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2006/10/10(火)第3日目:ブダペスト<br />国会議事堂ツアー(再訪)、民族博物館、王宮の丘の軍事歴史博物館・マジパン博物館・マーチャーシュ教会(再訪)・三位一体広場と漁夫の砦(再訪)、ブダ側から夜景撮影<br /><br />政治音痴なので詳しいことはわかりませんが、9月17日に発生した首相の退陣を求めるデモが暴徒化したというニュースを見て、飛び上がりました。<br />私が気付いたのは2日後くらいでしたが、その後も国会議事堂やハンガリーテレビ本社前あたりは不穏な動きがあったようで、住民や観光客はくれぐれもご注意ください、と注意を促しているサイトもありました。<br />さらに、ハンガリー観光案内所のHPでは、このため国会議事堂のツアーは中止となったとのお知らせがありました。<br /><br />えええーっ!<br /><br />まだ先だけど、私は10月8日からブダペストに行くのよぉ。<br />国会議事堂は再訪問したいと思っていたのに、なんたること!<br />国会議事堂に行けなかったらどうしましよう。<br />そもそも、ブダペストが危ないなんてことになったらどうしよう、しくしくしく。<br /><br />その後、デモは長期化しましたが、当初騒ぎを起こしたのは、デモに乗じた一部の不満分子で、むしろ大半の人たちはまじめにデモをしており、国会議事堂前にテントを構え、どこかピクニックのような穏やかな雰囲気になったそうです。<br />昼間は国会議事堂前も交通規制もなくなり、住民も観光客もふつうに出歩くことができるようになったそうですし、ブダペストといっても広いですから、ブダペスト在住の方の中には、このデモ騒ぎにとんと気付かず過ごしていた方もいたようです。<br /><br />このあたりの時期は、日本では次期首相候補のことで連日ニュースをにぎわせていたはずですが、私はといえば、日本のことよりハンガリーの政治ニュースの方が気になって仕方がありませんでした。<br /><br />デモ騒ぎについては、ハンガリー動乱後50年記念に絡んだ意味があるだのいろいろ言われていたようですが、どうも野党による与党攻撃に利用されただけの様相もなきにしもあらずとか。<br />案の定というか、10月1日の地方選挙で与党は惨敗したとのこと。<br />でも私の関心は、それがブダペストの治安に影響あるかなぁってことばかり。<br /><br />このようにニュースやハンガリー観光や在住の方のHPやブログをチェックしながら、国会議事堂再訪の夢、それから夜間の外出はなるべく控えるためにオペラ座での観劇はあきらめるしかないかなぁと鬱々としていました。<br />オペラは、せっかくいいのが見られそうだと喜んでいたばかりだったのに、しくしくしく。<br /><br />しかし、国会議事堂については、ハンガリー観光案内所のHPをチェックしていると、個人ではなく現地催行のツアーでなら見学を受け入れ始めた様子。<br />そのうちに個人の見学者も受け入れるようになったのか、あくまで現地催行のバスツアーの利用を「お薦めします」という表現になりました。<br />ハンガリー国会議事堂のHPを調べても、見学案内がふつうに掲載されていました。<br /><br />でも、念のために現地ツアーをネットで下調べしました。<br />初ブダペストの2年前も現地催行のバスツアーで国会議事堂を見学したのですが、そのときは市内ツアーと一緒のツアーだったのです。だから今回は個人で見学するつもりでした。<br />現地ツアーに参加して見学するのは構わないのですが、市内ツアーまでもう一度参加するのは気がすすまないので、国会議事堂だけのツアーがあるかどうかチェックしました。<br />そうしたらちゃんとあったのでホッとしました。<br />そのときから、国会議事堂見学は現地ツアーを利用することに決めたのも同然でした。<br />現地ツアーにすれば、たとえば万が一、急に情勢が変わってまた見学が中止になったりした場合、事前に連絡があるでしょうから、無駄足を踏まなくてすみます。<br />それに「地球の歩き方」に、個人で申し込む場合は英語ツアーは事前に予約した方がいい、とか、団体が優先されて待たされることがあるかもしれない、とか、ちょいと気になることが書かれてありますしね。<br /><br />ブダペストでは到着したその日に早速、深夜のチェックインのとき、レセプションの人が手続きをしているのを待っている間、レセプション・デスクにある現地ツアーのパンフレットをかき集めておいて目当てのツアーを探し、翌朝の朝食の後、レセプションを通じて国会議事堂だけのツアーを予約しました。<br /><br />参加したのはEUrama社のツアーで、参加できたのは希望の10月9日ではなく、10日となりました。<br />代金は5,000フォーリントでした。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br /><br />デモについてもだいぶ平穏になっていたので、もしかしたらこのあたりの日でしたら個人でも見学できたかもしれません。<br />でもホテルまで迎えが来るのでラクです。<br />ホテルの場所は地下鉄M2の一方の終点Ors vezer tere駅から徒歩5分という、やや郊外にあったためです。<br /><br />そうして念願の国会議事堂再訪を果たすことができました。<br /><br />その後は、デモのことなどすっかり忘れて、ブダペスト観光を満喫することができました。<br /><br />むしろハンガリー動乱追悼日の10月23日の方が騒ぎになっていたようですが、ブダペスト市内に厳しい警戒態勢がしかれ、警察の放水車や救急車が走り抜けるのを目にしていたのに、私は帰国した10月30日まで全くそのことに気付かずじまいでした。<br />留守宅で心配していた家族を安心させるために、<br />「たぶん(東京の)池袋で騒ぎがあったときに、私は新宿にいたようなもんじゃないかしら」<br />と答えたりして。<br />いまにして思えば、池袋で騒ぎがあったとたとえるなら、地下鉄ですぐお隣、歩いて15分くらいの東池袋あたりにいたことになると思いますけどね@<br /><br />夜間も、あまり感心できたことではありませんが、平然と出歩いていました。<br />その点でいえば、秋は日没が早く暗くなるのが早いことは、思った以上に私の観光の妨げにはなりませんでした。<br />最寄りの地下鉄駅からホテルまではあまり人の通らないやや寂しい住宅街でしたが、明るくなくても人の流れが十分あるうちにホテルに戻ったのは、10泊した中で、半分もなかったと思いますから。<br /><br />ブダペストの情勢やデモのその後の様子については、「旅の指さし会話帳ハンガリー語」の執筆にも携わった「さがみ」さんのHP「ハンガリー良いとこ一度はおいで」(www.szagami.com)に特にお世話になりました。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第3日目(1)ブダペスト:ハンガリー国会議事堂

