1998/09/12 - 1998/09/12
58位(同エリア93件中)
まみさん
本日の旅程:
マリア受胎告知の町「ナザレ」&古代ローマ時代にヘロデ王が建てた町の遺跡がある「チェザーリア(カエサリア)」を観光した後、エルサレムへ
イエスが生まれたのはベツレヘムだ、と新約聖書の福音書には書かれてありますが、それはこじつけであって、本当はナザレではないか、という説が学者たちの間では有力だそうです。こじつけというのは、ユダヤ教徒が信じる救世主は、古代の偉大な王ダビデの血を引く者である、という信仰があって、イエスが救世主であることを人々に納得させるには、ベツレヘムで生まれたとすることが福音書著者にとって一つの手段だったらしいのです。
もっとも、イエス本人は、そんなことにはこだわっていなかったといいます。イエス自身は、キリスト教という新しい宗教の開祖となろうとしていたのではなく、あくまでユダヤ教の改革をめざしていたにすぎません。そして、ユダヤ教徒として亡くなったのです───とは、個人ガイドのルベンさんだけでなく、この後にエルサレムで参加した現地ツアーのガイドさんたちみんなが、強調していたことです。
確かに、私がイスラエル旅行にあたって下調べした限り、学術上の通説でも、キリスト教の始まりは、イエスが独自に解釈したユダヤ教の教えを、弟子たちが外国人にもわかりやすく変えて伝導したところから、と言われてます。
それはともあれ、ナザレがイエスが少年・青年時代を過ごした地であることは確かなようです。また、受胎告知伝説の真偽はともかく、両親であるマリアとヨセフの出身地であることも確かでしょう。
というわけで、この日の旅程ハイライトのナザレでは、「マリアの受胎告知教会」と、大工ヨセフの仕事場があった上に建てられた「聖ヨセフ教会」、それから「マリアの井戸」がある「聖ガブリエル教会」を訪れました。
ところで、受胎告知教会というのはわかります。受胎告知があったとされる場所に建てられた教会でしょう。でも、マリアの井戸とは、いったい何なのでしょう?
実は、私がそれまで知っていたマリアの受胎告知のシーン、自分の部屋で聖書を読んでいる時に天使ガブリエルがやってくる、というのは、カトリック教会が信じるバージョンでした。ギリシャ正教によると、マリアがガブリエルに受胎告知されるのは、井戸に水汲みに来ている時だったというのです。初耳です!───よって、受胎告知があったと信じられている場所も、当然、2ヶ所はあることになります。
もっとも、マリアの受胎告知の場所は、どちらも史実的根拠も考古学的根拠も得られていないため、それこそ何ヶ所あっても仕方がないかもしれません。そして同じ事は、イエスが十字架に掛けられた場所や、イエスが葬られた場所についても言えます。後に参加した、エルサレムの現地ツアーのガイドの一人が言っていました。信じる人にとっては、それが真実なのだ、と。とどのつまりは、事実は一つかもしれませんが、真実は信じる人の数だけある、ということになりましょうか。
そのナザレも、今はアラブの町です。それにしても、アラブ人というのは面白いです。どこに町を造ろうが、みんな同じ印象の町にしてしまいます。これは、私が内心思っただけではなく、ルベンさんも説明に交えて言っていたことです。
この日、ナザレ観光の後は、チェザーリア(カエサリア)を見学しました。ヘロデ大が造った町の遺跡があり、また、キリスト教徒にとっては、使徒パウロがローマへの宣教に旅立った場所として重要な町です。その後はぐーっと南へ約3時間かけてドライブし、エルサレムに入りました。
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この日は、ガリラヤ湖沿岸の町ティベリアで朝を迎えました。この町もイスラエルの観光地としてガイドブックに載っている町ですが、今回はこの町の見学は含まれていません。ティベリアはユダヤ人の町らしく、安息日(シャバト)の真っ最中である土曜は閑散としています。それでも少しは町の散策をしたかったのですが、ナザレへ出発するのが9時なので、それほどゆっくりしていられません。
代わりに、ティベリアのホテルの窓から写真を撮りました。部屋は5階にあり、それなりに見晴しがよかったです。また、滞在ホテルJordan Riverは、ティベリアの観光ポイントの一つ、考古学公園の隣にありました。
