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<br /><br /><br /><br />上高地・徳沢-大滝山-蝶ヶ岳<br />というコースが好きだった。<br />ぼくがまだ二十代前半の頃だ。<br /><br />初めて燕岳に登ったのは、大学生のとき。大学主催の行事だった。<br />体育の授業の一環、ということで、<br />なんのことはない、体育の単位ほしさにくっついて行ったのだった。<br />大学に行っても体育なんて授業があるのは信じられなかった。<br />体育が嫌いだった。<br />みんなで同じことをさせられるというのは、ともかく嫌いだった。<br />だから、普段の授業の出席数の不足を<br />この機会に何とかしようとしたのだった。<br /><br />でも、それがきっかけになった。<br />思いもかけず、ぼくは山に憑かれてしまったのだ。<br />そして翌年の夏、ぼくは練りに練った計画を実行した。<br />それがこのコースだった。<br /><br />●徳沢〜大滝山〜蝶ヶ岳<br />徳沢から大滝山への、徳沢の流れに沿った渓流の道を<br />ぼくとそのとき同行した友達と三人楽しく登った。<br />そしてようやく樹木が切れ、高山帯に入ったところで、<br />ぼくたちはヌッと現れた穂高の山並みに立ちすくんだ。<br />白や黄色の花がぎっしり視界を埋め、<br />その向こうに雪と岩の槍・穂高が、どん、と並んでいた。<br /><br />天国、というのはこういう場所なのではないかと思った。<br />そしてその天国の真っ只中に大滝小屋があった。<br /><br />穂高に落ちる夕日の光景を堪能したぼくたちは、<br />お決まりのカレーライスの夕食を食って、<br />寒さに震えながら星空と穂高のシルエットを楽しんで、<br />そして、狭い山小屋の寝室に雑魚寝した。<br /><br />翌朝は、頼んでおいたおにぎりを持って、<br />その物凄い風景の中を蝶ヶ岳に向かった。<br />幸い、山は快晴が続いていた。<br /><br />大滝山-蝶ヶ岳-常念岳は、<br />梓川の上流の狭い谷を挟んで槍・穂高と平行している。<br />大滝山-蝶ヶ岳の尾根と穂高連峰との距離はわず6〜7km<br />穂高の稜線が信じられないような至近距離にずらりと並ぶ。<br /><br />そのことは計算済みの計画だったが、<br />その眺めがここまで凄いとはさすがに想像できなかった。<br /><br />軽い登り下りを繰り返しながら、夢心地で尾根道を歩いた。<br />大滝山からの槍・穂高は、<br />手前に張り出した長塀山の低い尾根が眺めの下半分を隠している。<br />しかし蝶ヶ岳に向かって進むにつれて、<br />その邪魔な尾根はなくなり、<br />池というよりも水溜りみたいな「蝶の池」まで来ると、<br />もう何の邪魔ものもない槍・穂高連峰が立ちはだかる。<br /><br />凄い。<br />声も出なかった。<br />ぼくたちはそこに立ちすくんだ。<br />人の気配はほとんどなかった。<br />その頃、大滝-蝶のコースは<br />一般にはまだあまり知られていなかった。<br /><br />槍・穂高に登ることはもちろん考えた。<br />というより、ふつうはまず槍・穂に登る。<br />でも…、地図を見ながらぼくは考えた。<br />こっちのいくらか低い尾根に上ったら、<br />このガイドブックにあるこの写真の物凄い山並みが、<br />よっく見えるのではないか…<br /><br />ガイドブックはようやく一種類、出たばかりだった。<br />その、たった一つしかない資料を頼りに、<br />山小屋に手紙を出していろいろ聞き出し、<br />一年がかりでぼくは計画を練った。<br /><br />だから、目の前にひろがった、<br />ぼくの想像をはるかに越えた眺めに、ぼくは満足していた。<br />興奮もしていた。<br /><br />21世紀になった今、蝶ヶ岳には山小屋がある。<br />でもそのときはまだなかった。<br />その物凄い眺めの真っ只中に立っている今の蝶ヶ岳小屋は、<br />その翌年、ぼくがもう一度同じ場所を訪れたとき、<br />大滝小屋の主人によって建設中だった。<br /><br />それから、今では徳沢から大滝山に登る沢沿いのコースは<br />廃道になっているらしい。<br />大滝山へは、松本側からのルートか、<br />それとも横尾から蝶に登って、尾根伝いに来るか。<br /><br />大滝小屋はまだあるが、どっちにしても、<br />あそこに泊まる人は少なくなっただろう。<br />今、大滝小屋と蝶ヶ岳小屋は、<br />あのときの大滝小屋の主人だった<br />中村善親氏のお嬢さんが経営していると聞いている。<br /><br /><br />その翌年の夏、ぼくはまったく同じコースをもう一度歩いた。<br />同じように天候に恵まれ、<br />同じように物凄い眺めを楽しむことが出来た。<br />次の年も、ぼくはそこにやって来た。<br />その年は常念岳まで足を延ばして常念の小屋に泊まった。<br /><br />そしてそれから毎年、ぼくは北アルプスのどこかに登った。<br />山にとりつかれていた。<br /><br /><br />上高地というこの傑出した観光地も、<br />当時のぼくには<br />山への通過点に過ぎなかったけれども、<br />徳沢へ、横尾へと先を急ぎながら<br />ぼくは梓川の流れや、<br />谷間の狭い平地を囲む山々に惹かれた。<br />ことにぼくは、ふわふわと白い煙を上げる焼岳の姿が好きだった。<br /><br /><br />●秋の上高地<br />そしてある年の秋、ぼくは初めて「上高地だけ」を訪れた。<br />明神池の山のひだやに泊まったのだが、<br />なんと2泊3日を見事に全部雨の中で過ごす結果になった。