2005/11/13 - 2005/11/14
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アリヤンさん
シェーンブルン宮殿とノインシュタイン城と頭の中でゴッチャになっていた。
ノインシュタイン城がウィーンにあるものとばかり思っていた。
大きな勘違いであった。
しかしいいものを見せてもらった。
この宮殿のなかにブリューゲルの絵、しかも高校の教科書にのってた絵があった。
何でも教科書に載ってたものを発見すると、なにか自分が高校生のレベルから飛躍的に成長したようで、妙にウレシイ。
どこでも、庶民の暮らしを見るのは好き、なので絵画のなかでも庶民の生活を描いたものは大好きだ。
貴族の生活は性に合わないのか興味がない。
でもヤカタとか、城とか、宮殿といった建築物は別。
歴史を感じさせるもの、考えさせてくれるものは好きである。
写真は宮殿に向かう並木道。
かなりロマンチックな、いい雰囲気の並木道です。
11月で非常に寒い日でした。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- オーストリア航空
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小学生の遠足にシェーンブルン宮殿?
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クリスマスが近い。
雪の宮殿とモミの木はよく似合っていた。 -
宮殿の中は、絵画美術館も兼ねていた。
ゴヤの絵。 -
誰の作?
バベルの塔。 -
ブリューゲルの農民の絵。
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ブリューゲルの魚の絵。
よくもまあ、こんなに生き生きと描けたものだ!
と感心。 -
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アトリエ(ブリューゲル)
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ギリシャ神話のメドゥーサ。
この絵、強烈な印象に残った。
でも誰の絵か失念。
すいません。 -
イチオシ
庭園側。
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裏門。
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裏門付近で遊ぶ子供たち。
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宮殿からの帰り道、乗った路面電車から、にぎやかなイルミネーションが見えた。
降りて見学した。
ちょうどクリスマスを迎える準備する時期で、クリスマスの飾りや必需品などの屋台が、市庁舎前の広場に市をなしていた。 -
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教会とツリー。
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イチオシ
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歴史博物館の前庭にはマリア・テレジア(ハプスブルグ家の18世紀の女帝)の像が建っていた。
この像を見て、思いがイエメンの市場で売られていた銀貨に飛んだ。
18世紀のマリア・テレジアの銀貨(直径10センチくらいの大きな銀貨)は、今でも、イエメンのスーク(バザール)で、相場が変動する貴金属として流通している。
なぜイエメンにあるのか?
は不思議ですが、
サナアでもホデイダでも、スークをじっくり観察しておれば、あちこちでジャラ、ジャラ、ジャラと銀貨の音がしているハズ。
その日その日で一枚当たりの価格は変動している、その銀貨のやり取りが見られる。
おそらく女性の装飾品に使うものと思われる。
しかし、なぜイエメン?なのか?今でも不思議でならない。
以来、なぜか?研究してきた。
アラビア半島は、オスマントルコに長い間支配されていた。
オスマントルコは、西側でウィーンをはさんでヨーロッパと対峙していた。
そのころ、ヨーロッパはハプスブルク家率いる神聖ローマ帝国時代で、このマリア・テレジアの時代。
イエメンに流通していたマリア・テレジア銀貨は、オスマントルコ帝国がイエメンにもたらし、自国通貨のなかったイエメン人が通過として一時、実際に使っていた、と考えられる。
いろいろ調べても現在のイエメンのスークで密かに流通している銀貨の、なぜか?、に答えてくれる案件は見つからなかった。
上記はあくまでも自説である。
イエメンに行かれるどなたか、現地でこの問題にバシっと解答を見つけてください。
