し休みました。
閉館は17時までなので、17時ぎりぎりまでいられるかと思ったのですが、16時半を過ぎると人もめっきり減り、係員が団体客を促して追い出し始めていました。
何も言われなかった私は、信者席に座ったまま主祭壇を眺めていました。
残っていたのは別に私1人だけではなかったからです。

45分になって、最後に見納めにもう一度ぐるりと回ろう立ち上がったら、関係者らしき人たちが、私を見てびっくりした様子で、もう出るように促しに来ました。
入口の人も慌てて鍵を開けています。
もしかしたら私ってば、とじこめられるところだったのでしょうか。

それにしても17時が閉館なら17時まで見学させてくれればいいのに。閉館は17時ではなかったのかしら。
よくわからないです、教会の閉館時間って。

  • ペスト側のホテル・インターコンチネンタルのすぐそばから見たブダ王宮の華麗な姿<br /><br />午前中に参加した国会議事堂見学の現地催行バスツアーのEURama社はインターコンチネンタルにオフィスがあるので、ホテル・ピックアップではいったそこまで連れてこられます。<br />そこから行き先別の大型観光バスに乗り換えるのです。<br /><br />インターコンチネンタル・ホテルのそばではこんなに素敵な眺望が得られると知り、後日、絶対ここから夜景を撮ろうと思いました。<br /><br />この写真は、大型観光バスに乗り換えた後、バスの車窓から撮りました。

    ペスト側のホテル・インターコンチネンタルのすぐそばから見たブダ王宮の華麗な姿

    午前中に参加した国会議事堂見学の現地催行バスツアーのEURama社はインターコンチネンタルにオフィスがあるので、ホテル・ピックアップではいったそこまで連れてこられます。
    そこから行き先別の大型観光バスに乗り換えるのです。

    インターコンチネンタル・ホテルのそばではこんなに素敵な眺望が得られると知り、後日、絶対ここから夜景を撮ろうと思いました。

    この写真は、大型観光バスに乗り換えた後、バスの車窓から撮りました。

  • 地下鉄コシュート・ラヨシュ駅<br /><br />王宮の丘へ向うため、民族博物館最寄りのコシュート・ラヨシュ駅から地下鉄M2線でモスクワ広場駅へ向います。<br />1番古いM1線はそう地下深く潜らないのですが、M2線やM3線ともなるとかなり地下まで潜ります。<br />そしてエスカレータはとてもスピードがあります。<br />元気なときは、ちょっとガタガタするところもレトロな遊園地の乗り物に乗っているような楽しさがあったのですが、疲れているときは、えいやっ!と乗ったときに、結構よろけました。

    地下鉄コシュート・ラヨシュ駅

    王宮の丘へ向うため、民族博物館最寄りのコシュート・ラヨシュ駅から地下鉄M2線でモスクワ広場駅へ向います。
    1番古いM1線はそう地下深く潜らないのですが、M2線やM3線ともなるとかなり地下まで潜ります。
    そしてエスカレータはとてもスピードがあります。
    元気なときは、ちょっとガタガタするところもレトロな遊園地の乗り物に乗っているような楽しさがあったのですが、疲れているときは、えいやっ!と乗ったときに、結構よろけました。