<br /><br />雨もいいものですよ、<br />とか、<br />雨の上高地の風情が好きです、<br />とか、<br />そういうことを言う人はよくいるけれども、<br />それはしょっちゅう来てる暇人とか、<br />何週間も滞在できる、やっぱり暇人にだけ言えることで、<br />たまにしか来られなくて、<br />そしてせいぜい2泊3日ぐらいしか滞在できない人には<br />上高地はやっぱりすっきり晴れてほしい。<br />あのときもしぼくが、<br />「いや、雨もまたいいものですよ」<br />なんて言ったら、<br />それは負け惜しみでしかないでしょう。<br /><br />その次に秋の上高地に来たときも、<br />雨ではなかったけれども異常寒波で、<br />物凄い風が吹いて、<br />とても散策どころではなかった。<br />天気予報は明日も同じ天気、ということで、<br />ぼくはもうその日のうちに逃げ出す気になって、<br />バス停の食堂で蕎麦を食いながら、<br />次のバスを待った。<br /><br />そして2002年秋、<br />ようやくぼくは快晴の上高地に出会うことが出来た。<br />その日は朝起きたら快晴。<br />天気図を見たら、でっかい高気圧がどんと居座ってる。<br />お、上高地行くか、<br />てわけで、唐突に出かけ、最終のバスで入り、<br />初めて河童橋の近くに泊まった。<br /><br />上高地には二段ベッドの相部屋を設けている宿が<br />何軒かある。<br />ぼくが知っている限りでは5軒。<br />河童橋付近では、<br />五千尺ロッジ、西糸屋別館、安曇村営アルペンホテル、<br />徳沢に、<br />徳沢園、安曇村営徳沢ロッジ。<br />そのうちの一軒に今回は泊まった。<br /><br />一人旅には、こういう宿は大変ありがたい。<br />ちなみに1泊2食7,500円。<br />二段ベッドが二つ、つまり4ベッドと、<br />奥に畳の部屋がある。<br />畳の部屋にはテーブルとか座布団、テレビもある。<br />また畳に布団を敷いて寝ることも出来る。<br />ぼくは2泊したが、<br />1泊目と2泊目はぼく以外のメンバーは入れ替わって、<br />1泊目はオッサンばっかり、2泊目は若い人ばっかり。<br />みんなまあ付かず離れず、<br />上手に付き合いながら一夜を過ごしていた。<br /><br />こういうところに来る人というのは、<br />そしてこういう部屋に泊まる人、ということもあるのか、<br />居間のテレビは2日間、誰も、一度もスイッチを入れなかった。<br />ま、それがどうした、てことだけど。<br /><br />2泊3日の中1日は、<br />午前中、田代池から大正池を散策し、<br />午後は明神池までふらふら歩いた。<br />上高地の代表的な風景になっている大正池を、<br />ぼくはこれまでバスの車窓からしか見たことがなかった。<br />湖畔に立つのはこれが初めて。<br /><br />朝晩はさすがに寒かったが、<br />幸い快晴が続いて風もなく、上高地の秋は美しかった。<br />明神へは梓川の右岸沿いに歩いた。<br />そして帰路は左岸の道を河童橋に戻った。<br /><br />こんなふうに快晴の空の下で見ると、<br />上高地の自然は、日本の観光地の中でも突出して美しいと思う。<br />今さら、ではあるけれど。<br /><br />ぼくの好きな焼岳とか、<br />明神池から見上げた明神岳なんかもいいが、<br />岳沢の小屋が豆粒のように見えるあたりからさらに急斜面をたどると、<br />穂高の稜線に新雪が光っていたり、<br />そして西穂から独標のほうに続く尾根も、<br />首が痛くなるぐらい見上げなければならないという、<br />この狭い上高地の平を取り巻く自然の造形にはいつも感心する。<br />そんな穂高連峰の左端のほうに鮮やかな緑の草つきが見えるのは、<br />西穂山荘のあたりだろうか。<br /><br /><br />●猿に会う<br />明神館の前から河童橋に向かう道で、<br />河童橋まであと10分ぐらい、というあたり、<br />目の前に猿が飛び出した。<br />ほんの2、3mという至近距離だった。<br />わっ、猿! <br />野生の猿に会うなんてラッキー!<br />と、そのときぼくはそう思った。<br /><br />そのあとすぐ、ぼくのずっと前を歩いている小グループのうしろから、<br />何か丸っこい茶色のものがとろとろとついて歩いているのを見つけた。<br />最初は犬を連れているのだと思ったが、<br />早足で近づいてみると、それは犬ではなく猿だった。<br />そして連れているのではなく、ついて歩いているのだった。<br />そのうちグープの一人が気付いて振り返り、<br />みんなが一斉に振り返ると、<br />猿は道端の草むらに逃げ込んだ。<br /><br />珍しいものに会った、と思ったのはそのときまでだった。<br />小梨平に入ると、ビジターセンターから河童橋にかけて、<br />猿の姿は、人とどっちが多い、というぐらいに増え、<br />小梨の実をむさぼり食う猿たちの姿は、<br />いちいち立ち止まって眺めるのも面倒、という状態になった。<br />そして河童橋に着くと、<br />観光バスから吐き出された観光客がいっぱいいて、<br />猿もいっぱいいて、<br />猿と人がうじゃうじゃ状態。<br />付近の山に住む野生の日本猿が、<br />この時期になると、<br />赤く熟した小梨の実を食べに山を降りて来るのだということだった。<br />それにしても、猿は人を怖れず、<br />人もまた、猿があんまり多いせいか、それほど関心を払わず、<br />河童橋の雑踏の中で共存している姿がなんだかおかしかった。<br /><br />野生の動物に会うのは楽しい。<br />北海道ではよくいろんな動物に出会うが、<br />内地の観光地ではこういうことはわりと珍しい。<br /><br />翌朝、宿の前の木立にキツツキがいた。<br />幹に垂直に足を立てて忙しそうに幹を叩いていた。<br />コココ、と乾いた音が朝の森に響いた。<br /> <br />