我が家では、数枚のマリア・テレジア銀貨が、今でもパートナーの宝石入れに入っている。 -
これがマリア・テレジアの銀貨(表)。
裏を見れば西暦1780年のものと分かる。
イエメンではこうした銀貨が流通していたと思われる。現在でもスークの片隅で取引されているハズ。
*最近のワタクシの研究で、この銀貨の由来が分かった。
1839年、イギリスがアデンをイエメンから租借した。
その見返りに毎年6千500枚のマリア・テレジア銀貨でイエメンに支払っていたのだ。
さすがに、今では日常生活上流通していないが、つい最近までイエメン社会に流通していたようだ(1960年代くらいまでと思う)。 -
銀貨の裏
参考ページ:イエメン旅行記
http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10180143/
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この旅行記へのコメント (4)
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- 井上@打浦橋@上海さん 2006/12/25 18:21:23
- [
- アリヤンさん、どうも。
私の所に訪れてくれてありがとうございます。
私は、全くヨーロッパなんてのは縁がないんですが、
昔のヨーロッパ映画は良く見ました。
もしかして、この旅行記の表紙の並木道は、
「第三の男」のラストシーンの並木道かなと、思いまして、
ひやかし投稿をしました。
左に、ジョセフ・コットンが車に背を凭れて、
アイダ・ヴァッリが通り過ぎるのを見過ごす・・・・
そしてチターの音が・・・・・
違うのかなぁ・・・・
でも、こんな並木道はオーストリアにはいくらでもあるんでしょうね。
- アリヤンさん からの返信 2006/12/26 11:04:51
- シェーンブルン宮殿へ続く並木道
- 井上@打浦橋@上海さん、こにちわ。
おそらくシェーンブルンに続く並木道を見てのご感想、だと思います。
ウィーンの町にはこのようなノスタルジックな並木道はあまりなかったです。この宮殿の外回りを回りましたが、森や林が続いており、 井上@打浦橋@上海さんの「第三の男」の世界があるかも知れません。
まあヨーロッパにはアチコチにこのような場所が残っており、結構偶然に発見したりするものです。欧州文明の底力だと思います。
ところで 井上@打浦橋@上海さんのブログ少し拝見しました。
中国にはめっぽう強いですね。しかも北京と上海。
仕事時代に一度中国市場開拓を3年ほどやった時に香港、アモイ、重慶、北京、上海、南京と大都市ばかり訪問しましたが、大都市の風景はみな同じに見えてしまい興味を失ったことがあります。これからは本格的に中国の田舎を重点的にまわりたいなあ、っと考えています。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/12/26 11:31:47
- 「第三の男」は良かったなぁ・・・
- アリヤンさん、どうも。
「第三の男」はオーストリアが舞台だと言うことは
ご存知だと思いますが、
オーストリアに、そういう並木道が少ないとなりますと、
アリヤンさんの表紙の写真の並木道が、
まさに、それかなと思えてきます。
下記をご覧ください。
チョット思いですが、真ん中辺りに「第三の男」が出てきます。
そして、ラストシーンの並木道も・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/folder/755918.html
違うかなぁ・・・・・・・
ところで、
上海と北京は全く違う都市です。
都市の造りが違いますね。
そして、勿論、路地裏の表情も違います。
また生活風景も違います。
いずれ、中国にも再来訪されてください。
- アリヤンさん からの返信 2006/12/26 11:58:04
- シェーンブルン宮殿へ続く並木道
- 井上@打浦橋@上海さん
返信ありがとうございます。
「第三の男」の舞台がオーストリアだったとは、知りませんでした。目からウロコがおちました!
ご教示のサイトで並木道の場面をみました。見たとたん、シェーンブルンへ続くあの並木道だ!っと感動した!
イヤー、情報は交換するものですね! 井上@打浦橋@上海さん。
中国北京と上海の違い、なんとなく分かる気がします。一歩裏に入ればあのムカシの中国が!っという世界を探しています。中国では仕事中心で大都会の表側しか見れなかったのでクヤシまぎれに「皆同じ」と言っていました。これからは必ず一歩二歩も裏へ裏へと、訪ねるたびをします。
井上@打浦橋@上海さん、これからもヨロシク。
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