2003/04/21 - 2003/04/22
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こまちゃんさん
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上海から上陸して、西安、敦煌と回ってきたシルクロードの足跡ツアー。
帰途に就く前に北京経由で帰国して貰うスケジュール。
最後の北京で、その規模の大きな名所を、ゆっくり巡って貰います。
さて、気になるSARSの情況は如何に・・・?
最初は頤和園、天安門、故宮です。
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21日朝。
我々は、風と砂の町敦煌を後にした。
さようなら、敦煌賓館の皆さん!
北京行きの飛行機は、一端西安に到着しそこで2時間程待機する事になる。
西安空港にて、陝西省の民芸品を見繕って再度飛行機に乗り込んだ我々は、一路SARSの待つ北京へ向かうのであった。。。 -
北京でのホテルは、兆龍飯店と言う5星ホテル。
中はブラウン基調のシックなホテルで、チェックインは座って出来るという気分の良い所でした。
チェックインの間、みんなには各々ソファーで寛いでいて貰った。
部屋で少し休憩した後、夕食に向かう事にした。
今日は丸々移動日だったので観光は無し。 -
やっぱりドラちゃんご夫婦はこの感じがお似合い。
久々に「文明的」な所に戻り、ドラちゃん本来のライフスタイルに戻ってますね。(^^ -
運転手に聞いて、夕飯はしゃぶしゃぶに決定!
敦煌の食事が悪かった訳ではないけど、こう言う身近な食事を見ると、何となくホッとします。
運転手が、クニクニに「乾杯(かんぺい)」を勧めていますね。こまはパス!
500cc入り60元の二鍋頭(白酒)だったけど、酒通のドラちゃん曰く「今回の旅行で一番不味い酒。兎に角酷い」との事。
・・・偽物だったのかも。。。(~~; -
帰りに市内を少し流して貰った。
ぐにょぐにょ照明ラインの天安門。
アートしてません? -
22日。
最初は頤和園に向かいました。
中は広いのでゆっくり時間を取って見て回りました。 -
西太后が作らせた人工池。
権力横暴の代表作ですね。
みなさん呆れています。 -
延々と続く園内の楼亭回廊。
その内側には、沢山の絵が掲げられています。
中には優れた作品もちらほらと・・・ -
頤和園は290万平方m北京最大の庭園で、皇室の行宮の場でした。
1750年に離宮として整備されたが、1860年のアヘン戦争で英仏連合軍によって焼き払われ破壊された。これを1891年西太后が再建した。西太后はこの庭園をこよなく愛したという。それが嵩じ過ぎたのか、西太后は自分の還暦祝いに万寿山の仏香閣を改築したが、その費用に海軍費を流用してこの様な立派な庭園に仕上げて仕舞うが批判もされた。
頤和園の仏香閣をバックに記念撮影。 -
仏香閣をソロで。。。
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頤和園の入り口仁壽門。
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頤和園内に餓えられている木々は、長い年月からどれも良い表情をしている。
どれも趣のある形や配置になっていた。 -
今回の移動に使った20年もののベンツ320L。
古いしへたっているので速度が出ない。。。
見栄えは中々なので、行く先々で注目だったけど・・・
昼食に餃子館へ。西安のと違ってダイナミックな餃子だった(すんません、写真なしです)。
結構美味しかった。 -
腹ごしらえが終わってから、長丁場の天安門、故宮へ。
交通の関係で、南池子から入った。 -
天安門へ向かう為、一端故宮前から離れる。
昔は天安門前に駐車出来たけど、この時はダメでした。SARSで人は少ないというものの、ここには人が結構居ますね。
しかし、4月後半の数ではないですが。 -
天安門通路の表示。
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こんな感じで掛かっています。
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毛沢東の肖像。
最近、バックのピンク色がきつくなり過ぎって感じます。1993年、初めて訪れた時は、バックは全て薄いブルーでした。
今回の訪問では、楼門や城壁などが化粧直しの後だったみたいで、城壁の臙脂色が鮮やかでラッキーでした。 -
天安門楼閣前で記念撮影。
やはりSARSの影響ですね。。。
人が少ない感じが伝わりますか?