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2006/10/10 - 2006/10/10

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まみ

まみさん

2006/10/10(火)第3日目:ブダペスト
国会議事堂ツアー(再訪)、民族博物館、王宮の丘の軍事歴史博物館・マジパン博物館・マーチャーシュ教会(再訪)・三位一体広場と漁夫の砦(再訪)、ブダ側から夜景撮影

政治音痴なので詳しいことはわかりませんが、9月17日に発生した首相の退陣を求めるデモが暴徒化したというニュースを見て、飛び上がりました。
私が気付いたのは2日後くらいでしたが、その後も国会議事堂やハンガリーテレビ本社前あたりは不穏な動きがあったようで、住民や観光客はくれぐれもご注意ください、と注意を促しているサイトもありました。
さらに、ハンガリー観光案内所のHPでは、このため国会議事堂のツアーは中止となったとのお知らせがありました。

えええーっ!

まだ先だけど、私は10月8日からブダペストに行くのよぉ。
国会議事堂は再訪問したいと思っていたのに、なんたること!
国会議事堂に行けなかったらどうしましよう。
そもそも、ブダペストが危ないなんてことになったらどうしよう、しくしくしく。

その後、デモは長期化しましたが、当初騒ぎを起こしたのは、デモに乗じた一部の不満分子で、むしろ大半の人たちはまじめにデモをしており、国会議事堂前にテントを構え、どこかピクニックのような穏やかな雰囲気になったそうです。
昼間は国会議事堂前も交通規制もなくなり、住民も観光客もふつうに出歩くことができるようになったそうですし、ブダペストといっても広いですから、ブダペスト在住の方の中には、このデモ騒ぎにとんと気付かず過ごしていた方もいたようです。

このあたりの時期は、日本では次期首相候補のことで連日ニュースをにぎわせていたはずですが、私はといえば、日本のことよりハンガリーの政治ニュースの方が気になって仕方がありませんでした。

デモ騒ぎについては、ハンガリー動乱後50年記念に絡んだ意味があるだのいろいろ言われていたようですが、どうも野党による与党攻撃に利用されただけの様相もなきにしもあらずとか。
案の定というか、10月1日の地方選挙で与党は惨敗したとのこと。
でも私の関心は、それがブダペストの治安に影響あるかなぁってことばかり。

このようにニュースやハンガリー観光や在住の方のHPやブログをチェックしながら、国会議事堂再訪の夢、それから夜間の外出はなるべく控えるためにオペラ座での観劇はあきらめるしかないかなぁと鬱々としていました。
オペラは、せっかくいいのが見られそうだと喜んでいたばかりだったのに、しくしくしく。

しかし、国会議事堂については、ハンガリー観光案内所のHPをチェックしていると、個人ではなく現地催行のツアーでなら見学を受け入れ始めた様子。
そのうちに個人の見学者も受け入れるようになったのか、あくまで現地催行のバスツアーの利用を「お薦めします」という表現になりました。
ハンガリー国会議事堂のHPを調べても、見学案内がふつうに掲載されていました。

でも、念のために現地ツアーをネットで下調べしました。
初ブダペストの2年前も現地催行のバスツアーで国会議事堂を見学したのですが、そのときは市内ツアーと一緒のツアーだったのです。だから今回は個人で見学するつもりでした。
現地ツアーに参加して見学するのは構わないのですが、市内ツアーまでもう一度参加するのは気がすすまないので、国会議事堂だけのツアーがあるかどうかチェックしました。
そうしたらちゃんとあったのでホッとしました。
そのときから、国会議事堂見学は現地ツアーを利用することに決めたのも同然でした。
現地ツアーにすれば、たとえば万が一、急に情勢が変わってまた見学が中止になったりした場合、事前に連絡があるでしょうから、無駄足を踏まなくてすみます。
それに「地球の歩き方」に、個人で申し込む場合は英語ツアーは事前に予約した方がいい、とか、団体が優先されて待たされることがあるかもしれない、とか、ちょいと気になることが書かれてありますしね。

ブダペストでは到着したその日に早速、深夜のチェックインのとき、レセプションの人が手続きをしているのを待っている間、レセプション・デスクにある現地ツアーのパンフレットをかき集めておいて目当てのツアーを探し、翌朝の朝食の後、レセプションを通じて国会議事堂だけのツアーを予約しました。

参加したのはEUrama社のツアーで、参加できたのは希望の10月9日ではなく、10日となりました。
代金は5,000フォーリントでした。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)

デモについてもだいぶ平穏になっていたので、もしかしたらこのあたりの日でしたら個人でも見学できたかもしれません。
でもホテルまで迎えが来るのでラクです。
ホテルの場所は地下鉄M2の一方の終点Ors vezer tere駅から徒歩5分という、やや郊外にあったためです。

