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マサダ要塞見学後、昼前にはガリラヤ湖地方に向かいました。車で約3時間半です。<br /><br />北へ行くにつれて、不毛な砂漠が、緑豊かな土地へと移り変わります。道路脇には、ブーゲンビリアの花が色とりどりに咲き乱れ、青々とした果樹園や畑……ブドウ、オレンジ、バナナ、アボカド、とうもろこし、オリーブ、それから綿……が窓の外を流れていきます。イスラエルは自給自足をめざしているので、その畑の豊かさには目を見張ります。綿以外は収穫期がまだ先なので、果実は青いですが、綿畑はちょうど収穫期を迎えていました。綿の木は意外に背が低かったです。<br /><br />実は、一面に白い綿畑は、初めて見ました。これは、すごくすごく気に入りました。真っ白な綿が実からはじけている様子は、実に実に可愛らしかったです。粉雪が降った後のように一面、チラチラ白くなっている様子は、もう可愛くて可愛くてたまりませんでした。ぜひ写真を撮りたかったのですが、ものすごいスピードで車を走らせて先を急ぐルベンさんに遠慮して、ついに言い出すことができませんでした。かえすがえすも残念です。<br /><br />ちなみに、イスラエル中部の砂漠あるいは荒野地帯は、いわゆる本物の砂漠である北のネゲブ砂漠などと違って、地中海で発生した雨雲がエルサレムのある高山地帯(標高約800m)に阻まれてほとんど雨を降らさないためできた、局地的な砂漠です。なので、普通の砂漠よりは水が得られやすく、野生の草木も生えるようです。また、政府の方針で、植林もどんどん進められているそうです。<br /><br />そういう植林による松や杉の林、それからユーカリの木々もよく見かけましたが、下生えの草が一切なく、岩ごろごろの間から生えている様子は見慣れなくて珍しかったです。日本がいかに豊潤な土地か、思い知らされました。<br /><br />しかし、ガリラヤ湖周辺の丘は、芝生のような草で青々としていました。多少、岩がごろごろしていましたが。冬に雨が降った後、この辺りの緑の丘は、一面、花畑になるそうです。さぞかし、きれいでしょう。それにしても、岩だらけで不毛な丘陵部分と緑豊かな平野部分とは境界線が非常にくっきり分かれていて、なかなか面白かったです。<br /><br />ガリラヤ湖地方に向かう途中で、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区を通り過ぎました。主要道路がもろに貫通しているのです。軍が見張っている国境をあんまりあっさり通り過ぎたので、のんきな私は、入る時は、軍服の人間も軍用ジープも見過ごしたせいもあって、工事現場を通り過ぎたような印象しか持ちませんでした。出るときに初めて、あれっ、と気付き、ルベンさんに、鈍い、と驚かれてしまいました。イスラエル国民と観光客はほとんど素通りできます。チェックされるのはイスラエル側に出て行くパレスチナ人で、テロ対策と不法就労防止のせいです。だから彼らはビザがないと通れないそうです。(1998年当時)<br /><br />ガリラヤ湖地方はイエスが説教して回った中心地であり、イエスの出身地ナザレもあります。当時、ガリラヤ地方の人々は貧しく、また、イエスの言葉に耳を傾けたのはそういう下層階級の人々でした。イエスが初めて奇跡を起こした「カナの結婚」の地であるカナ、マグダラのマリアの町などは今でも残っています。ただし、この辺りは今や大半がアラブ人の町で、当時の面影はほとんどありません。<br /><br />今回は、そういったイエスのゆかり地のうち、イエスが3年間滞在し、拠点とした町カペナウム、パンと魚の奇跡を起こした場所、それから「貧しい人は幸いなるかな。天国はその人たちのものである」で始まる山上の垂訓を行ったという場所の3ヶ所訪れました。ナザレは翌日に行きました。<br /><br />もっとも、それら3ヶ所に建てられたイエスの足跡を記念する教会や建物は、19〜20世紀に建て直された新しいものばかりでした。カペナウムだけは、いかにも遺跡というかんじのものがありましたが、それでもほとんどが、イエスの時代より4〜5世紀後のビザンチン時代のものでしたし、イエスが滞在したというイエスの一番弟子ペテロの家の跡も、それを保護するように建てられた教会は、20世紀のものでした。<br /><br />だから、ここは想像力の出番でしょう。イエスが山上の垂訓を行った山や、ペテロやアンドレのような弟子たちと出会ったり、水面の上を歩いてみせたガリラヤ湖は、きっと当時と変わらないに違いありません。ああ、いや、ガリラヤ湖は、現代の潅漑設備のせいで水位は年々下がっているらしいですが……。<br /><br />しかし、そういう小難しいことを考えなくても、ガリラヤ湖周辺の景色は、文句なしに美しかったです。

