2005/09/11 - 2005/09/11
2344位(同エリア2556件中)
fkさん
北海道の小樽が魅力ある観光地とは知りませんでした。
日曜日と言うこともありたくさんの観光客で混雑していました。
古風な街で古い建物が綺麗に保存されています。
港町ですが天狗山が背景になって綺麗な街という印象。
樺太・千島の慰霊巡拝の船旅を終えて,小樽で買い物をし,
美味しい寿司を食べました。
写真はヒルトンホテルからヨットハーバーの眺め。
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小樽駅から観光名所をまわる小樽散策バスはロマンチックな乗り物。
バスから記念的な建物と観光ルートを見学できました。 -
北一ガラスというガラス製品の製造・販売の会社には
驚きました。
ガラス製品何でもありの大型店舗が並んでいます。
土産物が揃っているので,ここで買い物をしました。
小樽の観光に寄与している会社のように映ります。 -
やはり北一ガラスの運営する
ヴェネチア博物館。
ヴェネチアを感じさせる造りと商品群。 -
楽しそうなお店が並んでいます。
むかし漁港として栄えてい時代,北一ガラスは
漁船で使うガラス製品を製作していました。
漁船が少なくなって,工芸ガラス・趣味のグラス,
装飾製品等の製作に転換して大成功しているそうです。 -
運河では写真撮影する人がたくさんいました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- shinesuniさん 2005/09/20 09:17:15
- 北方領土の後小樽にも行かれたのですね。
- 北方領土と北海道の差はあまりにも大きいですね...。
今の日本がいかに恵まれた環境なのか痛感いたしました。
>ポーランドはドイツからどれ程の影響を受けたのでしょう?
一言で説明できないでしょうが。
★私が知ってる限りではドイツ人は侵略者、東進してくるので自然と現ウクライナやベラルーシ領側に領土がシフト...。また中世にはポーランド語をしゃべるのは農民など被支配者層で貴族などはフランス語・ドイツ語を話していたそうです。
ドイツ騎士団時代の領土を見れば一目瞭然ですが、今のポーランド領の北西部は殆どその配下にあります。ちなみにポーランドの始まりはグニエズノといいポズナニよりやや東にある都市で、ドイツ騎士団はグルンバルトの戦いでポーランド・リトアニア連合軍に敗れたにもかかわらずプロイセンとしてそのまま居残り、かの地もさもドイツ語圏のように占領されてしまいました。
ポーランド語でプルサク(プロイセンの隠語)はゴキブリの意味ですし、ドイツを表すニェムツィも隠語でニエモツ(インポ、弱っちい)という意味があるくらい嫌っていますね。ポーランドの側から見るとドイツ人は自信家で傲慢に見えます(笑)。
>恐らくポーランドは影響をそれ程受け入れてこなかったのでは?
★残念ながら被支配民族として影響を受けまくっています。偏った考えで申し訳ございません。しかしドイツは今でも学校でNO1教育(何でも1番になることが奨励される)など、周辺の国への支配力を持つ大国意識があり、何十年、数世紀のスパンでみるとまた過ちを犯す可能性がぬぐえません。この地域の国境が半永久的に維持されることを望む以上、やはりドイツには小さくなっててもらいたいと切に願っております。
>1990年代始めにまだ東欧と呼ばれてたポーランドを詳しくチェックできたのは,その前からshinesuniさんがポーランド研究をされていたからですか?
★あの当時まったく未知への遭遇でした。ポーランド政府観光局に通いずめて英語の資料をもらえるだけもらって研究しました。
ドイツの悪口ばかり言ってしまいましたが、私の接したドイツ人にやはり傲慢さがみられ、少し心配になってしまっているのが本音です。本当はドイツも好きな国です。
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