2005/12/26 - 2005/12/28
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night-train298さん
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12月26日 いよいよcamino de la Plata の村、「カルカボソ」へ
二日酔いぎみなルカだったけど、約束通りカルカボソまでドライブしてくれるようである。
お世話になったアウロラ&イリデにお別れをし、仕事用のバンから自家用車に乗り換えて、カルカボソへ。
途中大きなローマの橋に出た。
これがアウロラが話していた橋だ。
今まで見てきたローマ時代の橋と比べても、とても大きくりっぱなものだった。
あいにく雨が降っていたが、車から降りて写真を撮影。
再びドライブになるが、ルカの様子が変だ。車を止めて、外に出る。
相当気分が悪いようだった。
頭痛薬も飲んだが、また止まってしまった。
相当昨日はカヴァを飲んだようだった。
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ルカの家&車
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ローマ時代の大きな橋
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カルカボソは、バレンシア・デ・アルカンタラと同じエストゥレマドゥーラ州にあり、この州はスペインでの中で一番所得が少ない地域と言われている。
厳しい気象状況のなか、イベリコ豚の産地でもある。
典型的昔風のスペインの生活や、人間に会えるのもこの地域の特徴ではないだろうか?!
古い街道(銀の道)沿いには、サフラ、メリダ、カセレス、そしてプラセンシアがある。
カルカボソはプラセンシアから15kmほどの位置にある。
プラセンシアといっても、馴染みは薄いかもしれないが、りっぱな大聖堂のある歴史のある街である。
前にも書いたように、この場所に夏も来ているのだ。
この10km手前のガリステオから朝の間だけ歩いて、9時過ぎにこの村に着いたと思うが、すでにプラセンシア行きのバスは行ったあとだった。
ふらりと入ったこのバルに、エレナという女性がいた。60代だろうか。
私たちがオレンジジュースをオーダーすると、大瓶がいいか?と聞いてきた。
二人なら、たっぷり2杯づつ飲め、値段も2ユーロ(二人で)普通の半額以下だった。
そのうえマドレーヌをひとつづつ渡してくれる。
店内では、娘が店の端々を丹念に掃除をしていた。
本当は、ここから38km歩くのがコースだった。
出発前から、この「38km」は何だろう???という疑問があった。
なぜなら、この区間には村はなく、当然お店もお水を供給する施設もない。
この地を行く二日前に、出会ってまもなかったイサベルに、この区間は鍵のかかっているフェンスもあり、三年前に行ったキニーはそれを乗り越えて腕にけがをしたと言われた。
その時足に大きなマメが出来、苦労していたため、この区間だけはバスに乗った方がいいと、すすめてくれたのであった。
これは思いきった決断だったが、弱っていた私は受け入れることにしたのだった。
後でイワンとホワンペがこの途中のローマ遺跡の下で野宿したと聞いて、とてもうらやましく思った。
この遺跡は、有名なものではないかもしれないが、銀の道のシンボル的なものでもある。
銀の道が難しいと言われるのは、一区間が長いこと、矢印が少なかったり道が整備されていないこと、順礼宿が少ないこと、そして何より夏は暑いことだった。
暑ささえなければ、水をたくさん持っていく必要がない。汗をかかなければ、マメを作ることもない。
それが今回の旅のきっかけであった。
この時一緒に歩いていたイサベルは、いろいろ調べてくれて、38kmを一度に歩かなくても、途中までホテルのミニバスが迎えにきてくれ、道から10kmほどそれたホテルに泊まることもできるのだという。
翌日はホテルの人が、また道まで送ってくれるのだという。
そんなこともオプションの中にはあったけれど、できれば38kmを一気に歩きたかった。また、ルカたちと過ごした分、遅れをとっていたので、二日に分けて歩くことは考えていなかった。