  • 王宮の丘のウィーン門の一部<br /><br />可愛いので撮りましたが、ターバンを巻いたトルコ兵がやっつけられているように見えるのが意味深です。<br />「地球の歩き方」をひっくり返してみると、現在の門は1936年にトルコからの解放250周年を記念して造られたものだそうです。<br />なるほど@<br />でもその1686年のトルコからの解放の後、ハンガリーはハプスブルグに支配されてしまうことになります。ハプスプルグ君主はハンガリーの伝統を全く無視したため、ハンガリー人は何度も抵抗し、そのたびハプスブルグ家の報復としめつけはひどくなっていったので、ハンガリーにとってはトルコの緩やかな支配よりむしろはぷすぶるぐ家の支配の方が過酷な面もあったようです。<br /><br />ちなみに、2年前の2004年の初ブダペストのときは、エリジュベート広場からバスを使って王宮の丘の真ん中あたりのディース広場から王宮の丘入りしたものですが、今回は軍事歴史博物館に近いウィーン門から入ることにしました。<br /><br />モスクワ広場からウィーン門までと王宮の丘の中は、小さな路線バス(城バス)が巡回しているのですが、地下鉄駅を出たところでモスクワ広場前のバスターミナルは思った以上に広く、城バスの停留所が見つけられなかったので、歩いて行くことにしました。<br /><br />しかし、モスクワ広場からウィーン門までは登り坂でした。<br />そんなに急な登り坂ではないかもしれませんが、結構疲れが出てしまい、ちゃんと歩いているのに進んでいる気がなかなかしませんでした。<br />途中、城バスが私を追い抜くのを見て、乗りたかったなぁとべそをかきそうになりました。<br /><br />実はこのあたりから、今回の旅程のうち、バラトン湖のバダチョニに行くのが不安になってしまいました。<br />モスクワ広場からウィーン門までのこの程度の坂のことは、「地球の歩き方」には何とも書いてありません。<br />しかし、バダチョニのハイライトの展望台へ行くには、「険しい山道を30分ほど登る」とあるのです。<br />わざわざ「険しい」と書いてあるのです。しかも30分!<br />この程度の坂でネを上げそうになっている私に登れるでしょうか。<br />結果としては、プロローグの旅程にあるとおり、ヴェスプレームとセーケーシュフェヘールヴァールに変更してしまいましたが、これは少し先の話@

    王宮の丘のウィーン門の一部

    可愛いので撮りましたが、ターバンを巻いたトルコ兵がやっつけられているように見えるのが意味深です。
    「地球の歩き方」をひっくり返してみると、現在の門は1936年にトルコからの解放250周年を記念して造られたものだそうです。
    なるほど@
    でもその1686年のトルコからの解放の後、ハンガリーはハプスブルグに支配されてしまうことになります。ハプスプルグ君主はハンガリーの伝統を全く無視したため、ハンガリー人は何度も抵抗し、そのたびハプスブルグ家の報復としめつけはひどくなっていったので、ハンガリーにとってはトルコの緩やかな支配よりむしろはぷすぶるぐ家の支配の方が過酷な面もあったようです。

    ちなみに、2年前の2004年の初ブダペストのときは、エリジュベート広場からバスを使って王宮の丘の真ん中あたりのディース広場から王宮の丘入りしたものですが、今回は軍事歴史博物館に近いウィーン門から入ることにしました。

    モスクワ広場からウィーン門までと王宮の丘の中は、小さな路線バス(城バス)が巡回しているのですが、地下鉄駅を出たところでモスクワ広場前のバスターミナルは思った以上に広く、城バスの停留所が見つけられなかったので、歩いて行くことにしました。

    しかし、モスクワ広場からウィーン門までは登り坂でした。
    そんなに急な登り坂ではないかもしれませんが、結構疲れが出てしまい、ちゃんと歩いているのに進んでいる気がなかなかしませんでした。
    途中、城バスが私を追い抜くのを見て、乗りたかったなぁとべそをかきそうになりました。

    実はこのあたりから、今回の旅程のうち、バラトン湖のバダチョニに行くのが不安になってしまいました。
    モスクワ広場からウィーン門までのこの程度の坂のことは、「地球の歩き方」には何とも書いてありません。
    しかし、バダチョニのハイライトの展望台へ行くには、「険しい山道を30分ほど登る」とあるのです。
    わざわざ「険しい」と書いてあるのです。しかも30分!
    この程度の坂でネを上げそうになっている私に登れるでしょうか。
    結果としては、プロローグの旅程にあるとおり、ヴェスプレームとセーケーシュフェヘールヴァールに変更してしまいましたが、これは少し先の話@

  • マジパン博物館のマジパンの国会議事堂<br /><br />マジパン博物館は王宮の丘のヒルトン・ブダペスト・ホテルにありました。<br />東欧では人気らしいです、マジパン。<br />これから出かけるハンガリーの地方都市の見どころの1つとしてマジパン博物館が挙げられているところはいくつもありましたが(センテンドレとかケストヘイとか)、面白そうなので時間があったら入ろうと目をつけていました。<br />そのマジパン博物館がブダペストにもあるとは思わなかったのですが、せっかく見つけたので入ってみました。<br />入場料は400フォーリント。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br /><br />いやぁ、なかなか面白かったです。<br />よくぞマジパンでここまで作ったものだ、と感心するやら呆れるやら、といった展示がたくさんで、楽しかったです。