1998年秋のイスラエル旅行11日間(3日目その2:ガリラヤ湖周辺イエスゆかりの地)

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1998/09/11 - 1998/09/11

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まみ

まみさん

マサダ要塞見学後、昼前にはガリラヤ湖地方に向かいました。車で約3時間半です。

北へ行くにつれて、不毛な砂漠が、緑豊かな土地へと移り変わります。道路脇には、ブーゲンビリアの花が色とりどりに咲き乱れ、青々とした果樹園や畑……ブドウ、オレンジ、バナナ、アボカド、とうもろこし、オリーブ、それから綿……が窓の外を流れていきます。イスラエルは自給自足をめざしているので、その畑の豊かさには目を見張ります。綿以外は収穫期がまだ先なので、果実は青いですが、綿畑はちょうど収穫期を迎えていました。綿の木は意外に背が低かったです。

実は、一面に白い綿畑は、初めて見ました。これは、すごくすごく気に入りました。真っ白な綿が実からはじけている様子は、実に実に可愛らしかったです。粉雪が降った後のように一面、チラチラ白くなっている様子は、もう可愛くて可愛くてたまりませんでした。ぜひ写真を撮りたかったのですが、ものすごいスピードで車を走らせて先を急ぐルベンさんに遠慮して、ついに言い出すことができませんでした。かえすがえすも残念です。

ちなみに、イスラエル中部の砂漠あるいは荒野地帯は、いわゆる本物の砂漠である北のネゲブ砂漠などと違って、地中海で発生した雨雲がエルサレムのある高山地帯(標高約800m)に阻まれてほとんど雨を降らさないためできた、局地的な砂漠です。なので、普通の砂漠よりは水が得られやすく、野生の草木も生えるようです。また、政府の方針で、植林もどんどん進められているそうです。

そういう植林による松や杉の林、それからユーカリの木々もよく見かけましたが、下生えの草が一切なく、岩ごろごろの間から生えている様子は見慣れなくて珍しかったです。日本がいかに豊潤な土地か、思い知らされました。

しかし、ガリラヤ湖周辺の丘は、芝生のような草で青々としていました。多少、岩がごろごろしていましたが。冬に雨が降った後、この辺りの緑の丘は、一面、花畑になるそうです。さぞかし、きれいでしょう。それにしても、岩だらけで不毛な丘陵部分と緑豊かな平野部分とは境界線が非常にくっきり分かれていて、なかなか面白かったです。

ガリラヤ湖地方に向かう途中で、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区を通り過ぎました。主要道路がもろに貫通しているのです。軍が見張っている国境をあんまりあっさり通り過ぎたので、のんきな私は、入る時は、軍服の人間も軍用ジープも見過ごしたせいもあって、工事現場を通り過ぎたような印象しか持ちませんでした。出るときに初めて、あれっ、と気付き、ルベンさんに、鈍い、と驚かれてしまいました。イスラエル国民と観光客はほとんど素通りできます。チェックされるのはイスラエル側に出て行くパレスチナ人で、テロ対策と不法就労防止のせいです。だから彼らはビザがないと通れないそうです。(1998年当時)

ガリラヤ湖地方はイエスが説教して回った中心地であり、イエスの出身地ナザレもあります。当時、ガリラヤ地方の人々は貧しく、また、イエスの言葉に耳を傾けたのはそういう下層階級の人々でした。イエスが初めて奇跡を起こした「カナの結婚」の地であるカナ、マグダラのマリアの町などは今でも残っています。ただし、この辺りは今や大半がアラブ人の町で、当時の面影はほとんどありません。

今回は、そういったイエスのゆかり地のうち、イエスが3年間滞在し、拠点とした町カペナウム、パンと魚の奇跡を起こした場所、それから「貧しい人は幸いなるかな。天国はその人たちのものである」で始まる山上の垂訓を行ったという場所の3ヶ所訪れました。ナザレは翌日に行きました。