ティベリアの町は、おおよそ3つのエリアに分けられます。ガリラヤ湖沿岸の「プロムナード」、中央バスステーションのあるハルダン通りを中心とした「ダウンタウン」、それから、さらにガリラヤ湖から離れたエリアである「山の手」地区です。写真は、ダウンタウン方面になります。 -
ティベリアの町のもっとよいアングルの写真が撮りたかったため、ホテルの部屋のある階の非常口から外に出ました。そこから撮った、ガリラヤ湖沿岸の「プロムナード」方面の写真です。
右手前の建物の断片は、滞在ホテルJordan Riverです。真ん中の、白いまんじゅうのような半円を4つ乗せたモスクチックな建物は、現在、考古学博物館です。そのそばの、かまぼこのような屋根の建物は、「ガリラヤ・エクスペリエンス」で、ガリラヤ湖周辺の歴史フィルムが上演されています。(1998年当時) -
せっかく滞在ホテルJordan Riverが考古学公園の隣にある、という抜群のロケーションなので、ぜひとも考古学公園の写真を撮りたいと思い、非常階段から屋上に上がりました。
写真は、ホテルの屋上から撮影した、考古学公園です。真ん中の建物はインフォメーションでしょう。考古学公園には十字軍が築いた教会跡があり、いまもまだ発掘中だそうです。ここからでは、その様子は見えませんでした。シナゴーグの床のモザイクなども発掘されており、テルアビブ博物館に展示されているそうです。(1998年当時) -
写真は、ナザレの受胎告知教会の1階です。ミサの最中でした。奥に、マリアが受胎告知を受けた家とされる洞窟が、そのまま剥き出しで残っています。マリアの部屋といっても、西欧の絵画にあるような家の中ではなく、洞窟なのです。
ティベリアの町と違って、ナザレや、途中に通り過ぎたカナの町はアラブの町なので、安息日(シャバト)の土曜日でも盛況でした。特に、ナザレは、キリストゆかりの地の代表格であるため、観光客が大勢いました。そのうえ、シャバトでも休みにならない大きなマーケットがあるうえ、古い町ゆえに自動車に適してなく、とても混んでいました。工事中の道も多かったです。
もっとも、ルベンさん曰く、「アラブ人はお金が大好きだから安息日でも働いているんだ」とのこと。 ───じゃあ、日本人は?
ナザレでは、まずは、ギリシャ正教版の受胎告知の場所である「マリアの井戸」のある聖ガブリエル教会へ行きました。マリアの井戸は、ちょうど、イタリアから来た学生たちが修復作業をしている真っ最中でした。ルベンさんが学生たちにお願いしてくれたので、井戸を見せてもらうことができました。教会の中には、聖書ゆかりの題材の天井画やイコンがたくさんありました。
次に、聖ヨセフ教会へ行きました。マリアの夫である大工ヨセフの仕事場といわれた場所に建てられた教会です。ヨセフの仕事場である岩穴は、ふだん観光客に見学させてくれるのかどうか、よくわかりません。というのも、そのときちょうどスペイン人の巡礼者グループが見学しようとしていたため、ルベんさんが頼んで、一緒に入らせてもらったからです。
そのあと、聖ヨセフ教会の中も回りました。ステンドグラスや油絵はとてもきれいでした。でも、イタリアの教会などと比べると、真新しすぎるなぁ、と思いました。
聖ガブリエル教会と聖ヨセフ教会では、あいにく写真を撮っていません。どちらもかなり真新しい教会でした。聖書の伝説の場とそぐわないと思ってしまいました。
最後に、マリアの受胎告知教会へ行きました。ナザレ観光のハイライトですが、さすがに抜群によかったです。
教会自体は、1969年に建てられたものなので、これもかなり真新しいと思いました。この場所に最初に教会が建てられたのは、キリスト教を国教と認めた古代ローマ帝国皇帝コンスタンチヌスの母ヘレナ皇后によるものですが、現在の教会は、建て直されて5回目のものです。中近東最大の教会とのことですが……ローマやバチカンの、教会とは思えないようなバカでかい教会を知っている私には、とてもこじんまりして見えました。
マリアの受胎告知教会の内部は、私にとって面白かったことに、1階と2階で別々の役割を持っていました。もっとも、一つの教会の内部が全く違う役割や宗派のエリアに分かれているのは、いくつもの宗派を持つキリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教の聖地がひしめくイスラエルでは珍しいことではない、と後で気付きますが、それでも一種のカルチャーショックで、いちいち驚きました。
