2005/12/28 - 2006/12/30
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セビリア行きのバスは少し遅れていた。
となりに座ったのは高校生のリディア。
とても人なつっこくて、たくさん話しかけてくる。初めての一人旅と言っても、見送りの家族、出迎えの祖母が待っているのだ。
それでも緊張しているのだと言う。とても気をつかっていて、音楽を聴く時も、私に挨拶がある。ガムをあげると、しばらくすると「ガムの味がなくなっちゃったんだけど、捨てていいかしら?」と聞いてくる。
とてもかわいいのだが、私はのんびり寝たかった。でもとても寝られそうにない。
彼女がひっきりなしに話しかけてくるからだ。
ふと窓の外をみると、あっ!見覚えのある風景。
大きな湖。
ここはあの「クルブ ナウティコ」のある湖なのだ。
ほら、湖に流れる「タホ川」の標識が。
この橋を渡って・・・
逆方向ではあるが、銀の道をたどっているのだ。
私は今度は車窓の景色から目が離せなくなっていた。
あ〜っ、生ハムが美味しいモナステリオ。ほら、泊まった赤十字の建物が。
「銀の道」への愛着は特別なものだった。
くいいるように景色を見つめ、次々とフィルムを逆まわししているように、なつかしい風景が現れては消える。
夏にサンティアゴからマドリードに行った時もそうだった。
今はさらに南部に来ているのだ。
もう寝てなんかいられない。
いよいよサンティ・ポンセ。気持ちまで歩いた時と同じになっている。
セビリアまではあと10kmだ。
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バスで隣に座った高校生
興奮したままセビリアのバスステーションに着いた。
夏にマドリードから夜行で着いた、同じバスターミナルだ。
どこにパキがいるのだろうか?
勝手知ったるバスターミナル。二階に上ってみた。
すると・・・いたいた!
パキとフェルナンド、そしてパキのボーイフレンドのホワンマン。
パキはフランスの道で出会った大親友だ。夏の銀の道にも最後の120kmを一緒に歩いてくれた。
「銀の道」はセビリアから始まった。そのときも駆け付けてくれ、自宅に来て欲しいと言ってくれたが、旅の終わりにも行く時間がなかった。
今回はやっと彼女の家に行くのだ。
ホワンマンとは初めて会った。夏に会った時から噂は聞いていたし、その時電話でひとこと話したこともある。
英語は全く話せないようだった。
フェルナンドは全く変わっていなかった。
きのうの夜12時にポンフェラーダを出て、朝の11時にここに着いたという。ちょうど12時間。まさに「銀の道」を走ってきたのだ。
新年の連休にまきこまれないうちに、二日滞在し、30日の夜に帰るという。 -
パキの車を駐車している場所まで歩く間、私とパキの悪ふざけが始まった。
私たちにしか通用しない言語があって、共通の笑いのツボがあるから、二人が寄れば、笑ってばかりなのである。
車に乗ると、パキの家に向かって、少し休んだ後にバルで食事ということになった。
パキのご両親に挨拶をする。
思った通りの優しそうなお母さんと、お父さん。
パキが言うには、いつも私の話をしているから、家に来て欲しいと言っていた。
やっとお会いできたのだ。
二階に案内される。
部屋が三つ。三人兄弟の部屋があるのだ。上の弟は結婚して別の家に住んでいる。
その部屋にフェルナンドが案内され、私はパキの部屋にある小さなベッドを使うのだという。パキは微笑みながら小さな声で
「あの部屋は本当はあなたの部屋だったのよ・・・。」
私はメールチェックをさせてもらうことにした。
去年銀の道を歩いた時に二度ほど会った年配のキ二ーの友人のルイスからメールが来ていた。
昨日私がたどりついたアルバヌエバで出会った、ルイスは、その数日後に仕事に復帰したけれど、再び巡礼の道に戻り、サンティアゴに着いた!という知らせだった。メールには、サンティアゴの広場で仲間と喜びあうルイスの姿があった。
日本語は完全に文字化けをしていてお手上げだった。
そのパソコンの脇に変な物が置いてある。あきらかに私を笑わせてくれるような不思議な物だった。
ガラスのコップに米粒が全体を覆うように付けられ、水色に塗られ、リボン型のパスタもところどころにくっついている。
ペン立てになっているようだった。
「ねぇ、パキ、これ何?」笑いながら聞く私に、さらに笑いながらパキが
「これはね、7年前に私がすごく貧乏だった頃、クリスマスプレゼントを買うお金がなくって、上の弟にプレゼントしたものなの。」
私はさらに笑いが止まらない。そのパキのかわいさも微笑ましい。でも、こんな変なものを作って、あげちゃうとこが笑えて仕方ない。子供ならわかるけど、7年前ならもう大人になっていたじゃん!