もっとも、それら3ヶ所に建てられたイエスの足跡を記念する教会や建物は、19〜20世紀に建て直された新しいものばかりでした。カペナウムだけは、いかにも遺跡というかんじのものがありましたが、それでもほとんどが、イエスの時代より4〜5世紀後のビザンチン時代のものでしたし、イエスが滞在したというイエスの一番弟子ペテロの家の跡も、それを保護するように建てられた教会は、20世紀のものでした。

だから、ここは想像力の出番でしょう。イエスが山上の垂訓を行った山や、ペテロやアンドレのような弟子たちと出会ったり、水面の上を歩いてみせたガリラヤ湖は、きっと当時と変わらないに違いありません。ああ、いや、ガリラヤ湖は、現代の潅漑設備のせいで水位は年々下がっているらしいですが……。

しかし、そういう小難しいことを考えなくても、ガリラヤ湖周辺の景色は、文句なしに美しかったです。

  • イエスが説教を行った地、カペナウム (Capernaum)のシナゴーグの、出土した柱頭断片の浮彫りです。浮彫りには、五葉のアカンサスの文様に、柘榴などがありましたが、写真は、六角形の星形のダビデの星を中心に撮りました。ダビデの星はイスラエルの国旗にも使われています。

    イエスが説教を行った地、カペナウム (Capernaum)のシナゴーグの、出土した柱頭断片の浮彫りです。浮彫りには、五葉のアカンサスの文様に、柘榴などがありましたが、写真は、六角形の星形のダビデの星を中心に撮りました。ダビデの星はイスラエルの国旗にも使われています。

  • 写真は、カペナウムのシナゴーグ跡です。このシナゴーグは4世紀に建てられたものの遺跡ですが、イエスが説教した上に建てられたと考えられているそうです。そのイエスの時代のシナゴーグがこの遺跡と似たようなものだったかどうかはわかりませんが、イエスがこの前に立ち、民に向かって説教する姿が、なんだか目に浮かぶようです。<br /><br />カペナウムは、当時は裕福な町でした。イエスの宣教活動は、この町から始まりました。むしろ、故郷のナザレではイエスは冷遇されたのです。イエスが説教した当時のシナゴーグは、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパス(在位BC4〜AD36年)の時代に建てられました。<br />

    写真は、カペナウムのシナゴーグ跡です。このシナゴーグは4世紀に建てられたものの遺跡ですが、イエスが説教した上に建てられたと考えられているそうです。そのイエスの時代のシナゴーグがこの遺跡と似たようなものだったかどうかはわかりませんが、イエスがこの前に立ち、民に向かって説教する姿が、なんだか目に浮かぶようです。

    カペナウムは、当時は裕福な町でした。イエスの宣教活動は、この町から始まりました。むしろ、故郷のナザレではイエスは冷遇されたのです。イエスが説教した当時のシナゴーグは、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパス(在位BC4〜AD36年)の時代に建てられました。

  • カペナウムのシナゴーグの柱です。

    カペナウムのシナゴーグの柱です。

  • カペナウムの石臼です。ワイン造りに使われたものです。<br /><br />この写真ではわかりにくいですが、午前のマサダやユダヤ沙漠とは一変し、ガリラヤ地方はあまりにも色とりどりの花が多くて、すっかり魅せられてしまいました。<br /><br />カペナウムには、イエスの一番弟子ペテロの家がありました。イエスは彼の家に滞在していました。4世紀に、そのペテロの家の跡と考えられている上に、教会が建てられました。その教会は見学しませんでしたが、六角形という変わった形の教会からは、イエスやペテロの時代を想像するのは困難でした。

    カペナウムの石臼です。ワイン造りに使われたものです。

    この写真ではわかりにくいですが、午前のマサダやユダヤ沙漠とは一変し、ガリラヤ地方はあまりにも色とりどりの花が多くて、すっかり魅せられてしまいました。

    カペナウムには、イエスの一番弟子ペテロの家がありました。イエスは彼の家に滞在していました。4世紀に、そのペテロの家の跡と考えられている上に、教会が建てられました。その教会は見学しませんでしたが、六角形という変わった形の教会からは、イエスやペテロの時代を想像するのは困難でした。

