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7月8日(木)<br /><br />今日でマサイマラともお別れだ。過ぎてみればあっという間のことのように思われる。<br /><br />5時起床。朝方いつものようにゴボゴボいう声を聞いた、が窓をあけてみなかった。ほんとは上の鍵が閉まっていて、イスを持ってこなければ、チビの私には届かなかったのだ。<br />荷物をまとめる。<br /><br />6時半、朝食。<br />思い出したように折り紙をとり出し、鶴を折っている。<br /><br />はきなれたサンダルはここにおいていこう。<br />もしかしたらだれかが使ってくれるかもしれない。<br />フロントに鍵を返しに行くと、顔見知りになった部屋係が追いかけてきて<br />「マダム、シューズを忘れています」といってサンダルを持ってきてくれた。<br />「ありがとう、でも、それ置いていくから、使ってくれない?」<br /><br />7時半、出発。これからナイロビまで長いドライブだ。<br />クワヘーリ、マサイマラ。バイバイ、サファリ!<br />インパラがいる。クワへーリ。<br />シマウマ、ヌー、クワヘーリ。<br /><br />マサイ村も通る。伝統的な牛糞の家もあるが、トタンぶきの家も多くなった。<br /><br />公園の出口を過ぎると、来たときの道を引き返すことになる。<br />土煙の道、行き交う車でほこりが立ち、前が見えない。<br />「雨季と乾季とどっちが運転しやすい?」<br />「ほこりはひどいけど乾季。雨季には車輪が取られて動けなくなる。マサイマラの低いところはプールになる」<br /><br />広い道なのだが、車はでこぼこを避けていいところだけを走るから、交通規則なんてあってなきがごとく。ダンカンさんが「面白い道」だという。こんな悪路、日本にはないだろうから、悪い道ではなく、面白い道だというのだ。Mさんが「この道で平気だったから、もうどこへいっても大丈夫ね」という。いえいえ、こんなのいい方だと思うけど。<br /><br />往きに見た「金持ちの畑」で男性がひとり背中にタンクを背負って農薬を噴霧している。<br />「おお、見ちゃった、見ちゃった。」<br />お金持ちだから農薬が撒けるんだろうか、それとも全体が農薬漬けなんだろうか。彼は小作人なんだろうか、単なる雇われ人なんだろうか。<br /><br />トイレ休憩。でも買い物好きのオバサンたちも、もう買わない。<br />大地溝帯を走る。ナイバシャから右に折れ、ナイロビへの道を戻る。ここらへんは良い道だ。大地溝帯の道は、第二次世界大戦時のイタリアの捕虜がつくった道だそうだ。<br />そういえばアフリカ戦線で活躍した「砂漠の狐」といわれた将軍がいたなぁ。だれだっけ?そうだ、ロンメルといったっけ。でも彼はナチスだったな。近くにイタリア人が建てた小さな教会も残っている。<br /><br />展望台から大地溝帯を見る。ガスっていて、見とおしは悪い。往きに見とけばよかったのに、と残念がっている。ガスっていなければ、二つの山の連なりの間に、平地が続いている風景が見られたのだろう。それにしても大地溝帯はゆるやかな、おおらかな大地の裂け目だ。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・               <br />註;地質学者がくれたメールから<br /><br />アフリカ大地溝帯が出来始めたのは、4千万年くらい前からと推定されています。この大地溝帯のところで、アフリカ大陸は西と東に分離し始めたのです。その速度は年に3ミリメートルくらいといわれています。この大地溝帯の地殻変動で東西を隔てる峡谷と高地ができるまでは、東アフリカ一帯は湿った西風が吹き抜ける多雨な平原で、現在コンゴ側にみられるような鬱蒼とした熱帯樹林が広がっていたと考えられるのです。<br /><br />その後地溝帯に沿って4000m以上の高地が出来、西から吹いていた湿った空気がその山のおかげで、地溝帯の東側に入ってこなくなったんです。<br /><br />アフリカの東側は、湿った空気が入ってこなくなったおかげで乾燥が進み現在のサバンナが形成されるようになったんです。<br />実は、サバンナ形成されたおかげで、現在の人間の祖先のアウトラル・ピテクス(猿人)が生まれたんです。<br /><br />西側のジャングル地帯では、食料が富だったため進化しなくても食料が手に入ったのですが、サバンナでは食料が不足して、その中で生きていくために、猿から二足歩行の猿人⇒人間と進化して行ったんです。その他、動物もジャングルとサバンナでは進化の仕方が変わってきたんです。