2006/08/01 - 2006/08/20
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スキピオさん
駅は人をわくわくさせる。
駅は旅の出発点だ。
リンゴをひとつバッグにねじ込んで、列車に乗るのが好きだ。
車窓の景色に目を奪われているうち、いつのまにか別の駅に着く。
こうして世界はひとつひとつ広がり、人とひとりひとり知り合いになる。
でも駅は、人と人の別れの場・・・
【廃線となり、今は使われていない「サンリス駅」】
こんなきれいな駅、もったいないですね。
パリとパリ周辺の駅を写真に収めました。
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パリの北郊のサンリスへ行くにはシャンティイ駅からバスに乗り換えなければなりません。パリ北駅で「サンリスまで」と言うと、通しの切符をくれます。
サンリスのバスターミナルに到着してビックリ。美しい駅が、見捨てられたかのようにぽつんと立っていました。
駅紹介の旅行記の表紙に使われていない駅を使うとは、酔狂に過ぎるかも知れません。でもこのサンリス駅、廃駅となってもなお品のある、貴婦人のような姿でした。
パリの北駅から特急か急行にあたる電車で40分ほど、シャンティイ駅に到着する。
《到着したシャンティイ駅ホームと乗って来た電車》 -
《ホーム側から見たシャンティイの駅舎》
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《シャンティイ駅正面》
駅の右側からバスが出ています。
また、カメラの後方に広大な森と馬場が広がっています。シャンティイは、美しい城もさることながら、競馬の町でもあります。 -
パリには終着駅(テルミニュス)が六つあります。この数は他の都市とくらべると多いと言えるでしょう。ちなみにリヨンは二つ、マルセイユも二つ、東京は四つです(「東京駅」「新宿駅」「上野駅」「両国駅」)。
その中で「北駅」は文字どおり北の玄関です。
かつて与謝野晶子はパリに来た時この駅に降り立ちました。
《北駅正面》 -
手狭になった北駅(他の五つの駅もそうですが)は数年前に拡張工事が完成しました。地上も地下も明るい空間が広がっています。
《北駅の新築部分》 -
パリに到着した日、北駅近くのホテルに投宿しました。年とともに反比例して早起きになったので、朝の北駅を写真に収めました。
《朝6時頃の北駅構内》
TGVが準備万端待機しています。 -
駅には改札というものがありません。おまけにフランス国鉄(SNCF)の切符は2ヶ月は有効です。そのために、乗る当日は自分で切符を切らなければなりません。
《自動切符刻印機》
ここで切符を切ることをフランス語で、「composter コンポステ」と言います。 -
駅で、新聞・雑誌等を買う時は日本の「キオスク」にあたる「ルレー RELAY 」に行きます。もっとも、「キオスク」という語もフランス語ですが。
《北駅のルレー》 -
泊まったホテルのベランダから北駅が一望できました。
《北駅俯瞰》 -
オルセー美術館にモネの傑作『サン・ラザール駅』がありました。
実際サン・ラザール駅のホームに立つと100年以上前の、モネの描いた駅が目の前にあるから不思議です。違うのは蒸気機関車がなくなったことぐらいでしょうか。東京とは異質な時の流れがパリにはあります。
《モネ作『サン・ラザール駅』》 -
改札口のないフランスの駅構内にさえ、ポストがあるのに日本の駅構内にはない、逆ではないでしょうか。東京駅など大きな駅にポストや郵便局、ATM等揃っていればどれほど便利か、いつもそんなことを考えています。
《サン・ラザール駅構内のポスト》 -
ノルマンディー方面に行くにはこの駅を使います。
《サン・ラザール駅正面》 -
郊外列車はほとんど二階建て列車ですので、混んでいる車両に遭遇したことがありません。
このホームからノルマンディーに行きます。
《サン・ラザール駅ホーム》 -
サン・ラザール駅から電車に乗ってヴェルノンという駅に降り立ちました。ここからバスに乗って、モネの家、ジヴェルニーに行くことができます。
《ヴェルノン駅入口》 -
田舎の駅にしてはモダンな外観をしています。
《ヴェルノン駅正面》
[注:ヴェルノンもモネの家のあるジヴェルニーもイル・ド・フランスではなくノルマンディーです] -
「モンパルナス駅」は、パリにある六つの駅の中で唯一の近代的な建物の駅です。それもそのはず、このモンパルナス界隈はここ30年来大開発の荒波にさらされてきたからです。
その落とし子が駅前に聳え立つ「モンパルナス・タワー」(60階建て)でしょう。
《ガラス張りのモンパルナス駅》 -
もちろん駅構内も近代的かつ広大、迷子にならないように・・・
《モンパルナス駅構内》 -
南下するTGV(超高速鉄道)が発車するこの駅はヴァカンスのシーズンはツーリストで大賑わい。
犬を連れているマダム、自転車を転がしている若者、家族連れ、様々なスタイルの乗客が行き交います。
《賑わうモンパルナス構内》 -
電光掲示板でお目当ての電車の発車ホーム(Voie)を調べて、さあ、列車に乗り込みましょう。でも、気をつけて、自動刻印機で、composter することを忘れないで!