  • カペナウムの次に、イエスがパンと魚の奇跡を起こしたタブハ(Tabgha)に行きました。イエスがたった5つのパンと2匹の魚だけで5,000人を満腹させた、という奇跡を記念して、その地の上に、これまた教会が建てられました。<br /><br />写真は、4世紀に建てられたその教会の床にあるビザンチン時代のモザイクの、現存する一部です。伝説の5つのパンと2匹の魚のモチーフを中心に撮りました。この他にも、蛇や鳥やさまざまな草花のモザイクが色鮮やかに残っていました。<br />

    カペナウムの次に、イエスがパンと魚の奇跡を起こしたタブハ(Tabgha)に行きました。イエスがたった5つのパンと2匹の魚だけで5,000人を満腹させた、という奇跡を記念して、その地の上に、これまた教会が建てられました。

    写真は、4世紀に建てられたその教会の床にあるビザンチン時代のモザイクの、現存する一部です。伝説の5つのパンと2匹の魚のモチーフを中心に撮りました。この他にも、蛇や鳥やさまざまな草花のモザイクが色鮮やかに残っていました。

  • 次に山上の垂訓教会へ行きました。イエスが「山上の説教」を行ったとされる、ガリラヤ湖を見下ろす「祝福の山」(Mt. Beatitudes。高さ125m)の上に建てられた教会です。写真の教会は、1936年に建てられたイタリア式の教会です。<br /><br />山上の垂訓とは…<br /><br />「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害された人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」(マタイ伝より)<br /><br />また、イエスが十二使徒を選んだ場所も、この山だといわれているそうです。

    次に山上の垂訓教会へ行きました。イエスが「山上の説教」を行ったとされる、ガリラヤ湖を見下ろす「祝福の山」(Mt. Beatitudes。高さ125m)の上に建てられた教会です。写真の教会は、1936年に建てられたイタリア式の教会です。

    山上の垂訓とは…

    「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害された人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」(マタイ伝より)

    また、イエスが十二使徒を選んだ場所も、この山だといわれているそうです。

  • 山上の垂訓教会の中庭からガリラヤ湖が見下ろせました。教会よりも、椰子の木がたくさん生えている南国のような庭と、そこから見下ろす湖の景色の方が気に入ってしまいました。教会は、イエスが山上の垂訓を行った様子を想像するには、あまりにもギャップがありました。<br /><br />それよりも、ガリラヤ湖です。新約聖書にたびたび登場するあの奇跡の舞台の「ガリラヤ湖」か、と思うと、感慨深いものがあります。自分がいま、その舞台のすぐそばに来ていることが、とても信じられない思いでした。<br /><br />ちなみに、この日の昼食は、ルベンさんが予約しておいたレストランで、ガリラヤ湖の名物セント・ピーター・フィッシュのフライを食べました。ガリラヤ湖沿岸のレストランでは必ずある、といわれるほど、ポピュラーなメニューのようです。いや、それ以上に、聖書にも登場する魚となったら、聖書の地を求めてイスラエルに訪れる観光客のメニューにあがらないわけにはいかないでしょう。聖書によると、イエスの弟子ペテロがガリラヤ湖でこの魚を釣り上げたとき、魚は銀貨をくわえていたというのです。<br /><br />ところで、皿がテーブルに来たとき、ルベンさんに、食べ方がわかる?  と聞かれました。私は魚の食べ方はあまり上手ではないので、ちょっと答えにつまってしまいました。そうしたら、ルベンさんはすかさず、ウェイターさんに頼んで、私の魚に食べやすいようにナイフを入れてくれました。まるで小さい子が親に魚を刻んでもらっているようで、日本人としてどうよ、と思いましたが、他に日本人がすぐそばにいるわけでもないので、遠慮なく、食べやすいように刻んでもらいました。味は淡水魚なので淡白ですが、美味しかったということは記憶しています。

    山上の垂訓教会の中庭からガリラヤ湖が見下ろせました。教会よりも、椰子の木がたくさん生えている南国のような庭と、そこから見下ろす湖の景色の方が気に入ってしまいました。教会は、イエスが山上の垂訓を行った様子を想像するには、あまりにもギャップがありました。