「ねぇ、フェルナンド、これもらったらうれしい?」
「うれしいよ。だってすごく手がかかっているもの。どうやって作るんだろう?」
手に取って、感心して見ている。
私はさらに笑いが込み上げてきた。
「これってコップにボンドをつけて、お米の上を転がして、色塗ってパスタをペッ、ぺっと張っただけだよね。」
パキもお腹を抱えて笑っている。
「弟は結婚する時、これをここに置いていったのよ。何故だか私にはわからないわ。」
二人は笑いが止まらない。
こんな風に、他の人には理解されない、内容のない話が多いのも事実である -
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私は昨日の38kmの巡礼の話を少しして、二人に聞いた。
「ところで高速道路って人が歩いてもいいものなの?」
ふたりは一瞬黙った。そしてパキがこう聞いてきた。
「ポリスには会わなかった?」
「うん!」
すると二人は口を揃えて
「じゃあ〜だいじょうぶだよ〜〜〜!」
??????????
ホワンマンを誘って大きなバルにいく。
広々していていい感じ。
パキがたくさんタパスを選んでくれた。
日本を出てから、日本語はおろか(ポルトガルで留学生に会ったけど)、英語も話していない。10日間はスペイン語だけで意思疎通してきたのである。
やっとここで思いのたけを、英語で話せるというのに・・・・
ホワンマンが英語が話せない。
もし英語で三人が話したら、寂しい思いをするだろう。
私はつたないスペイン語を駆使して話をすることにした。
この旅の田舎の家でクリスマスを過ごした話を、きっかけからはじめ、そこでの苦労話。
それから「銀の道」をもう一度歩いた話。
けっこう通じているらしく、パキもフェルナンドもうんうんと聞きながら、驚いてくれている。
調子に乗ってどんどん話す。
少ない語彙でよく通じるものだと思う。
大人しいホワンマンも、笑顔でいっぱいになってきた。
ビールを飲んで、たくさんタパスを食べて、ニ軒めのバルは大人のムード。
ここでもフェルナンドしか話を聞いていないのに、スペイン語で話せと言う。
心の中で
「なんで???」と思いながらも。
彼も私しか聞いていないのにスペイン語で先月行ったマイアミの話をしてくれた。
明後日までパキは仕事がある。今日はこのあたりで帰ることにしよう。 -
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パキ、ホワンマン、フェルナンド
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12月29日 セビリア観光[1]
パキも私もほとんど眠ることができないまま、朝を迎えた。
7時に目覚ましが鳴る。私は10時に起きればいいことになっている。
顔を洗って部屋に戻ってきたパキ。私は毛布の隙間から、彼女をちらっと見た。
いまだかつて見たこともないような、挙動不審の顔つきだ。『なぜ自分だけ早く起きなければならないのか』理不尽さを抱えた顔だった。その顔のまま私と目があった。
その瞬間から、「ニッ」と笑っていつものとびきりかわいいパキの顔になった。
私はすぐに顔を隠して寝ようと試みた。
パキがでかけたあと、シャワーを浴びにいく。
ゆっくりしているうちにフェルナンドも起きてきた。
今日はパキの仕事が終わる二時までは、このセビリアの郊外「ロス・パラシオ」の町を散策して、パキが働いている学校に見学に行くことになっていた。
階下で朝ご飯の支度をする。
トマトが置いてあり、生ハムが切られ、お手製のドーナッツとパン、コーヒーを作る準備もしてくれていた。
ドーナツをつまみながらパンを焼く。
フェルナンドは朝ご飯はいつもキッチンで立って食べるのだと言う。
私もつきあって立って食べる。
そのうちアンヘルが降りてきた。パキより12歳年下の大学生の弟である。
フランスの道を一緒に歩いたので、フェルナンドもよく知っていた。
話をしているうちに、お母さんも帰ってきた。
一緒にパキの職場見学に行くことになった。
家から歩いて10分くらいだろうか。
まだ建築中の立派な建物で、中は広々した教育環境が抜群の学校だ。
パキが出てきてすべての部屋を案内してくれた。
私はその設備の良さにひたすら感心した。
パキはこの仕事が決まって、本当にうれしいと言って張り切っているのだった。
実際に、子供たちが入るのは1月から。まだ準備で大変なのだ。 -
パキ
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パキの教室でお母さんと