エレナは私のことがすぐにわかり、抱きついてきた。
娘のイサベルも駆け寄ってきた。
荷物を持って隣の建物のオスタルに上がる。
夏に来た時と同じだ。エレナが何故ここをその時見せてくれたのか不思議だったが、もう一度きて、謎が説けた思いだった。
ルカは一緒にお昼ご飯を食べようと言っていたが、相当気持ちが悪いらしく、帰ると言い出した。
帰り道が心配だったが、お礼を言いお別れをした。
あの田舎の村から、この田舎の村まで、距離は150kmくらいだろうか。
距離にしたら近いけれど、列車やバスで移動すれば、一日かかる。下手したら二日かかるかもしれないほど不便なのだ。
ルカのお陰で本当に助かったし、貴重な田舎生活も体験させてもらえた。 -
バルに入りカフェ・コン・レチェを注文すると、エレナがマドレーヌを出してあげなさいと店のおじさんに言っている。
夏の時と同じだ。一つもらって食べていた。
そして今から明日歩く道を下見しようと思っている。
明日は薄明るくなる朝の8時に歩き始めようと思っているのだ。
意外に手間どるのが、村を出る時なのだ。
矢印がほとんどないから、村を出るまでの道は確認しておきたかった。
お店のおじさんに聞いて、歩き出し、二キロくらい歩いて戻ってきた。ここまで確認すれば出だしは問題ないだろう。
まだ残っているテレフォンカードを使い、パキに電話をしてみた。もう確実にパキの家に行く日が決まった。
明日歩けば翌々日中、つまり28日じゅうには着くだろう。
今回はスムーズに電話が繋がり、年末31日の大きなパーティに一緒に行かないか?と聞かれた。その日はどこのバルもお休みで、前もってチケットを買わなければならないのだと言う。
あまり考えずに、参加すると答え電話を切った。
まだカードが残っていたので、イワンにも電話してみよう。明日歩く場所を彼は夏に歩いていた。何か情報を聞けるかもしれない。
イワンは年は若く、軽い若者に見えるが、とてもしっかりした意見を持っている。
「銀の道ファミリー」では、陽気な弟役で、一家の太陽のような存在だった。
「きっとたくさんの動物に会えるよ。そんなに難しくないからだいじょうぶ。明日は雨が降らないように祈っているよ。」
パキにも雨が降らないようにお祈りしておいてねと言っておいた。
今日みたいな雨模様では憂鬱だ。 -
部屋に戻って明日のための荷造りをし、久々にお湯をふんだんに使ってシャワーを浴びる。
そのあたりからだろうか。胃腸の調子が悪い。気持ちが悪くなってきた。
さっきエレナが夕食を作ってくれると言っていたが、これは困った。
おそらくお腹の冷えによるものだと思う。翌日の歩きに神経質になっていたのも事実だし、疲労もあった。
エレナが近くに来た気配があったので、夕食は食べられそうもないから、スープにしてほしいと頼んだ。
少し横になって休んだ。
パキの31日のパーティというのも気が重くなってきた。少し休養が必要かもしれない。
そのパーティは、朝まで眠れないものだし。
チケットを買う前に断っておいた方がいいかもしれない。
外に行く元気もなかったので、携帯から電話したが出ない。メッセージを残して念のため、メールも入れておいた。
9時になって、エレナが夕食の準備が出来たと呼びにきた。
テーブルの上には大きなスープ皿にすれすれまで注がれたパスタと野菜のスープだった。
それを見ただけで、逃げたくなったがそうはいかない。
他にサラダとミネラルウォーター、パンがあった。
おじさん二人も座り、テレビを見ながら食事が始まった。
おじさんたちは泊まり込みで家の修理をする大工さんだということだった。
スープはおいしいけれど、食べても食べても減らない。
そこへエレナが出来立てのトルティーヤと果物を持って入ってきた。
どちらも断って、お水をたくさん飲んでいたら、急に吐き気が襲ってきた。
食事前に飲んだ胃薬も、何もかもを吐き出してしまった。
席に戻るとまだエレナがいて、一緒にデザートを食べていた。
そして部屋を出ていく時に、バナナを二本くれた。
テレビを見ていると、天気予報が始まった。明日は雨だという。おじさんたちもすまなそうな顔をしている。
私は階下に行き、バルでお水のペットボトルを買った。お金を払おうとすると、後でいいよとエレナが言う。
すべてまとめてということらしい。 -
12月27日 Camino de la Plata カルカボソからアルバヌエバ・デル・カミーノまで再び!