    それよりも、ガリラヤ湖です。新約聖書にたびたび登場するあの奇跡の舞台の「ガリラヤ湖」か、と思うと、感慨深いものがあります。自分がいま、その舞台のすぐそばに来ていることが、とても信じられない思いでした。

    ちなみに、この日の昼食は、ルベンさんが予約しておいたレストランで、ガリラヤ湖の名物セント・ピーター・フィッシュのフライを食べました。ガリラヤ湖沿岸のレストランでは必ずある、といわれるほど、ポピュラーなメニューのようです。いや、それ以上に、聖書にも登場する魚となったら、聖書の地を求めてイスラエルに訪れる観光客のメニューにあがらないわけにはいかないでしょう。聖書によると、イエスの弟子ペテロがガリラヤ湖でこの魚を釣り上げたとき、魚は銀貨をくわえていたというのです。

    ところで、皿がテーブルに来たとき、ルベンさんに、食べ方がわかる? と聞かれました。私は魚の食べ方はあまり上手ではないので、ちょっと答えにつまってしまいました。そうしたら、ルベンさんはすかさず、ウェイターさんに頼んで、私の魚に食べやすいようにナイフを入れてくれました。まるで小さい子が親に魚を刻んでもらっているようで、日本人としてどうよ、と思いましたが、他に日本人がすぐそばにいるわけでもないので、遠慮なく、食べやすいように刻んでもらいました。味は淡水魚なので淡白ですが、美味しかったということは記憶しています。

  • 山上の垂訓教会の中庭のヤシの木です。なつめやしの実が、ぶらぶらのザクザクに実る様子が面白くて、写真を撮りました。ちなみに、なつめやしは、英語でdateといいます。日付のdateと同じスペルです。

    山上の垂訓教会の中庭のヤシの木です。なつめやしの実が、ぶらぶらのザクザクに実る様子が面白くて、写真を撮りました。ちなみに、なつめやしは、英語でdateといいます。日付のdateと同じスペルです。

  • これも山上の垂訓教会の中庭からガリラヤ湖を撮ったものです。写真のピンクの花は、ブーゲンビリアです。<br /><br />この辺りは、ガリラヤ湖の岸辺まで、冬から春にかけて色とりどりの花が絨毯のように咲き乱れ、それはそれは美しいそうです。ガリラヤ湖は南北20km、東西12kmのパレスチナ最大の淡水湖です。イスラエルの給水の大半をまかなっているため、死海同様、こちらも年々、水位が下がっているそうです(死海は自然の摂理のせい、ガリラヤ湖は人のせい、という違いはあります。)。<br /><br />この後、ティベリア(Tiberias)の町へ行き、そこで泊まりました。Jordan Riverホテルです。<br /><br />金曜日の夜は、ユダヤ教の安息日(シャバト)なので、ティベリアの町では、店やレストランもお休みで、閑散としていました。学校も、日曜日は通学する日で、金曜日と土曜日が休みだそうです。そして、週末にティベリアに遊びにくるイスラエル人が多いそうです。ホテルのレストランはかなり広かったのですが、そんな家族連れの宿泊客で、ものすごく混んでいました。<br /><br />夕食後、ラウンジで、ルベンさんにヘブライ文字を教わりました。ヘブライ語は基本的には子音だけの文字であることはアラビア語と同じでした。また、アルファベットの名前も、アルフ、ザイン、ミム、アインなどいくつかは、アラビア語のアルファベットに似ていると思いました。<br /><br />夜、ホテルの中庭でダンスショーをやっていました。いったんは部屋に戻ったのですが、にぎやかで楽しそうな音楽に惹かれて、見物しに行きました。言葉は全然わかりませんでしたが、踊り手は、男女ともにとても色気がありました。音楽も面白かったです。<br /><br />ホテルの部屋の窓からは、夜のガリラヤ湖を眺めることができました。湖畔の町明かりが宝石のようにキラキラと瞬きながら湖を縁取るように囲み、月がうっすら水面に反射している様子は、とてもロマンチックでした。<br /><br />一方で、夜の9時になっても、ホテル近辺のスナックやらファーストフード店は開いています。ゲームセンターもあるらしく、やや騒がしく、いかにもリゾート地のレジャーセンターといった様子です。静かでロマンチックなガリラヤ湖の光景と、とても不づりあいでした。ちなみに、イエスの一番弟子ペテロがイエスとガリラヤ湖で出会った漁師だったことにちなんでか、夜でもガリラヤ湖を渡る観光船が出ているそうです。(1998年当時)<br /><br />宝石といえば、ティベリアへ移動する途中、ダイヤモンド・センターに寄りました。イスラエルは、ダイヤモンドのカットでも有名です。もっともこの当時の私は、宝石やアクセサリーが好きといっても、高価なダイヤモンドは範疇外でした。代わりに、エイラット・ストーンのペンダント・ヘッドを買いました。14金でユダヤ教の聖具メノラーの縁取りがついています。エイラット・ストーンは、青いクリソコラ(珪孔雀石)と緑のマラカイト(孔雀石)の混合石です。イスラエルの南端、エイラット・ストーンに面するリゾート地エイラットの名のついた石なので、イスラエル土産として、行く前からチェックしていました。エイラットにあるソロモン王の鉱山から採取されたことから、エイラット・ストーンあるいはソロモン・ストーンと呼ばれています。

