2005/07/14 - 2006/11/22
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井上@打浦橋@上海さん
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我が打浦橋の北に新新里と日暉里という2つの古くからある小区(住空間)がありました。
瑞金ニ路と徐家匯路が交差しますところの北東角にある一帯です。
そこには、1920年代末から30年代にかけて造られた2階建て3階建ての長屋形式の住居がビッシリ並んでいました。
中国国歌・義勇軍行進曲を作詞しました田漢さんも日暉里に住んでいました。そして、彼の創設した新劇集団・南国社もそこにあったそうです。
この2つ小区が、再開発でなくなるという噂が出たのが3年前だったか・・・。2年ほど前から引越しがボツボツはじまり、追って家の解体作業も少しずつ始まり、今年初めには大方、撤去が終わり、2・3ヶ月前にやっと更地になりました。
今は、工事が始まろうとしています。
将来は・・・3年後か・・・地下鉄9号線の打浦橋站も出来るそうです。そして、その上にはオフィスビルやショッピングセンターやマンションなども出来るんでしょう。
この消えていく街並みと新しくで来る街並みを時間を追ってアップしていきたいと思います。
ほとんど定点観察になるわけで、時とともに変わる姿を追い続けるだけですが、結構面白いかなと思い、本来の散歩記録の片手間にやっていこうということになりました。
終わるまで3年くらい掛かるでしょう。
表紙の写真はチョクチョク変えていこうと思います。
最初に貼り付けたこの写真は去年の11月21日のものです。地域全体の3分の2ほど撤去が終わっていた頃のものです。
その状況でも、市場が立ち、生活してる人も多くいました。瓦礫の上に椅子を置き、昼寝をしてるお爺さんです。
いや、昼寝してんじゃないのかな・・・チョット前まで、ここに住んでいたのかな・・・
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これは新新里と周辺の空撮写真です。
いつ頃のものなのか・・・
3年以上前のものでしょう。
50階建てのホテルの影が確認できませんから。
新新里の範囲は西は瑞金ニ路、北は泰康路、南は徐家匯路、東は泰康路の中間地点ということですね。 -
【05年7月14日】
新新里・日暉里の撤去が始まった頃です。
市場が立つ新新街はまだ、健在でした。 -
【05年7月14日】
この辺りは、もう生活感はありません。
引っ越していったんでしょう。
でも、まだ2・3家族は残っていたのかもしれません。
この2人は、まだこの奥で住んでるのかもしれません。 -
日付が変わります。
【05年10月16日】
朝5時59分の打浦橋のバス停です。
向こうの商店が並ぶところも新新里の一画です。
この店は、今は(06年11月現在)スッカリ無くなっています。 -
【05年10月16日】
朝6時の新新街です。
道路清掃する人、パジャマで歩く人、
道端のテーブルで朝飯を食ってる人、
開店準備の魚屋さん・・・
まだまだ健在ですね。 -
日付が変わります。
【05年11月12日】
この道が瑞金ニ路です。向こうが南です。
左手遠くに見えますのが建設中の50階建てのホテルです。
その右に並ぶのが海麗花園と言うマンション群です。
瑞金ニ路の東側の一帯が新新里と日暉里になります。
この画面では左側です。
この時には、もう、青いトタン塀が出来ていますね。
まもなく、取り壊し工事が始まるんでしょう。 -
また日付が変わります。
【05年11月21日】
新新里の徐家匯路に面して建つ3階建てアパートです。
出入り口の最上部には1932と刻まれています。
もう、70年以上経ってるんですね。 -
【05年11月21日】
上の3階建てのアパートの裏側です。
洗濯物もあり、まだ生活感がります。 -
【05年11月21日】