体調は万全ではなかったが、昨日食べなかったわりには弱っていない。
階下のバルに顔を出すと、エレナがいた。
宿代などを支払おうとすると、ここに戻ってきた時でいいという。
スーツケースなどの不要なものは、ここで預かってもらって、今晩は目的地のアルバヌエバ・デル・カミーノに泊まって、明日戻った時に払えばいいというのである。
荷物はデイパックのみ。
今夜だけはアルベルゲに泊まるので、寝袋や一泊分の支度とポンチョを入れた。
水は2リットル。夏だったらこの三倍はいるだろう。
エレナは私が持っていた地図を見て、注意すべき箇所を教えてくれた。
ここから4km行った地点で、国道に出るからそこを少し左に曲がったら右に行く門があるから、その中を入るように。見逃さないようにということだった。 -
8時10分を過ぎた。まだ日の出前。薄明るくなりはじめた頃である。
出発だ。
昨日下見しておいたおかげでどんどん進むことができる。
今のところ地面は濡れているが、雨は降っていない。
降る前に、少しでも距離をかせごう。
足早やに進んでいくと、言われた通りの道に出て、門を開け、中に入る。
緑が多く、あまりの美しさに足を進めるのがもったいないほどだった。
スコットランドの山奥にいるような、なだらかな丘と緑、湿った空気。
そして平原に出る。
気持ちがいい!
この道にどんなに戻りたかったことか・・・。
幸せなことだと思う。
雨は降らずに、頭の上にだけは雲の合間にいつも青空があった。
今のうちにどんどん進まなくては。
人の足跡はない。
でも小さな動物のかわいい足跡がある。
地図の通り、たくさんの扉を開けなければならず、場所によってはとても難しいものもあったり、鍵のかかっているものもあった。 -
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足跡!?
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6時半には真っ暗になる。それまでになんとか目的地に着かなければならない。
時間に追われることだけが辛かった。
そしていよいよローマ遺跡のシンボル、カパラが見えてきた。
誰もいなかったカミーノ(巡礼路)に、そこにだけ観光客がいて、合計7人の人たちを見た。
道は遺跡の下を通るようになっている。
四つの門に囲まれたこの遺跡の回りにも広い範囲で遺構が発見されているようだった。
ここについたのが12時45分。全体の約半分歩いたことになる。
このペースで行けば、日没までには間に合いそうだった。
ここで初めて腰を下ろし、バナナとチョコレートを食べた。
二本目のバナナだ。昨日エレナからもらったこのバナナは味もおいしいし、これがなかったら歩けなかったかもしれない。
昨日の胃腸の調子の悪さは吹き飛んでいた。
そこへ女性がやってきて、ここから数キロのところでコーヒーを飲まないかと誘ってくれる。(車で)
とても行きたかったが、先を急ぐのでお断りした。
15分ほど休んだのち、歩き出した。
水が減らないせいか、リュックが肩に重くのしかかってきた。いつものリュックではないので、腰を固定していても、長く背負う設計ではないので、肩にくる。 -
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道は夕べの雨のせいで湿っぽく、ふかふかの草の絨毯は、水を含んでいた。靴も濡れてきた。
さらに道はぬかるみとなり、橋のない川を何度か超えた。
中には危うく乗った石が転がって、水の中に落ちそうになったり、危険なものもあり、水かさも多いし流れも速いのでスリルがあった。
そんなことをしていると、なかなか足が早く進まなくなってきた。
少し空が曇りかけた頃、一つの川を渡らなければならなかった。
しかしどこにも橋はない。足場になりそうな石も水の下。
靴を履いたまま渡ってみようとしたが、完全にずぶ濡れになる。
しかも転びそうだ。
戻って靴を脱いで裸足になってもう一度挑戦してみた。
ところが川の中の石には苔が生えていて、つるつる滑る上に、水がとても冷たく、渡りきる自信がなかった。川の向こうには黄色い矢印が見えているというのに。
時間は16時50分。
空は鉛色。
ここで私は一つの決断をした。
このまま無理して田舎道を進んでも、日が暮れて真っ暗になってしまったら、迷子になってしまうかもしれない。
すぐそばに見えている国道沿いを歩くことにしよう。
この上を歩いている限り、なんとかたどりつけるだろう。
足は冷たくなっていたが、急いで靴を履いて道を戻り、国道に出た。
630という番号の国道だった。これは銀の道には常に交わる道で、車道の「銀の道」でもあった。
馴染みの道だから、不安はなかったし、時間的にはもうだいぶ目的地に近付いていると思っていた。
しかし、実際はまだここから8kmくらいあったようだ。
振り向くと遠くの空は夕焼け。
六時近くなって、雨が降り出してきた。
そして視界が悪かったせいか、いつのまにか630から逸れて、道は高速道路となり、道幅は広くスピード標識は120kmと出ている。
630号に居たはずが、いつのまにか高速の上を歩いていたのである。
戻るには歩き過ぎていた。
道にはフェンスがあり、隣には630号が通っているのにそちらへ行くことができない。
車は飛ばしている上、雨が降っているので、水しぶきがすごい。
この道を行って目的地に着けるのだろうか?目的地に着いても出口があるのだろうか?
