イースター島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
アフ・ビナフ(アフ・タヒリ)はちょっと注目したい。ここの石積みは隙間がほとんどない、インカの石積みを連想させるような正確な技術だ。ヘイエルダールの南米移住説のひとつの根拠になったそうだ。<br /><br />海流図を眺めると、南米の太平洋岸はフンボルト海流が赤道近くまで流れている。<br />話はそれるが、この海流のおかげで、ナスカの地には雨が少なく、あの地上絵が守られているのだ。<br />イースター島は南回帰線より南、ここには寒流(フンボルト海流)は流れていない。<br /><br />どうも南米の民族はポリネシアの人々のように、航海術には優れていなかったらしい。ついでに付け加えておくと、ハワイの島々が日本へ近づいているように、イースター島はチリに近づいている。何万年か何十万年か先には、南米大陸にもぐりこむ運命にあるそうだ。<br /><br />さて、観光に戻ろう。<br />数あるモアイの中でも、日本人にも知られているのが、アフ・トンガリキのモアイたちだ。海を背に15体ものモアイが並ぶ。ここはモアイ倒し戦争の上に、1960年のチリ大地震の津波で壊滅的なダメージを受けた。その石のひとつひとつを拾い集め、アフをつくり、時間をかけて修復されたものである。<br />1991年〜95年にかけて、その修復に協力したのが日本のクレーン会社TADANOである。バブル絶頂期、モアイの修復を計画した。が、やがてバブル崩壊。しかし約束した以上、修復しようという社長の男気でそれは実行されたのだという。使ったクレーンも提供されて、整備につかわれているそうだ。<br /><br />ちょうど光は15体の背中から当たっている。逆光だ。どうも今回モアイの撮影には光が悪い。こういうときはツアーは泣きものだ。15体のうち青いシートをかぶせた修復中のものもある。ここのアフの前の岩にはカメなどの岩絵も見られる。少し離れて立っている1体は、大阪万博のとき、はるばる旅をして日本へ来ている。<br /><br />アフ・トンガリキのモアイの見つめる方向に岩山がある。<br />「あの山はなんていうの?」<br />「あれがラノ・ララクです。」<br />「あぁ、あれがラノ・ララクなの。格好いい山ね。」<br />「これからあそこへ登ります。」<br />「えっ、山登りするの?私は下で待ってる。」<br />「頂上まで登るわけではありません。途中からお弁当の来ている方へくだります。バスは先にあっちに行って待っています。ゆっくり行けばいいんですから。荷物持ちますよ」<br />「いやだなぁ。」とぐずっている。<br /><br />バスがラノ・ララクのふもとに着いた。人々が登っていくのが見える。そんなに急でもなさそうだ。しかたがない、歩くとするか。変った草花がある。そうだ、写真を撮りながら歩けば、かなりごまかせる、と、のそのそと歩き始める。<br /><br />ラノ・ララクの斜面には、ある、ある、ある、ある、打ち棄てられ、土中から顔だけ出しているモアイがぞろぞろある。これぞイースター島の風景だ。しかもアフがないからすぐ傍まで寄れる。<br />近寄って見ると、鼻の穴までちゃんと掘ってある。<br /><br />正座したモアイがある。ちょこなんと座っている姿は、むしろかわいらしい。これはヘイエルダールが見つけて掘り出したものだそうだ。もともとモアイは正座していたらしい。像がだんだん大きくなるにしたがって、上半身だけになり、したがって手の位置もかわってきたようだ。<br /><br />博物館で見たが、モアイの作りかたは、凝灰岩を玄武岩のナイフみたいなもので、先ず表面を削る。そして側面。背中の部分を縦に細く残して、最後にそれを取って行く。<br />岩盤に縦横斜めと、まるで無駄なく生地を使うように、モアイが彫られている。<br /><br />モアイつくり競争が部族間で起こり、さらに巨大なモアイ作りへとエスカレートしていく。ここにある最長のモアイは21.6mもあるそうだ。こんなのはもう立てるというより、いかに大きいものをつくれるか、といったデモンストレイションのようなものだ。ホテルの売店のお兄さんが、ちょうどデートでやって来た。<br />「ちょっと傍に立って。モアイの大きさがわかるから」とモデルに入れる。とはいえ、人間は米粒だから、顔はわからない。<br /><br />あれだけ馬がいることだし、役立たずにいるんだから、調教して登山客を乗せればいいのに。現金収入になるかもよ。ブータンで馬に乗って山登りしたことを思い出しながら、ぶつぶついっている。<br /><br />はぁ、はぁ言いながら、やっと峠をこすと、ぱっと開けて、眼下にラノ・ララクの火口湖が空を映して真っ青に輝いている。その向こうには海が見える。わ〜、きれい!<br />「みなさん、どなたも喜びます」<br /><br />息を整えて、これからは下りだ。がらがら道なので、足を滑らさないように注意しながらおりる。一番あとになってしまった。<br />「歩けたじゃない」と二人がなぐさめる。<br /><br />木陰に木のテーブルとベンチが置かれ、先に着いた人々が食事を始めている。予約したお弁当は私がビーフ、娘はベジタリアン。飲み物もつく。ビーフはソースは美味しいのだが、肉はすこぶる堅くて、私には噛み切れない。そこでパンにはさんで留守番のわんこへのお土産とする。<br /><br />近くの広場には物産の市がたっている。トイレに行くと、ちょうどトイレをつくっているところ。中はタイル張りのきれいな水洗トイレだ。外に出て工事現場をのぞくと、やはり排水は穴を掘った中に、砕石をいれ、そこに流していた。日本でも行われていたしみ込み方式だ。<br /><br />バスは二等辺三角形の長い辺から右の辺に向かって走る。海岸のすぐ近くに、10mもある大きなモアイが倒れている。アフの近くに直径75cmの球形の石がころがっている。この石はテ ピト クラ(地球の光、エネルギー?)と呼ばれている。石にさわってみると熱いくらいだ。なんせ日差しが強いから。<br /><br />ヴィクトールが瓜生君に何か借りに来た。それは磁石だった。この石は磁気を帯びている。磁石の針がくるくるまわる。伝説の王が持って来たという説、丸いのは波に洗われたから、という説。<br />もしかしたら隕石かも、これは私の推理、でも、隕石だとしたら、もっと地中に埋まっていてもいい、と自信のない怪しげな説。もっとも、隕石だったらこなごなに砕けているはず、と隕石説を否定してくれた瓜生君は、鉱物学が専門でとりわけ隕鉄調査をしたことがあるということで、私の推理もあえなくポシャン。<br /><br />ここだったかな、馬が死んでいるのをみたのは。<br />崖から足を滑らしたのだろうか。もう一頭、草原で死んでいる馬も見た。<br /><br />

