デルフト旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 日本を元日の飛行機で発って,昨夜はハーグのホテルに泊まった。オランダの冬はとても寒いと想像していたが,朝起きてホテルのバルコニー出てみると,朝の空気は東京よりも寒さを感じない。冷え込むことを覚悟してコートの付け替え用インナーをダウンの暖かいものにしてきたが,そんな必要はなかったようだ。早速,インナーを取り外した。<br /> 今朝は朝から厚い雲が空を覆っている。昨夜のニュースでは今日の天候は明け方は曇り,その後は晴れてくるとの予報だったが,俄に信じがたい。<br /><br /> ホテルでの朝食を済ませて,今日の目的地デルフトに向かう。ハーグからは電車で10分強で行ける。オランダ鉄道は主要都市間は本数も多いし,運行時間も正確だ。<br /><br /> デルフトといえば「デルフト焼き」の陶器が有名だ。しかし,それだけでなく国祖オラニエ公ウィレム1世が住んでいた町で,オランダの中でも特に歴史のある町のひとつだ。<br /> 駅を出ると左手に尖り帽子を被り時計を携えた濃いベージュ色の旧教会の塔がすぐに目に入る。駅前の運河を渡り,国道沿いにこの塔を目指して進めば,町の中心部マルクト広場に辿り着くことができる。朝の10時には教会が開き,見学できると思っていたが,この時期は11時にならないと門が開かない。ちょっと誤算だった。仕方なく,まずは新教会の裏の運河,Oost Einde沿いを歩いて東門に行くことにした。しかし,この運河沿いは実に殺風景。旧教会やマルクト広場の周辺の趣ある街並みとまったく違う。その上,小雨がパラパラと降ってきた。やはり,この雲の厚さからすると昨晩の天気予報は外れたのかと,恨めしく感じた。教会が開くまでの1時間は雨宿りなどできない。<br /> 幸い雨足は強くなることはなかったが,この東門をこの曇り空のなかで眺めることは,なんとも口惜しい。門を通り抜け,その先にある橋を渡り,対岸から東門をみる。すると,実際にフェルメールが描いた風景ではないが,彼の絵を心象として持っていれば,これこそデルフトで見たかった景色と思うような現実がそこにあるのだ。<br /> 次に向かったのはマルクト広場。ここには新教会と市庁舎がある。また,近くにはフェルメールの旧宅も残っている。マルクト広場に戻ってくる頃には,雲の様子も大分良くなってきた。あれだけ厚い雲びっしりと埋まっていたので,今日一日天気は回復しないなと思っていたが,ちょっとの間に随分と天候が変わるものだ。まずは,新教会に入る。新教会の内部を見学するには入口で入場料を払うが,ここで受け取るチケットは旧教会も見学できる。(旧教会だけ,新教会だけのチケットはない。)新教会の内部に入ると,白い大理石の支柱が規則的に並び視線を自然と内陣部に移させる。内陣部には国祖オラニエ公ウィレム1世の豪華な棺があり,視線はこの一点に集中する。その他の装飾が少ないからなおさらここに目が留まる。まるで,入場者を国祖の棺に招き入れるような演出でもしているような印象を受ける。1584年にスペイン軍にそそのかされたカトリック教徒の凶弾に倒れ,51歳でその生涯を閉じるまで,オランダ独立に尽くした国祖に対するオランダ人の尊敬の表れなのか。<br /> 新教会の真向かい,まるくと広場のもう一つの端には新教会と対をなすように市庁舎がある。この現在の市庁舎は14世紀までその歴史を辿ることがでるようであるが,当時のものは17世紀初頭の火災で多くが失われ,四角い塔の部分だけが残ったようだ。正面からは分かり難いが,市庁舎の裏に回って見ると14世紀の塔を囲むように,新しい(新しいと言っても17世紀の)建物が建っている。使われている大理石を観察すると,この二つの部分の違いがはっきりと分かる。内部を見学できなかったことは残念だが,市庁舎の見事なファザードといい,14世紀の塔といい,歴史ある町に相応しい立派な建物だ。<br /><br /> 絵が好きな人ならばこの町で見逃してならない家がある。フェルメールの旧宅だ。マルクト広場の南東,広場からひとつ奥にいった道沿い(Maria van Jessekerkの裏)にこの家はある。Maria van Jessekerkにくっつくように細長い家がフェルメールの旧宅で,いくつもの名作がここから生まれたのだろう。内部は見学はできないようであるが,インターネット(http://www.johannesvermeer.info/)で内部の様子や調査の結果を見ることができる。<br /><br /> デルフトの町の中でもマルクト広場周辺と旧教会周辺,それとオウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いは昔の街並みを残した素敵な街並みを見ることができる。次に向かったのは,旧教会周辺とオウド・デルフト運河だ。市庁舎から旧教会に向かう途中,入口に牛の彫刻をもった建物があった。旧肉市場だという。ここを通り,旧教会へ。マルクト広場から旧教会は徒歩で3分ぐらいの距離だが,静けさがまったく違う。マルクト広場は人で賑わっていたが,ここにくるといっぺんに静かだ(シーズンのせいもあるのか?)。旧教会の付近は,タイル博物館,旧い教会を転用したプリンセンホフ博物館,民族博物館があるが,この日は月曜日だったのでこれらは見学できなかった。<br /> 旧教会に入ると新教会以上に質素だ。これといった装飾もないうえ,内陣部の祭壇も実に簡単なものだ。ただし,この教会には幾人もの名を馳せた人々の墓がある。この中でも私にも分かるのはフェルメールの墓だ。有名人の墓には説明書が付けられているが,私はただフェルメールの墓だけを目指した。入口で案内書を受け取り彼の墓を探したが,辿り着いてみてあまりにも簡素なその墓石に驚いた。オランダを代表する画家の墓石には彼の名前と現世に生きた期間しか刻まれていない。彼が簡素な墓を望んだのか,あるいは貧しさ故にこれだけの墓しか用意できなかったのか私には分からないが,驚きであった。その上,この墓石,石工の腕が良かったのかもしれないが,彫られている文字がやけに新しく感じる。彼は43歳で亡くなっているが,その時、多額の借金があったと伝えられている。彼の絵に見られる鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」として知られているが,当時は金より高価だったラピスラズリという鉱石を使った結果らしい。このような高価な材料を惜しげもなく使ったために,彼の墓はこれほどまでに簡素なのかと考えると感慨深いものがある。<br /><br /> 午後も4時頃になると,大分陽が傾いてきた。やはりヨーロッパの冬の日は短い。幸いなことに午後からいっぺんに天候が回復し,青空が広がった。天気予報通りだ。駅までオウド・デルフト運河沿いの建物を楽しみながら歩くことにする。