    マジパン博物館のマジパンの国会議事堂

    マジパン博物館は王宮の丘のヒルトン・ブダペスト・ホテルにありました。
    東欧では人気らしいです、マジパン。
    これから出かけるハンガリーの地方都市の見どころの1つとしてマジパン博物館が挙げられているところはいくつもありましたが(センテンドレとかケストヘイとか)、面白そうなので時間があったら入ろうと目をつけていました。
    そのマジパン博物館がブダペストにもあるとは思わなかったのですが、せっかく見つけたので入ってみました。
    入場料は400フォーリント。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)

    いやぁ、なかなか面白かったです。
    よくぞマジパンでここまで作ったものだ、と感心するやら呆れるやら、といった展示がたくさんで、楽しかったです。

  • マジパン博物館のマジパンのカロチャ刺繍のクッション<br /><br />本当の布に見えます。見事です。

    マジパン博物館のマジパンのカロチャ刺繍のクッション

    本当の布に見えます。見事です。

  • マジパン博物館のマジパンでできたメルヘンチックな家<br /><br />こんな風に可愛い展示もたくさん!<br />この家の住人の中では、白い蛇だかミミズのような子が1番気に入りました。<br /><br />マジパン博物館は全部で2室でしたが、なかなかの傑作ぞろいでした。<br />マジパン屋さんの一部が博物館になっていたのですが、見学し終わった後、お店のマジパンを試食させてもらいました。<br />結構美味しかったので、シンプルな棒タイプのマジパンを2本買いました。<br />一本240フォーリント。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br /><br />本日も昼食を抜いていてお腹がすいていたため、マーチャーシュ教会に向いながら、たちまち1本、立ち食いしてしまいました。<br />空腹は最上のソース、といいますが、後で夕食のデザート代わりに食べたときも十分美味しかったです。<br />日持ちするので、もう少し日程が後であれば、お土産に買って帰るのもよいと思いました(でもまだ帰国まで3週間ほどあるので)。

    マジパン博物館のマジパンでできたメルヘンチックな家

    こんな風に可愛い展示もたくさん!
    この家の住人の中では、白い蛇だかミミズのような子が1番気に入りました。

    マジパン博物館は全部で2室でしたが、なかなかの傑作ぞろいでした。
    マジパン屋さんの一部が博物館になっていたのですが、見学し終わった後、お店のマジパンを試食させてもらいました。
    結構美味しかったので、シンプルな棒タイプのマジパンを2本買いました。
    一本240フォーリント。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)

    本日も昼食を抜いていてお腹がすいていたため、マーチャーシュ教会に向いながら、たちまち1本、立ち食いしてしまいました。
    空腹は最上のソース、といいますが、後で夕食のデザート代わりに食べたときも十分美味しかったです。
    日持ちするので、もう少し日程が後であれば、お土産に買って帰るのもよいと思いました(でもまだ帰国まで3週間ほどあるので)。

