2003/05/14 - 2003/05/27
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buchijoyceさん
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サマルカンド→タシケント
5月25日(日)
8時、朝食に行き、お茶だけ飲んでいる。Eさんから、医者が調合した下痢止めを貰い飲む。教えてもらったところによると、旅行中下痢をするのは、食べ物が合わないのではなく、体力が落ちてきた証だそうだ。そういえば、ネパールでトレッキングに行く人が下痢をするのは、高山病にかかっているのだと教えられた。
この旅は決して強行軍ではないし、食欲も減らないのだが、
暑さに体力がおちているのだろう。
9時出発。
チムール一族の眠る墓、グル・エミル廟を訪ねる。グルは墓、エミルは支配者、支配者の墓という意味。チムール一族の墓なのだ。
1941年ソ連の研究者によって墓が開けられ、その調査によってチムールが足が悪かったことや、孫のウルグベクが息子の差し向けた刺客によって首を切られ殺されたという伝えが事実であったことが証明された。この報告はずっと以前なにかで読んだ。
そのとき骨格に肉づけし、作り上げたのが今日チムールの像としてつかわれている。ここのチムール像も、タシケントの騎馬像も。
ブルーモスクの屋根には64本の縦じまの溝があるそうだ。
次に天文台を見る。チムールの孫のウルグベクは非凡な才能の持ち主であったらしい。為政者というより聡明な学者、また優れた天文学者でもあり、メドレッセで教鞭をとったりもしていた。ウルグベクのメドレッセでは貧しい家の子どもたちにも数学や哲学、天文学などが教えられた。1428年に天文台が作られた。彼は六分儀をそなえ、ドームの穴から星の観察し、地動説を唱えた。ガリレオが現れる100年も前のことである。17世紀半ばにこの観測の蓄積、天文表がヨーロッパに伝えられる。
1年を365日6時間10分8秒と計算して現在と1分しかちがわなかったそうだ。しかし、彼は地動説に反感を抱く、イスラム狂信者にそそのかされた息子の放った刺客によって殺され、彼を殺した息子も後に殺され、チムール帝国は滅びていくのである。天文台があったことは分かっていたのだが、破壊されていたので、発見されるまでには時間がかかった。
天文台を後にして車に乗ると、パンのいい香り。サマルカンドのパンは美味しいので有名だとか。子どものお土産にラーヒムが買って積んだのだ。そうだ、もう旅も終わりに近づいたのだ。
タシケントへ向かう。以前のルートは一部カザフスタン国内を通っていたのだが、それが禁止され、回り道をするので時間がかかるようになったと説明があった。
「なぜ禁止されたの?」と聞きたがり屋のオバサン。
カザフスタンはウズベキスタンより物価が安い。そんなことで両国の経済格差の結果、問題が生じたのだという。そんなこと、国境を接しているところではたくさんあるんだが。
お腹を心配したが、その点は大丈夫だった。途中、蜂蜜の産地で車を止める。薔薇の蜂蜜。綿花の蜂蜜。山の花の蜂蜜・・と種類も豊富だ。薔薇の蜂蜜をなめさせてもらったが、さっぱりしていて、しかも、ちゃんと薔薇の香りもある。うん、これは美味しい。本物であることを証明するのだと、どのビンにも蜂の巣が切って入れてある。1ビン、600スム(3ドル)。安いし、美味しいし、めずらしい。でも、持っていくにはちょっと大きい。小さいビンがあれば買うんだがとためらい、結局、荷物のことを考えてやめにする。
少し先のチャイハナ、ここで昼食をとる。ポプラの樹木の下での食事だ。今回もお茶とパンをかじって我慢しているが、空腹感は覚えない。
さらに果てしなく続く草原を越えて車は走り続ける。赤いポピーが草原を赤く染めている。アマポーラだねぇ。スペインの山野を赤く染めていたアマポーラはこっちから旅をしていったものなのか。草原を見ていると、遠い日に思いがはせる。大陸を移動した人や物や文化の流れ。他方、軍隊も幾度となく通って行ったこの道。この道は民族興亡の歴史を見続けてきたのだろう。そして、これからも。人間のすることはいつの世もさして変わらない。
日が射し出すと暑くなる。「シボーニア ジャールカ(今日は暑い)」青空トイレによる。すっかりなれた。
集落の近くの太い鉄塔にコウノトリの巣がいくつもかかっている。よく見ると、親鳥の姿も見える。これから子育てなのだろう。
「ほら、コウノトリの巣だよ。親鳥もいるよ」と教えると、
「もっと近くで見たい」というが、いくらコウノトリが人間好きでも車道のそばには巣はかけないだろう。飛んでいる姿がないかと探すがその影もない。
シルダリアを渡る。これでウズベキスタンを囲むように流れるアムダリア、シルダリアの二本の河を渡った。
タシケントに入った。地方から帰って見ると、やはり首都。
タシケントは緑も豊かだし、都市が整備されてきれいだ。
「だってタシケントだもん」と二言目にはタシケントっ子のスウェタがいう。
「このパン美味しい」「だってタシケントだもん」
「みんなおしゃれだね」「だってタシケントだもん」
私たちも、言い返される前に「だってタシケントだもん」
初めは民族服を見ると、写真に撮りたくて撮りたくてうずうずした。しかし民族服の中にずっといるとごくごく当たり前になってしまい、また都会で民族服が少なくなると、着ている人が実に新鮮に見える。
以前、ドイツのフライブルクにホームステイしたとき、そこの主人が日本で撮った写真を見せてくれた。赤ちゃんをねんねこでおんぶしているお母さん、和服で駅のベンチに座っているおじいさん、電車の中の風景・・、いまでは見られなくなってしまったが、当時の日本人のごくごく普通の姿ばかり。きっと外国人の目には、新鮮だったのだろう。そういう風景は知っているが、もう見られなくなってしまった当時の私にも、とても新鮮ないい写真だった。
ホテル・ポイヤットについた。ラーヒムとスウェタに心ばかりの心づけを渡す。日ごろ無口のラーヒムが
「12日間いっしょの車で旅をして、一緒に食事をし、もう家族のようだ。」と挨拶した。
私たちは拍手をした。ほんと細かな心遣いをするいいドライバーだった。感謝!感謝!そう、ラーヒムのお母さんと私は同い年なんだよね。これで家族とやっと会えるね、ラーヒム。子ども達がパパのかえりを待っているよ。長い出張だったねぇ。ごくろうさん。
今度は403号室。中庭に面したきれいな部屋だ。さっそくホテルのインターネットに行く。日本語が打ち込めるかと思っていたら、
結局英語のみ。頭が真っ白。単語が出てこないので少し書いて諦めてもどる。それでも大分なれた。PCを自分だけで操作してメールを送ることが出来るようになったのだから。1時間は3000スムだった。20分1000スムの計算なのだという。
6時、食事に行く。パンは美味しい。どこのパンも美味しかったが、タシケントのパンはなるほど美味しい。
「だってタシケントだもん」を連発している。
サラダとパンとウクライナ風ボルシチを食べ、メインは食べずにいる。バスタブに湯を張り、ゆったりとつかる。やっぱり日本人だ。
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