2006冬 オランダの旅1(デルフト編)

9いいね!

2006/01/01 - 2006/01/09

99位(同エリア197件中)

10

25

極楽蝶

極楽蝶さん

 日本を元日の飛行機で発って,昨夜はハーグのホテルに泊まった。オランダの冬はとても寒いと想像していたが,朝起きてホテルのバルコニー出てみると,朝の空気は東京よりも寒さを感じない。冷え込むことを覚悟してコートの付け替え用インナーをダウンの暖かいものにしてきたが,そんな必要はなかったようだ。早速,インナーを取り外した。
 今朝は朝から厚い雲が空を覆っている。昨夜のニュースでは今日の天候は明け方は曇り,その後は晴れてくるとの予報だったが,俄に信じがたい。

 ホテルでの朝食を済ませて,今日の目的地デルフトに向かう。ハーグからは電車で10分強で行ける。オランダ鉄道は主要都市間は本数も多いし,運行時間も正確だ。

 デルフトといえば「デルフト焼き」の陶器が有名だ。しかし,それだけでなく国祖オラニエ公ウィレム1世が住んでいた町で,オランダの中でも特に歴史のある町のひとつだ。
 駅を出ると左手に尖り帽子を被り時計を携えた濃いベージュ色の旧教会の塔がすぐに目に入る。駅前の運河を渡り,国道沿いにこの塔を目指して進めば,町の中心部マルクト広場に辿り着くことができる。朝の10時には教会が開き,見学できると思っていたが,この時期は11時にならないと門が開かない。ちょっと誤算だった。仕方なく,まずは新教会の裏の運河,Oost Einde沿いを歩いて東門に行くことにした。しかし,この運河沿いは実に殺風景。旧教会やマルクト広場の周辺の趣ある街並みとまったく違う。その上,小雨がパラパラと降ってきた。やはり,この雲の厚さからすると昨晩の天気予報は外れたのかと,恨めしく感じた。教会が開くまでの1時間は雨宿りなどできない。
 幸い雨足は強くなることはなかったが,この東門をこの曇り空のなかで眺めることは,なんとも口惜しい。門を通り抜け,その先にある橋を渡り,対岸から東門をみる。すると,実際にフェルメールが描いた風景ではないが,彼の絵を心象として持っていれば,これこそデルフトで見たかった景色と思うような現実がそこにあるのだ。
 次に向かったのはマルクト広場。ここには新教会と市庁舎がある。また,近くにはフェルメールの旧宅も残っている。マルクト広場に戻ってくる頃には,雲の様子も大分良くなってきた。あれだけ厚い雲びっしりと埋まっていたので,今日一日天気は回復しないなと思っていたが,ちょっとの間に随分と天候が変わるものだ。まずは,新教会に入る。新教会の内部を見学するには入口で入場料を払うが,ここで受け取るチケットは旧教会も見学できる。(旧教会だけ,新教会だけのチケットはない。)新教会の内部に入ると,白い大理石の支柱が規則的に並び視線を自然と内陣部に移させる。内陣部には国祖オラニエ公ウィレム1世の豪華な棺があり,視線はこの一点に集中する。その他の装飾が少ないからなおさらここに目が留まる。まるで,入場者を国祖の棺に招き入れるような演出でもしているような印象を受ける。1584年にスペイン軍にそそのかされたカトリック教徒の凶弾に倒れ,51歳でその生涯を閉じるまで,オランダ独立に尽くした国祖に対するオランダ人の尊敬の表れなのか。
 新教会の真向かい,まるくと広場のもう一つの端には新教会と対をなすように市庁舎がある。この現在の市庁舎は14世紀までその歴史を辿ることがでるようであるが,当時のものは17世紀初頭の火災で多くが失われ,四角い塔の部分だけが残ったようだ。正面からは分かり難いが,市庁舎の裏に回って見ると14世紀の塔を囲むように,新しい(新しいと言っても17世紀の)建物が建っている。使われている大理石を観察すると,この二つの部分の違いがはっきりと分かる。内部を見学できなかったことは残念だが,市庁舎の見事なファザードといい,14世紀の塔といい,歴史ある町に相応しい立派な建物だ。