  • マーチャーシュ教会にあった紋章の説明<br /><br />これは入ってすぐ左手の壁にありました。<br />紋章学についてそれほど詳しくないし、凝っているわけではないですが、意味が分かるのは楽しいです。<br />それに、今回は、教会の名前となっているマーチャーシュ・コルヴィヌス王の紋章を見つけたいと思っていました。<br />コルヴィヌスのコルヴィンは烏の意味で、マーチャーシュ王の紋章は大ガラスが指輪をくわえたデザインなのだそうです。<br /><br />その紋章に近くにこの解説がありました。<br />大ガラスの紋章は確認できましたが、これを読んでいて、私が1番関心を覚えたのは、右上の十字の変形(ダブルクロス)の紋章です。<br />これはイシュトヴァーン王から300年続いたアールパード家の紋章だったのですね。<br />ただ、左上の、地が赤に白い三本線もアールパード家の紋章のようです。<br />どう使い分けられたのかしら。<br /><br />右下のライオンは、ボヘミア王、すなわちチェコ王家のものです。<br />確かにハンガリー史をひもとくと、アールバード王朝が断絶した後にハンガリーを支配した王の中にルクセンブルグ家のジグモント王がいて、彼はドイツやチェコの王も兼ね、神聖ローマ皇帝の地位にも就いています。<br />ちなみに、チェコ史とのかかわりでいえば、宗教改革の先駆けのヤン・フスを処刑したのはこのジグモント王です。<br />マーチャーシュ王の紋章にボヘミアの紋章が合体しているのは、彼がオスマン・トルコをハンガリー南部でそれ以上の侵入を食い止めた後に、チェコとモラヴィア地方を占領したからでしょう。<br />マーチャーシュ王は一時、ウィーンも占領して手中に収めています。<br />彼はルネサンス君主として有名ですが、領土の規模でいっても、ハンガリー史の最盛期の1つを謳歌した王といえましょう。<br />マーチャーシュ王は在位1458〜1490年の王なので、西欧諸国は、まだまだ後進国だった時期です。<br />東欧諸国はこのように西欧より先に時代の栄華を極めたのですが、その後、それまで後進国だった西欧諸国に追い越されてしまうのです。<br /><br />左下のダルマチアは、現クロアチアのことですね。<br />ハンガリーがクロアチアの地を失い、クロアチアが独立を果たしたのは、第一次大戦後の1920年のトリアノン条約によってです。<br />ちなみに、トリアノン条約によって、ハンガリーはクロアチアだけでなく、チェコにもルーマニアにもスロヴァキアにも領土を割譲させられます。<br />その結果、ハンガリーの領土は3分の1になってしまいました。<br />その失われた領土を取り戻してくれるとの約束を当てにして、第一次大戦のときにはナチス・ドイツ側につくのです。<br />それに比べ、今回の旅行先のルーマニアは、近代までの歴史はハンガリー史に比べるとパッとしない印象があったのですが、2度の大戦で結果的にどちらも戦勝国側についていました(正確には、第二次大戦時は、途中から連合国側につきました)。<br />たとえは悪いですが、ハンガリーはどちらも賭けに負け、ルーマニアはどちらも賭けに勝ったといえるのではないでしょうか。<br />この対比もなかなか興味深いと思いました。<br /><br />マーチャーシュ教会の外観の写真は撮りませんでした。<br />修復中で外側が一部、工事用のプレハブで覆われていたりして写真映えしそうになかったのです。<br />それに2004年に撮っているので、撮らなくていいやと思いました。<br /><br />内部の写真も、あんまり薄暗いので、さすがにデジカメでも良く写りそうにないのでやめました。<br />全体的な雰囲気には再訪でもとても感動したのですが、それはとても写真には収めきれません。<br />かえって、感動した美しい記憶が損なわれるだろうと思いました。<br /><br />マーチャーシュ教会の外観の写真は、2年前のものをご覧ください。<br />屋根はきっとジョルナイ・タイルでしょう。<br />初めて訪れた衝撃と感動のため、感想も2年前の方が詳しいです@<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10505094/<br />関連の旅行記<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10038942/

    マーチャーシュ教会にあった紋章の説明

    これは入ってすぐ左手の壁にありました。
    紋章学についてそれほど詳しくないし、凝っているわけではないですが、意味が分かるのは楽しいです。
    それに、今回は、教会の名前となっているマーチャーシュ・コルヴィヌス王の紋章を見つけたいと思っていました。
    コルヴィヌスのコルヴィンは烏の意味で、マーチャーシュ王の紋章は大ガラスが指輪をくわえたデザインなのだそうです。

    その紋章に近くにこの解説がありました。
    大ガラスの紋章は確認できましたが、これを読んでいて、私が1番関心を覚えたのは、右上の十字の変形(ダブルクロス)の紋章です。
    これはイシュトヴァーン王から300年続いたアールパード家の紋章だったのですね。
    ただ、左上の、地が赤に白い三本線もアールパード家の紋章のようです。
    どう使い分けられたのかしら。

