2006/04/23 - 2006/04/23
149位(同エリア177件中)
片瀬貴文さん
ふるさとは温かい【4】死の予感があったのか?「八講田由来碑」の由来
二十年前1986年(昭和61年)の、暑い土曜日の午前のことである。
大阪で会議中の私に、松本正雄小矢部市長から、突然の電話がかかってきた。
その電話は、盆の墓参りに来たとき、市役所に立ち寄って欲しい旨だった。
松本市長さんには、四高土木会でお会いして以来、同郷の後輩と言うことで、弟のように可愛がってもらっていた。
建設省勤務だったこの人は、北陸地方建設局長を経て退職後故郷に戻られ、市長として活躍中だった。
市内の学校や公民館などを自らデザインされ、小矢部市の名は「メルヒェンの街」として、全国に有名となる。
私より13歳も先輩なのに、いつも若々しくて情熱に溢れておられた。
時に市役所を訪れると、大喜びで職員を講堂に集め、私と二人で高等学校の寮歌を歌って、職員に聞かせたりした。
その人が今回わざわざ私を呼んでお願いされたのは、村の由来碑の建立だった。
松本市長は自ら国会図書館に出向いて村の歴史を研究され、碑文案を書かれたという。
元小学校長で、今は図書館長をされている女の方が、美麗な文章を、万葉調のトーンで朗々と読み上げられる。
「山紫水明にして秀景なり」に始まり、「父祖の地をいしぶみに印して後代に伝う」で終わる文案は、ざっと2千字の長いものだった。
私は撰文者として、市長の揮毫をいただくことを条件に、引き受けることにした。
石はすでに市長自身が、下見をして決めておられた。
石屋が2ヶ月は欲しいと言った工期を、市長は1ヶ月にするよう、無理を言われたらしい。
建立の場所は、菩提寺「本叡寺」の境内で、氏神の鳥居脇に、決まっていた。
碑文は、菩提寺の和尚さんが、ねじり鉢巻で2週間かかって書き上げる。
除幕式の日、村の方々は道の両側でうちわ太鼓を鳴らしながら経文を読み、市長を迎えた。
除幕は市長のたっての要請で、東京から呼んだ3歳の孫が行った。
市長が急逝されたのは、それから1ヶ月後だった。
享年69歳。
人々は、「石碑を急がれた市長さんは、自分の死期を知っておられたのではないだろうか」と、うわさし合った。
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