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学校の入り口で
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セビリア郊外の町
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パキの家のパティオ
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パキのお母さんのお手製のランチ
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車の中からパキが説明している。
「あれがカルメンで有名な旧たばこ工場、今はセビリア大学ね、そしてあれが・・・」
最初に連れていってくれたのが、プラサ・デ・エスパーニャ。
1929年に出来たというから、そんなに古いものではないかもしれないけれど、壮大な円形の広場だった。回りにはスペイン各地の地図がタイルで描かれている。
それを少しながめたり、二階に登ったり、橋を渡ったり。
ほんの少し日が傾きはじめたこの時間は、空がとてもきれいに見えた。
マリア・ルイサ公園を歩いているうちに、日が暮れた。木々の間から見える夕焼けがきれいだった。 -
プラサ・エスパーニャ
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ムリリョの庭という名の公園を通り、サンタ・クルス地区へ。
最もセビリアらしいところだ。
その一つのバルに入る。
今日は英語を話してもいいようだった。
フェルナンドは一年近くアイルランドにいて、英語が去年よりもずっと上手になっていた。
パキは何年か前にイギリスに数カ月いたことがある。フェルナンドは
「それだけでこんなに英語が話せるの?」
私とパキはニヤニヤしている。
実はパキは決して英語が上手ではないのだ。
でも私とは95%は通じているから、みんなはそう思うのだった。
私にしか通じない英語なのだ。
私は慣れているから、二年前のことを、二年後と言われてもわかるし、キッチンのことをチキンと言われてもよくわかる。
ついでに言っちゃうと、Tシャツとティーチャーと、チャーチは、パキの場合同じ発音だったりする。
過去分詞ところか過去形もめったにない。
それでもよくわかるのである。
「私の英語はイギリス人には全然通じないのに、何であなたはわかるの?」
よくそう言われる。
(パキの名誉のために付け加えると、筆記や読解はかなり上手) -
去年の巡礼の話になった。
私が初めてパキと会った日のこと。その翌日に病院についてきてくれたこと。
「私はそのとき、パキが天使に見えたの。」
パキは不思議そうな顔をして
「でも、困っている人が助けを求めたら、何かをしてあげようというのは普通のことでしょ?」
確かにそうかもしれないけど、それが自然にできる人も少ないのではないか。
でも私は意地悪げに
「だけど後で悪魔だったわかったの。」と付け加えておいた。
フェルナンドと会った話になると、はっきりいつが最初なのかわからない。
「いつの頃からかね、毎日一度会うの。朝は私が早くて、それを一日一度、フェルナンドが私を追い越すのよ。そして振り返って『オラ!』と言うの。だから『オラ友達』だったの。」
名前を知ったのは、ほらあの町。初めて床に寝た・・・パキはいなかったわ。でも町の中でパキに会って・・・。」
「あー、カリヨンね!」
「そうそう、そこを歩いていたら、フェルナンドが3人の女の子と現れたのよ。迷子になって道を聞いただけらしかったけど」
二人ともきょとんとしている。
フェルナンドは
「annaって知ってるでしょ?」
パキも私も
「ぜ〜んぜん知らない。」
「でも僕はあなたがannaと話しているところを見たよ。」 -
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ヒラルダの塔話はプルポマンへ。
これは私とパキが大好きなネタである。
サンティアゴに着いたあと、扉をあけると・・・そこにプルポマンがいるという。
プルポマンとは、ブルゴスから参加したフリオの友人だった。
大きな体に小さなリュック。ダイエットをしているのか、食事はしないが、チューブ付きの水筒にはレモネードがいつも入っていて、それを私たちにすすめてくれる話。
これはいつも思うけど、パキはだいぶ脚色していた。