ぼくの上高地

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KAUBE

KAUBEさん





上高地・徳沢-大滝山-蝶ヶ岳
というコースが好きだった。
ぼくがまだ二十代前半の頃だ。

初めて燕岳に登ったのは、大学生のとき。大学主催の行事だった。
体育の授業の一環、ということで、
なんのことはない、体育の単位ほしさにくっついて行ったのだった。
大学に行っても体育なんて授業があるのは信じられなかった。
体育が嫌いだった。
みんなで同じことをさせられるというのは、ともかく嫌いだった。
だから、普段の授業の出席数の不足を
この機会に何とかしようとしたのだった。

でも、それがきっかけになった。
思いもかけず、ぼくは山に憑かれてしまったのだ。
そして翌年の夏、ぼくは練りに練った計画を実行した。
それがこのコースだった。

●徳沢〜大滝山〜蝶ヶ岳
徳沢から大滝山への、徳沢の流れに沿った渓流の道を
ぼくとそのとき同行した友達と三人楽しく登った。
そしてようやく樹木が切れ、高山帯に入ったところで、
ぼくたちはヌッと現れた穂高の山並みに立ちすくんだ。
白や黄色の花がぎっしり視界を埋め、
その向こうに雪と岩の槍・穂高が、どん、と並んでいた。

天国、というのはこういう場所なのではないかと思った。
そしてその天国の真っ只中に大滝小屋があった。

穂高に落ちる夕日の光景を堪能したぼくたちは、
お決まりのカレーライスの夕食を食って、
寒さに震えながら星空と穂高のシルエットを楽しんで、
そして、狭い山小屋の寝室に雑魚寝した。