瑞金ニ路に出ました。
この店は、最後までがんばった店です。
左向こうから、青いトタン塀が迫ってきています。 -
【05年11月21日】
新新街へ入ってみました。
新新街は瑞金ニ路から東へ伸びる狭い小道ですが、市場が立つ賑やかな道です。東へ行って行き止まりになる道ですが、瑞金ニ路に近い西側は、まだまだ出店が並び元気です。 -
【05年11月21日】
新新街の奥に入ってみましたら、更地になってるところもあります。
向こうが北です。 -
【05年11月21日】
反対側は、まだ壊されていません。
でも、もう誰も住んでいないんでしょう。
向こうが南です。 -
【05年11月21日】
そんな中でも、まだ魚を売っています。
新新里に残ってる住人もまだ買いに来ますし、新新里の外に住んでる人も買いに来るからでしょう。
魚の向こうでは昼飯を食っています。電気釜もポットも置いてありますので、朝から晩までココにいるのかもしれません。 -
【05年11月21日】
壊されかけてる家と、瓦礫と、洗濯物と、自転車とテーブル。
向こうが北です。 -
【05年11月21日】
新新街を更に奥へ行きます。
そうしますと、また店が並んでしまして、人も行き来しています。
でも、脇に家には、誰も住んでいませんね。 -
【05年11月21日】
新新街を更に奥へ行きます。
「新新里」と刻まれたゲートがポツンと残っていました。
壊すのに気が引けたと言うか、名残惜しいと感じたか・・・
でも、まだこのゲートをくぐって行き来する人がいますから、向こうにはまだ人が住んでるんでしょう。 -
【05年11月21日】
「新新里」のゲートをくぐり奥へ入って振り返りました。
向こうが南です。
建設中の5星ホテルも、海華花園のマンション群が見えます。 -
【05年11月21日】
また新新街に出ました。
南側の出入り口の奥では青空床屋が商売しています。
この奥には、まだ住んでる人がいるんでしょうか。 -
【05年11月21日】
新新街はココで行き止まりです。
ここが東端ということです。
洗濯物があるんですから、このあたりでも、まだ生活してる人がいるんでしょう。
表紙の写真の瓦礫の上で昼寝してるお爺さんは、この奥にいました。 -
【05年11月21日】
新新街を戻り、瑞金ニ路に出て、北へ行き、泰康路に入りました。
泰康路は瑞金ニ路から東へ伸びる道です。
向こうが東でして、右側が、この新新里・日暉里の再開発地区の北端となります。
従いまして、右側の建物もいずれ壊されるのです。
泰康路は6・7年前までは、市場が並ぶ道だってんです。
野菜、果物、穀物から肉、魚、蟹、蝦、生きた鶏、鳩、カエル、蛇なんでもありの市場だったんです。 -
【05年11月21日】
泰康路の南に並ぶ建物は壊されるわけで、それに関するお知らせなんでしょうね。
「新新里拆除工程」と書かれています。 -
【05年11月21日】
このあたりは、もう取り壊されかけています。
向こうが南です。 -
【05年11月21日】
このビルは、泰康路にズラーット並んでいました市場が放り込まれたところです。
6年前だかに出来ました。
もしかしますと、今回の再開発で、また壊されるのかもしれません。
いや、壊されるんでしょう。
昨日(06年の11月24日)に観察しましたら、この建物の周りの建物が、ほとんど壊されかけていましたから・・・。 -
【05年11月21日】
まだ、市場として元気だった頃の中の様子です。 -
【05年11月21日】
肉売り場ですね。
お姉さん2人とも昼寝をしています。
午後1時40分ですので、昼飯を食って眠たくなる頃なんでしょう。
この時間ですと客もいませんから・・・ -
ここからは2006年に入いります。
【06年3月1日】
新新里の南端側の商店街です。
徐家匯路に接していまして、打浦橋のバス停もこの並びにあります。
この商店街にも、解体用の足場が建ち、取り壊しが近づいてるのが分かります。
新新里動遷基地と言う看板が掛かっています。