そうして念願の国会議事堂再訪を果たすことができました。

その後は、デモのことなどすっかり忘れて、ブダペスト観光を満喫することができました。

むしろハンガリー動乱追悼日の10月23日の方が騒ぎになっていたようですが、ブダペスト市内に厳しい警戒態勢がしかれ、警察の放水車や救急車が走り抜けるのを目にしていたのに、私は帰国した10月30日まで全くそのことに気付かずじまいでした。
留守宅で心配していた家族を安心させるために、
「たぶん(東京の)池袋で騒ぎがあったときに、私は新宿にいたようなもんじゃないかしら」
と答えたりして。
いまにして思えば、池袋で騒ぎがあったとたとえるなら、地下鉄ですぐお隣、歩いて15分くらいの東池袋あたりにいたことになると思いますけどね@

夜間も、あまり感心できたことではありませんが、平然と出歩いていました。
その点でいえば、秋は日没が早く暗くなるのが早いことは、思った以上に私の観光の妨げにはなりませんでした。
最寄りの地下鉄駅からホテルまではあまり人の通らないやや寂しい住宅街でしたが、明るくなくても人の流れが十分あるうちにホテルに戻ったのは、10泊した中で、半分もなかったと思いますから。

ブダペストの情勢やデモのその後の様子については、「旅の指さし会話帳ハンガリー語」の執筆にも携わった「さがみ」さんのHP「ハンガリー良いとこ一度はおいで」(www.szagami.com)に特にお世話になりました。

  • ハンガリー国会議事堂<br /><br />議事堂内部を案内してくれたガイド(もちろん、現地催行バスツアーガイドとは別の人)が、「こんな小さな国にこんな大きな国会議事堂」と謙遜していましたが、ハンガリー国土が今の3倍はあり、ブダペストが最も繁栄を謳歌し、急速に発展した時代を体現している1つがこの国会議事堂です。<br />前から見ても後ろから見ても横から見ても優美な姿@<br /><br />1885〜1904年建築<br />「ネオ・ゴシックを基調にルネサンスを加味した折衷様式で、尖塔付きのドーム、連続アーチと林立するピナクルが華麗。内部では明るく採光された軽やかなクーポラ、金で彩られたレースのような繊細なリブが見所」<br />(「世界の建築・街並みガイド5」エクスナレッジ発行より)<br /><br />この写真は、国会議事堂見学が終わった後に、道路挟んで民族博物館のある歩道から撮ったものです。<br />このとき、議事堂前では、ポップでロックな音楽が大音響で流れていました。<br />歌詞はわからないのでどういう内容の歌かわからないのですが、デモの話を聞いていなかったら、私はきっと呑気に、今、国会議事堂前でお祭りをやっているんだ〜!と思ったに違いありません。

    ハンガリー国会議事堂

    議事堂内部を案内してくれたガイド(もちろん、現地催行バスツアーガイドとは別の人)が、「こんな小さな国にこんな大きな国会議事堂」と謙遜していましたが、ハンガリー国土が今の3倍はあり、ブダペストが最も繁栄を謳歌し、急速に発展した時代を体現している1つがこの国会議事堂です。
    前から見ても後ろから見ても横から見ても優美な姿@

    1885〜1904年建築
    「ネオ・ゴシックを基調にルネサンスを加味した折衷様式で、尖塔付きのドーム、連続アーチと林立するピナクルが華麗。内部では明るく採光された軽やかなクーポラ、金で彩られたレースのような繊細なリブが見所」
    (「世界の建築・街並みガイド5」エクスナレッジ発行より)

    この写真は、国会議事堂見学が終わった後に、道路挟んで民族博物館のある歩道から撮ったものです。
    このとき、議事堂前では、ポップでロックな音楽が大音響で流れていました。
    歌詞はわからないのでどういう内容の歌かわからないのですが、デモの話を聞いていなかったら、私はきっと呑気に、今、国会議事堂前でお祭りをやっているんだ〜!と思ったに違いありません。

  • オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のハンガリーと第一次世界大戦後のトリアノン条約による領土喪失<br /><br />2004年に国立博物館のギフトショップで買った「ハンガリー小史」日本語版に掲載されている図です。<br /><br />真ん中の黄緑部分がほぼ現在のハンガリーで、その周辺の紫の部分を合わせた、今より3倍の国土で、中欧における大国を誇っていたときに、ハンガリー国会議事堂が建てられました。<br /><br />ハンガリーが今の3倍!<br />と聞いたときは、いったいどこにそんなに土地があったの!?<br />と思いましたが、この図を見て納得しました。

    オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のハンガリーと第一次世界大戦後のトリアノン条約による領土喪失

    2004年に国立博物館のギフトショップで買った「ハンガリー小史」日本語版に掲載されている図です。

    真ん中の黄緑部分がほぼ現在のハンガリーで、その周辺の紫の部分を合わせた、今より3倍の国土で、中欧における大国を誇っていたときに、ハンガリー国会議事堂が建てられました。

    ハンガリーが今の3倍!
    と聞いたときは、いったいどこにそんなに土地があったの!?
    と思いましたが、この図を見て納得しました。

  • 国会議事堂前<br /><br />奥の方にチラッとデモ隊のテントがあるのがわかるでしょうか。<br />デモのことを知らなければ、きっと私は、出店か、あるいは何かの仮設のオフィスでもあるのかしら、と思ったに違いありません。

    国会議事堂前

    奥の方にチラッとデモ隊のテントがあるのがわかるでしょうか。
    デモのことを知らなければ、きっと私は、出店か、あるいは何かの仮設のオフィスでもあるのかしら、と思ったに違いありません。

