1971/07/01 - 1971/07/01
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ソフィさん
1961年7月1日パリにて
イスタンブールで、観光バスから降りて公園を歩いていると、ふと学生に呼び止められる。
「日本からやって来たのなら、友人たちを集めるから、話をしてくれないか」
ということで、私はややためらいながらも、引き受けることにする。
私が「フランス語は話せるかい?」と訊ねると、学生は「ドイツ語なら出来るのだが」と答えた。
ここの学生は、ドイツ語が堪能らしい。
ドイツへの親近感が強く、フランスはイマイチ身近でないようだ。
そこで思い出したのは、ドイツがトルコとの接近を図った「3C政策」である。
1890年ドイツではビスマルクが引退後、ヴィルヘルム2世(位1888〜1918)はロシアとの再保障条約の更新を拒否する。
そのため、ドイツから離れたロシアは、ビスマルク外交によって孤立していたフランスに接近し、露仏同盟(1891〜94年に成立)を結んだ。
その結果ドイツは、ビスマルクが最も恐れていた、東西からロシア・フランスにはさまれる状況となる。
そこでドイツは、露仏同盟の成立後ロシアの東アジア進出を支持しながら、自らはバルカンから西アジアへの進出をはかり、「3B政策」を推し進める。
3B政策は、ベルリン(Berlin)・ビザンティウム(Byzantium)・バグダード(Bagdad)を結ぼうとする、ドイツの西アジア進出をはかる帝国主義政策の代名詞で、主要3都市の頭文字をとってこう呼ばれている。
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