 絵が好きな人ならばこの町で見逃してならない家がある。フェルメールの旧宅だ。マルクト広場の南東,広場からひとつ奥にいった道沿い(Maria van Jessekerkの裏)にこの家はある。Maria van Jessekerkにくっつくように細長い家がフェルメールの旧宅で,いくつもの名作がここから生まれたのだろう。内部は見学はできないようであるが,インターネット(http://www.johannesvermeer.info/)で内部の様子や調査の結果を見ることができる。

 デルフトの町の中でもマルクト広場周辺と旧教会周辺,それとオウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いは昔の街並みを残した素敵な街並みを見ることができる。次に向かったのは,旧教会周辺とオウド・デルフト運河だ。市庁舎から旧教会に向かう途中,入口に牛の彫刻をもった建物があった。旧肉市場だという。ここを通り,旧教会へ。マルクト広場から旧教会は徒歩で3分ぐらいの距離だが,静けさがまったく違う。マルクト広場は人で賑わっていたが,ここにくるといっぺんに静かだ(シーズンのせいもあるのか?)。旧教会の付近は,タイル博物館,旧い教会を転用したプリンセンホフ博物館,民族博物館があるが,この日は月曜日だったのでこれらは見学できなかった。
 旧教会に入ると新教会以上に質素だ。これといった装飾もないうえ,内陣部の祭壇も実に簡単なものだ。ただし,この教会には幾人もの名を馳せた人々の墓がある。この中でも私にも分かるのはフェルメールの墓だ。有名人の墓には説明書が付けられているが,私はただフェルメールの墓だけを目指した。入口で案内書を受け取り彼の墓を探したが,辿り着いてみてあまりにも簡素なその墓石に驚いた。オランダを代表する画家の墓石には彼の名前と現世に生きた期間しか刻まれていない。彼が簡素な墓を望んだのか,あるいは貧しさ故にこれだけの墓しか用意できなかったのか私には分からないが,驚きであった。その上,この墓石,石工の腕が良かったのかもしれないが,彫られている文字がやけに新しく感じる。彼は43歳で亡くなっているが,その時、多額の借金があったと伝えられている。彼の絵に見られる鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」として知られているが,当時は金より高価だったラピスラズリという鉱石を使った結果らしい。このような高価な材料を惜しげもなく使ったために,彼の墓はこれほどまでに簡素なのかと考えると感慨深いものがある。

 午後も4時頃になると,大分陽が傾いてきた。やはりヨーロッパの冬の日は短い。幸いなことに午後からいっぺんに天候が回復し,青空が広がった。天気予報通りだ。駅までオウド・デルフト運河沿いの建物を楽しみながら歩くことにする。

  • 東門(1)<br /><br /> 東門はデルフトに残る唯一の門で,14世紀に作られました。1514には塔とそれを覆うとんがり屋根が作られています。昔はこの門は人が歩ける道を持つ城壁の一部であり,水門ともつながっていました。1962年から64年にかけて修復され,現在はアート・ギャラリーとして利用されています。<br /><br /> デルフトの門で思い出すのは,フェルメールの描いた秀作「デルフトの眺望」に描かれた姿ですが,あの絵に描かれたスヒーダム門やロッテルダム門は現存しません。しかし,反対岸から眺める東門は,まるで今あの名作の風景が眼前に現れたように思いにさせてくれます。<br /> この時は厚い雲が空一杯にあり,小雨がぱらついていましたが,天候が変わり厚い雲が流れ,太陽が覗いてきたならば,もしかしたら「デルフトの眺望」を再現したような風景に出会えたかもしれません。

    東門(1)

     東門はデルフトに残る唯一の門で,14世紀に作られました。1514には塔とそれを覆うとんがり屋根が作られています。昔はこの門は人が歩ける道を持つ城壁の一部であり,水門ともつながっていました。1962年から64年にかけて修復され,現在はアート・ギャラリーとして利用されています。

     デルフトの門で思い出すのは,フェルメールの描いた秀作「デルフトの眺望」に描かれた姿ですが,あの絵に描かれたスヒーダム門やロッテルダム門は現存しません。しかし,反対岸から眺める東門は,まるで今あの名作の風景が眼前に現れたように思いにさせてくれます。
     この時は厚い雲が空一杯にあり,小雨がぱらついていましたが,天候が変わり厚い雲が流れ,太陽が覗いてきたならば,もしかしたら「デルフトの眺望」を再現したような風景に出会えたかもしれません。

  • 東門(2)<br /><br /> 東門には白い跳ね橋が続いています。イメージにあるオランダの風景がそこにあるようです。

    東門(2)

     東門には白い跳ね橋が続いています。イメージにあるオランダの風景がそこにあるようです。

  • 東門(3)<br /><br /> この東門はOost Einde運河沿いから眺めた姿です。正直なところ,新教会から東門までの風景は殺風景なものです。ただ,運河の先にあるこの門の風景と重なった景色だけには,一瞬足を止めてしまいます。

    東門(3)

     この東門はOost Einde運河沿いから眺めた姿です。正直なところ,新教会から東門までの風景は殺風景なものです。ただ,運河の先にあるこの門の風景と重なった景色だけには,一瞬足を止めてしまいます。

  • 新教会<br /><br /> 新教会はデルフトの中心部マルクト広場の東の端に高さ110メートル近い塔を天に突き立て威風堂々と構えています。正面に聳える塔は,低い段は赤い煉瓦,中間は白,最上段は黒と部分毎に色が変わっているのがとてもユニークです。また,最上段,つまり黒い部分にはたくさんのカリヨンがあり美しい音色を響かせています。