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br /><br />胸に白い三角の縁取りのあるサルがいる。ハイラックスもいる。<br />みやげもの屋が日本語で「モグラ、モグラ」というので「モグラは地中に住んでいて、<br />地表にはなかなか出て来ない。あれはモグラではない」と教える。<br />ここにヒゲぼうぼうの若い男性がいた。一見、日本人とは思えないような風体。<br />向こうから声をかけてきた。愛知の出身で2年間旅をしていると言う。<br />「プー太郎なの?」ときくと、「150万円余りをためて旅に出た。そろそろ資金が底をついてきたから日本へ帰ろうかと思っている」と。アルバイトをしながらの旅ではなさそう。<br />「ごはん、ちゃんと食べてる?」<br />「はい、大丈夫です」<br />これからサファリに出かけるのだそうだ。そこへ3日前宿で一緒になったという若い女性が現れた。<br />「ま、若いうちに世界を見とくのもわるいことじゃない。頑張って!」といって別れた。<br /><br />車に乗るとHさんが「あの女の子がね、年寄りの女性4人でアフリカを旅するのはめずらしいって言ったのよ」<br />「あんらまぁ失礼な」<br />「なんか言ってやった?」<br />「ううん。返す言葉がなかったわ」<br />「情けないね」<br />「あの子達からみたら年寄りには違いないけど、私だったらいじめちゃったのに。<br />きっと彼女も悪気で言ったわけじゃないと思うけど、言葉の使い方をおしえてやらにゃ〜」<br />とまわりはかしましい。<br /><br />ナイロビに入る。<br />そのままわき道に入って、カレン・ブリクソンの住んでいた家へ行く。映画「愛と悲しみのはてに」の原作を書いた人だ。<br />「Out of Africa」は日本では「アフリカの日々」と訳されている。彼女はデンマークの貴族で結婚してコーヒー農園の女主人となる。ケニアでの18年間をつづった本だ。自然描写がとてもきれい。農場経営に関心のない夫の女遊び、挙句の果て夫に梅毒をうつされ、子どもが生めない体にされ、農園を手放して去るまでの自伝的な小説だ。アメリカでアイザック ディネーセンという男性のペンネームで出版、好評を得て、作家としてデビュー。映画では苦境の中で芽生えたロマンスが中心だが。<br /><br />記念館は広い庭、瀟洒な建物。飾られている調度品も支配階級の暮らしぶリが伺える。床にはライオンやヒョウの敷物。著書の中で狩猟に熱中していたとあったから、この毛皮も自分でしとめたものなのだろう。狩は貴族の遊びだったからだけど、殺した動物の頭を残したこういう敷物や飾り物は、私にはいただけない。小説にしても階級的な表現には、いまの日本人である私には違和感を覚えるけどね。<br /><br />そのあたりは緑いっぱいの素敵な住宅街。<br />「ここに住んでいる人ってどういう人?」<br />「お金持ち」<br />「あはは、それはわかるよ。外国人か、それともケニアの金持ちか?」<br />「両方いる」<br />植民地時代はここらへんは外国人が多かったようだが、今はどういう金持ちなんだろう。<br /><br />その次にジラフ・センターへ行く。ここでAさんと会う。<br />ここにはマサイキリンでも網目キリンでもない、違ったキリンが7頭飼われている。種類を教えてもらったんだけど名前忘れた。<br />ダンカンさんの親友とも出会った。<br />ということはあの日本人団体さんはマサイマラに1泊してもうナイロビに戻ってきたんだ。ずいぶん強行軍だ。いろんな動物たちに会えたかなぁ。<br /><br />金持ちの住宅街を見た後にスラムを見る。びっしりと建てこんだごちゃごちゃの家々。ここはソヘトにつぐアフリカ第二のスラムだと言う。JICAやNGOもここで活躍しているらしい。今回はナイロビにいる時間が短いので、NGOの人たちへの運び屋を買って出なかったが、なるほどね、ここなんだ。Aさんから少しここの人の暮らしぶりを聞いた。<br /><br />アフリカン・バーベキューの昼食。むかしの駅弁売りのようなスタイルでダワというラムとジンと蜂蜜とライムの入った飲み物を売りに来る。1杯300シリング。おいしい。昼間からキツイかな、と言いながらも、これをお代わりする。<br /><br />熱い鉄板が運ばれ、金串にさして焼いた肉を持った人がくるので、好みの肉をもらう。テーブルの中央にいろんなソースが並び、肉によってそれをつけて食べる。チキン、ポーク、ビーフ、ラム、ミートボール、エキストラ スペシャルはキリンとワニとダチョウの肉。チキンもやポークも、ラムもビーフも美味しかった。スペシャルを「頂戴!」