    右下のライオンは、ボヘミア王、すなわちチェコ王家のものです。
    確かにハンガリー史をひもとくと、アールバード王朝が断絶した後にハンガリーを支配した王の中にルクセンブルグ家のジグモント王がいて、彼はドイツやチェコの王も兼ね、神聖ローマ皇帝の地位にも就いています。
    ちなみに、チェコ史とのかかわりでいえば、宗教改革の先駆けのヤン・フスを処刑したのはこのジグモント王です。
    マーチャーシュ王の紋章にボヘミアの紋章が合体しているのは、彼がオスマン・トルコをハンガリー南部でそれ以上の侵入を食い止めた後に、チェコとモラヴィア地方を占領したからでしょう。
    マーチャーシュ王は一時、ウィーンも占領して手中に収めています。
    彼はルネサンス君主として有名ですが、領土の規模でいっても、ハンガリー史の最盛期の1つを謳歌した王といえましょう。
    マーチャーシュ王は在位1458〜1490年の王なので、西欧諸国は、まだまだ後進国だった時期です。
    東欧諸国はこのように西欧より先に時代の栄華を極めたのですが、その後、それまで後進国だった西欧諸国に追い越されてしまうのです。

    左下のダルマチアは、現クロアチアのことですね。
    ハンガリーがクロアチアの地を失い、クロアチアが独立を果たしたのは、第一次大戦後の1920年のトリアノン条約によってです。
    ちなみに、トリアノン条約によって、ハンガリーはクロアチアだけでなく、チェコにもルーマニアにもスロヴァキアにも領土を割譲させられます。
    その結果、ハンガリーの領土は3分の1になってしまいました。
    その失われた領土を取り戻してくれるとの約束を当てにして、第一次大戦のときにはナチス・ドイツ側につくのです。
    それに比べ、今回の旅行先のルーマニアは、近代までの歴史はハンガリー史に比べるとパッとしない印象があったのですが、2度の大戦で結果的にどちらも戦勝国側についていました(正確には、第二次大戦時は、途中から連合国側につきました)。
    たとえは悪いですが、ハンガリーはどちらも賭けに負け、ルーマニアはどちらも賭けに勝ったといえるのではないでしょうか。
    この対比もなかなか興味深いと思いました。

    マーチャーシュ教会の外観の写真は撮りませんでした。
    修復中で外側が一部、工事用のプレハブで覆われていたりして写真映えしそうになかったのです。
    それに2004年に撮っているので、撮らなくていいやと思いました。

    内部の写真も、あんまり薄暗いので、さすがにデジカメでも良く写りそうにないのでやめました。
    全体的な雰囲気には再訪でもとても感動したのですが、それはとても写真には収めきれません。
    かえって、感動した美しい記憶が損なわれるだろうと思いました。

    マーチャーシュ教会の外観の写真は、2年前のものをご覧ください。
    屋根はきっとジョルナイ・タイルでしょう。
    初めて訪れた衝撃と感動のため、感想も2年前の方が詳しいです@

    関連の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10505094/
    関連の旅行記
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10038942/