そしてプルポ(蛸)が大好きで、三食蛸を食べた話。これも本当はニ食で、三食目はあきらめたと聞いていたが、訂正せずに聞いていた。
パキは必ずその蛸を食べるプルポマンの物まねをしてくれるのだ。
話がどんどん具体的になっていく。
あの日、あの時、どこに泊まり・・・少しづつ、記憶していることは違うが、よく覚えていることは共通だった。
こんな風に一年半前のことを、昨日のことのように話せるのが不思議だ。
やっぱりCaminoでの思い出は、それぞれにとってとても貴重なものなのだった。 -
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一度パキの家に戻り、お母さんのお手製のおいしい料理を食べる。
サラダとブロッコリーにホワイトソースがかかったもの。
食欲がなかったはずなのに、おかわりまでしてしまった。
食べはじめたのはすでに夜の11時。
今度はホワンマンを誘ってバルに行く。
そこではラムを飲む。
ニ杯飲んだあと、また別のバルへ。ここではアニス酒。
こうしてまたしてもバルのハシゴで今宵も更けていくのであった・・・。 -
12月30日 セビリア観光 [2]
今日もフェルナンドと朝食作りから始まる。
トースターの使い方も、電子レンジの使い方も慣れた。
そしてやはり立って食事。今日はすぐに食器を洗っている。
昨日はフェルナンドは女性蔑視の発言をして、パキを怒らせ(怒っちゃいないけど)私たちに無視されてたけど、ちゃんとやってる。よしよし。後でパキに報告しておこう。
12時にセビリア行きのバスが来るという。
バスを待つ間、ベンチに座って、
「私の長い話を聞いて欲しいんだけど・・・」
私がどうやってスペインが好きになっていったか・・・を話すことにした。
なぜ話が長いかというと、最初はスペインが嫌いだったところから話をしなければならなかったからだ。
だんだんにスペインの良さに気が付いたこと・・・。
そして11年前のナチョーとルカに会ったストーリーが、一番の盛り上がりとなる。
バスは40分も遅れてきたため、おおかたを話すことができた。
一時話は中断して、バスに乗り込む。
今夜、フェルナンドは夜行バスに乗って帰ってしまう。
これからセビリアを観光し、夕方には仕事を終えたパキが合流することになっていた。 -
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カテドラル
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カテドラル
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フェルナンドはセビリアが初めてだった。初日に少し一人で見て回ったらしいが、ほんの2~3時間のこと。
それでも地図をもらっていた。
私は三度目ではあるが、一度目はずいぶん昔だし、二度目はカテドラルとアルカサールしか見ていない。
フェルナンドの希望で、まずこの二つの場所を観光することにした。
ってことは・・・私は三回目になるけど、カテドラルは何度も行きたかったし、夏のお礼も言わなくっちゃいけない。
前回は入場にお金など取らなかったのに、入場料を取る。このお金は有効に使われるという説明書きがある。
「スペインで一番大きいカテドラルなんだよ。」
丹念に一周し、恒例のコロンブスの棺に触り、旅の神様に、づっといい旅が続くようにお願いする。 -
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ヒラルダの塔より
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そしてヒラルダの塔に登る。
夏は登っていない。
初めて来たときは、むらやんと一緒だったから、彼女となら必ず登っているだろう。
多分塔の上から写した写真もあったはずだ。でも、実体験としては記憶がほとんどない。
最初はどんどん登る。だんだん高くなってくると、景色がどんどん良くなってくるから、一つ一つの窓のそばまで行き、写真を撮ったり下を眺める。
ゆっくり時間をかけて頂上まで楽しんだ。
これは登らなきゃソンだわ。 -
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塔のてっぺんで
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アルカサールにも入る。
これは夏にも来ているが、庭の方にはあまり行っていなかった。
