1972/10/24 - 1972/10/24
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ソフィさん
1961年10月24日(火)
今ヴァンデーに来て、ヴァンデーの乱に思いを馳せている。
中世の戦争は、傭兵同士のいわばプロの戦いであり、農民は被害者として巻き込まれたが、主役ではなかった。
しかしヴァンデーの乱は、むしろ農民自身が主役を演じ、戦争へのエネルギーを補充し続けている。
その背景に、恐らく信教の問題があったのだろう。
農民たちの信念の強さ、あるいは粘り強さは、日本の一向一揆を思わせる動きである。
その比較は、私の今後の課題だ。
私は、その子孫たちが今どのように考え、どのように生きているか知りたかった。
往年の芯の強さが、現在の生活にどのような形で残されているのだろう。
今回のヴァンデー訪問では「そんなものを垣間見たい」と、私は楽しみにしている。
ヴァンデーの乱は、死者の多さが目立っている。
いかに多かったのか、フランス革命で死んだ人を数えてみよう。
例えばギロチンでは、1792年9月のパリでの四日間の死者は1300人だった。
恐怖政治のもとで死んだ人の数ははっきりしないが、凡そ死刑宣告を受けた者1.7万人、獄死・リンチの死者3.5万人とされる。
だが、ヴァンデー地方の死者数は、異常と思われるほど多い。
この地方には敬虔なカトリックが多く、王党派についたヴァンデー地方は1793年8月に破壊が布告され、激烈な内戦に発展した。
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