  • マーチャーシュ教会の宝物館にあったハンガリーの聖なる王冠のレプリカ<br /><br />これももう一度じっくり見たいと思っていました。<br />2年前は、なぁーんだ、レプリカじゃん!<br />と思ったのですが、すごく良くできているんです。<br />それに、国会議事堂の本物は、近くでじっくり眺めることはできませんでしたから。<br /><br />このレプリカを作るにあたって、聖なる王冠の研究結果や解説のようなものが部屋に展示されていました。<br />2年前はあまり興味がなかったのですが、今回は興味が沸いたため、展示をじっくり読むよりその内容が書かれていると思われる2003年刊行の “The Holy Crown of Hungary”という冊子をマーチャーシュ教会のギフトショップで買いました。<br />値段は1,000フォーリントでした。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br /><br />この冊子は写真もとてもきれいです。内容も後でざっと読みましたが、なかなか興味深かったです。<br />以下はその内容からの抄訳のようなものです。<br /><br />聖なる王冠は、ハンガリーの昔の法典では、王その人と王冠が示す王権とは別の存在で、王はあくまで聖なる王冠を通じて王権と統治権を授かるということになっていたそうです。<br />その顕著な例として、王冠の名の下に投獄された王もいるくらいです(ルクセンブルク家のジグムント王)。<br /><br />聖なる王冠についての一番古い伝説は、1000年にローマ教皇から初代国王イシュトヴァーンに贈られ、イシュトヴァーン王のエステルゴムの戴冠式のときにかぶられたというものです。<br /><br />ただし、この王冠は、エナメル象眼でビザンチン皇帝の肖像が描かれた下のギリシャ風の王冠部分と、上の十字に交差し、斜めになった十字架が乗っているラテン風の王冠部分とが合体してできたもので、上の部分だけがイシュトヴァーン王と関わりがある部分ではないかとの研究結果もあるようです。<br /><br />聖なる王冠についての研究が最初に始められたのは、1790年にハプスブルグ家のレオポルド2世がウィーンに持ち帰ったときからだそうです。<br />一番最近の研究は、1978年にアメリカからハンガリーに返還されてからです。<br /><br />聖なる王冠が作られた時期については、諸説あって、5世紀から15世紀までと幅広<br />く、ずっと信じられてきた伝説、すなわち1000年にローマ教皇から贈られたという説を完全に否定する材料はないようです。<br /><br />象眼で描かれている像は、下のギリシャ王冠には、全能の支配者たるイエス・キリスト、受胎告知の天使ガブリエル、最後の審判の天使ミカエル、聖ジョージ、聖デメトル、聖コズマ、聖ダミアン。<br />それから世俗の王が3名:キリスト教を信仰したビザンチン皇帝ミカエル・デュカス(Michael Ducas)とその息子のコンスタニイネ(Constanine)。同じくキリスト教を信仰したトルコのゲオヴィカス(Geobicas)。このトルコの王は、昔西欧ではハンガリー人をトルコ人といっしょくたにしていたので、イシュトヴァーン王の父ゲーザ公のことではないかという説もあるようです。ギリシャ文字でそれぞれ名前も書かれています。<br />ただしこの世俗の3名の王の部分は後から入れ直した細工の後があるので、デュカス王の部分は、当初は、イエス・キリストと対をなすようにマリア像が描かれていたのではないかといわれています。<br /><br />上のラテン王冠部分には、キリスト、それから教会の礎であり印の鍵を手にしている使徒ペテロ、福音書書記者でもあるヨハネ、宣教師パウロ、大ヤコブ、アンドリュー、フィリップ、トマ、バーソミュローですが、バーソミュローはかなり昔に破損してしまったため、レプリカでも復元されていません。それがバーソミュローだと分かったのは、それぞれみなラテン文字で名前が書かれていたからです。<br /><br />写真では、ちょっと見づらいですが、下のビザンチン風の部分の「全能の支配者たるイエス・キリスト」のエナメル象眼の絵を中心に写しました。<br />私のように冊子を買うまでもなく、壁の天使や聖人の絵の拡大写真をぜひご覧になってください。<br />なかなか可愛いですよ@

    マーチャーシュ教会の宝物館にあったハンガリーの聖なる王冠のレプリカ

    これももう一度じっくり見たいと思っていました。
    2年前は、なぁーんだ、レプリカじゃん!
    と思ったのですが、すごく良くできているんです。
    それに、国会議事堂の本物は、近くでじっくり眺めることはできませんでしたから。

    このレプリカを作るにあたって、聖なる王冠の研究結果や解説のようなものが部屋に展示されていました。
    2年前はあまり興味がなかったのですが、今回は興味が沸いたため、展示をじっくり読むよりその内容が書かれていると思われる2003年刊行の “The Holy Crown of Hungary”という冊子をマーチャーシュ教会のギフトショップで買いました。
    値段は1,000フォーリントでした。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)

    この冊子は写真もとてもきれいです。内容も後でざっと読みましたが、なかなか興味深かったです。
    以下はその内容からの抄訳のようなものです。

    聖なる王冠は、ハンガリーの昔の法典では、王その人と王冠が示す王権とは別の存在で、王はあくまで聖なる王冠を通じて王権と統治権を授かるということになっていたそうです。
    その顕著な例として、王冠の名の下に投獄された王もいるくらいです(ルクセンブルク家のジグムント王)。

    聖なる王冠についての一番古い伝説は、1000年にローマ教皇から初代国王イシュトヴァーンに贈られ、イシュトヴァーン王のエステルゴムの戴冠式のときにかぶられたというものです。

    ただし、この王冠は、エナメル象眼でビザンチン皇帝の肖像が描かれた下のギリシャ風の王冠部分と、上の十字に交差し、斜めになった十字架が乗っているラテン風の王冠部分とが合体してできたもので、上の部分だけがイシュトヴァーン王と関わりがある部分ではないかとの研究結果もあるようです。

    聖なる王冠についての研究が最初に始められたのは、1790年にハプスブルグ家のレオポルド2世がウィーンに持ち帰ったときからだそうです。
    一番最近の研究は、1978年にアメリカからハンガリーに返還されてからです。