広い庭を散歩する。冬の景色はちょっと寂しかったけど、レモンやオレンジの色は人を元気づけてくれる。
ここでお昼を食べることにしよう。
あらかじめパキから聞いておいたバルが並ぶ地域で、ひとつづつタパスを取って食べる。もちろんビールも。
そして次の店へ。またビールを飲んでタパスをつまむ。 -
アルカサール
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この後はマカレナ教会に行ってみようとフェルナンドが言う。
私も行ってみたかった所だ。
スペインで一番盛大なセマナ・サンタの期間、ここからマリア様が街へ担がれて出てくる。その有名なマリア様がいる教会なのだ。
ほんの少し中心から離れていたので、何度も人に聞く。
「これかな?」
「聞いてみよう!」
街の人は、「これは有名な教会じゃないけど、素晴らしいから中を覗いて行くといい。」
とても重厚で美しい内部だった。
やっとマカレナ教会が見えてきた。
中に入るとたくさんの観光客がいた。教会を一周し、売店でロザリオを買った。
「ちょっと待ってて、トイレに行ってくるから」
教会の中のトイレに行くつもりだった。
ところがその時から掃除が始まってしまう。
じゃあコーヒーを飲みに行こうということになる。
ところが入ったバルには男性用のトイレしかない。
しょうがないからまた教会に戻ると、今日はもう使えないという。
せっかくだから、マリア様の顔をそばで見たいと言い、近付いた瞬間にミサが始まった。
あ〜っ、ここから出られなくなっちゃった!
ひとしきりした後で退場させてもらう。
次に入ったカフェでやっとトイレがあった。
よくトイレを探す夢をみるが、まさにそんな悪夢を見ていたようだった。 -
マカレナ教会
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やっと落ち着いて、またコーヒーを飲みながら、昼間の話の続きをしたり、銀の道の話をする。
また、フェルナンドの仕事の話も聞く。そんな時、パキとホワンマンが入ってきた。
これからトリアナ地区で飲もうということで、車に乗ってグアダルキビル川の向こう側に行く。
ここは、夏にパキに連れてきてもらったところだ。
川沿いにたくさんのバルがあり、その裏手にもバルや店が軒を連ねる。
その道を歩いていた時、パキがこう言った。
「ほら見て、あれが夏に大きなビールを飲んだ店よ!あらっ???看板に[LA PLATA]って書いてある!(「銀の道」という意味)知らなかった!!!」
こういう偶然は「フランスの道」でも「銀の道」もよくあることだった。
二人で写真を撮りあい先に歩いていったフェルナンドたちを追いかける。 -
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la plataという名前のバルだった
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バルではビールを飲みながら、イカや肉のタパスをつまむ。
そしてニ軒めはアイリッシュパブへ。
もうすぐバスの時間だというのに、さすがにスペイン人はゆったり構えている。
こんな時、私は一人でハラハラしてしまうのだ。
三軒めはテテリア、お茶を飲む店だ。ここは雰囲気はモロッコのカフェだが、世界中のティーが飲める。
私はカカオ風味のマテ茶。まずそうだけど、一度飲んでみたかったのである。
みんなはまともなティーを飲んでいたが、ストローを使って、不思議な味のマテ茶を楽しんだ。
フェルナンドもさすがに落ち着かなくなってきた。
あと20分でバスが出る時間なのだ。
駆け足でバスターミナルへ行く途中パキは「フェルナンドったらナーバスになっているわ。」と私に囁く。
って言うか〜、パキがのんびりすぎるんだよぉ〜。 -
パキとホワンマン
チケットは買ってあったので、何番線かを確認すると、隣のビルでカフェを飲もうという。
もうバスに乗ってもいいような時間である。
そこで今度こそ最後のコーヒーを飲んで、バスステーションに見送りに行く。
ぎりぎりだったので、短い挨拶をしてフェルナンドはバスに乗り込む。
私たちはバスが出るまで待っていた。
バスが去った後、一瞬の寂しさと静けさの後、
「じゃっ、また飲みに行こう!」
パキの町まで戻って昨日行ったバルに行き、そこでまたラムを2~3杯(小さいグラス)飲んで今宵も更けていったのであった。 -
パキのお手製のペンたて。
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