  • 国会議事堂内部<br /><br />この階段を上るところから見学開始です。<br />柱の金の模様もなかなか素敵です。<br /><br />ちなみに、国会議事堂はハンガリー語でOrszaghaz(オルサーグハーズ)といいます。<br />ハンガリー語ってむずかしいです。<br />ヨーロッパ語系ではないので、英語だのフランス語だのドイツ語だのの単語からの連想がきかないのです。<br />ソ連支配が長かったため、発音さえ聞けば、ロシア語と似ているのはないこともないですが。<br />このOrszaghazという単語も、どこで区切ってよいか、最初はさっぱり分かりませんでした。<br />連想できる似た単語なく、まるで記号のようです。<br />おかげで、オルサーグハーズなのかオルハーグサーズなのか、何度も混乱し、なかなか覚えられませんでした。<br />末尾のhazが要するにhouseという意味らしいということに、2年前の2004年の初ブダペストの最終日(5日目)にして、やっと気付きました。<br />なので今回は大丈夫です@<br /><br />でも。。。ブダペスト観光をしていると出会うたいていの人は英語が通じますから、Parliamentですんでしまいますけどね。

    国会議事堂内部

    この階段を上るところから見学開始です。
    柱の金の模様もなかなか素敵です。

    ちなみに、国会議事堂はハンガリー語でOrszaghaz(オルサーグハーズ)といいます。
    ハンガリー語ってむずかしいです。
    ヨーロッパ語系ではないので、英語だのフランス語だのドイツ語だのの単語からの連想がきかないのです。
    ソ連支配が長かったため、発音さえ聞けば、ロシア語と似ているのはないこともないですが。
    このOrszaghazという単語も、どこで区切ってよいか、最初はさっぱり分かりませんでした。
    連想できる似た単語なく、まるで記号のようです。
    おかげで、オルサーグハーズなのかオルハーグサーズなのか、何度も混乱し、なかなか覚えられませんでした。
    末尾のhazが要するにhouseという意味らしいということに、2年前の2004年の初ブダペストの最終日(5日目)にして、やっと気付きました。
    なので今回は大丈夫です@

    でも。。。ブダペスト観光をしていると出会うたいていの人は英語が通じますから、Parliamentですんでしまいますけどね。

  • 国会議事堂内<br /><br />ツアー開始前にシャンデリアの1つ、写真に収めました。<br />金箔の柱頭も豪華です。

    国会議事堂内

    ツアー開始前にシャンデリアの1つ、写真に収めました。
    金箔の柱頭も豪華です。

  • 国会議事堂の大階段<br /><br />ある意味ここが一番壮大でかっこよかったですね。<br />これからハンガリー王冠のある広間に向かうのですが、後ろを振り返って撮りました。<br />私たちは真ん中のアーチから入ってきました。

    国会議事堂の大階段

    ある意味ここが一番壮大でかっこよかったですね。
    これからハンガリー王冠のある広間に向かうのですが、後ろを振り返って撮りました。
    私たちは真ん中のアーチから入ってきました。

  • 国会議事堂の大階段の天井<br /><br />天井画を描いたのは、ハンガリーを代表するロツ・カーロイという画家だそうです。<br />この議事堂は全ての材料がハンガリー産で、内装などに携わった者も皆ハンガリー人であることがガイドの説明で強調されていました。<br /><br />しかし、思ったより薄暗いので、昨日の夜景みたいに三脚を使ってスローシンクロ・モードのフラッシュで写真を撮りたいところです。

    国会議事堂の大階段の天井

    天井画を描いたのは、ハンガリーを代表するロツ・カーロイという画家だそうです。
    この議事堂は全ての材料がハンガリー産で、内装などに携わった者も皆ハンガリー人であることがガイドの説明で強調されていました。

    しかし、思ったより薄暗いので、昨日の夜景みたいに三脚を使ってスローシンクロ・モードのフラッシュで写真を撮りたいところです。

  • ハンガリーの聖なる王冠<br /><br />最大ズームにしてこの大きさです。<br />ちょぃとブレているのはお愛嬌。<br /><br />私がお腹に抱えているタウンバックが大きいので、写真を撮るためにちょいと乗り出したら、荷物だけ進入禁止のロープを越えてしまって、注意されてしまいましたよ@<br /><br />この王冠のレプリカが王宮のマーチャーシュ教会にあるので、近くでじっくり眺めるのはそちらを楽しみにするとしましょう。<br /><br />レプリカの写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11491766/<br />関連の旅行記<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10104710/<br /><br />国立博物館で買った冊子「ハンガリー歴史アルバム」によると、聖イシュトヴァーンがキリスト教導入を決定する前に、ローマ・カトリック教皇とビザンチン皇帝の両方から王冠を贈られたそうです。<br />この「ハンガリーの聖なる王冠」は、最終的にはローマ教皇より贈られたものと伝えられています。<br /><br />この王冠は1918年、ハンガリー王国解体まで使用されました。<br />第二次世界大戦後、国外に持ち去られ、長い間アメリカに保管されていましたが、1978年にカーター大統領の決定によりハンガリーに返還されました。<br />当初は国立博物館にあったそうですが、2000年からこの国会議事堂に移転されたそうです。<br /><br />てっぺんの十字架が曲がっているのは、2年前のバスツアーガイドは、昔、王冠が騒動で行方不明になって再び見つかったときにはひん曲がってしまっていたが、これを元に戻すのに失敗したりしたら、と誰もが恐れ多く修復したがらなかったので、そのままになってしまった、などと説明してくれました。<br />今回は、戦時中、ブダペストが攻撃されたとき、これを安全なところに避難させようとした者が用意した入れ物が少し小さくて、無理していれたら曲がってしまったせいだ、とか、イシュトヴァーン王はキリスト教の導入を決めたとはいえ、キリスト教や西欧のことに詳しいわけではないので、十字架とはこのように曲がっているものだと思い込んでそのまま使ったのだ、などと冗談だか本気だかわからない説明を聞きました(議事堂のガイド以外からも)。<br />諸説あるということでしょう。