翌朝は、頼んでおいたおにぎりを持って、
その物凄い風景の中を蝶ヶ岳に向かった。
幸い、山は快晴が続いていた。

大滝山-蝶ヶ岳-常念岳は、
梓川の上流の狭い谷を挟んで槍・穂高と平行している。
大滝山-蝶ヶ岳の尾根と穂高連峰との距離はわず6〜7km
穂高の稜線が信じられないような至近距離にずらりと並ぶ。

そのことは計算済みの計画だったが、
その眺めがここまで凄いとはさすがに想像できなかった。

軽い登り下りを繰り返しながら、夢心地で尾根道を歩いた。
大滝山からの槍・穂高は、
手前に張り出した長塀山の低い尾根が眺めの下半分を隠している。
しかし蝶ヶ岳に向かって進むにつれて、
その邪魔な尾根はなくなり、
池というよりも水溜りみたいな「蝶の池」まで来ると、
もう何の邪魔ものもない槍・穂高連峰が立ちはだかる。

凄い。
声も出なかった。
ぼくたちはそこに立ちすくんだ。
人の気配はほとんどなかった。
その頃、大滝-蝶のコースは
一般にはまだあまり知られていなかった。

槍・穂高に登ることはもちろん考えた。
というより、ふつうはまず槍・穂に登る。
でも…、地図を見ながらぼくは考えた。
こっちのいくらか低い尾根に上ったら、
このガイドブックにあるこの写真の物凄い山並みが、
よっく見えるのではないか…

ガイドブックはようやく一種類、出たばかりだった。
その、たった一つしかない資料を頼りに、
山小屋に手紙を出していろいろ聞き出し、
一年がかりでぼくは計画を練った。

だから、目の前にひろがった、
ぼくの想像をはるかに越えた眺めに、ぼくは満足していた。
興奮もしていた。

21世紀になった今、蝶ヶ岳には山小屋がある。
でもそのときはまだなかった。
その物凄い眺めの真っ只中に立っている今の蝶ヶ岳小屋は、
その翌年、ぼくがもう一度同じ場所を訪れたとき、
大滝小屋の主人によって建設中だった。

それから、今では徳沢から大滝山に登る沢沿いのコースは
廃道になっているらしい。
大滝山へは、松本側からのルートか、
それとも横尾から蝶に登って、尾根伝いに来るか。

大滝小屋はまだあるが、どっちにしても、
あそこに泊まる人は少なくなっただろう。
今、大滝小屋と蝶ヶ岳小屋は、
あのときの大滝小屋の主人だった
中村善親氏のお嬢さんが経営していると聞いている。


その翌年の夏、ぼくはまったく同じコースをもう一度歩いた。
同じように天候に恵まれ、
同じように物凄い眺めを楽しむことが出来た。
次の年も、ぼくはそこにやって来た。
その年は常念岳まで足を延ばして常念の小屋に泊まった。

そしてそれから毎年、ぼくは北アルプスのどこかに登った。
山にとりつかれていた。


上高地というこの傑出した観光地も、
当時のぼくには
山への通過点に過ぎなかったけれども、
徳沢へ、横尾へと先を急ぎながら
ぼくは梓川の流れや、
谷間の狭い平地を囲む山々に惹かれた。
ことにぼくは、ふわふわと白い煙を上げる焼岳の姿が好きだった。


●秋の上高地
そしてある年の秋、ぼくは初めて「上高地だけ」を訪れた。
明神池の山のひだやに泊まったのだが、
なんと2泊3日を見事に全部雨の中で過ごす結果になった。

雨もいいものですよ、
とか、
雨の上高地の風情が好きです、
とか、
そういうことを言う人はよくいるけれども、
それはしょっちゅう来てる暇人とか、
何週間も滞在できる、やっぱり暇人にだけ言えることで、
たまにしか来られなくて、
そしてせいぜい2泊3日ぐらいしか滞在できない人には
上高地はやっぱりすっきり晴れてほしい。
あのときもしぼくが、
「いや、雨もまたいいものですよ」
なんて言ったら、
それは負け惜しみでしかないでしょう。

その次に秋の上高地に来たときも、
雨ではなかったけれども異常寒波で、
物凄い風が吹いて、
とても散策どころではなかった。
天気予報は明日も同じ天気、ということで、
ぼくはもうその日のうちに逃げ出す気になって、
バス停の食堂で蕎麦を食いながら、
次のバスを待った。