いつのまにか630号とはどんどん離れていく。
不安が増すばかり。
懐中電灯をつけ、安全を確保する。
ここを徒歩で歩いていいのだろうか?
雨と、疲労と、荷物の重さと、出口のない高速道路。
なんで『銀の道』はこうなんだろう?
決して優しくない道。どこまでも簡単に歩かせてくれない厳しい道・・・。 -
もやもやしていた不安が溢れ出し、自分で決めて喜んで歩いていたくせに、八つ当たりしたくなってきた。
ああすればよかった、こうしていればよかったという後悔は、この旅のことだけに留まらず、過去の事柄にまで波及してきた。
なんかどんどんみじめになっていく。
どんどん自分がZEROになっていく気がした。
こうなったら、徹底的にどん底に落ちよう。ZEROになっちゃえ!
今がZEROならそれでいい。あとは登っていけるだろう。
歩けども歩けども出口がない。
悪い夢を見ているようだった。
真っ暗い中、雨が降り、走り去る車に水をかけられ、出口もない道・・・。 -
ようやく出口の標識が見えてきた。
それが800メートル手前のサインだった。
高速道路の上の800メートルというのは、とても長いものだった。
サインを見てからも、本当の出口まではとても遠く感じた。
ようやく出口に来たものの、そこからぐるりと大きく迂回して回らなければならなかった。
だいぶ村に近付いた頃、平らな道を歩いていたのに、突然転んでしまった。
その時に大切に持っていた地図とペンが飛んでいってしまった。
もう二度と銀の道に帰ってくるものかと思った。
それでもなんとか目的も村に着いたのだった。
バルがあったので、町の中心までの行き方を聞いてみた。
応対がとても親切で、その後何人かの人たちに道を聞いたが、みんなが優しく教えてくれる。
このアルバヌエバ・デル・カミーノは、夏にも来ている。
カルカボソからタクシーでプラセンシアに行き、少し観光してその後バスでここに来たのだった。
おそらくその道は630号だったと思うが、まったく違うアプローチなので、迷子になってしまった。
しかし疲れて歩いてきたときに、こんな風に優しく迎えてくれる人々がいると、まだ「銀の道」への愛着が強く増すのであった。
やっとアルベルゲの前にやってきた。
鍵を預かる近所の家まで親切なおばさんが連れていってくれた。
ところが、現在アルベルゲはクローズしているというのだ。
暖房もなければ、お湯も出ないということだった。
ホテルは少し遠いという。
もう一歩も歩きたくなかった。
私はここに泊まるのが楽しみだった。夏にイサベルやミカさんたちと泊まった思い出の場所だからだ。
私は頼み込んで、暖房なんていらないから、泊めて欲しいと懇願した。
実際屋根があれば充分だと思っていた。
おばさんは、ドアを開け、毛布をたくさんかけて眠りなさいと言ってくれた。
時間は8時。最後の数キロにずいぶん時間がかかったものだ。
一日だけの巡礼の旅は終わった。 -
もう一歩も歩きたくない。
外に出る気はなかった。
冷たい水で、足だけ洗った。
夏はこの水の冷たさがどんなにありがたかったことか・・・。
この風呂に水を張り、この中に足を浸した。私の足はこの日を境にどんどん調子を取り戻すことができたのだった。
そしてその時と同じベッドに寝袋を広げる。
隣にはイサベルがいて、長い道を一日歩いた彼女は、『銀の道』の厳しさに疑問を持ち、私に質問してきた場所だ。
「あなたはこの道をどう思う?」
この村に着いて、いつものようにふらりと入ったバルで、イサベルとキ二ーに再会し、イワンとホワンペに初めて出会った場所でもある。
夏の思い出は、今となっては眩しくて仕方がない。
寒くて暗い冬の『銀の道』。
明日はセビリアに行く予定であったが、一度に行くのは無理だと思えた。
ここからエレナのいるカルカボソまでの直行バスはないのだ。