    新教会

     新教会はデルフトの中心部マルクト広場の東の端に高さ110メートル近い塔を天に突き立て威風堂々と構えています。正面に聳える塔は,低い段は赤い煉瓦,中間は白,最上段は黒と部分毎に色が変わっているのがとてもユニークです。また,最上段,つまり黒い部分にはたくさんのカリヨンがあり美しい音色を響かせています。

  • 新教会のウィレム1世の棺(1)<br /><br /> 新教会の一番の見物は,オランダ建国の祖オラニエ公ウィレム1世の棺でしょう。内陣の一番東側,最も聖なる場所にそれはあります。主に漆黒と純白の大理石を組み合わせて作られた棺は,国祖のものに相応しく威厳をもって私たちを迎えます。<br /><br /> この写真は内陣の最奥をさせる柱の間から見えた棺の姿がとてもユニークだったので撮りましたが,後日,ハーレムの「フランス・ハルス美術館」で見た油彩も同じようなアングルで描いていました。画家もこの眺めに興味を引かれたのでしょうが,僕もウィレム1世の棺はこの角度から見るのが一番美しいと思いました。

    新教会のウィレム1世の棺(1)

     新教会の一番の見物は,オランダ建国の祖オラニエ公ウィレム1世の棺でしょう。内陣の一番東側,最も聖なる場所にそれはあります。主に漆黒と純白の大理石を組み合わせて作られた棺は,国祖のものに相応しく威厳をもって私たちを迎えます。

     この写真は内陣の最奥をさせる柱の間から見えた棺の姿がとてもユニークだったので撮りましたが,後日,ハーレムの「フランス・ハルス美術館」で見た油彩も同じようなアングルで描いていました。画家もこの眺めに興味を引かれたのでしょうが,僕もウィレム1世の棺はこの角度から見るのが一番美しいと思いました。

  • 新教会のウィレム1世の棺(2)<br /><br /> ウィレム1世の棺を正面から見たところです。漆黒と純白の大理石でできた棺が,教会の赤い,むしろピンク色に近い煉瓦の色とよくマッチしています。正面には,玉座に座り,右手に剣を持ち,左足を床に下ろし,今にも立ち上がりそうなウィレム1世の彫刻があります。

    新教会のウィレム1世の棺(2)

     ウィレム1世の棺を正面から見たところです。漆黒と純白の大理石でできた棺が,教会の赤い,むしろピンク色に近い煉瓦の色とよくマッチしています。正面には,玉座に座り,右手に剣を持ち,左足を床に下ろし,今にも立ち上がりそうなウィレム1世の彫刻があります。

  • 新教会のウィレム1世の棺(3)<br /><br /> 正面のウィレム1世とは正反対に,棺の蓋の部分には永久の眠りについている彼の姿があります。正面に王は漆黒の大理石でしたが,ここの王は純白の大理石で描かれています。

    新教会のウィレム1世の棺(3)

     正面のウィレム1世とは正反対に,棺の蓋の部分には永久の眠りについている彼の姿があります。正面に王は漆黒の大理石でしたが,ここの王は純白の大理石で描かれています。

  • 新教会のウィレム1世の棺(4)

    新教会のウィレム1世の棺(4)

  • 新教会と木<br /><br /> 新教会の裏の葉を落とした苔むした木の姿がとても面白かったので写真に収めました。春にこの木一杯に葉が茂ったならば新教会が見えなくなるくらいになるのかなと想像します。

    新教会と木

     新教会の裏の葉を落とした苔むした木の姿がとても面白かったので写真に収めました。春にこの木一杯に葉が茂ったならば新教会が見えなくなるくらいになるのかなと想像します。

  • マルクト広場と市庁舎<br /><br /> 新教会を出ると正面に市庁舎が見えます。つまり新教会は広場の東の端,市庁舎は西の端にそれぞれが位置を占めています。<br /> 右側にある像は,「近代自然法の父」「国際法の祖」グロチウス(1583〜1645)の像です。彼はデルフトの生まれです。ちなみに,お父さんはこの町の市長を務めたこともあります。

    マルクト広場と市庁舎

     新教会を出ると正面に市庁舎が見えます。つまり新教会は広場の東の端,市庁舎は西の端にそれぞれが位置を占めています。
     右側にある像は,「近代自然法の父」「国際法の祖」グロチウス(1583〜1645)の像です。彼はデルフトの生まれです。ちなみに,お父さんはこの町の市長を務めたこともあります。

  • 市庁舎<br /><br /> ヨーロッパの古い町の市庁舎という佇まいです。

    市庁舎

     ヨーロッパの古い町の市庁舎という佇まいです。

  • マルクト広場(東南側)と家<br /><br /> ヨーロッパの町の中心となる広場の周りには,どこでも可愛らしく素敵な家々が並んでいますがデルフトのマルクト広場もまったく同じです。昔ながらの正面を残した建物が肩寄せ合いながら並んでいます。<br /> 画面の左の方に写っている双塔を持つ教会はMaria van Jessekerk。1875年から82年にかけて建築された教会で,この教会のすぐ隣にフェルメールの旧宅があります。

    マルクト広場(東南側)と家

     ヨーロッパの町の中心となる広場の周りには,どこでも可愛らしく素敵な家々が並んでいますがデルフトのマルクト広場もまったく同じです。昔ながらの正面を残した建物が肩寄せ合いながら並んでいます。
     画面の左の方に写っている双塔を持つ教会はMaria van Jessekerk。1875年から82年にかけて建築された教会で,この教会のすぐ隣にフェルメールの旧宅があります。