1階は、受胎告知の伝説を記念して建てられたもので、ヘレナ皇后によって建てられた最初の教会のビザンチン様式を踏襲しているそうです。そして写真のとおり、中央にマリア部屋だという洞窟が残っています。2階はカトリック様式の教会で、この地域の人のための教区教会だそうです。 -
ナザレのマリア受胎告知教会の2階です。背景にある巨大な絵は、イエスと、カトリック教の使徒たちです。こちらもミサの最中でした。
余談ですが、写真が暗く見えるのは、私のカメラでは光が足らなかったせいで、ふつうに明るかったです。 -
こちらも、ナザレのマリアの受胎告知教会の2階です。
マリアの受胎告知教会には、世界各国から寄贈されたモザイクによる聖母子像が飾られています。写真のように2階部分と、それから外の教会の敷地を囲む回廊です。これはとても興味深かったです。西欧から贈られたものは、私の中にある若き母マリアと赤ん坊のイエスのイメージにぴったりでしたが、アジア・アフリカから贈られたものは、まるきり自国風にアレンジされてしまっているのです。日本の聖母子像は、万葉時代あたりの高貴な身分の母子にしか見えませんでした。中国や韓国の聖母子像も、自国の民族衣装を身につけているので、それぞれまるきり中国人、韓国人の親子でした。インドからの聖母子などは、インド神話の中から抜け出してきたんじゃないかと思わせるような、妖しい魅力を振りまく女神とその子どもです。面白いと同時に、違和感がありました。
しかし、一つ一つ眺めているうちに、それはそれで構わないんじゃないか、と気が付きました。マリアとイエスの聖母子は、全世界の母子の守護神のような存在といえます。また、そういった、民族を超えて共感を覚えるところがあるからこそ、キリスト教が世界宗教になりえたはずなのですから。それに、私のイメージの原像である西欧絵画も、実は画家たちの自国の人物・服装・風景をモデルにアレンジされたものだったのですから。 -
マリアの受胎告知教会にある聖母子像の一つです。日本から寄贈された、日本の聖母子です。すっかり和風です。まるで万葉時代の母子……あるいは、戦国時代の日本のキリシタン母子、というかんじがしました。背景は金箔の地に菊の花です。
タイトル・プレートによると、タイトルは、「N.D.A Floribus」とありました。画家は、Luca Hasegawa(長谷川ルカ)とありました。ルカは、きっと洗礼名でしょう。 -
インドの聖母子です。イエスとマリアと知らなければ、なにかインド神話の女神とその子供だろうと思ったに違いありません。
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中国の聖母子です。下の方に、中国の聖母子よ、我等のために祈って下さい、といった意味のことが、中国語とラテン語で書かれています。
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韓国の聖母子です。チマ・チョゴリ姿のマリア様。描かれている花は、韓国の国花のムクゲでしょうか。
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コロンビアから寄贈された絵は、聖母子は像として描かれていました。たくさんの聖母子の中でもユニークな描き方でした。また、太陽と月が見えるところも、どこか象徴的です。
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こちらは、ギリシャ正教版のマリア受胎告知の場面です。ブラジルからの寄贈です。井戸のほとりで、天使ガブリエルから受胎告知を受けています。私はブラジルに行ったことはありせんが、なんとなくブラジルの田舎らしい風景のように思えます。
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ナザレ観光後、昼すぎに地中海沿岸の町チェザーリア(または、カエサリア)に行きました。英語ではCAESAREAとつづります。古代ローマ帝国のカエサルことシーザーにちなんで命名されました。当時はローマとの直行便が出入りした国際港でした。軍事的にも重要な港で、十字軍時代でも軍港として利用されていました。また、カエサリアは使徒パウロがローマ宣教に旅立った地としても重要な聖地です。
カエサリアは、現在、真っ赤なブーゲンビリアが咲き乱れる美しい高級住宅街です。その住宅地のそばを通る道路は、通り過ぎる車にスピードを出させないため、所々、真ん中がぼっこり盛り上がっていました。はじめルベンさんは、車のスピードを落とすのを忘れたので、車がぼんぼん弾み、遊園地の乗り物に乗っているみたいにお尻が座席からちょっと浮きました。