モアイに会いに14

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2004/01/17 - 2004/01/23

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buchijoyce

buchijoyceさん

アフ・ビナフ(アフ・タヒリ)はちょっと注目したい。ここの石積みは隙間がほとんどない、インカの石積みを連想させるような正確な技術だ。ヘイエルダールの南米移住説のひとつの根拠になったそうだ。

海流図を眺めると、南米の太平洋岸はフンボルト海流が赤道近くまで流れている。
話はそれるが、この海流のおかげで、ナスカの地には雨が少なく、あの地上絵が守られているのだ。
イースター島は南回帰線より南、ここには寒流(フンボルト海流)は流れていない。

どうも南米の民族はポリネシアの人々のように、航海術には優れていなかったらしい。ついでに付け加えておくと、ハワイの島々が日本へ近づいているように、イースター島はチリに近づいている。何万年か何十万年か先には、南米大陸にもぐりこむ運命にあるそうだ。

さて、観光に戻ろう。
数あるモアイの中でも、日本人にも知られているのが、アフ・トンガリキのモアイたちだ。海を背に15体ものモアイが並ぶ。ここはモアイ倒し戦争の上に、1960年のチリ大地震の津波で壊滅的なダメージを受けた。その石のひとつひとつを拾い集め、アフをつくり、時間をかけて修復されたものである。
1991年〜95年にかけて、その修復に協力したのが日本のクレーン会社TADANOである。バブル絶頂期、モアイの修復を計画した。が、やがてバブル崩壊。しかし約束した以上、修復しようという社長の男気でそれは実行されたのだという。使ったクレーンも提供されて、整備につかわれているそうだ。

ちょうど光は15体の背中から当たっている。逆光だ。どうも今回モアイの撮影には光が悪い。こういうときはツアーは泣きものだ。15体のうち青いシートをかぶせた修復中のものもある。ここのアフの前の岩にはカメなどの岩絵も見られる。少し離れて立っている1体は、大阪万博のとき、はるばる旅をして日本へ来ている。