  • フェルメールの旧宅<br /><br /> 隣の教会に連れ添うようにして建っているのがフェルメールの旧宅です。表に説明書だけがあり,内部を見学できなかったのが残念です。しかし,この家の様子は次のアドレスで詳細に知ることができます。<br /> http://www.johannesvermeer.info/<br />

    フェルメールの旧宅

     隣の教会に連れ添うようにして建っているのがフェルメールの旧宅です。表に説明書だけがあり,内部を見学できなかったのが残念です。しかし,この家の様子は次のアドレスで詳細に知ることができます。
     http://www.johannesvermeer.info/

  • 旧肉市場<br /><br /> 市庁舎から旧教会に向かう途中に表入口の上に牛の頭の彫刻を冠する旧肉市場の建物があります。あまり飾り気のある建物ではありませんが,表の牛の頭の彫刻はよく目立ちます。それと,この彫刻がこの建物が何かをすぐに想像させます。<br /> 肉市場の建物の歴史は14世紀まで遡ることができます。1650年にHendrick Swaefの設計により,後期ゴシック様式のアーチ型天井を持つ地下倉庫を残しながらオランダ古典様式に立て替えられました。1872年から20世紀初頭までは穀物取引所として利用され,現在はユース・クラブ「De Koornbeurs」となっています。

    旧肉市場

     市庁舎から旧教会に向かう途中に表入口の上に牛の頭の彫刻を冠する旧肉市場の建物があります。あまり飾り気のある建物ではありませんが,表の牛の頭の彫刻はよく目立ちます。それと,この彫刻がこの建物が何かをすぐに想像させます。
     肉市場の建物の歴史は14世紀まで遡ることができます。1650年にHendrick Swaefの設計により,後期ゴシック様式のアーチ型天井を持つ地下倉庫を残しながらオランダ古典様式に立て替えられました。1872年から20世紀初頭までは穀物取引所として利用され,現在はユース・クラブ「De Koornbeurs」となっています。

  • 旧教会<br /><br /> オウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いに眺める旧教会は,デルフトの中でも最も美しい眺望のひとつです。左に少し傾いた塔が運河に映えています。<br /> ところで,この教会の建築は1200年に始まり,1325年から1350年までに高さ75メートルの塔と4つの小さい塔が出来上がりました。しかし,長い建築の間に塔は傾きはじめ,最近この垂直を正しくするための工事が行われましたが,それでも垂直から2メートル傾いているようです。

    旧教会

     オウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いに眺める旧教会は,デルフトの中でも最も美しい眺望のひとつです。左に少し傾いた塔が運河に映えています。
     ところで,この教会の建築は1200年に始まり,1325年から1350年までに高さ75メートルの塔と4つの小さい塔が出来上がりました。しかし,長い建築の間に塔は傾きはじめ,最近この垂直を正しくするための工事が行われましたが,それでも垂直から2メートル傾いているようです。

  • 旧教会のステンドグラス<br /><br /> 旧教会のステンドグラスの一枚です。繁栄をした町の最も活気のある時期の様子を描いたのでしょうか。描かれた当時の(多分)デルフトを代表する人々と,5つの家紋,背景には大きな帆船が描かれています。

    旧教会のステンドグラス

     旧教会のステンドグラスの一枚です。繁栄をした町の最も活気のある時期の様子を描いたのでしょうか。描かれた当時の(多分)デルフトを代表する人々と,5つの家紋,背景には大きな帆船が描かれています。

  • 旧教会内のフェルメールの墓石<br /><br /> 旧教会内には多くの有名人が眠っているようで,その内のいくつかの墓石の所には説明板が添えられています。その中で僕でもすぐに分かるのは画家フェルメールの墓石です。<br /> フェルメールの墓石は写真のように名前と現世で生きた年を刻んだだけの簡素な物でした。他の墓石は装飾彫刻が綺麗に施されたものあるのに,意外なほど簡単な物でした。

    旧教会内のフェルメールの墓石

     旧教会内には多くの有名人が眠っているようで,その内のいくつかの墓石の所には説明板が添えられています。その中で僕でもすぐに分かるのは画家フェルメールの墓石です。
     フェルメールの墓石は写真のように名前と現世で生きた年を刻んだだけの簡素な物でした。他の墓石は装飾彫刻が綺麗に施されたものあるのに,意外なほど簡単な物でした。

  • 尼僧の像(GEERTRUYT VAN OOSTEN)<br /><br /> 旧教会の入口の付近に尼僧の像があります。台座には GEERTRUYT VAN OOSTEN と彼女の名前が刻まれています。装飾の少ない質素で,肩から胴体にかけて柔らかい膨らみをもつ像で,尼僧に相応しいものです。<br /> 日本に帰ってから彼女(Gertrude of Delft)のことを調べてみると,なんと「カトリック百科事典(Catholic encyclopedia)」にその名前を見つけることができます。彼女は1330年にオランダのVoorburchという田舎町で生まれています。家庭はとても貧しかったようですが,子供の頃から,とても聡明で信心深く,大人達の注目を集めていたようです。その後,彼女はデルフトに出てきてベギン会に参加し,終生,慈善事業に深く関わっていきます。1358年1月6日にデルフトで亡くなっていますが,彼女の遺体は聖Hippolytus教会に埋葬されました。<br /> 彼女にはいくつもの逸話が残されています。ひとつは彼女の名前にも隠されていて,「van der Oosten」とは彼女が作曲したとされる賛美歌「Het Daghet in den Oosten / Day Breaketh in the East」に由来しています。付け加えれば,彼女は音楽の勉強などしたことなどありませんが,教会の中や外で耳にする音楽を聴くだけで,彼女の学習には十分だったと言うことです。また,彼女は1日に7回,キリストが磔刑で受けたと同じ場所に血を流すことができたといいます。さらに,デルフトの新教会の建築にも深く関わりました。現在の新教会の位置にきらきらと輝く光を30年間も見るという啓示を受け,これがきっかけでとなり市議会が動き,新教会の建築となりました。