と貰ったけど、肉という以外、さほどおいしいとは思わない。<br />「キリンはさっきかわいいと言って見てきたのに。残酷ね」とHさん。<br />「じゃぁ、食べない?」<br />「ううん、食べる、食べる」<br />なんのこっちゃ。<br /><br />スーパーへ行った。広いスーパーだ。試みにケニア産の一番品質がいいという紅茶とコーヒーを買ってみた。ケニアの品質のいいものは輸出用で国内用は中級品以下だと聞いていた。以前第3世界ショップからウガンダのウジャマティを買っていたことがある。ケニア滞在中はずっと紅茶を飲んでいた。ティーバッグの紅茶である。水が悪いからおいしいとは思わなかったが、まずいとも思わなかった。外国に来ると、日本の水には感謝だ。まして都会と違って、日ごろ水質のいい水を飲んでいるから。<br />ついでにケチャップの棚に行って、添加物を調べていた。<br />私は食べなかったが、他の人がオムレツにかけるケチャップの色を見てちょっと気になっていたのだが、やはり着色料が入っている。この国は添加物の規制はうるさくないのかな、その辺の事情は分からない。<br /><br />(帰国後、デパートでケニア紅茶を買った。ケニアで飲んでいたものとは全然違って、上品な香りと味。すっかり気に入って愛用している。)<br /><br />つづいて街中のみやげ物屋へ行った。インド人が経営するその店は客が入るたびに鍵をかける。オバサンたちの買い物は時間がかかる。待ちくたびれた、というより冷房はいやだったが、外に出ることが出来なくて冷房に参ってしまった。車で待っていればよかった。「ケニア経済に貢献してるんです」とオバサンたちのいいわけ。「でもここはインド人のお店ですから。税金は国に入りますが」とAさん。たしかに同じ商品でも、観光客がよろこびそうな品揃え、値段もリーズナブル。どこでもインド商人はやっぱり商売上手。これじゃ〜ケニアの一般商人は負けるな。観光局あたりが考えてもよさそうだ。<br /><br />そのあと夕食に日本料理の店に行った。お昼の焼肉が残っていて、ぜんぜんいただけなかった。<br /><br />日の落ちた町を空港へ向かう。まっすぐな道の街灯の下にブロックごとに色を変えた四角いきれいな広告灯がならんでいる。広告は日本と韓国企業のものばかり。「ここには日本車がずいぶん入ってますね。カイロではヒュンダイが多かったけど」<br />「ええ、頑張ってます。でもヒュンダイも入ってますよ」とAさん。「一度も見かけなかったな」<br /><br />7時近く、ケニアッタ空港に着く。<br />車を移動させなければならないので、ダンカンさんとはここでお別れ。お世話になりました。アサンテ サーナ。クワヘーリ(ありがとう、さようなら)<br /><br />植え込みにバッグをのせ、あわててもう不要な薬や日焼け止めなど、Aさんに置いていく。一応少しだが持っては来たが薬はほとんど使っていない。夕べのうちに出しておけばよかった。<br /><br />チェックイン前に持ち物も荷物全部のチェックがある。それを済ませてからチェックインして荷物を預けるくどいくらいに行き先はアムステルダムだと念を押して。荷物だけさきに成田に行ったら困っちゃうものナ。私のバッグは5.3kgが7kgと増えている。本のせいだ。Hさんは28kgで8kgオーヴァー。私が少ないから助かってるんだよ、差額分取るよ。<br /><br />イミグレでまたチェック。ひとつずつ荷物を開けさせている。<br />私のカメラバッグも開けられた。2カメラ、ストロボ、モバイル、と説明していく。と前面のポケットに、プラスチックケースにおさまった電動歯ブラシの替え芯が入っていた。しまった。ほんの3cmほどの小さなものだから気がつかなかった。「これはなにか?」というので「歯ブラシの替え芯だ」というとケースを返してよこした。家に帰って、ケースを開けたら、中の金属は抜き取られていた。あんな小さなものなのにね。<br /><br />空港にインターネットがあると教えてもらったけど、探している時間がなくなってしまった。おとなしく待合室に入る。今度はKLMの飛行機で乗務員も見慣れた青い制服。窓側から横並びに4つ。ひとり中央という席順だ。満席だけど、これならトイレも大丈夫。この飛行機にもモニターがついている。ゲームをやって遊んでいる。<br />どうして日本への便にはついていないんだ、KLM。ブツブツ、ブツブツ。<br /><br />一眠りして外を見ると下に点々と灯りが見える。マップを見るとシチリア上空だ。光の点でシチリアの形がわかる。Mさんの隣のケニア人がモニターの使い方が分からないと聞いてくる。そこで席を立って教えに行く。えへへ、オバサンだって、少しは扱えるんだよね。<br /><br />

