1972/10/24 - 1972/10/24
253位(同エリア263件中)
ソフィさん
1961年10月24日(火)
昨晩は、ヴァンデーの小さな町フォントネー・ル・コントの、心温まる静かなホテルで一夜を過ごした。
ヴァンデー地方には、ヴィエンヌ、ドゥ・セーヴル、ヴァンデーと三つの県があり、中心はヴィエンヌ県の県庁所在地ポワチエ、昨日乗り換えたニオールは、ドゥ・セーヴル県の県庁所在地である。
この地域の西端は大西洋に接して、東に向かって陸地に深く入っており、肥沃な牧草地や潤沢な沼地が果てし無く続く。
キリスト教の三大聖地の一つ、サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼道が通っており、多くの宿場町や聖堂が、昔の雰囲気を今に伝えている。
とくにロマネスク建築の宝庫であり、シャープなゴシック建築を見慣れた目には、穏やかで温かな線は、ホッとさせる雰囲気がある。
「ヴァンデーの乱」は、フランス革命時ヴァンデーを中心とする、農民の反乱だった。
人権宣言は受け入れられたが、僧侶民事法は不信を生み、とりわけ1793年2月24日の徴兵令は、農民の憤激をひきおこしたと伝えられる。
指揮官には貴族のボンシャン・レスキュールや平民のカトリノーなどがおり,5〜6月にはフォントネー・ソミュールを占領する。
その兵力は40万人に達し、繁みで囲まれた散居村(ボカージュ)を利用したゲリラ戦法で、共和国軍を悩ませた。
一時はナントにも迫る勢いであったが、公安委員会政府はロッシニョールやクレベル将軍の軍隊を派遣,ショレ(10月)・サヴネー(12月)で大勝し,囚人は大量銃殺または溺死刑に処せられた。
1794年3月以後戦いは性格を変え、シューアン党を名のる群盗が、道路を遮断するなどの撹乱策に出た。
オッシュ将軍が鎮定後,1795年2月テルミドール派は大赦を約するが,5月に亡命貴族のキブロン上陸に呼応して反乱は再発する。
その後1796年7月攻囲はとかれたが、1799〜1800年の小蜂起、1823年ベリー公夫人主導による再決起など、宗教を背景とした粘り強さが、この乱の特徴と見る。
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