アフ・トンガリキのモアイの見つめる方向に岩山がある。
「あの山はなんていうの?」
「あれがラノ・ララクです。」
「あぁ、あれがラノ・ララクなの。格好いい山ね。」
「これからあそこへ登ります。」
「えっ、山登りするの?私は下で待ってる。」
「頂上まで登るわけではありません。途中からお弁当の来ている方へくだります。バスは先にあっちに行って待っています。ゆっくり行けばいいんですから。荷物持ちますよ」
「いやだなぁ。」とぐずっている。

バスがラノ・ララクのふもとに着いた。人々が登っていくのが見える。そんなに急でもなさそうだ。しかたがない、歩くとするか。変った草花がある。そうだ、写真を撮りながら歩けば、かなりごまかせる、と、のそのそと歩き始める。

ラノ・ララクの斜面には、ある、ある、ある、ある、打ち棄てられ、土中から顔だけ出しているモアイがぞろぞろある。これぞイースター島の風景だ。しかもアフがないからすぐ傍まで寄れる。
近寄って見ると、鼻の穴までちゃんと掘ってある。

正座したモアイがある。ちょこなんと座っている姿は、むしろかわいらしい。これはヘイエルダールが見つけて掘り出したものだそうだ。もともとモアイは正座していたらしい。像がだんだん大きくなるにしたがって、上半身だけになり、したがって手の位置もかわってきたようだ。

博物館で見たが、モアイの作りかたは、凝灰岩を玄武岩のナイフみたいなもので、先ず表面を削る。そして側面。背中の部分を縦に細く残して、最後にそれを取って行く。
岩盤に縦横斜めと、まるで無駄なく生地を使うように、モアイが彫られている。

モアイつくり競争が部族間で起こり、さらに巨大なモアイ作りへとエスカレートしていく。ここにある最長のモアイは21.6mもあるそうだ。こんなのはもう立てるというより、いかに大きいものをつくれるか、といったデモンストレイションのようなものだ。ホテルの売店のお兄さんが、ちょうどデートでやって来た。
「ちょっと傍に立って。モアイの大きさがわかるから」とモデルに入れる。とはいえ、人間は米粒だから、顔はわからない。

あれだけ馬がいることだし、役立たずにいるんだから、調教して登山客を乗せればいいのに。現金収入になるかもよ。ブータンで馬に乗って山登りしたことを思い出しながら、ぶつぶついっている。

はぁ、はぁ言いながら、やっと峠をこすと、ぱっと開けて、眼下にラノ・ララクの火口湖が空を映して真っ青に輝いている。その向こうには海が見える。わ〜、きれい!
「みなさん、どなたも喜びます」

息を整えて、これからは下りだ。がらがら道なので、足を滑らさないように注意しながらおりる。一番あとになってしまった。
「歩けたじゃない」と二人がなぐさめる。

木陰に木のテーブルとベンチが置かれ、先に着いた人々が食事を始めている。予約したお弁当は私がビーフ、娘はベジタリアン。飲み物もつく。ビーフはソースは美味しいのだが、肉はすこぶる堅くて、私には噛み切れない。そこでパンにはさんで留守番のわんこへのお土産とする。

近くの広場には物産の市がたっている。トイレに行くと、ちょうどトイレをつくっているところ。中はタイル張りのきれいな水洗トイレだ。外に出て工事現場をのぞくと、やはり排水は穴を掘った中に、砕石をいれ、そこに流していた。日本でも行われていたしみ込み方式だ。

バスは二等辺三角形の長い辺から右の辺に向かって走る。海岸のすぐ近くに、10mもある大きなモアイが倒れている。アフの近くに直径75cmの球形の石がころがっている。この石はテ ピト クラ(地球の光、エネルギー?)と呼ばれている。石にさわってみると熱いくらいだ。なんせ日差しが強いから。

ヴィクトールが瓜生君に何か借りに来た。それは磁石だった。この石は磁気を帯びている。磁石の針がくるくるまわる。伝説の王が持って来たという説、丸いのは波に洗われたから、という説。
もしかしたら隕石かも、これは私の推理、でも、隕石だとしたら、もっと地中に埋まっていてもいい、と自信のない怪しげな説。もっとも、隕石だったらこなごなに砕けているはず、と隕石説を否定してくれた瓜生君は、鉱物学が専門でとりわけ隕鉄調査をしたことがあるということで、私の推理もあえなくポシャン。

ここだったかな、馬が死んでいるのをみたのは。
崖から足を滑らしたのだろうか。もう一頭、草原で死んでいる馬も見た。

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