    ハンガリーの聖なる王冠

    最大ズームにしてこの大きさです。
    ちょぃとブレているのはお愛嬌。

    私がお腹に抱えているタウンバックが大きいので、写真を撮るためにちょいと乗り出したら、荷物だけ進入禁止のロープを越えてしまって、注意されてしまいましたよ@

    この王冠のレプリカが王宮のマーチャーシュ教会にあるので、近くでじっくり眺めるのはそちらを楽しみにするとしましょう。

    レプリカの写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11491766/
    関連の旅行記
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10104710/

    国立博物館で買った冊子「ハンガリー歴史アルバム」によると、聖イシュトヴァーンがキリスト教導入を決定する前に、ローマ・カトリック教皇とビザンチン皇帝の両方から王冠を贈られたそうです。
    この「ハンガリーの聖なる王冠」は、最終的にはローマ教皇より贈られたものと伝えられています。

    この王冠は1918年、ハンガリー王国解体まで使用されました。
    第二次世界大戦後、国外に持ち去られ、長い間アメリカに保管されていましたが、1978年にカーター大統領の決定によりハンガリーに返還されました。
    当初は国立博物館にあったそうですが、2000年からこの国会議事堂に移転されたそうです。

    てっぺんの十字架が曲がっているのは、2年前のバスツアーガイドは、昔、王冠が騒動で行方不明になって再び見つかったときにはひん曲がってしまっていたが、これを元に戻すのに失敗したりしたら、と誰もが恐れ多く修復したがらなかったので、そのままになってしまった、などと説明してくれました。
    今回は、戦時中、ブダペストが攻撃されたとき、これを安全なところに避難させようとした者が用意した入れ物が少し小さくて、無理していれたら曲がってしまったせいだ、とか、イシュトヴァーン王はキリスト教の導入を決めたとはいえ、キリスト教や西欧のことに詳しいわけではないので、十字架とはこのように曲がっているものだと思い込んでそのまま使ったのだ、などと冗談だか本気だかわからない説明を聞きました(議事堂のガイド以外からも)。
    諸説あるということでしょう。

  • ハンガリーの聖なる王冠のあるドームの天井<br /><br />お星さまの輝きのようです。<br />なんとなくアルハンブラ宮殿を連想しましたが、ちょっとかけ離れているでしょうか。<br />「世界の建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)いわく、「金で彩られたレースのような繊細なリブ」ですね。<br /><br />国会議事堂の建物全体に使われている金は22金(純金は24金)で40キロにもなるそうです。<br />ヨーロッパで3番目に大きい議事堂ですが(上位にロンドンの議事堂が入っていましたが、もう1つは忘れました)、一番金がかかっているそうです。

    ハンガリーの聖なる王冠のあるドームの天井

    お星さまの輝きのようです。
    なんとなくアルハンブラ宮殿を連想しましたが、ちょっとかけ離れているでしょうか。
    「世界の建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)いわく、「金で彩られたレースのような繊細なリブ」ですね。

    国会議事堂の建物全体に使われている金は22金(純金は24金)で40キロにもなるそうです。
    ヨーロッパで3番目に大きい議事堂ですが(上位にロンドンの議事堂が入っていましたが、もう1つは忘れました)、一番金がかかっているそうです。

  • 国会議事堂の議場<br /><br />大階段と王冠とこの議場が議事堂見学のハイライトといえるでしょう。<br />ここも実に華麗で豪華です。<br />当時の最新技術が導入され、セントラルヒーティング・システムが整っていたそうです。<br />議員席の前の金網のようなところから、温かい空気が流れてきます。

    国会議事堂の議場

    大階段と王冠とこの議場が議事堂見学のハイライトといえるでしょう。
    ここも実に華麗で豪華です。
    当時の最新技術が導入され、セントラルヒーティング・システムが整っていたそうです。
    議員席の前の金網のようなところから、温かい空気が流れてきます。

  • 国会議事堂の議場<br /><br />手前の柱も豪華ですし、議長や書記席も豪華です。<br />背後の紋章も1つ1つ意味があるのでしょうね。<br />壁画も近くで見たかった〜〜。<br />ああいうのに何が描かれているのか、というのはとても関心があるんだけどな。

    国会議事堂の議場

    手前の柱も豪華ですし、議長や書記席も豪華です。
    背後の紋章も1つ1つ意味があるのでしょうね。
    壁画も近くで見たかった〜〜。
    ああいうのに何が描かれているのか、というのはとても関心があるんだけどな。

  • 国会議事堂の議場と議事堂ガイドさん

    国会議事堂の議場と議事堂ガイドさん

  • 国会議事堂内部<br /><br />廊下の天井と壁の装飾<br />隅々まできめ細かく丁寧に装飾が施されています。

    国会議事堂内部

    廊下の天井と壁の装飾
    隅々まできめ細かく丁寧に装飾が施されています。

  • 議員のタバコ置きと窓のステンドグラス<br /><br />議場内は当初より禁煙なので、議員たちはタバコを廊下のこのタバコ置きに置いていかなければなりませんでした。<br />でもみんなしてタバコを吸うので、どれがだれのタバコか分かるように、番号がついているのです。<br /><br />2年前の2000年の初ブダペストの国会議事堂見学のときにも、このタバコ置きだけは写真を撮りました。<br />今回は、窓のステンドグラスも一緒に入れてみました@

    議員のタバコ置きと窓のステンドグラス

    議場内は当初より禁煙なので、議員たちはタバコを廊下のこのタバコ置きに置いていかなければなりませんでした。
    でもみんなしてタバコを吸うので、どれがだれのタバコか分かるように、番号がついているのです。