チェザーリアの観光ハイライトは、ヘロデ大王が造った町の遺跡です。その遺跡は、郊外の地中海に面した場所に残っています。その町跡はその後、ローマ時代、ビザンチン時代、アラブ時代、十字軍時代、と歴史を重ねました。それぞれに相当する遺跡も残っています。
ヘロデ大王は、シーザーや、クレオパトラとアントニウスの時代にローマ帝国の力を背景にユダヤ人を統治した王です。ローマ帝国の傀儡王と変わりはなかったでしょう。新約聖書にも登場しています。イエスが生まれた時、将来ユダヤの王となる方が生まれたと予言した東方よりの三賢者の言葉に恐れを抱き、幼児虐殺を行った王として。大王と呼ばれるのは、同名の二人の息子、ヘロデ・アンティパスとヘロデ・フィリッポスと区別するためと、ローマの傀儡とはいえ、まがいなりにも今のイスラエルほぼ全土を統治した上、エルサレムの街や神殿の大改築やこのチェザーリアを始めとして各地に町や要塞を数多く建築したためでしょう。
ユダヤ教徒でありながら、もともとは過去にユダヤ人に征服され、強制的にユダヤ教徒にされた異民族(イドゥメア人)の出身だったヘロデ王は、さらに親ローマ派であったため、ユダヤ人にはものすごく嫌われていました。なので、神殿改築のような人気とりの政策も行いながらも、一方では、ユダヤ人に対して厳しい弾圧政治を敷きました。とはいえ、イスラエル全土にヘロデ大王の手にかからなかったものはない、と言われるくらいたくさんの事跡を残し、対外的には平和外交を維持し、ユダヤ人の独立を保ち得た彼は、確かに大王の異名を持つにふさわしいのではないでしょうか。
余談ですが、イエスの処刑に立ち会ったヘロデ王は、息子のヘロデ・アンティパスの方です。ヘロデ大王の死後、彼が統括した地は、三人の息子たちによって分割されました。イエスはいわば、ガリラヤ地方を治めていたヘロデ・アンティパスの領民だったわけです。
しかしながら、ヘロデ大王の息子たちの代で、政治的実権は、ローマから派遣された総督に次々と移されてしまいます。イエスの死刑裁判を行ったピラトは、五代目総督でした。
───こういった、聖書記述と歴史的背景の関係については、今回、イスラエル旅行を決めて下調べをしていた時に初めて、頭の中で整理できました。私としては、関心ありつつもずっと手をつけられないでいたテーマにメスを入れることができて、非常に満足です。
カエサリアでは、まずは、地中海に面した遺跡から少し離れたところにあるローマの水道橋に案内してもらいました。このあたりはビーチとして利用されているようですが、あたりは閑散としていて、海水浴を楽しむ人は1〜2家族程度しか見当たりませんでした。もっとも、あとでガイドブックの地図を見たら、ビーチとして利用されているのはもっと遺跡よりのところのようだったので、あの家族は、もしかしたら、わざわざ人の少ないところを選んだのかもしれません。
ルベンさんは、このローマ時代の水道橋を案内したとき、少し自慢気でしたが、あいにく数年前まで何度もイタリア旅行を経験してきた私は、あまり感動できませんでした。ゆえにカメラも構えていません。今にして思えば、そういうひきあいの仕方をした私が、自分で自分の目を曇らせていました。地中海とのコントラストや、なんと長さ9kmにもわたる立派なアーチの橋だったこと、そして水の少ないカエサリアにとっての価値などを思いはせることができていたら、もっと違う目で見ることができたのではないかと思います。
ローマの水道橋の後、ルベんさんは、私が好きそうだから、と言って、カエサリアのラリー美術館に案内してくれました。旅程には入っておらず、特別に案内してくれたようです。
写真は、ラリー美術館の現代美術部門の展示の一つです。そこでは、主としてチリを中心とする中南米現代美術が展示中でした。一番気に入った部門です。私の中にある中南米美術のイメージに違わない、カラフルな原色がバンバン目に飛び込んできました。
ラリー美術館には、カエサリアの遺跡の歴史に関する展示もありました。壁のパネルで時代ごとの遺跡の様子を図解したものもありました。ルベンさんの説明だけでは頭の中を整頓できなかったので、ちょうどよかったです。食い入るように読んでしまいました。
途中からルベンさんは、私が夢中になっているので、好きなように見学させてくれました。私としては、ルベンさんをあまり待たせられないと気にして、結構急いで鑑賞しましたが、「1時間もいたね」と驚かれてしまいました。いやいや、1時間では足りなかったくらいです。
