2005/08/01 - 2005/08/01
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井上@打浦橋@上海さん
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上海と言えば外灘(ワイタン)の欧風建築群だ、
という人は結構多いですね。
外灘のことをイギリス人はバンド(Bund)と呼んでました。
日本の横浜にもバンドはあります。
また、競馬場も上海と横浜にはあったのです。
上海では今は人民公園、人民広場になっていまして、
横浜では根岸森林公園になっています。
まあ、その話は置いておきまして・・・
外灘の湾曲した道に並ぶ欧風建築群が表の顔としますと、
裏の顔もあるんですが、この裏もなかなか面白いのです。
05年8月1日、気温39度のうだるような暑さの中、
裏ワイタンを散歩してきました。
いろいろ面白いものがたくさんありますので、[その3]まで行くかもしれません。[その1]は南京路の北部部分となります。
-
今日の散歩も、まずは我が愛用の17路トロリーバスが登場します。
ビニール袋に入れられたワンちゃんです。
オバちゃん、このあと、袋からワンちゃんを出し、
バスの中を歩かせていました。
このビニール袋は太平洋百貨店のものです。 -
まもなく四川中路のバス停です。
このバス停は四川中路の北端に近いところにありますから、裏外灘を北から攻めるのには最適。
運転手は女性です。
頭の上にはテレビがり、テレビの右下には、交通カードの料金読み取り機があります。 -
バスを降り、四川中路をチョイ北に・・。
香港路を右に曲がります。
香港路の英語表記がHonkong Rd.となってます。
コレが不思議なんです。
上海の道の英語表記はすべて普通語のピンインなんですが、香港路だけは違います。
北京路も南京路も、それぞれBeijin Rd.やNanjig Rd.となってまして、Peking Rd.やNanking Rd.とは表記されていません。何故、香港路だけがXiangangRd.でなくて、Honkong Rd.なんでしょうか・・・
まあ、どうでもいい事ですけどね。 -
香港路に入りました。
右側の柱が並ぶ建物は昔の銀行倶楽部(1920年)です。正面に見えますのは虎丘公寓です。 -
コレが虎丘公寓です。
昔は広学大楼(1932年)と言っていたようです。 -
虎丘路です。この道をチョイ北に行きますと、南蘇州路にでます。
虎丘路は、昔はMuseum Road・・・博物館路と言っていました。 -
南蘇州路を東にチョイ行き、次に道を右へ。
それが、この道、円明園路です。
円明園路に入り南方向を見た風景です。
西から延びてきた香港路はココで終わりです。
この道の左側が、昔のイギリス領事館の広大の敷地です。2年前には左側にも道路に沿って建物があったんですが、いまは無くなってしまいました。 -
これが昔のイギリス領事館の敷地です。
2年前までは、この鉄柵の手前には建物が並んでおりまして、中が見えなかったんですが、今は、素晴らしい風景が見渡せます。
建物を撤去したのは、このイギリス領事館の敷地の再開発のためです。
今は上海市政府の庁舎などとなってますが、コレだけのベストロケーションですから、庁舎ではもったいない。
観光価値のあるものに作り変えるんでしょう。 -
イギリス領事館の建物の一部でしょう。
コレは、壊すことはないでしょう。
歴史的価値がありますから。 -
「上海歴史ガイドマップ」によりますと・・
・・1852年完成の最初の領事館が消失した後,1872年竣工の2代目領事館、ベランダをめぐらす植民地様式の煉瓦造り2階建。バンド(外灘)に現存する最古の建築。広い芝生の前庭がある・・
となってます。
ですから、ココが外灘の出発点。
ということで外灘源と呼ばれています。
この建物は勿論のこと芝生も樹木も残して、再開発するんでしょうね。 -
香港にペニンシュラホテルと言う超高級ホテルがあるのは、皆さんご存知でしょう。
私には縁がないホテルですが・・・・。
このホテルの経営者と言うか、オーナーと言うか・・
は、英国籍のユダヤ人一家、カドゥーリ一族らしいです。
カドゥーリ一族は上海にも縁が深く、今のオーナーのおじいさんのエリー・カドゥーリさんは、上海でも活躍しまして、金儲けもしたらしいです。