    聖なる王冠が作られた時期については、諸説あって、5世紀から15世紀までと幅広
    く、ずっと信じられてきた伝説、すなわち1000年にローマ教皇から贈られたという説を完全に否定する材料はないようです。

    象眼で描かれている像は、下のギリシャ王冠には、全能の支配者たるイエス・キリスト、受胎告知の天使ガブリエル、最後の審判の天使ミカエル、聖ジョージ、聖デメトル、聖コズマ、聖ダミアン。
    それから世俗の王が3名:キリスト教を信仰したビザンチン皇帝ミカエル・デュカス(Michael Ducas)とその息子のコンスタニイネ(Constanine)。同じくキリスト教を信仰したトルコのゲオヴィカス(Geobicas)。このトルコの王は、昔西欧ではハンガリー人をトルコ人といっしょくたにしていたので、イシュトヴァーン王の父ゲーザ公のことではないかという説もあるようです。ギリシャ文字でそれぞれ名前も書かれています。
    ただしこの世俗の3名の王の部分は後から入れ直した細工の後があるので、デュカス王の部分は、当初は、イエス・キリストと対をなすようにマリア像が描かれていたのではないかといわれています。

    上のラテン王冠部分には、キリスト、それから教会の礎であり印の鍵を手にしている使徒ペテロ、福音書書記者でもあるヨハネ、宣教師パウロ、大ヤコブ、アンドリュー、フィリップ、トマ、バーソミュローですが、バーソミュローはかなり昔に破損してしまったため、レプリカでも復元されていません。それがバーソミュローだと分かったのは、それぞれみなラテン文字で名前が書かれていたからです。

    写真では、ちょっと見づらいですが、下のビザンチン風の部分の「全能の支配者たるイエス・キリスト」のエナメル象眼の絵を中心に写しました。
    私のように冊子を買うまでもなく、壁の天使や聖人の絵の拡大写真をぜひご覧になってください。
    なかなか可愛いですよ@

  • 王宮の丘の漁夫の砦<br /><br />本日の撮影枚数は100枚を超えたかと思っていましたが、よく見たらまだ68枚だったので、心置きなく写真を撮りました。<br />でも、一日70枚くらいに抑えないと、日程後半3分の1のルーマニアの分のメモリが足らなくなるかもしれないのです。<br />昨日は調子づいてたくさん写真を撮りました。<br />今日も博物館の中の写真が撮れるというので、好きなだけ撮ってしまいました。<br />枚数を抑えるために、本当にこの写真をとっておきたいか自問して、少しでも気に食わないとどんどん削除するようにしましたが……でもやっぱりどうしても思い入れのある写真は捨てられず、いまのところ平均枚数オーバーが続いています。<br />といってもまだ3日目なので、どこかで挽回できるでしょう。<br /><br />漁夫の砦の写真も2年前の2004年に撮っているので控えようと思ったのですが、このアングルが気に入ったので撮りました。<br />再訪であっても、やはり何度見ても素敵なところは素敵ですもの。<br />これでも何枚か撮ったのですが、気に入ったものに絞ったら、一枚だけ残りました。

    王宮の丘の漁夫の砦

    本日の撮影枚数は100枚を超えたかと思っていましたが、よく見たらまだ68枚だったので、心置きなく写真を撮りました。
    でも、一日70枚くらいに抑えないと、日程後半3分の1のルーマニアの分のメモリが足らなくなるかもしれないのです。
    昨日は調子づいてたくさん写真を撮りました。
    今日も博物館の中の写真が撮れるというので、好きなだけ撮ってしまいました。
    枚数を抑えるために、本当にこの写真をとっておきたいか自問して、少しでも気に食わないとどんどん削除するようにしましたが……でもやっぱりどうしても思い入れのある写真は捨てられず、いまのところ平均枚数オーバーが続いています。
    といってもまだ3日目なので、どこかで挽回できるでしょう。

    漁夫の砦の写真も2年前の2004年に撮っているので控えようと思ったのですが、このアングルが気に入ったので撮りました。
    再訪であっても、やはり何度見ても素敵なところは素敵ですもの。
    これでも何枚か撮ったのですが、気に入ったものに絞ったら、一枚だけ残りました。