そして2002年秋、
ようやくぼくは快晴の上高地に出会うことが出来た。
その日は朝起きたら快晴。
天気図を見たら、でっかい高気圧がどんと居座ってる。
お、上高地行くか、
てわけで、唐突に出かけ、最終のバスで入り、
初めて河童橋の近くに泊まった。

上高地には二段ベッドの相部屋を設けている宿が
何軒かある。
ぼくが知っている限りでは5軒。
河童橋付近では、
五千尺ロッジ、西糸屋別館、安曇村営アルペンホテル、
徳沢に、
徳沢園、安曇村営徳沢ロッジ。
そのうちの一軒に今回は泊まった。

一人旅には、こういう宿は大変ありがたい。
ちなみに1泊2食7,500円。
二段ベッドが二つ、つまり4ベッドと、
奥に畳の部屋がある。
畳の部屋にはテーブルとか座布団、テレビもある。
また畳に布団を敷いて寝ることも出来る。
ぼくは2泊したが、
1泊目と2泊目はぼく以外のメンバーは入れ替わって、
1泊目はオッサンばっかり、2泊目は若い人ばっかり。
みんなまあ付かず離れず、
上手に付き合いながら一夜を過ごしていた。

こういうところに来る人というのは、
そしてこういう部屋に泊まる人、ということもあるのか、
居間のテレビは2日間、誰も、一度もスイッチを入れなかった。
ま、それがどうした、てことだけど。

2泊3日の中1日は、
午前中、田代池から大正池を散策し、
午後は明神池までふらふら歩いた。
上高地の代表的な風景になっている大正池を、
ぼくはこれまでバスの車窓からしか見たことがなかった。
湖畔に立つのはこれが初めて。

朝晩はさすがに寒かったが、
幸い快晴が続いて風もなく、上高地の秋は美しかった。
明神へは梓川の右岸沿いに歩いた。
そして帰路は左岸の道を河童橋に戻った。

こんなふうに快晴の空の下で見ると、
上高地の自然は、日本の観光地の中でも突出して美しいと思う。
今さら、ではあるけれど。

ぼくの好きな焼岳とか、
明神池から見上げた明神岳なんかもいいが、
岳沢の小屋が豆粒のように見えるあたりからさらに急斜面をたどると、
穂高の稜線に新雪が光っていたり、
そして西穂から独標のほうに続く尾根も、
首が痛くなるぐらい見上げなければならないという、
この狭い上高地の平を取り巻く自然の造形にはいつも感心する。
そんな穂高連峰の左端のほうに鮮やかな緑の草つきが見えるのは、
西穂山荘のあたりだろうか。


●猿に会う
明神館の前から河童橋に向かう道で、
河童橋まであと10分ぐらい、というあたり、
目の前に猿が飛び出した。
ほんの2、3mという至近距離だった。
わっ、猿! 
野生の猿に会うなんてラッキー!
と、そのときぼくはそう思った。

そのあとすぐ、ぼくのずっと前を歩いている小グループのうしろから、
何か丸っこい茶色のものがとろとろとついて歩いているのを見つけた。
最初は犬を連れているのだと思ったが、
早足で近づいてみると、それは犬ではなく猿だった。
そして連れているのではなく、ついて歩いているのだった。
そのうちグープの一人が気付いて振り返り、
みんなが一斉に振り返ると、
猿は道端の草むらに逃げ込んだ。

珍しいものに会った、と思ったのはそのときまでだった。
小梨平に入ると、ビジターセンターから河童橋にかけて、
猿の姿は、人とどっちが多い、というぐらいに増え、
小梨の実をむさぼり食う猿たちの姿は、
いちいち立ち止まって眺めるのも面倒、という状態になった。
そして河童橋に着くと、
観光バスから吐き出された観光客がいっぱいいて、
猿もいっぱいいて、
猿と人がうじゃうじゃ状態。
付近の山に住む野生の日本猿が、
この時期になると、
赤く熟した小梨の実を食べに山を降りて来るのだということだった。
それにしても、猿は人を怖れず、
人もまた、猿があんまり多いせいか、それほど関心を払わず、
河童橋の雑踏の中で共存している姿がなんだかおかしかった。

野生の動物に会うのは楽しい。
北海道ではよくいろんな動物に出会うが、
内地の観光地ではこういうことはわりと珍しい。

翌朝、宿の前の木立にキツツキがいた。
幹に垂直に足を立てて忙しそうに幹を叩いていた。
コココ、と乾いた音が朝の森に響いた。

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