    これも山上の垂訓教会の中庭からガリラヤ湖を撮ったものです。写真のピンクの花は、ブーゲンビリアです。

    この辺りは、ガリラヤ湖の岸辺まで、冬から春にかけて色とりどりの花が絨毯のように咲き乱れ、それはそれは美しいそうです。ガリラヤ湖は南北20km、東西12kmのパレスチナ最大の淡水湖です。イスラエルの給水の大半をまかなっているため、死海同様、こちらも年々、水位が下がっているそうです(死海は自然の摂理のせい、ガリラヤ湖は人のせい、という違いはあります。)。

    この後、ティベリア(Tiberias)の町へ行き、そこで泊まりました。Jordan Riverホテルです。

    金曜日の夜は、ユダヤ教の安息日(シャバト)なので、ティベリアの町では、店やレストランもお休みで、閑散としていました。学校も、日曜日は通学する日で、金曜日と土曜日が休みだそうです。そして、週末にティベリアに遊びにくるイスラエル人が多いそうです。ホテルのレストランはかなり広かったのですが、そんな家族連れの宿泊客で、ものすごく混んでいました。

    夕食後、ラウンジで、ルベンさんにヘブライ文字を教わりました。ヘブライ語は基本的には子音だけの文字であることはアラビア語と同じでした。また、アルファベットの名前も、アルフ、ザイン、ミム、アインなどいくつかは、アラビア語のアルファベットに似ていると思いました。

    夜、ホテルの中庭でダンスショーをやっていました。いったんは部屋に戻ったのですが、にぎやかで楽しそうな音楽に惹かれて、見物しに行きました。言葉は全然わかりませんでしたが、踊り手は、男女ともにとても色気がありました。音楽も面白かったです。

    ホテルの部屋の窓からは、夜のガリラヤ湖を眺めることができました。湖畔の町明かりが宝石のようにキラキラと瞬きながら湖を縁取るように囲み、月がうっすら水面に反射している様子は、とてもロマンチックでした。

    一方で、夜の9時になっても、ホテル近辺のスナックやらファーストフード店は開いています。ゲームセンターもあるらしく、やや騒がしく、いかにもリゾート地のレジャーセンターといった様子です。静かでロマンチックなガリラヤ湖の光景と、とても不づりあいでした。ちなみに、イエスの一番弟子ペテロがイエスとガリラヤ湖で出会った漁師だったことにちなんでか、夜でもガリラヤ湖を渡る観光船が出ているそうです。(1998年当時)

    宝石といえば、ティベリアへ移動する途中、ダイヤモンド・センターに寄りました。イスラエルは、ダイヤモンドのカットでも有名です。もっともこの当時の私は、宝石やアクセサリーが好きといっても、高価なダイヤモンドは範疇外でした。代わりに、エイラット・ストーンのペンダント・ヘッドを買いました。14金でユダヤ教の聖具メノラーの縁取りがついています。エイラット・ストーンは、青いクリソコラ(珪孔雀石)と緑のマラカイト(孔雀石)の混合石です。イスラエルの南端、エイラット・ストーンに面するリゾート地エイラットの名のついた石なので、イスラエル土産として、行く前からチェックしていました。エイラットにあるソロモン王の鉱山から採取されたことから、エイラット・ストーンあるいはソロモン・ストーンと呼ばれています。

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