  • 【3631】<br />夕方のやわらかな陽を浴びた、三位一体広場の聖イシュトヴァーンの騎馬像<br /><br />広場の騎馬像なんてお約束な写真を撮っても……と思うのですが、撮りたくなるものですね。<br />記憶にあったのよりも、ずっとかっこいいと思いました。<br />その格好良さと迫力がどこまで写真に収められるか。<br />背景に漁夫の砦のとんがり頭の1つを入れてみました。<br /><br />騎馬像のイシュトヴァーンはアールパード家の紋章に使われていたダブル・クロスを掲げています。<br /><br />おまけ<br />2004年に撮った三位一体広場の写真<br />http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/10/03/88/src_10038899.jpg?00000000000000<br />関連の旅行記<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10031269/<br />王宮地下迷宮の迷冒険記!あり。

    【3631】
    夕方のやわらかな陽を浴びた、三位一体広場の聖イシュトヴァーンの騎馬像

    広場の騎馬像なんてお約束な写真を撮っても……と思うのですが、撮りたくなるものですね。
    記憶にあったのよりも、ずっとかっこいいと思いました。
    その格好良さと迫力がどこまで写真に収められるか。
    背景に漁夫の砦のとんがり頭の1つを入れてみました。

    騎馬像のイシュトヴァーンはアールパード家の紋章に使われていたダブル・クロスを掲げています。

    おまけ
    2004年に撮った三位一体広場の写真
    http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/10/03/88/src_10038899.jpg?00000000000000
    関連の旅行記
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10031269/
    王宮地下迷宮の迷冒険記!あり。

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  • パパスさん 2006/11/28 21:13:34
    漁夫の砦!
    漁夫の砦、やっぱり素敵なアングルですね。
    何度見ても、何度写真を撮ってもまた撮りたくなる!
    その気持ちよく分かります。
    パパスも何度も旅行している場所でも一応写真は撮ってしまいますね。
    それと数枚写した写真は、角度を変えて撮っているので、ツイツイ同じ様な写真を旅行記にUPしてしまっているのです。
    これは貧乏性だからですかねぇ?
    1枚の写真で全てを伝える事が出来ないパパスです。
    これから勉強ですね。

    今回の旅行では1日の写真の撮影枚数まで管理されてたのですか?
    凄い肌理が細かいですね。
    関心です。

    パパスにはその様な管理は出来ないので、年末のマルタにはメモリーカードを余分に持って行くようにします。

    パパス。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/11/29 02:03:23
    RE: 漁夫の砦!
    パパスさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    パハスさんも、前にも写真を撮ってもまた撮ってしまいますか?
    そうですよね、そうですよね、そうですよね@@
    私もいろんなアングルで撮ります。
    ビデオではないので、いろんなアングルを撮らないと、その魅力は表現しきれないってやっはり思います。
    ならビデオがいいかというと、写真は写真の良さがありますものね。
    特定のアングルで撮ることで、写真独特の面白さが出るのもすごくイイです。
    花の写真でそういうことはさんざんやって楽しんできましたが、今回、はじめてのデジカメ持参の海外旅行では、花の写真を撮るときのように気に入った被写体を何枚何枚も撮るだろうなぁと自分でもわかっていました@
    1枚くらいに絞ったのもありますが、この先、アングルをちょっと変えただけでしつこく撮った写真もアップしてしまいまーす。

    枚数管理は、思った以上に撮るので、メモリが心配になったんです。
    1日に70枚も撮らないだろうと思ったら軽く超えてしまうんですもの。
    実際、フィルムカメラのときも、最初の方だけどんどん撮り、あとの方は残りの枚数から、撮るのに慎重になるしかなかったことがよくありました。
    漁夫の砦のところでまだ68枚だった!というのは、まだ一日の枚数をオーバーしていないので、漁夫の砦の写真がとってもいいんだ!と思ったのがすごく嬉しくて、日記にきちんとそう書いておいたんですわ@@
    1日の枚数は、ホテルに戻った後、あるいは翌日に、液晶の表示で確認して、これもノートにメモしておきました。
    日ごとの枚数推移をみるのも、なかなか楽しかったものですから@

    ババスさんのマルタの写真、楽しみです。
    私も行きました。1995年に。そのときの写真をアップしたいけど、まだまだ今回の旅行記の先が長いです。

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