    2年前の2000年の初ブダペストの国会議事堂見学のときにも、このタバコ置きだけは写真を撮りました。
    今回は、窓のステンドグラスも一緒に入れてみました@

  • こちらが、2004年の初ブダペストのときの国会議事堂見学で撮った写真です。<br />議員のタバコ置き<br /><br />当時はフィルムカメラで、室内の写真はきれい撮れないとわかっていたので、これが唯一、国会議事堂内で撮った写真です。<br />ちなみにこのタバコ置きは廊下の窓のところにあります。<br />だって中の議場が禁煙なんですものね。

    こちらが、2004年の初ブダペストのときの国会議事堂見学で撮った写真です。
    議員のタバコ置き

    当時はフィルムカメラで、室内の写真はきれい撮れないとわかっていたので、これが唯一、国会議事堂内で撮った写真です。
    ちなみにこのタバコ置きは廊下の窓のところにあります。
    だって中の議場が禁煙なんですものね。

  • 国会議事堂の廊下の柱<br /><br />そうそう、こんな風に廊下のすみずみまで金箔の浮彫り模様が施されていたんですよね。<br /><br />国会議事堂は、見学は2度目ですし、だいたい次にどんな部屋が来るか覚えていたので、豪華さや規模に対する驚きは少なかったですが、代わりに落ち着いてゆっくり眺めることができたというかんじです。

    国会議事堂の廊下の柱

    そうそう、こんな風に廊下のすみずみまで金箔の浮彫り模様が施されていたんですよね。

    国会議事堂は、見学は2度目ですし、だいたい次にどんな部屋が来るか覚えていたので、豪華さや規模に対する驚きは少なかったですが、代わりに落ち着いてゆっくり眺めることができたというかんじです。

  • コッシュート・ラヨシュ広場のナジ・イムレ像<br /><br />国会議事堂のすぐ前がコシュート・ラヨシュ広場です。<br />2004年の初ブダペストから帰った後、「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)をあらためて読んだ後、今度またブダペストに行くことがあったら、このナジ・イムレ像はきちんと見に行って、写真を撮ろうと思っていました。<br /><br />ナジ・イムレは1956年のハンガリー動乱の責任をとらされる形で処刑された当時の首相です。<br />ハンガリーで起きた革命をソ連が装甲車でけちらしに来たとき、ナジはきちんと国連の手続きを踏んで国際社会に救いを求めたのですが、大国の都合の前に小国が無視された痛ましい事件の犠牲者といわれています。<br /><br />2004年にブダペストを訪れたときにも、ハンガリー史をざっと勉強しましたが、このあたりについてはあんまりよく分かっていなかったので、今回の下調べのポイントとしました。<br />そうでなくても、ハンガリー関連本で歴史に触れている本ではほぼ必ずハンガリー動乱についての記載があります。<br />特に今回のハンガリー滞在ではこのハンガリー動乱の追悼日ではある10月23日が予定に入っているので、その背景をぜひ知りたいと思いました。<br /><br />余談ですが、私がここ最近、東欧旅行に魅了されている理由の1つは、私が学生のときには世界史として全く触れられることなく、いままでほとんど知らなかった東欧の歴史の奥深さもあります。<br />旅行に行こうと思えば、おのずと歴史に関心を寄せることになりますから。<br /><br />ハンガリー史に触れたのはチェコ史と同時なのであくまでその比較ですが、ハンガリーもチェコもハプスブルグやソ連に対する独立・民族自決を目指して革命を繰り返した歴史であるのに、チェコは革命が失敗しつつもその指導者たちはチェコでは往々にして最初からプラス評価されているのに、ハンガリーの場合、指導者たちの功績は次への運動のステップとなっているのに、指導者たち本人はみな悲惨な最期を迎えている、というのが印象的でした。<br /><br />ナジ・イムレもそんな末路をたどった典型的な指導者の一人でした。<br /><br />ナジ・イムレはソ連の手の届かないところに避難していたのに、だまされて身柄を拘束され、処刑されましたが、彼の処刑はその後のカーダール政権の確立のための陰謀とも、カーダール政策はナジの政策を引き継いだものだったともいわれているそうです。<br />処刑されたナジは、1989年の体制変換でハンガリー事件の見直しが行われた後、1989年6月に名誉回復と再埋葬式が行われました。<br /><br />ナジ・イムレ像はすぐに見つかりました。<br />顔が見える正面よりこのアングルが気に入ったのでこう撮りましたが、このアングルのせいか、ナジ・イムレは、国会議事堂に対し、ちょっとすねたようにそっぽ向いているように見えてしまいました@

    コッシュート・ラヨシュ広場のナジ・イムレ像

    国会議事堂のすぐ前がコシュート・ラヨシュ広場です。
    2004年の初ブダペストから帰った後、「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)をあらためて読んだ後、今度またブダペストに行くことがあったら、このナジ・イムレ像はきちんと見に行って、写真を撮ろうと思っていました。

    ナジ・イムレは1956年のハンガリー動乱の責任をとらされる形で処刑された当時の首相です。
    ハンガリーで起きた革命をソ連が装甲車でけちらしに来たとき、ナジはきちんと国連の手続きを踏んで国際社会に救いを求めたのですが、大国の都合の前に小国が無視された痛ましい事件の犠牲者といわれています。

    2004年にブダペストを訪れたときにも、ハンガリー史をざっと勉強しましたが、このあたりについてはあんまりよく分かっていなかったので、今回の下調べのポイントとしました。
    そうでなくても、ハンガリー関連本で歴史に触れている本ではほぼ必ずハンガリー動乱についての記載があります。
    特に今回のハンガリー滞在ではこのハンガリー動乱の追悼日ではある10月23日が予定に入っているので、その背景をぜひ知りたいと思いました。

    余談ですが、私がここ最近、東欧旅行に魅了されている理由の1つは、私が学生のときには世界史として全く触れられることなく、いままでほとんど知らなかった東欧の歴史の奥深さもあります。
    旅行に行こうと思えば、おのずと歴史に関心を寄せることになりますから。