その代わりか、あるいはもともとだったかわかりませんが、カエサリアの遺跡では、ローマ時代の円形劇場しか見学しませんでした。その後は、一路、エルサレムへ向かいました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- さすらいおじさんさん 2007/02/11 12:18:39
- ナザレ
- まみさん
イスラエルをあらためて拝見しています。
ナザレは政情不安で行けず、ベツレヘムに行きました。
ベツレヘムもパレスチナエリアで不穏な雰囲気を感じました。
キリスト聖誕教会に行きましたが、ナザレ生誕説もあるのですね。
「キリストはユダヤ教を改革しようとした一人のユダヤ教徒」という現地ガイドの説明は、ユダヤ教徒のキリストへの評価、として解る気がします。
ユダヤ教徒はキリストを重要視していないなあ、と感じることが多かったです。また拝見します。
- まみさん からの返信 2007/02/11 19:02:21
- RE: ナザレ
- さすらいおじさん、こんにちは。再訪&書き込みありがとうございます。
私がイスラエルに出かけた1998年のこの時期は、いまから思えば嵐の前の静けさみたいな穏やかな時期でした。クリントン大統領のときでしたからね。
それでも、滞在中にイスラエルのどこかで爆弾テロがあったせいで、私の場合は岩のドームは見学できなかったんですけどね。
イスラエルに行ってみてすごく良かった一つは、いままでの自分のキリスト教やイエスのことについて知っていることがとても西欧よりだと知ったことです。
キリスト教は世界宗教になっているうえ、もともとたくさんの宗派ができてしまったので、国によって、宗派によっていろんな違いがあっても当然ですが、キリスト教の発祥の地、そしてイエスが生まれ、活躍した舞台でのキリスト教に対する見方が、私がなんとなく知っていたのとギャップがあって、カルチャー師ショックでした。
そして、哀しいことに、なぜ宗教が原因で人々が争わなくてはいけないのか、その姿は、三大宗教の聖地としてめちゃくちゃ混雑しているイスラエルに行って初めて実感できました。
なんで仲良くできないんだろう、という考え方ができるところからして、まったく茅の外にいた人間の考え方だったんですよね。
いや、むずかしい問題です。
でも、だからといって血で血を洗うような歴史は、繰り返したくないですし、繰り返してほしくないです。
- さすらいおじさんさん からの返信 2007/02/11 20:11:32
- RE: ナザレ
- >それでも、滞在中にイスラエルのどこかで爆弾テロがあったせいで、私の場合は岩のドームは見学できなかったんですけどね。
私も中に入れてくれませんでした。モスリムだけだ、と門番に言われました。
>イスラエルに行ってみてすごく良かった一つは、いままでの自分のキリスト教やイエスのことについて知っていることがとても西欧よりだと知ったことです。
キリスト教は世界宗教になっているうえ、もともとたくさんの宗派ができてしまったので、国によって、宗派によっていろんな違いがあっても当然ですが、キリスト教の発祥の地、そしてイエスが生まれ、活躍した舞台でのキリスト教に対する見方が、私がなんとなく知っていたのとギャップがあって、カルチャーショックでした。
同感です。欧米の旅で見るもの、教わるもの、欧米の映画も世界史もキリストを中心の世界でした。ユダヤ教から見るキリストはエルサレムで初めて知りました。キリストの扱いが軽いなあ、と言うのは感想です。
>そして、哀しいことに、なぜ宗教が原因で人々が争わなくてはいけないのか、その姿は、三大宗教の聖地としてめちゃくちゃ混雑しているイスラエルに行って初めて実感できました。
なんで仲良くできないんだろう、という考え方ができるところからして、まったく茅の外にいた人間の考え方だったんですよね。
いや、むずかしい問題です。
でも、だからといって血で血を洗うような歴史は、繰り返したくないですし、繰り返してほしくないです。
ほんとうに親類同士の骨肉の争いですね。日本でも親子、兄弟、の間での争いは今も無くなることはないし、欲得がある人間の限界でしょうか。
それでもなんとかして、戦争はなくしてほしいものです。
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