彼がイタリアから大理石を持ち込んで作らせた豪華な宮殿風の建物が上海に現存していまして、昔は大理石大厦と呼ばれていましたが、今は上海市の少年宮として使われています。
さて、そのエリーさんのお孫さんである今の香港ペニンシュラのオーナーのカドゥーリさんが、上海にもペニンシュラをと考えてるそうです。いや、もう確定的で、具体的なプランも出来てるのかもしれません。
さて、その建築予定地は・・・。
なんってたって、ザ・ペニンシュラです。
上海のベスト・オブ・ベスト・ロケーションでないと、
気位の高い(であろう)カドゥーリさんは承知しないでしょう。
私は・・・この写真の右側の建物の向こうの黄浦江寄りの敷地に建つのかと・・・思っております。 -
円明園路沿い、西側にあるビルです。
当時のマンションかなんかなんでしょう。
窓を覆っていましたビニールの日除けが、全て、
ボロボロ・・・
もしかしましたら、今は、殆ど空き家なのかも・・。 -
上海に昔からある新聞社・文匯報のビルなのかと思いますが、どうでしょうか・・。
-
YWCAのビルです。1930年竣工。
看板には
中華国基督教女青年会全国・・・ と書かれています。
この玄関なかなか雰囲気ありますね。 -
コレは上海広告公司のビルなのか・・
北京東路が近づいてきました。
天秤棒を担いでモノを売り歩くオジサンたちも、この日陰で一休みです。 -
正面のビル(昔のグレンラインビル)と右側の赤茶けたビルの間に北京東路がはしります。
バスの駐車場に2年前には友諠商店がありました。 -
後ろを振り返りました。
英国総領事館の庭の樹木の向こうに見えるのは、上海大厦・ブロードウェイ・マンションです。
右側のは海湾大厦ですね。 -
北京東路です。
-
北京東路を外灘側に少し行って見ました。
左のビルがグレンラインビルです。1922年竣工です。 -
ココに友諠商店が有ったんです。
さて、ココに何ができるのか・・・
なんか楽しみです。
何ができるのかってのは、中国ではホンの一握りの関係者しか知りません。大部分の一般大衆は、建物が完成間近になるまで、いろいろ想像を巡らすだけで、何ができるやら、分からないと言う事が多いのです。
私はペニンシュラ関連だと思うんですが・・・。 -
滇池路です。向こうが外灘です。
左が中国銀行のビル。昔のドイツ倶楽部です。
右側奥には和平飯店・北楼が見えます。
サッスーン・ハウス・・沙遜大厦ですね。 -
滇池路の逆方向です。こちらに向かいます。
右手前が仁記洋行ビルです。
1908年頃の赤レンガ建築です。
その奥が上海電視雑誌社のビルです。
滇池路は昔は仁記路と言っていました。
仁記洋行は上海開港当時からの商会で生糸や茶の貿易をしていたらしいです。
英語名はGibb,Livingston & Co.,Ltd.です。 -
香港路まで出まして滇池路を振り返りました。正面奥が仁記洋行です。
右手前が上海銀行大楼です。
物干し竿が道路側に突き出ていますね。 -
四川路は、なにせ自転車とバイクが多いのです。
黄浦区の南北を走る道路で一番でしょう。
しかし、蘇州河の向こうの四川北路はそうでもない。
四川南路と四川中路がメチャメチャ自転車・バイクが多いのです。
その自転車大群は、四川中路の北部のこの脇道に流れ込んでいくのです。
蘇州河をはさんで、その南部と北部を自転車で行き来するのには、四川路が一番便利なんでしょう。 -
また四川中路に戻りました。
この道を北に行き、蘇州河を渡ります。 -
浦光中学です。
昔の基督教中国青年会(YMCA)です。
1909年に中国で初めて開放された屋内プールが中にあるそうです。 -
四川中路のこの付近は電気製品を扱う店が多いのです。
電気製品と言っても、一般人が必要とする品物でなく、電気工事業者が必要とする品物ばかりです。
四川中路と交差する北京東路は、そういった電気製品はもとより、電動工具、各種工具、小型機械など扱う店がたくさん並ぶ道です。 -
17路のバスを降りたバス停に戻ってきました。
このバス停の脇にも電気製品店があります。
939路は中山公園から北京路を通り、四川北路を通り、魯迅公園まで行きます。
21路は静安寺から北京路、四川北路を通り、虹口北部へ行きます。 -
蘇州路を渡る橋です。
四川路橋です。昔の名は裏白渡橋です。
この橋を渡りますと四川中路は四川北路になります。
上海市郵政局の時計塔が見えます。 -
橋の途中で東側を写しました。