掲示板には、ナント、レンヌ、ブレスト、カンペール等のブルターニュ方面行きと、ラ・ロシェル、ボルドーなどアキテーヌ方面行きのTGVアトランティックの時刻表が表示されています。
我々は9:15発のシャルトル行きに乗り込みました。
《モンパルナス駅、電光掲示板》 -
モンパルナス駅を出発して約50分、シャルトル駅に着きました。
運賃は12.5ユーロ、モンパルナス駅で割引きがあるかどうか尋ねると、「いつ乗るか?」と逆に質問されてビックリ。
「今朝」と答えました。すると「それでは割引きがない」と言われました。
「???」こんな気分で、電車に乗りました。
帰り、シャルトル駅でヴェルサイユまでの切符を買う時、試しに割引きがあるかどうか、きいてみました。すると「ある」との返事。またまた「???」
おとな10.5ユーロ、割引き料金8.5ユーロでした。
後でわかりましたが、月曜の午前中と土曜の午後だけ、割引きがないようです。なぜだかわかりません。
シャルトル駅から歩いて10分ほどの所に世界遺産の「ノートル=ダム・ド・シャルトル(シャルトル大聖堂)」があります。
《シャルトル駅》 -
この時計塔はパリ・リヨン駅の象徴、リヨン駅は日本人にとって、東北の人たちの上野駅に相当するかも知れません。
かつて飛行機のない時代、フランスにやって来た日本人は船でマルセイユに到着し、そこから北上、リヨン駅に降り立ちました(前述した与謝野晶子はシベリア鉄道を使いました)。
文久3年(1863年)、遣欧使節団が日本を出発、スエズ運河を通り、スフィンクスの前で記念写真を撮ったあと、パリに到着します(1864年)。パリを闊歩する侍の姿にパリジャンはびっくり仰天をしたとか・・・逆に侍の1人が日記に書き残していますが、パリの町の整然と並ぶ7・8階建ての巨大な石の建物に驚嘆しています。
また1867年、パリ万博に参加するために徳川慶喜の弟、昭武を団長とする幕府の使節団が到着したのもこの駅です。彼らはパリにジャポニスム(日本趣味)をもたらしました。
時代も明治になり、次々と希望に燃えた日本人がこの駅にやって来ました。
《パリ・リヨン駅と時計塔》 -
リヨン駅前のバス停でバスを待っていました。すると朝日に輝くガラスのビルに駅の時計塔がシルエットとなって姿を見せました。
《時計塔のシルエット》 -
リヨン駅の軒下にはカフェがずらりと並んでいます。
南下するTGVが出発するこの駅もヴァカンス客でいっぱいです。
《リヨン駅のカフェ》 -
レストラン「トラン・ブル」は単なるレストランではなく、歴史の証人と言うことができます。どれほどの貴顕紳士がここで胃の腑を満足させたことか。
映画『ニキータ』(リュック・ベッソン監督)ではその高級感溢れる店内で、女殺し屋のニキータがドンパチやって破壊し尽くすのがミソなのです。
《リヨン駅構内のレストラン「トラン・ブル」》 -
《レストラン「トラン・ブル」の階段の装飾》
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《リヨン駅構内にある、ナチスによる駅員の犠牲者を慰霊するモニュメント》
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パリ・リヨン駅から電車に乗って、画家シスレーの終焉の地「モレ・シュル・ロワン」にやって来ました。
《モレ・ヴヌー・レ・サブロン駅》 -
パリ・リヨン駅からシャンパーニュ地方はトロワの町にやってきました。地方都市の駅にしては、どっしりした駅舎でした。町も古い中世の町並みを残し、散歩に最適でした。
《トロワ駅》
[注:トロワはシャンパーニュ地方でイル・ド・フランスではありませんが、このシリーズに入れました。なお、次の、ディジョン、ボーヌ、エタン、オータンもイル・ド・フランスではなく、ブルゴーニュです] -
パリ・リヨン駅からTGVで1時間40分ほどで、ブルゴーニュの首都ディジョンに到着します。
駅の姿に個性はなく、面白みの欠ける駅舎です。
でも、町は素晴らしい。さすがブルゴーニュ公爵の町にふさわしい町並みと宮殿。しかも美術館となっているその宮殿は入場無料でした。ぜひ、豪華絢爛たる公爵の柩をご覧になって下さい。
ジャンヌ・ダルク(1431年没)と戦っていた頃、フランス王家をもしのぐほどの財力と勢力を誇った公爵家の栄華を偲ぶことができます。
《ディジョン駅》 -
ディジョンからTGVで20分ほどの所に、ブルゴーニュ・ワインの中心都市ボーヌがあります。