ジャンボ ハバリ9

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2004/07/01 - 2004/07/13

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buchijoyce

buchijoyceさん

7月8日(木)

今日でマサイマラともお別れだ。過ぎてみればあっという間のことのように思われる。

5時起床。朝方いつものようにゴボゴボいう声を聞いた、が窓をあけてみなかった。ほんとは上の鍵が閉まっていて、イスを持ってこなければ、チビの私には届かなかったのだ。
荷物をまとめる。

6時半、朝食。
思い出したように折り紙をとり出し、鶴を折っている。

はきなれたサンダルはここにおいていこう。
もしかしたらだれかが使ってくれるかもしれない。
フロントに鍵を返しに行くと、顔見知りになった部屋係が追いかけてきて
「マダム、シューズを忘れています」といってサンダルを持ってきてくれた。
「ありがとう、でも、それ置いていくから、使ってくれない?」

7時半、出発。これからナイロビまで長いドライブだ。
クワヘーリ、マサイマラ。バイバイ、サファリ!
インパラがいる。クワへーリ。
シマウマ、ヌー、クワヘーリ。

マサイ村も通る。伝統的な牛糞の家もあるが、トタンぶきの家も多くなった。

公園の出口を過ぎると、来たときの道を引き返すことになる。
土煙の道、行き交う車でほこりが立ち、前が見えない。
「雨季と乾季とどっちが運転しやすい?」
「ほこりはひどいけど乾季。雨季には車輪が取られて動けなくなる。マサイマラの低いところはプールになる」