    ハンガリー史に触れたのはチェコ史と同時なのであくまでその比較ですが、ハンガリーもチェコもハプスブルグやソ連に対する独立・民族自決を目指して革命を繰り返した歴史であるのに、チェコは革命が失敗しつつもその指導者たちはチェコでは往々にして最初からプラス評価されているのに、ハンガリーの場合、指導者たちの功績は次への運動のステップとなっているのに、指導者たち本人はみな悲惨な最期を迎えている、というのが印象的でした。

    ナジ・イムレもそんな末路をたどった典型的な指導者の一人でした。

    ナジ・イムレはソ連の手の届かないところに避難していたのに、だまされて身柄を拘束され、処刑されましたが、彼の処刑はその後のカーダール政権の確立のための陰謀とも、カーダール政策はナジの政策を引き継いだものだったともいわれているそうです。
    処刑されたナジは、1989年の体制変換でハンガリー事件の見直しが行われた後、1989年6月に名誉回復と再埋葬式が行われました。

    ナジ・イムレ像はすぐに見つかりました。
    顔が見える正面よりこのアングルが気に入ったのでこう撮りましたが、このアングルのせいか、ナジ・イムレは、国会議事堂に対し、ちょっとすねたようにそっぽ向いているように見えてしまいました@

  • ブダ王宮の丘の漁夫の砦から眺めた国会議事堂<br /><br />これこそ私がブダペストに憧れた原点の眺めです。<br />2年前の2004年にもこうしてブダから見下ろす国会議事堂の写真を撮った覚えがあるのですが、重複したって構うものですか。<br /><br />ブダ側から国会議事堂を見下ろすのは、逆光にならない午後がベストです。<br /><br />でもあいかわらず一部修復中です。<br />それが目立つと興ざめなので、ちょいと枝で隠せないか努力してみました。

    ブダ王宮の丘の漁夫の砦から眺めた国会議事堂

    これこそ私がブダペストに憧れた原点の眺めです。
    2年前の2004年にもこうしてブダから見下ろす国会議事堂の写真を撮った覚えがあるのですが、重複したって構うものですか。

    ブダ側から国会議事堂を見下ろすのは、逆光にならない午後がベストです。

    でもあいかわらず一部修復中です。
    それが目立つと興ざめなので、ちょいと枝で隠せないか努力してみました。

  • ブダ王宮の丘の漁夫の砦から眺めた国会議事堂<br /><br />少し場所を移動して撮りました。<br />手前の枯れ木の枝ぶりも気に入っています。<br /><br />おまけ<br />2004年に王宮の丘の漁夫の砦から撮った国会議事堂の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10409365/<br />2004年に王宮(国立美術館)から撮った国会議事堂の写真<br />http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/10/03/12/src_10031269.jpg?00000000000000<br />関連の旅行記<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10031269/

    ブダ王宮の丘の漁夫の砦から眺めた国会議事堂

    少し場所を移動して撮りました。
    手前の枯れ木の枝ぶりも気に入っています。

    おまけ
    2004年に王宮の丘の漁夫の砦から撮った国会議事堂の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10409365/
    2004年に王宮(国立美術館)から撮った国会議事堂の写真
    http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/10/03/12/src_10031269.jpg?00000000000000
    関連の旅行記
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10031269/

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 萌愛さん 2006/11/27 14:57:28
    シュティンドル・イムレ
    彼が様々な国の様々な建築様式を勉強して完成させたのが、この国会議事堂ですよね。私は始めて見たとき、感動のあまり震えました。って大袈裟ですが…
    何故か西欧にない美しさを感じたものです。中央のルネッサンス様式のドームも感慨深く拝見しました。私は、内部見学はできなかったのですが、まみさんのアルバムで優美な美しい装飾を見ることができました。m(__)m
    恥ずかしながら、ハンガリーの対ソ連、独立運動の歴史ってチェコほどは知らない私です。うーん、ハンガリーとチェコでは、そんなに違うんだと!ハンガリーはその前のハプスプルグ家からの独立運動に目を向けがちだったな〜と反省しております。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/11/29 01:26:03
    RE: シュティンドル・イムレ
    萌愛さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    私もブダペストに惹かれた一番の理由が国会議事堂です。
    ロンドン議事堂に似ているようでいて、違いますね。トーンがもっと優しいです。
    まだ修復中なのが玉にきず@
    気に入った建物なので何枚写真をとっても飽きません@

    ハンガリー史やチェコ史は、行く前のにわか知識なので、どうしてもごっちゃになります。時間がたつと忘れてしまいます。
    ここのところ続けてチェコ史、ポーランド史、ハンガリー史と続けて調べてきたから。。。
    チェコ史との対比もとても大雑把なのですが、ハンガリー史の英雄はチェコ史に比べて、後からその功績が評価されているわりには本人の扱いがむくわれないこは、なにかの本でたしか指摘されていました。そのときはピンとこなかったのですが、2年後の今回にもう一度ハンガリー史をさらってやっと納得したというところです。
    すぐにごちゃごちゃになってしまうだろうと思うと、いまのうちに旅行記の形で整頓しておかなくちゃとあせります@
  • がちゃこさん 2006/11/09 14:33:28
    ナジ・イムレさんの像
    まみさん こんにちは〜。
    ブダペストの旅行記 続々upされてますね〜。
    とても楽しく拝見させて頂いてます。
    夜景写真 凄く素敵でした。
    国会議事堂のツアー そーですか…
    やはり9月17日のデモ以来 国会議事堂は
    暫く中に入る事ができなくなっていたのですね。