    尼僧の像(GEERTRUYT VAN OOSTEN)

     旧教会の入口の付近に尼僧の像があります。台座には GEERTRUYT VAN OOSTEN と彼女の名前が刻まれています。装飾の少ない質素で,肩から胴体にかけて柔らかい膨らみをもつ像で,尼僧に相応しいものです。
     日本に帰ってから彼女(Gertrude of Delft)のことを調べてみると,なんと「カトリック百科事典(Catholic encyclopedia)」にその名前を見つけることができます。彼女は1330年にオランダのVoorburchという田舎町で生まれています。家庭はとても貧しかったようですが,子供の頃から,とても聡明で信心深く,大人達の注目を集めていたようです。その後,彼女はデルフトに出てきてベギン会に参加し,終生,慈善事業に深く関わっていきます。1358年1月6日にデルフトで亡くなっていますが,彼女の遺体は聖Hippolytus教会に埋葬されました。
     彼女にはいくつもの逸話が残されています。ひとつは彼女の名前にも隠されていて,「van der Oosten」とは彼女が作曲したとされる賛美歌「Het Daghet in den Oosten / Day Breaketh in the East」に由来しています。付け加えれば,彼女は音楽の勉強などしたことなどありませんが,教会の中や外で耳にする音楽を聴くだけで,彼女の学習には十分だったと言うことです。また,彼女は1日に7回,キリストが磔刑で受けたと同じ場所に血を流すことができたといいます。さらに,デルフトの新教会の建築にも深く関わりました。現在の新教会の位置にきらきらと輝く光を30年間も見るという啓示を受け,これがきっかけでとなり市議会が動き,新教会の建築となりました。

  • 旧デルフト州堤防管理委員会の館<br /><br /> この館は1505年頃に個人の邸宅(Jan de Huyterの邸宅)として建てられ,その後1645年からはデルフト州堤防管理委員会がここに置かれました。この旧教会に近いオウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いの建物は日本のガイドブックには載っていませんが,この街の中でも特に目を引きつけるものです。

    旧デルフト州堤防管理委員会の館

     この館は1505年頃に個人の邸宅(Jan de Huyterの邸宅)として建てられ,その後1645年からはデルフト州堤防管理委員会がここに置かれました。この旧教会に近いオウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いの建物は日本のガイドブックには載っていませんが,この街の中でも特に目を引きつけるものです。

  • 旧デルフト州堤防管理委員会の入口<br /><br /> 旧デルフト州堤防管理委員会の館の正面(ファザード)はとても素敵ですが,特にこの入口はその上に設えられた紋章などが威厳を誇り,昔日の繁栄を偲ばせます。

    旧デルフト州堤防管理委員会の入口

     旧デルフト州堤防管理委員会の館の正面(ファザード)はとても素敵ですが,特にこの入口はその上に設えられた紋章などが威厳を誇り,昔日の繁栄を偲ばせます。

  • 旧デルフト州堤防管理委員会の紋章<br /><br /> この紋章はピーター・ポスト(Pieter Post)がデザインしました(1652年)。

    旧デルフト州堤防管理委員会の紋章

     この紋章はピーター・ポスト(Pieter Post)がデザインしました(1652年)。

  • 旧聖霊教会と旧女子孤児院<br /><br /> オウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いには旧く素敵な建物がいくつもありますが,この二つの建物もその中のひとつです。左側が旧聖霊教会,右側が旧女子孤児院です。<br /><br /> 旧聖霊教会は14世紀初頭に建てられました。17世紀以降にはここは色々な目的で,例えば州軍の連隊本部,利用されました。その後,1919年から24年にかけて修復され技術大学の音楽堂として使用され,現在ではカトリック教会(聖Hippolytus教会)となっています。<br /><br /> 旧女子孤児院は1769年に建てられました。設計を担当したのは,この町の建築家 Nicolaas Terburghで,ルイ15世様式を取り入れています。また,入口の装飾は Jacob Mattheus Cressant によるものです。

    旧聖霊教会と旧女子孤児院

     オウド・デルフト運河(Oude Delft)沿いには旧く素敵な建物がいくつもありますが,この二つの建物もその中のひとつです。左側が旧聖霊教会,右側が旧女子孤児院です。

     旧聖霊教会は14世紀初頭に建てられました。17世紀以降にはここは色々な目的で,例えば州軍の連隊本部,利用されました。その後,1919年から24年にかけて修復され技術大学の音楽堂として使用され,現在ではカトリック教会(聖Hippolytus教会)となっています。

     旧女子孤児院は1769年に建てられました。設計を担当したのは,この町の建築家 Nicolaas Terburghで,ルイ15世様式を取り入れています。また,入口の装飾は Jacob Mattheus Cressant によるものです。