広い道なのだが、車はでこぼこを避けていいところだけを走るから、交通規則なんてあってなきがごとく。ダンカンさんが「面白い道」だという。こんな悪路、日本にはないだろうから、悪い道ではなく、面白い道だというのだ。Mさんが「この道で平気だったから、もうどこへいっても大丈夫ね」という。いえいえ、こんなのいい方だと思うけど。

往きに見た「金持ちの畑」で男性がひとり背中にタンクを背負って農薬を噴霧している。
「おお、見ちゃった、見ちゃった。」
お金持ちだから農薬が撒けるんだろうか、それとも全体が農薬漬けなんだろうか。彼は小作人なんだろうか、単なる雇われ人なんだろうか。

トイレ休憩。でも買い物好きのオバサンたちも、もう買わない。
大地溝帯を走る。ナイバシャから右に折れ、ナイロビへの道を戻る。ここらへんは良い道だ。大地溝帯の道は、第二次世界大戦時のイタリアの捕虜がつくった道だそうだ。
そういえばアフリカ戦線で活躍した「砂漠の狐」といわれた将軍がいたなぁ。だれだっけ?そうだ、ロンメルといったっけ。でも彼はナチスだったな。近くにイタリア人が建てた小さな教会も残っている。

展望台から大地溝帯を見る。ガスっていて、見とおしは悪い。往きに見とけばよかったのに、と残念がっている。ガスっていなければ、二つの山の連なりの間に、平地が続いている風景が見られたのだろう。それにしても大地溝帯はゆるやかな、おおらかな大地の裂け目だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・               
註;地質学者がくれたメールから

アフリカ大地溝帯が出来始めたのは、4千万年くらい前からと推定されています。この大地溝帯のところで、アフリカ大陸は西と東に分離し始めたのです。その速度は年に3ミリメートルくらいといわれています。この大地溝帯の地殻変動で東西を隔てる峡谷と高地ができるまでは、東アフリカ一帯は湿った西風が吹き抜ける多雨な平原で、現在コンゴ側にみられるような鬱蒼とした熱帯樹林が広がっていたと考えられるのです。

その後地溝帯に沿って4000m以上の高地が出来、西から吹いていた湿った空気がその山のおかげで、地溝帯の東側に入ってこなくなったんです。

アフリカの東側は、湿った空気が入ってこなくなったおかげで乾燥が進み現在のサバンナが形成されるようになったんです。
実は、サバンナ形成されたおかげで、現在の人間の祖先のアウトラル・ピテクス(猿人)が生まれたんです。

西側のジャングル地帯では、食料が富だったため進化しなくても食料が手に入ったのですが、サバンナでは食料が不足して、その中で生きていくために、猿から二足歩行の猿人⇒人間と進化して行ったんです。その他、動物もジャングルとサバンナでは進化の仕方が変わってきたんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


胸に白い三角の縁取りのあるサルがいる。ハイラックスもいる。
みやげもの屋が日本語で「モグラ、モグラ」というので「モグラは地中に住んでいて、
地表にはなかなか出て来ない。あれはモグラではない」と教える。
ここにヒゲぼうぼうの若い男性がいた。一見、日本人とは思えないような風体。
向こうから声をかけてきた。愛知の出身で2年間旅をしていると言う。
「プー太郎なの?」ときくと、「150万円余りをためて旅に出た。そろそろ資金が底をついてきたから日本へ帰ろうかと思っている」と。アルバイトをしながらの旅ではなさそう。
「ごはん、ちゃんと食べてる?」
「はい、大丈夫です」
これからサファリに出かけるのだそうだ。そこへ3日前宿で一緒になったという若い女性が現れた。
「ま、若いうちに世界を見とくのもわるいことじゃない。頑張って!」といって別れた。

車に乗るとHさんが「あの女の子がね、年寄りの女性4人でアフリカを旅するのはめずらしいって言ったのよ」
「あんらまぁ失礼な」
「なんか言ってやった?」
「ううん。返す言葉がなかったわ」
「情けないね」
「あの子達からみたら年寄りには違いないけど、私だったらいじめちゃったのに。
きっと彼女も悪気で言ったわけじゃないと思うけど、言葉の使い方をおしえてやらにゃ〜」
とまわりはかしましい。