上海大厦は東方明珠タワーも見えます。
右手前緑地帯は河浜公園です。昔の名は華人公園です。
外灘のパブリック・ガーデンが当初外国人のみに開放され、中国人の怒りを買ったため、別に作ったとか。
左前に見える橋は乍浦路橋です。昔の名は二百渡橋です。 -
おなじみ上海市郵政局です。
やはり、なかなか風格があります。
郵政局の看板は緑色です。そのほかの場所にも緑色が使われています。
中国では郵便局のカラーは緑色です。
ですからポストも緑色です。 -
郵政局の時計塔の裏には、こんな像が・・・
今まで気が付きませんでした。
なんなんでしょうかね・・・。 -
向こうに見えるのは新亜大酒店です。
3星のホテルです。
1934年開業です。 -
画面左、向こうに延びる道が天潼路です。
手前の道路は四川北路で右方向が南です。
右に見える建物が、昔の松坂屋です。
天潼路沿いその向こうが昔の公済医院です。
欧州からカトリック修道女の派遣を仰いで設立された欧米人達のための病院だったらしいです。 -
四川北路を北にチョイ行き武昌路に入りました。
写真は武昌路と交わる乍浦路です。レストラン街です。 -
武昌路を西へ行き、呉淞路手前の風景です。
由緒あるものではなさそうですが古くてオンボロなところが、向こうのビルと対照的で面白く感じましたので写しました。 -
武昌路を戻り、今度は乍浦路を北に・・・
向こうに見えるのが浦西公寓です。 -
これが浦西公寓です。
昔のピアス・アパートです。
1931年に建てられたもので、当時は外国人のみ住んでいました。
1932年に聯合通信上海支局長となった松本重治はココに住んでいまして、南京虫に悩まされたそうです。 -
ピアス・アパート西側の小道です。蟠龍街といいます。
昔の名が、どういうわけだかArbury Laneですって。 -
ピアス・アパートは平面的にはロの形をしていまして、これは、ロで囲まれた中庭です。
西木正明さんの「其の逝く処を知らず」というノンフィクション小説があります。
阿片王・里見甫の物語です。
文庫本の帯には、こう書かれています・・・・・
中国大陸に侵出した日本陸軍をアヘンの売買で支えた男。
その数奇な生き方とは・・・・・
彼の墓は千葉県にありまして、その墓碑銘には・・・
凡俗に堕ちて、凡俗を超え、
名利を追って、名利を絶つ、
流れに従って、波を掲げ、
其の逝く処を知らず・・・・・
と刻まれてるそうです。
非常に面白い本です。
上海がいろいろ出て来ます。
上海に興味ある方は是非お読みください。
彼の上海での住家が、このピアスアパートだったそうです。 -
乍浦路をチョイ北に行き、振り返って写したピアス・アパートです。1階部分道路沿いには、間に不動産屋を挟み、コンビニが2つ並んでいます。
「其の逝く処を知らず」のピアス・アパートに関する部分を引用します・・・
ピアス・アパートは虹口のほぼ中心部に当たる文路と乍浦路の交差点に面して建っている七階建てのアパートである。全体が黒ずんだ鉄筋コンクリートのビルで、虹口サイドでは屈指の高級アパートだ。
里見が借りたのは、四階の四十七号室。全部で五部屋あり、二十畳ほどの応接間兼居間を中心に、寝室が三部屋、ダイニングキッチンが一部屋と言う間取りだった・・・
文路は今の塘沽路です。昔の英語名・Boone Roadから「文路」になったんでしょう。
当時は黒ずんでいた、と言うんですから現在のこの色は、塗り替えたものなんでしょう。 -
ピアス・アパートの南側の建物です。
コレも古そうなアパートです。 -
乍浦路から塘沽路に入り、しばらく行ってか振り返りました。
ピアス・アパートの西面です。
1931年に建てられたピアス・アパートは本来7階建てだったんですが、1977年に2階増築され9階建てになりました。この写真では、その様子がよく分かります。 -
四川北路に戻り、チョイ南に・・。
17路のバス停です。バス停の名は武昌路ですね。
バスを待ってる間にアイスキャンデーを2本食べました。
25路バスは軍工路から南崇明路まで行きます。
21路バスは虹口区北部から静安寺まで行きます。
939路バスは魯迅公園から中山公園に行きます。
220路バスは松花江路から老西門まで行きます。
今日の経費は・・・
17路バス・往復・・・・4元
アイスキャンデー2本・・2元
〆て6元でした。 -
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