この小さな城郭都市に有名なオテル・デュウ(神の家)という中世の病院が保存されています。
駅舎は平凡ながらスッキリした建物です。
《ボーヌ駅》 -
ボーヌからオータンまで直行の電車はありませんでした。途中、エタンという駅で乗換えです。
ですから、本当は駅舎を撮る暇がありませんでした。この写真は、オータンからの帰りに撮ったものです。というのは、帰りにはオータンからボーヌ、ディジョン行きの電車がなく、オータンからエタンまでバスで来たからです。
駅しかないような地に駅舎がぽつんと立っていました。この建物のニ階に駅員さんたちは住んでいるのでしょう。
《エタン駅》 -
エタン駅に到着するとすぐにオータン行きの列車が来ました。すてきな、かわいい電車でした。待ち合わせはうまくいっています。
《エタン駅のホーム》 -
今回のブルゴーニュ旅行の最終目的地オータンにやって来ました。
駅舎は地方都市のごく普通の姿でした。
《オータン駅》 -
ブールジュはイル・ド・フランスではなく、サントル地方、昔のベリー地方です。
ロワール河の南にある中世がそのまま息づいているこの古都ブールジュには最も美しいステンドグラスの光り輝く大聖堂があります(世界遺産)。
《ブールジュ駅》 -
RERのC5、C7線に乗ってエッフェル塔の最寄り駅から郊外にいくつかいくとムードンに到着します。
この閑静な町に彫刻家ロダンのアトリエ兼住居があります。
パリにやって来た与謝野晶子はこの家を訪ねて、ロダン夫妻と親しんだそうです。特にローズ夫人とは心を通わせた、と書いています。
その時はまだ鉄道はなかったはずですから、馬車か、船か、車で来たのでしょう。
現在この家はロダン美術館として市民に親しまれています(入場料は2ユーロくらいだったと思います)。
《ムードン・ヴァル・フルーリー駅》 -
与謝野晶子がこの家を訪ねたのが1912年、ロダンは17年に物故していますから、彫刻家最晩年の時でした。
そのころ、ロダンを愛し、ロダンに愛され、ロダンと別れ、ロダンを憎んだ弟子であり天才的な彫刻家カミーユ・クローデルは精神を病み、精神病院にいたことでしょう(映画『カミーユ・クローデル』必見です)。
巨匠は最後の最後にローズ夫人の元に戻りました。与謝野晶子が見た夫人は生涯ロダンを愛し続けて、ついに添い遂げた女の自信に満ちた姿だったのかも知れません。
《ロダンの住居》 -
ムードンの駅から西にのびる坂道を取り、丘に登ると、そこは城址公園となっていて、180度のパノラマを楽しめるテラスに出られます。ここからのパリの眺めはまさに絶景の一語に尽きます。
ギーズ公(16世紀、宗教戦争時の旧教派の指導者)の城がありましたが、後に焼失してしまいました。
テラスと反対側に行くと(徒歩ではほとんど不可能ですが)、ムードンの森が広がります。
《ムードンのテラスからの眺め》 -
パリには六つの駅があると先に言いましたが、四つの駅しか紹介できませんでした。「東駅」はCDのトラブルのために、「オーステルリッツ駅」は工事中だったせいもあり、また、依怙贔屓しては悪いのですが、あまり写真写りがよさそうではないので撮っていませんでした。
そこで、と言うわけではありませんが、出だしが使われていない駅でしたので、最後も鉄道駅としては使用されていない「オルセー駅」で終わらせたいと思います。
《「ソルフェリーノ橋」からのオルセー駅》 -
オルセー駅は1900年7月14日、革命記念日に落成しました。設計は国立美術学校教授ヴィクトール・ラルー(1850〜1937)が担当しました。
この年開催された万博をこけら落としとして、以降40年ほど、南西フランス方面行きとして使われましたが、プラットホームが短かったために、電化時代を迎えて車両が長くなると・・・哀れ・・・時代に取り残されてしまいました。
《オルセー駅内部・・・美術館内》 -
その後、駅舎は様々に利用されましたが、結局1977年、時の大統領ジスカール・デスタンは美術館にすることを決定しました。
内部装飾はイタリア人ガエ・アウレンティが担当、彼の才能のおかげで、現在の美術館になりました。
写真のように「駅」という建物の本質はそのままに、楽しい美術環境が作られました。まさにここは芸術の発着所となったわけです。
《オルセー駅(美術館)最上階にある時計が光取りとなったカフェー》
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