一度プラセンシアに行き、そこでバスに乗り換えなければならない。
そしてセビリアに行くには、もう一度プラセンシアに戻り、そこからセビリア行きのバスが出るのだが、この村から朝の9時のバスに乗っても、早くても深夜に着くような便しかない。
明日はカルカボソまで行って、もう一泊エレナのオスタルに泊まって、次の日の朝出れば、夕方にはセビリアに着くだろう。
パキにそのことを言わないくてはならない。
外には一歩も出たくなかったので、携帯を使おう。
パキにこのややこしい行程を説明し、明日セビリアに着くのが、いかに難しいことを説明していると、
「Do you know ・・・? 」とパキが言葉を挟む。私はそれを遮って、いかに複雑な工程で、一日ではセビリアにたどり着けないということを再度力説した。
やっと自分の言いたいことが終わると、今度はパキが話す番だった。
「Do you know ・・・・? フェルナンドが明日のお昼にセビリアに来るのよ!」
えっ、ええ〜〜〜っ?聞いていないっちゅうか〜、昨日までそんな話はなかったはずだ。
私は即刻今言ったことを覆し、
「あっ、じゃあタクシー使って明日の夕方にセビリアに着くから!!!」
あまりの変わり身の早さに、自分でも笑っちゃう。
まさかフェルナンドにこの旅で会えるとは思わなかったのだ。
フェルナンドは去年の夏の巡礼仲間である。
あのフェルナンド王子(!)が直々に訪問してくれるのに、呑気にしてはいられない。
なんとしてでも明日じゅうにセビリアに行こう!
ちょっぴりみじめな最後であったけれども、無事に38km歩けた喜び。
後でイサベルにこう言われた。
「あなたは運が良かったわよ。その少し前はとても寒かったのよ。最後にCamino(巡礼路の田舎道)を歩かなくてこれも正解だったわ。」
やっぱり『銀の道』は誠実だ。
今もフランスの道と同様、銀の道への愛着は増すばかりなのであった。
明日はパキとフェルナンドに会える。 -
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12月28日 セビリアへ
足の先が冷たくて、一瞬さえも眠ることができないまま朝を迎えた。
今日はバスの移動だから、どこかで居眠りすればいいだろう。
二日間ろくに食べていなかったので、朝は少し栄養を取りたいところだが、時間がない。大急ぎでカフェ・コン・レチェを飲んで大きなドーナッツをテイクアウト。
9時のプラセンシア行きのバス停でドーナッツを待つとほぼ時間通りバスが来た。
プラセンシアからカルカボソ行きのバスは一時までないという。そしてここからセビリア行きのバスは12時半。
よし、これに乗ろう。
タクシーで往復すれば、12時半までに戻ってこれるだろう。 -
エレナは私を見つけると、走りよってきた。娘のイサベルも飛んできた。
「歩いてきたのよ。」
二人はとても喜んでくれた。
荷物を取って、支払いを済ませる。待たせているタクシーの運転手さんをエレナが店の中に呼ぶ。
彼女はこんな風に面倒見がいいのだ。
カルカボソのどこに行くんだ?と運転手さんに聞かれた時、エレナのバルだと言うと、すぐにわかってくれた。
彼女はこの界隈の女親分だ。
もっとゆっくりここに居たかった。
また三度めの再会を期待したい。
きっとここにまたいつの日か・・・。
タクシーにスーツケースを詰め込み、今日もエレナとイサベル親子に見送られながら、今来た道を再びプラセンシアに戻る。
まだバスが出るまで充分な時間があった。
荷物を整理して、着替えもする。
バスステーションのバルに入り、タパスをいくつか取り、カフェ・コン・レチェを飲みながら、たまっていた日記を書く。 -
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