2006/07/03 - 2006/07/08
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ジオディオスさん
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いよいよ世界最長路線のシベリア鉄道に乗り込み、大陸間横断に向け、ひたすら西へ目指す。
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シベリア鉄道の東側の起点ウラジオストク駅全景。駅舎の後ろは跨線橋をはさんで、客船ターミナルと隣接している。駅舎の前の駅前広場には今ではもう、懐かしいレーニン像が立っている。
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クリーム色のネオ・ロシア様式の駅舎。駅舎の中には、簡易なイスがたくさん並べてあるだけの出発ロビーがあるだけ。誰でも入れるが、改札などはない。寒い国だけあって、寒冷仕様のドアで、非常に重く、入るのにものすごい力がいる。
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列車に乗り込むには、駅舎からではなく、長い車両を横断する何か所かの歩道橋から自分の列車のプラットホームに降りて行く。さすがに、始発駅だけあって、プラットホームがたくさんある。しかし、しょっちゅう列車が行き来をしているわけではないので、待ち合わせの長イスは少なく、あったとしても、アル中の浮浪者の昼寝場所になっていた。
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撮り忘れてしまったが、写真の上の蒸気機関車の付近にモスクワとの距離9288kmと記された小さな道標があったらしい。現在はヤロスラブリルートから、ウラジミール経由になって、30km程短くなって、9259kmになったそうだ。
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今回イルクーツクまでお世話になる、列車No.7シベリャーク号(ウラジオストク~ノボシビルスク間)。私が数えたところでは、ウラジオストクからは20両であった。私が乗った2等寝台車には1両に付き、9つのコンパートメント(4人用)と乗務員用の控え室があった。各コンパートメントには、折りたたみの出来ない2段ベッドが向かい合わせに設けられ、正面には固定式のテーブルがある。枕カバーとシーツ2枚の代金は67ルーブル(1p=約¥4.25)別途に払う。イルクーツクからモスクワに向かう時も支払ったが、モスクワやサンクトペテルブルグからの電車はなぜか支払わなかった。内部の写真はいずれ紹介しよう。
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改札は車両の前で行われる。出発20分前くらいに、車掌が降りてきて、切符と身分証明書を確認をするので、乗客以外は原則乗れない。各車両に2名ずつの車掌がいる。車掌の半数以上は女性だった。彼らは終点まで乗車して、乗客の管理・トイレや部屋掃除、ゴミの廃棄やお茶等のサービスを行ったりと、結構タフな仕事が多くて忙しい。停車駅では、旗を持って降りて、出発するまで乗客が乗り遅れないか、ずっと入口で立っている。
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窓枠の下に、ノボシビルスク〜ウラジオストクの表示。私が乗った10号車両はあいにく古いコンパートメントであったが、反ってそれが幸運だった。というのも、新型ワゴンは冬の暖房対策用に、密閉性に優れている反面、窓が開けられない。古い車両は窓が開けられるので、写真を撮るのには最適だったし、とても暑い日が続いていたので、外からの風は心地よかった。
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コンパートメント仲間だったイリエーナちゃん。彼女がいたおかげで、シベリア鉄道の思い出を一層、彩りを添えてくれた。彼女と後ろに立っている男の人から、コンパートメントの通路の広さが実感できよう。
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旅の友達サモワール。車掌室の前にあり、24時間お湯が使える。コックを捻ると、お湯が出てくる。手軽で便利。但し、シベリア鉄道結構揺れるので、手にかからないようにご注意。また、カップラーメンにお湯を注ぐ前に、一度サモワールの真ん中にある温度計を確かめましょう。シベリア鉄道に乗るとき、お茶や紅茶のティーパック、インスタントコーヒーを持っていかれることをお薦めします。シベリアの原野を眺めながらの、コーヒー一杯は最高!