4月下旬の昼間のこのアングル、こんなに人が少ない写真って珍しいです。 -
さて、チケットを買って中へと進みます。
年齢が60を過ぎた人ばかりなので、「4張老人1張是我」と言って、半額チケット4枚と普通のを1枚買いました。
中心に有る太和門。
1420年に創建されて以来、3度の火災に遭遇し、1888年に再建されたのが現在の姿。
兎に角大きな門ですので、寶殿と間違えそう。。。 -
その中にある太和殿をバックに記念撮影。
映画のワンシーンが甦りそうな空気感。 -
太和殿内の宝座。
かつては宮中の様々な儀式が執り行われました。 -
太和殿前。
殿内には大きな柱が72本ありますが、当時の皇帝お抱えの外妻が72人の居たので、その数になったと言われています。 -
保和殿。
1420年に建造され、1441年に再建されました。
儀式が太和殿で行われるときに、皇帝の着替えなどに利用されました。 -
保和殿から境内の眺め。
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こうして写すと、保和殿の柱は壁のよう。
爺ぃが愛想振っています。 -
保和殿の中に見付けた龍の灯籠掛け。
もの凄い貫禄。 -
保和殿の中に見付けた龍の灯籠掛けのアップ。
玉は掃除などはしないんですかね・・・ -
軒先に据えられた7つの動物類の飾り物。
保和殿の脇にあったお堂のものを撮影。
住む人の位を表すもので、全て奇数だと聞いていた。
一番多いのが紫禁城太和殿。しかし12個で偶数。
特別と言う意味かな?
天安門が11個だからてっきり13個と思っていた。 -
保和殿の裏側。
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保和殿の裏側は、表よりも貫禄があったりして・・
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九龍壁。
写真に全部入れるのは大変。
広角レンズが欲しいけど、このカメラは交換出来ない。。。(;_; -
全景を撮影したら逆光で暗くなったので、再度近寄って記念撮影。
これなら、人も龍もはっきり判りますね。
爺ぃが下げて居る赤いパネルは、老人チケットについて居ると言うことで貰った案内図です。
サービスが良いですね(SARSで客が来ないからかな?)。 -
皇極殿は珍宝館とも呼ばれ、各種財宝が展示されています。1772年に修復されました。
皇極殿(国宝陳列室)に入るには、先ず靴にカバーをする必要があります。
画像のようなオレンジのカバーです。 -
皇極殿へ向かう。
渡り廊下ではないけれど、こんな風に橋のようになって繋がっている。 -
中は撮影可能だった。
でも、硝子張りなので、殆ど反射してしまう。
無事に写ったのはほんの少しだった。 -
珍宝館のお宝。
キンキラキンです。 -
絵画の色々。
絵画と言っても、金箔貼りの特別なもの。 -
青をふんだんに使った絵画。
昔は、青は結構貴重な色だったとか・・・ -
園内でポーズ。
ここにも素敵な松があった。 -
境内を出口に向かって進む。
節操のないゴミ箱が、北京のセンスを疑う。
蘇州の虎丘のゴミ箱は、瀬戸物製でまだマシだ。
(カエルやパンダの形だけど・・・) -
北側の「裏」と思う方に看板がある。
以前から何となく反対のように感じているけど・・・ -
こうやって引いてみてみると、立派な正面。
でも、どうしても「天安門」側が正面と思ってしまう。 -
沢山歩いた後は夕飯です。
北京での定番「北京烤鴨」。そう、北京ダックです。
ここは老舗の全聚前門店。開業時の店がここになります。
このレストランの名前は、創設者の生命を逆さにしたもの。
逆さにして財を成した人が居て、その縁起担ぎです。
画像のでコックさんが作業中。
残念ながら、アヒルが隠れて見えません・・・(;_;
でも、微妙な厚さに削ぎ取られたものは、お皿にどんどん盛られて行きます。 -
こんな感じで座っています。
6人掛けのテーブルですね。
6年ものですが、小瓶の花彫紹興酒を戴きながら。 -
ホテルに戻り、「みんな歩き疲れたでしょうから、今日は早くお休みなさい」と言った先から、みんなお決まりのようにバーに消えて行きました。。。
幹事の心子知らず・・・(;_;(子ちゃうってば)
我々は、北京の知人に会う為に出掛けました。
でも、SARSで出歩きたくないというので、サッサと帰ってきましたが。
こまと爺ぃさんは「別に成るようになるさ」ってな感じで、ひと気のない夜の町を散歩。
本当に誰も出ていません。ものの見事に。
画像は宿泊に使ったホテル「兆龍飯店」
中はかなりゴージャスで良いホテルでした。
こうして見てみると、かなりこじんまりしていますね。
では、明日は万里の長城「慕田峪長城」です。
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