ナイロビに入る。
そのままわき道に入って、カレン・ブリクソンの住んでいた家へ行く。映画「愛と悲しみのはてに」の原作を書いた人だ。
「Out of Africa」は日本では「アフリカの日々」と訳されている。彼女はデンマークの貴族で結婚してコーヒー農園の女主人となる。ケニアでの18年間をつづった本だ。自然描写がとてもきれい。農場経営に関心のない夫の女遊び、挙句の果て夫に梅毒をうつされ、子どもが生めない体にされ、農園を手放して去るまでの自伝的な小説だ。アメリカでアイザック ディネーセンという男性のペンネームで出版、好評を得て、作家としてデビュー。映画では苦境の中で芽生えたロマンスが中心だが。

記念館は広い庭、瀟洒な建物。飾られている調度品も支配階級の暮らしぶリが伺える。床にはライオンやヒョウの敷物。著書の中で狩猟に熱中していたとあったから、この毛皮も自分でしとめたものなのだろう。狩は貴族の遊びだったからだけど、殺した動物の頭を残したこういう敷物や飾り物は、私にはいただけない。小説にしても階級的な表現には、いまの日本人である私には違和感を覚えるけどね。

そのあたりは緑いっぱいの素敵な住宅街。
「ここに住んでいる人ってどういう人?」
「お金持ち」
「あはは、それはわかるよ。外国人か、それともケニアの金持ちか?」
「両方いる」
植民地時代はここらへんは外国人が多かったようだが、今はどういう金持ちなんだろう。

その次にジラフ・センターへ行く。ここでAさんと会う。
ここにはマサイキリンでも網目キリンでもない、違ったキリンが7頭飼われている。種類を教えてもらったんだけど名前忘れた。
ダンカンさんの親友とも出会った。
ということはあの日本人団体さんはマサイマラに1泊してもうナイロビに戻ってきたんだ。ずいぶん強行軍だ。いろんな動物たちに会えたかなぁ。

金持ちの住宅街を見た後にスラムを見る。びっしりと建てこんだごちゃごちゃの家々。ここはソヘトにつぐアフリカ第二のスラムだと言う。JICAやNGOもここで活躍しているらしい。今回はナイロビにいる時間が短いので、NGOの人たちへの運び屋を買って出なかったが、なるほどね、ここなんだ。Aさんから少しここの人の暮らしぶりを聞いた。

アフリカン・バーベキューの昼食。むかしの駅弁売りのようなスタイルでダワというラムとジンと蜂蜜とライムの入った飲み物を売りに来る。1杯300シリング。おいしい。昼間からキツイかな、と言いながらも、これをお代わりする。

熱い鉄板が運ばれ、金串にさして焼いた肉を持った人がくるので、好みの肉をもらう。テーブルの中央にいろんなソースが並び、肉によってそれをつけて食べる。チキン、ポーク、ビーフ、ラム、ミートボール、エキストラ スペシャルはキリンとワニとダチョウの肉。チキンもやポークも、ラムもビーフも美味しかった。スペシャルを「頂戴!」と貰ったけど、肉という以外、さほどおいしいとは思わない。
「キリンはさっきかわいいと言って見てきたのに。残酷ね」とHさん。
「じゃぁ、食べない?」
「ううん、食べる、食べる」
なんのこっちゃ。

スーパーへ行った。広いスーパーだ。試みにケニア産の一番品質がいいという紅茶とコーヒーを買ってみた。ケニアの品質のいいものは輸出用で国内用は中級品以下だと聞いていた。以前第3世界ショップからウガンダのウジャマティを買っていたことがある。ケニア滞在中はずっと紅茶を飲んでいた。ティーバッグの紅茶である。水が悪いからおいしいとは思わなかったが、まずいとも思わなかった。外国に来ると、日本の水には感謝だ。まして都会と違って、日ごろ水質のいい水を飲んでいるから。
ついでにケチャップの棚に行って、添加物を調べていた。
私は食べなかったが、他の人がオムレツにかけるケチャップの色を見てちょっと気になっていたのだが、やはり着色料が入っている。この国は添加物の規制はうるさくないのかな、その辺の事情は分からない。