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いよいよ出発だ。シベリア鉄道の時刻は全てモスクワ標準時で表記されている。ウラジオストクとモスクワとの間の時差は7時間もある。従って、ウラジオストクならば、出発時刻に7時間を加えなければならない。日本で旅行の計画をたてる時、現地時間表記でないので、大変煩わしかったが、実際乗ってみると、時間帯の変わり目などわからないので、標準時に何時間加えたら良いかを考えればよく、反って分かり易かった。
現地時間20:13発、シベリャーク号、イルクーツク目指して、いざ出発! -
東シベリアでのシベリア鉄道は、永久凍土帯のヘリを走っていく。永久凍土は地下数メートル以下では、完全な永久凍土層が広がっている。が、夏のシベリアでは、暑い日も多く(私が行った時のシベリアは30℃を越えていた。)、地表面は溶ける。溶けた水分はその下に、永久凍土層が存在しているので、染み込まなく、湿原状態となる。この上に、鉄道を引こうとすると、線路が波打ってしまうために、この永久凍土層を避けながら、シベリア鉄道が引かれているのだ。
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シベリアを走る電信柱。しかし、これらの電信柱にも一方ならぬ苦労がある。上述したように、永久凍土帯では、夏では地盤が緩むために、柱をそのまま埋めても傾いてしまうために、盛り土を施して支えているのである。長いシベリア鉄道の電信柱一本一本にこうした措置があると考えるだけで、想像を絶するご苦労を感じる。
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こうして同室のロシア人と優雅なシベリア鉄道の旅を楽しんでいるのだが、終戦間際、捕虜としてシベリア鉄道建設に従事を強要された先人達の大変なご苦労があったことを考えると、胸が詰まる。彼らは、どこまでもどこまでも続く白樺林と湿原の先に何を見つめていたのだろう。平和の尊さを感じられずには、いられない。
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ここで、シベリア鉄道の生活に触れてみよう。私はイルクーツクまでの3泊4日の旅程だが、風呂やシャワーなどの部屋はない。仮にモスクワまで直通に行くのなら、6泊7日分お風呂には当然入れない。それでは、乗客たちはどうしているのだろうか?ロシア人たちは、朝起きると、トイレの手洗い場で、男性はひげを剃ったり、女性は髪を洗ったりしていた。トイレ以外に水回りの場所がないので、用をたすのも、歯を磨くのも、食器を洗うのも、全て車両の前後2箇所にあるトイレで行うものだから、いつも使用中が多い。特に朝は。トイレの話は、まだ話すことが多いので、また別件の段でお話しよう。
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キロポスト。モスクワからの距離を表してる。この数字が小さくなればなるほど、当然目的地に近づく。毎日少しずつ数字が小さくなっていくのを見ているだけでも、楽しかった。100m毎のポストもちゃんとシベリアの大地に刺されていた。
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シベリア鉄道沿いの民家。ハバロフスクを過ぎての東シベリアの集落は、街と言うより、自給自足をしているような村のようであった。各家庭には、柵で囲った大なり小なりの野菜畑や家畜小屋があった。しかし、麦や米などの穀物畑は東シベリアでは、ついに目にすることはなかった。彼らは冬の間、何を食べて暮しているのか、不思議であった。
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この写真には、うまく収まらなかったが、家の屋根の形が将棋の駒に似た形をしている家が多かった。これは、屋根に積もった雪を落とすための知恵なのであろう。また、森や林の中にぽつんと建てられた丸太小屋も目に付いた。猟や避難のための小屋なのであろうか?私が行った時のシベリアは30℃を越える猛暑で、あまりに緑美しい風景が広がっていたため、冬の厳しい原野などは想像できなかった。
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華やかなネオンなどもちろん、2階建て以上のビルも皆無の、厳しい自然の最前線の東シベリアの集落だが、衛星用のパラボラアンテナが屋根に立っている屋根があちらこちらに見えた。舗装道路もままならないド辺鄙な場所でも情報化社会の波に後れまいとする意気込みは感じられた。傍から見ると、そのギャップはおかしい。
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ハバロフスク駅。ウラジオストクを出て、翌朝9時に到着した。20分ほど停車していたので、思い切って電車を降りて、駅の外に出てみた。こちらもネオ・ロシア様式の駅舎。ロシアの大きな駅舎はほとんどと言ってよいほど、このような形をしている。但し、駅舎の色はかなりばらつきがあり、派手な原色が多い。上には、バクザール(駅)と書いてある。駅は町の中心部から離れたところにあったので、詳細な町の様子が窺い知れなかったが、整然とした大きな街という印象であった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ぶうちゃんさん 2008/08/14 02:54:14
- こんばんは
- こんばんは。ただいま2を覗かせていただきました。
こんな長距離鉄道の旅にあこがれています。9000km以上といわれてもピンと来ないですよね。地球を1/4周ぐらいでしょうか?東京大阪間を9往復と言うことは解りますがそれが折り返し無しで一直線と言うのは想像できませんね。
のんびりとしたような車窓でしたがここでも色々な歴史のドラマや先人の知恵と苦労が見れるんですね。
こういうのを肌で感じられる方の旅行記は重みがあり読むのが楽しみです。
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