動遷とは、立ち退きと、それに伴う引越しのことを意味するんでしょう。
スムースな立ち退きを働きかける事務所がここにあるんでしょう。
赤い横断幕には、軌道交通がココに来ますので、この再開発事業にご協力を、と書かれてるんでしょう。 -
【06年3月1日】
この写真の店は、06年の初頭に大いに流行った土家族大餅の店です。
中国のピザと言う謳い文句で一気に人気が出て、店も本家本元からニセモノまで一気に増えて行きました。
ですが、3ヶ月か4ヶ月しますと、ドンドン消えていきまして、今では、どこにも見かけません。いや、看板だけ残っていて、別のものを売ってる店はありますが・・・。
この店の周りにも、解体用の足場が建ってます。 -
日付が変わります。
【06年4月15日】
新新街の入り口です。
手前の道は瑞金ニ路です。
新新街の両側にも解体用の足場が建ち始めました。
入り口には「実行陽光動遷 做到公開 公平 公正」と言う横断幕が掲げられています。
太陽の光のもと、オープンに、公平、公正な動遷を実行しようということなんでしょう。 -
【06年4月15日】
瑞金ニ路の東側は解体用の足場が架かり、緑色のシートで覆われています。
向こうが南です。
海華花園のマンション群が見えます。 -
【06年4月15日】
泰康路に行って見ました。
ここも南側は足場が架かり、シートで覆われていました。
もうスグ壊されるんでしょう。 -
日付が変わります。
【06年6月13日】
もう、あらかた取り壊されて、残っている建物はわずかになりました。
この建物は、壊されつつあります。
向こうが、南で、ほとんど完成間近の5星ホテルと海華花園のマンション群が見えます。 -
【06年6月13日】
でも、前に回りましたら、まだ一家族が生活してるようでした。 -
日付が変わります。
【06年6月27日】
もう残りわずかです。
でも、まだ生活してる人、いるのかもしれません。 -
日付が変わります。
【06年7月1日】
7月1日の朝の様子です。
大型ユンボが2台とブルドーザーが1台。
瓦礫の排除と聖地のためでしょう。 -
日付が変わります。
【06年10月10日】
もう更地になってしまいました。
向こうの泰康路までも、スッカリ撤去され、瓦礫も無くなり、整地されて、綺麗になってしまいました。
綺麗になるという言い方も、冷たい言い方かもしれませんが・・・
どういうわけだか1軒だけ家が残っています。なんなんでしょうか・・・?
左の深緑の建物は工事用の受電設備です。 -
【06年10月10日】
瑞金ニ路沿いは、まだ取り壊しが終わっていません。 -
【06年10月10日】
泰康路まで来まして、南を見ました。
5星高層ホテルも海華花園もスッカリ見渡せます。
泰康路の南側に並ぶ家も殆どなくなってしまいました。 -
日付が変わります。
【06年10月15日】
上の写真から5日しか経っていませんが、瑞金ニ路沿いの建物はスッカリなくなってしまいました。
でも、まだ更地の中に1軒だけ残っています。 -
日付が変わります。
【06年11月4日】
スッカリ更地です。
白線が引かれていました。
何かが出来るんでしょう。
相変わらず1軒だけ残っています。 -
【06年11月4日】
工事事務所か作業員宿舎か・・・・
仮設の建物が建ちました。 -
日付が変わります。
【06年11月24日】
工事が始まりました。
あの白線は工事用道路だったんですね。
向こうにクレーンも見えます。 -
【06年11月24日】
こちらには、作業員宿舎なのか仮設建物も増えました。
右向こうの建物はまだ残っています。
あそこは工事の邪魔にならないので、休憩所とか倉庫に利用するために残したのかもしれません。 -
【06年11月24日】
瑞金ニ路側から覗いて見ました。
ここにも、まだ壊してない建物が残っています。
向こうには大型ダンプが数台並び、ユンボやブルなどの建設機械も並んでいます。
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