  • 街並みと新教会の塔(1)<br /><br /> 新教会の塔はデルフトの町のどこからでも見ることができます。町の中心を“ここだ!”と示すように,家の屋根の上にニョッキと顔を出しています。<br /> この写真は旧肉市場近くの運河沿いから眺めた姿です。

    街並みと新教会の塔(1)

     新教会の塔はデルフトの町のどこからでも見ることができます。町の中心を“ここだ!”と示すように,家の屋根の上にニョッキと顔を出しています。
     この写真は旧肉市場近くの運河沿いから眺めた姿です。

  • 街並みと新教会の塔(2)<br /><br /> この写真は旧教会の前から眺めた姿です。

    街並みと新教会の塔(2)

     この写真は旧教会の前から眺めた姿です。

  • 夕刻の運河<br /><br /> 夕方4時頃になると運河の上に電球が灯りはじめました。暗くなる前にデルフトを発ちましたので,小さな電球に演出された運河がどういう姿になるのか見ることはできませんでした。でも,この可愛い町らしい,ちょっと控えめな演出のような気がします。

    夕刻の運河

     夕方4時頃になると運河の上に電球が灯りはじめました。暗くなる前にデルフトを発ちましたので,小さな電球に演出された運河がどういう姿になるのか見ることはできませんでした。でも,この可愛い町らしい,ちょっと控えめな演出のような気がします。

この旅行記のタグ

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (10)

開く

閉じる

  • shinesuniさん 2006/02/10 03:19:02
    スミマセンこっちの写真でした
    こっちの写真で一番奥の一番上の階です。
    工事中の部屋ですね^^。
    ここは面白いつくりなので泊まれたのは良い体験でした。
    昔オランダの税金は窓の大きさで決められていたそうですが、
    中世からあるつくりなので、縦に長細く入り組んだ造りがまた面白かったです。部屋に戻るのもお客さんのいるレストランから堂々と入っていくのが面白い体験でした。

    PS 新教会の写真凄いですねwww.
    あの位置でしかも横で全部収まってしまうなんて...
    私なんか縦でも収まらないで市庁舎の脇の道まで下がってやっと収まりましたよ^^;
    どうもありがとう御座いました。     Shinesuni

    極楽蝶

    極楽蝶さん からの返信 2006/02/11 01:30:19
    RE: スミマセンこっちの写真でした
    shinesuni様

    こんにちは。極楽蝶です。

    >こっちの写真で一番奥の一番上の階です。

    なるほど,この写真ではそうなりますね。
    このホテルのクチコミ投稿を楽しみにしています。

    では,また。
    これからもよろしくお願いします。
  • shinesuniさん 2006/02/08 02:42:35
    度々スイマセン 例のホテルがこの写真にあったもので...
    90年から2003年までこの建物の景観は全く変っていなかったのですが、どうも少しテントのいろが変ったみたいです。
    この写真の左から3番目の建物が例のホテル&レストランです。
    黄色と縦じまのストライプになっていますねww。
    場所は分るのに口コミに書けないのって悔しいです。
    愚痴ってスイマセンでしたww。
  • shinesuniさん 2006/02/08 02:25:09
    デ..デルフト行ったの〜〜!?(涙)
    そのグロチウスの写真の右にある黄色いテントを張っているレストラン&ホテルの住所と名前とURLどなたかに聞いて欲しいんでお願いしようと思っていたんですよww。90年にそこに2日泊まって新教会の鐘の音を部屋から満喫した思い出が忘れられなくてww。
    因みに96年、99年にもここで食事はしましたがフェルメールブームに火がついて予約がないと泊まれなくなってしまったんです。
    誰か近いうちに行く人いませんかね?
    いたら教えてくださいませんか?

    極楽蝶

    極楽蝶さん からの返信 2006/02/09 00:49:36
    RE: デ..デルフト行ったの〜〜!?(涙)
    shinesuni様

    こんにちは。極楽蝶です。
    書き込みありがとうございます。


    >そのグロチウスの写真の右にある黄色いテントを張っているレストラン&ホテルの住所と名前とURLどなたかに聞いて欲しいんでお願いしようと思っていたんですよww。90年にそこに2日泊まって新教会の鐘の音を部屋から満喫した思い出が忘れられなくてww。
    >因みに96年、99年にもここで食事はしましたがフェルメールブームに火がついて予約がないと泊まれなくなってしまったんです。
    >誰か近いうちに行く人いませんかね?
    >いたら教えてくださいませんか?

    相当にこのホテルがお気に入りのようですね。
    たまたま,今回,僕はこのレストランで昼食を取りましたので,レシートが残っています。間違っていなければこのホテル&レストランだと思います。


    HOTEL CAFE RESTAURANT 'T RAEDTHUYS

    Markt 38-40
    2611 GV Delft

    tel 015-2125115
    fax 015-2136069

    http://www.raadhuisdelft.nl/index2.htm


    ご参考になれば,幸いです。
    ちなみに,このホテルは本来であれば日よけのテントが3つあるはずですが,一番右側は部屋を改装中のようで,上から入らなくなったコンクリートなどを投げおろしていました。

    ところで,デルフトは3度訪れているのですか?
    デルフトがとてもお気に入りのようですね。それともフェルメールがお好きなのでしょうか?
    僕も今回のオランダの旅行では,一番最初に歩いたこの町をとても気に入りました。
    静かで旅情のある良い町ですよね。