    ナジ・イムレさんの像 昨年国会議事堂内部ツアーに参加
    した後 たまたまイシュトバーン大聖堂に向かって歩いている
    時に発見しました。
    その時には 『この人 誰なんだろう?』と全く何も判らずに
    写真だけ撮って帰ったのですが、橋に佇む この像の表情が
    何だか忘れられなくて。
    日本に帰ってから 調べてみて ハンガリー動乱の折の首相
    であった事を知った次第です。
    東欧が抱えている歴史とその背景は やはりとても複雑ですね。
    まみさんのように ちゃんとその国 その国の歴史をじっくり
    調べてから旅行すると 全然違う光景が見えてくるのでしょうね。
    観劇おたく旅行ばかりなので 12月のブダペストもミュージカルと
    オペラを観劇するだけで終わってしまいそうな予感なのですが
    もうちょっとちゃんとお勉強してから旅に出れるようにしようと
    思いつつ 旅行記を読ませて頂きました。
    続きも とても楽しみにしてます。

    がちゃこ 拝

    まみ

    まみさん からの返信 2006/11/09 18:25:36
    RE: ナジ・イムレさんの像
    がちゃこさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    いまはアウトプットしたい時期なんですよー。
    でも先を考えると長い!
    いつ、疲れてペースダウンするか分かりませんが、書きたい気持ちがムンムンなうちにどんどんドラフトを進めています。

    そうそう、がちゃこさんのプロフィールにある旅のキーワードには、私もとってもとっても同感なのです。
    趣味、似てるかもしれませんね。
    ブダペストでは、ミュージカルとオペラ、どんどん観劇なさってください。
    12月はまさしくシーズンたけなわですものね。
    私も2年前にブダペストに5泊したときは、1泊目は深夜の到着で5泊目は翌日のチェックアウトと移動のために早くホテルに戻りたかったせいもありますが、残りの3夜はバレエにコンサートにフォークロア・ショーです。
    2004年は20日間の旅行で11回もコンサートだのミュージカルだの足を運んでます。凝ってますでしょー!
    2003年頃から日本でも観劇に凝ってしまっていて。
    がちゃこさんは12月には何を観劇される予定ですか。

    ナジ・イムレ像は、初ブダペストのときには気付きませんでした。
    たぶん気付いても、誰だか分からなかったと思います。
    行く前にハンガリー史をチェックして、どの本でもハンガリー史の概略のところに登場してくる人物の名前はだんだん覚えるようになりますが、そういう本に毎度顔写真があるわけではないので、顔と名前が一致しないんですよねー。
    今回やっと一致し始めたところです。
    いまは、歴史など、せっかく下調べで覚えたことを忘れないうちにまとめています。
    いやはや、あと2〜3ヶ月たてばどんどん忘れて、哀しいことにソラでは言えなくなってしまうしまうでしょうから。

    がちゃこ

    がちゃこさん からの返信 2006/11/10 14:55:32
    RE: ナジ・イムレさんの像
    まみさん お返事有難うございます。

    鉄は熱いうちに打て!ですね。
    頭の中の記憶が 熱いうちに どんどん打ち込んで下さいマセ。
    ブダペストは 比較的時代の新しい 20世紀以降の人の銅像が
    沢山ある街だと言う印象があるのですが、やはり歴史をしっかり
    把握していないと 全然どなたの像なのかが判らず…。
    顔と名前が一致していらっしゃるとは 凄いです。
    ハンガリー動乱も プラハの春も 世界史ではさらっと
    通り過ぎてしまう部分なので 意識して自分で知ろうとしないと
    いけませんね。

    >そうそう、がちゃこさんのプロフィールにある旅のキーワードには、
    私もとってもとっても同感なのです。

    わわ キーワードが似てるって言って頂いて嬉しいです!
    今回の旅でも色々と観劇されていらっしゃいますね〜。
    ドゥナ・パロタの写真 興味深々で拝見させて頂きました。
    『バンク・バーン』の感想も とても楽しみです。
    私が12月に観劇する予定なのは ミュージカル『Romeo and Juliet』です。
    オペラは『蝶々夫人』と『ラ・ボエーム』を観劇しようと思っています。
    ハンガリーミュージカルは かなりセットと衣装がしょぼいのですが
    その分 出演者の方々が 一致団結して舞台を盛り上げていらっしゃって。
    オペレッタ劇場の方々なので 歌・演技の腕前もピカイチです。
    でもまあ『美女と野獣』を観劇した時には 流石に唖然としましたが。
    『良くディズニーがこれでOK出したな〜』と言う凄いセットと衣装でした。
    まみさんも 次回ブダペストに行かれる際には 是非ミュージカルも
    観劇してみて下さいマセ!オススメです。

    がちゃこ 拝

    まみ

    まみさん からの返信 2006/11/13 12:08:59
    ハンガリー・ナイトライフ
    がちゃこさん、こんにちは。

    ミュージカル「Romeo and Juliet」、オペラ「蝶々婦人」と「ラ・ボエーム」、どれも楽しみですね。
    ハンガリーでミュージカルは考えてみませんでした。
    かなりセットと衣装がしょぼいと分かっていれば、ああなるほど、と興味深く見ていられるかもしれませんね。

    フォークロア・ショーは7月〜10月がシーズンですね。
    12/2と12/25〜30ならあるようですが。
    オペレッタは、2004年の夏にブダペストに行ったときは、ジェルボーハウスの隣でコンサートがありました。
    オペラ座もオペレッタ劇場も休みだったのではないかと思います。
    しかし12月のシーズン真っ最中であれば、コンサートより、オペレッタ劇場での鑑賞ですねっ!
    オペレッタ劇場は足を運ばなかったので、ぜひ話をきかせてくださいませ。

    現在、それほどペースダウンしないで旅行記の準備を進めることができてはいますが、いやぁ、旅程の前半て見た「バンク・バーン」までですら、先は長いです@
    気長にお待ちいただけると嬉しいです@

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