(帰国後、デパートでケニア紅茶を買った。ケニアで飲んでいたものとは全然違って、上品な香りと味。すっかり気に入って愛用している。)

つづいて街中のみやげ物屋へ行った。インド人が経営するその店は客が入るたびに鍵をかける。オバサンたちの買い物は時間がかかる。待ちくたびれた、というより冷房はいやだったが、外に出ることが出来なくて冷房に参ってしまった。車で待っていればよかった。「ケニア経済に貢献してるんです」とオバサンたちのいいわけ。「でもここはインド人のお店ですから。税金は国に入りますが」とAさん。たしかに同じ商品でも、観光客がよろこびそうな品揃え、値段もリーズナブル。どこでもインド商人はやっぱり商売上手。これじゃ〜ケニアの一般商人は負けるな。観光局あたりが考えてもよさそうだ。

そのあと夕食に日本料理の店に行った。お昼の焼肉が残っていて、ぜんぜんいただけなかった。

日の落ちた町を空港へ向かう。まっすぐな道の街灯の下にブロックごとに色を変えた四角いきれいな広告灯がならんでいる。広告は日本と韓国企業のものばかり。「ここには日本車がずいぶん入ってますね。カイロではヒュンダイが多かったけど」
「ええ、頑張ってます。でもヒュンダイも入ってますよ」とAさん。「一度も見かけなかったな」

7時近く、ケニアッタ空港に着く。
車を移動させなければならないので、ダンカンさんとはここでお別れ。お世話になりました。アサンテ サーナ。クワヘーリ(ありがとう、さようなら)

植え込みにバッグをのせ、あわててもう不要な薬や日焼け止めなど、Aさんに置いていく。一応少しだが持っては来たが薬はほとんど使っていない。夕べのうちに出しておけばよかった。

チェックイン前に持ち物も荷物全部のチェックがある。それを済ませてからチェックインして荷物を預けるくどいくらいに行き先はアムステルダムだと念を押して。荷物だけさきに成田に行ったら困っちゃうものナ。私のバッグは5.3kgが7kgと増えている。本のせいだ。Hさんは28kgで8kgオーヴァー。私が少ないから助かってるんだよ、差額分取るよ。

イミグレでまたチェック。ひとつずつ荷物を開けさせている。
私のカメラバッグも開けられた。2カメラ、ストロボ、モバイル、と説明していく。と前面のポケットに、プラスチックケースにおさまった電動歯ブラシの替え芯が入っていた。しまった。ほんの3cmほどの小さなものだから気がつかなかった。「これはなにか?」というので「歯ブラシの替え芯だ」というとケースを返してよこした。家に帰って、ケースを開けたら、中の金属は抜き取られていた。あんな小さなものなのにね。

空港にインターネットがあると教えてもらったけど、探している時間がなくなってしまった。おとなしく待合室に入る。今度はKLMの飛行機で乗務員も見慣れた青い制服。窓側から横並びに4つ。ひとり中央という席順だ。満席だけど、これならトイレも大丈夫。この飛行機にもモニターがついている。ゲームをやって遊んでいる。
どうして日本への便にはついていないんだ、KLM。ブツブツ、ブツブツ。

一眠りして外を見ると下に点々と灯りが見える。マップを見るとシチリア上空だ。光の点でシチリアの形がわかる。Mさんの隣のケニア人がモニターの使い方が分からないと聞いてくる。そこで席を立って教えに行く。えへへ、オバサンだって、少しは扱えるんだよね。

  • ブリクセンの家の庭で

    ブリクセンの家の庭で

  • バーベキュー

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