    では,また。
    これからもよろしくお願いします。

    shinesuni

    shinesuniさん からの返信 2006/02/09 01:40:02
    t Raedthuys
    極楽蝶さん有難うございます。
    何時間捜しても出てこなかったのでURLないものと思っていました。
    これで口コミが書けそうです。
    ホテルのページは作成されていないみたいですので直接コンタクトして値段聞いてみようと思います。
    料理の方もありふれているものですが、量が多い割に値段は安いのでいつもデルフトに来るとここで食事していました。
    ここのホテル?は狭いオランダの家らしくお店に住み込みの料理人と隣あわせの部屋で、中2階にある厨房の脇を通って部屋に行くので外から帰ってきた時、トイレや風呂に行く時よく料理人の裏方のお兄さんとすれ違いますので2〜3泊もすると、とても仲良くなれるのでいい思い出になりました。
    90年に泊まったあと96年に行った時にもレストランで食べている時、覚えてくれていて裏方の何人かが顔を出してくれたりしました。
    特にアーメドゥーという陽気な黒人のコックさんとは仲良くなっていたので、とても喜んでくれていました。
    99年に行った時は宿泊しようと思いましたが、フェルメールブームに火がついた後で2ヶ月先まで予約で一杯でした。
    次回はリベンジを誓っています。寝る前に聞こえるあの新教会の鐘の音色、マルクト広場の静寂さ...今でも目と耳に焼き付いています。

    PS 99年に泊まった駅前のデ・ヴォス も安くて味がありお薦めですよ^^。

    shinesuni

    shinesuniさん からの返信 2006/02/09 01:55:18
    どうも私の泊まった部屋ですねww
    工事中なのは...
    一番上の階のこの写真ですと一番奥ですから...。
    グレードアップするのでしょうか?それともホテルはなくなるとか...(汗;)
    今ホームページでホテルが削除されているのはそれが原因でしょうね。
    私はこのホテルや99年に泊まった宿も含めてこの街が大好きです。
    フェルメールも好きですが大ブレークしたのが理由でアレだけ街も有名になってしまって複雑な気持ちです。
    もっと地味でシブく宿も飛び込みで楽勝だったのですが...。
    度々お邪魔して申し訳ございませんでした。
    これからもよろしくお願い致します。

    極楽蝶

    極楽蝶さん からの返信 2006/02/10 01:53:36
    RE: どうも私の泊まった部屋ですねww
    shinesuni様


    こんにちは。極楽蝶です。

    >工事中なのは...
    >一番上の階のこの写真ですと一番奥ですから...。
    >グレードアップするのでしょうか?それともホテルはなくなるとか...(汗;)
    >今ホームページでホテルが削除されているのはそれが原因でしょうね。

    工事中だったのは,写真の一番手前の部屋です。日よけが一番手前の部屋だけが上がっているのが分かるでしょうか?
    僕の感想ですと,部屋の改修だと思いました。これだけ立地の良いところでホテルを止めることはないと思います。広場に面した最高の場所ですよね!!

    では,また。
    これからもよろしくお願いします。
  • まみさん 2006/01/30 12:06:09
    誕生日おめでとうございます@
    極楽蝶さん、こんにちは。

    まだアイルランド・スコットランド記を全部読み終わっていなかった気がしますが、先にオランダを拝見@
    ハーグからデルフトに行かれたのですね。

    教会巡りという点では新教は質素な教会が多いですが、きっと慣れると、その質素さのなかにえもいわれぬムードを感じ取れそうですね。
    それにもまして、街並みの写真は、おっしゃるとおり、フェルメールや同時代の画家が描いたオランダ風景そのものが楽しめました。
    跳ね橋や運河の写真がとりわけよかったです。

    そいや、国祖オラニエ公ウィレン1世って、やっぱりオランダの歴史はよく知らないなぁと思ったら、オレンジ公ウィリアムですねっ!
    はじめてこの名を耳にしたときは、柑橘系の果物が名字なんて、面白い!と勝手に思ったものです。

    極楽蝶

    極楽蝶さん からの返信 2006/01/31 23:39:22
    RE: 誕生日おめでとうございます@
    まみ様

    こんにちは。極楽蝶です。
    いつも旅行記をご覧になって頂きましてありがとうございます。

    >教会巡りという点では新教は質素な教会が多いですが、きっと慣れると、その質素さのなかにえもいわれぬムードを感じ取れそうですね。

    多分そうだと思いますけど,やはりゴシック様式の教会に装飾が少ないのは変な感じがします。


    >それにもまして、街並みの写真は、おっしゃるとおり、フェルメールや同時代の画家が描いたオランダ風景そのものが楽しめました。
    >跳ね橋や運河の写真がとりわけよかったです。

    そのように感じて頂けると,とても嬉しく思います。
    でも,是非まみさんもあの場所に立ってみてください。写真よりも何倍も素敵な風景を目にすることができると思います。

    >そいや、国祖オラニエ公ウィレン1世って、やっぱりオランダの歴史はよく知らないなぁと思ったら、オレンジ公ウィリアムですねっ!
    >はじめてこの名を耳にしたときは、柑橘系の果物が名字なんて、面白い!と勝手に思ったものです。

    アルファベットは表音文字だから,同じ綴りでも読み方が違ってくるんですよね。
    それと,今年はワールドカップサッカーがありますが,オランダチームのユニホームがオレンジ色の訳がここにあるようです。確かに,柑橘系で間違っていないようです。

    では,また。これからもよろしくお願いいたします。

極楽蝶さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

オランダで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オランダ最安 478円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

オランダの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP