2005/09/07 - 2004/09/07
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井上@打浦橋@上海さん
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上海には戦前10万人の日本人が住んでいたといわれます。
その殆どが住んでいた地域は、今の虹口区です。
当時も、勿論「ホンキュ」と言われていました。
コレは「虹口」の上海語読みです。
日本人租界と言いましても正確には英米共同租界の一部と言うことらしいです。
その日本人が住んでいた地域を、何回かに分けて散策しまして、
そのプラプラ散歩記録をアップして行こうと、思っています。
気ままに、やって行くつもりですので、いつ終わるか、最後までやれるか、分かりませんが、興味ある方は、お付き合いください。
まずは、ホンの少し、チョットだけよ!!です。
表紙の写真は虹口にあるサボイ・ホテルです。
2年前の写真です。ある方が、私にメールで送ってくれた写真です。
そのサボイ・ホテルが今でもあるのかどうか・・・
-
今日の本来の目的は呉淞路にある簽証中心(ビザ・センター)へ行き、ビザの延長申請にありました。
次の目的は表紙の写真のサボイ・ホテルがまだあるのかどうかを確認することでした。
残念ながら、もうなくなってしまってるような・・。
この写真の左側にあるべきなのが、どうもありません。
実はココであきらめて進路を変えてしまったのです。
もしかしますと、向こうに渡り、もう少ししつこく探しまわせば見つかったかもしれないのです。
ということでビザを取りに行くときに再チェックする積もりです。
手前の広い通りが大名路です。
昔の名前は百老匯路(Brodway Road)です。
進行方向の道が南潯路です。 -
9月13日にビザを取りに行きましたときには再度サボイ・ホテルの探索をしました。
やはり、もう無くなっていましたね。
この通りの右側にあったんですが、ご覧のように建設工事作業員宿舎かなんかになっていました。
ここには、近代的なホテルが出来るようです。 -
我が家から簽証中心(ビザ・センター)へ行くのには、いつもの17路バスが便利なのです。
武昌路で降りて7・8分です。
この道は武昌路です。
古い町並みと、向こうに見える高層ビル。 -
武昌路と乍浦路の北西角にあるアパートです。
ここには昔、東本願寺上海別院がありました。
当時は、日本人居留民の生活の中心となっていたようです。 -
もうスグ呉淞路ですが、その手前の武昌路沿いの古いアパートです。
解体中ですね。でも、まだ住んでる人が居るようで布団が干されています。 -
上の写真の東隣りの風景です。
この場所の向こうに昔は日本人倶楽部があったようですから、このアパートにも日本人は住んでいたのかもしれません。 -
呉淞路に出ました。
出てスグのところで見かけました天秤棒の果物売りです。やはり9月になりますと石榴が出回りますね。
右の緑はミカンです。 -
ビザ・センターへ行き、整理券(番号札)をもらいました。
私の番が周ってくるのは50人の受付が終わったあと。
50分は掛かるなと思い、40分くらいなら周辺の散策が出来ると判断し、またビザ・センターを出ました。
塘沽路との交差点まで戻りました。
向こうに見える高層ビルの敷地には昔、三角地市場がありました。
三角地市場に関しましては林京子さんの「ミッシェルの口紅」に詳しく出ています。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
租界工部局が最初に開いた公設マーケット。1891年、地価高騰を見込んだ不動産商ハンベリーから安価で三角地の提供を受け建設される。1916年3階建てに改築。当時、東洋一之規模といわれた市場の豊富な品揃えは、内地から来た日本人の目を見張らせるものだった・・・
とあります。 -
塘沽路を南潯路まで来ました。
コレは昔の領事館警察です。 -
この建物には昔、上海旅行案内書がありました。
-
南潯路を長治路まで来ました。
この建物には昔銀座食堂なる食堂が入っていたとか・・。
角地にありますので、流行ったかもしれません。 -
南潯路を更に行き、大名路まで行き、サボイホテルの有無を確認してきました。
この写真は大名路手前の南潯路の町並みです。
遠くに東方明珠タワーが見えますね。 -
サボイホテルは、どうも無かったようなんですが、
一応、また2年前の写真を貼り付けます。
コレもメールで送っていただいた写真です。 -
大名路を西へ行き、閔行路に入り北へ行きました。
長治路と交差するところです。
右も左も煉瓦つくりの古い建物です。
なかなか味わいがあります。 -
長治路を武昌路まで来ました。
この建物のコーナー部分には大日本航空会社があったはずです。 -
長治路を東へ戻り、閔行路を北に入りました。
コレが昔萬歳館と言った旅館です。
今は一般市民の集合住宅なんでしょう。
昔、ココには佐藤春夫や芥川龍之介も宿泊したそうです。 -
閔行路と長治路の角にある石庫門住宅です。
新康里となってますね。 -
閔行路を峨眉路まで来ました。
画面左右を走るのが峨眉路です。
昔の名前は密勒路(Miller Road)です。 -
閔行路と峨眉路の角の風景です。洗濯物と一緒に、毛をむしられ内蔵の抜かれた鴨子(ヤーズ)が干されています。あとで烤鴨になるんでしょう。
-
峨眉路を少し北へ・・・
ココには昔、須藤医院があったようです。
魯迅に関わりのある医院です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
退役軍人の須藤五百三(いおぞう1876-1959)が1919年に開業した医院。3階建ての2階に診察室があった。晩年の魯迅は、須藤を主治医として、家族と彼自身の診察、往診に密な接触を持つ。死に至る3年余のあいだの魯迅の日記には、須藤の名が150箇所以上登場する・・・となっています。 -
再び閔行路に戻り、呉淞路に出て、塘沽路に入りました。
入ってスグ右側にありますアパートです。
このアパートにも昔は日本人が住んでいたんでしょうね。 -
上のアパートの隣りです。
コレが六三亭なのか・・・・。
長崎生まれの白石六三郎が開業した、当時の上海で有名な料亭だとか・・。
西木正明さんの「其の逝く処を知らず」には、この六三亭が何回か登場します。
阿片王と言われました里見甫が東亜同文書院の学生だった時に遊びに来たところです。この料亭の芸者と懇ろにになり、青島で一緒に生活しました。
その後其の女性とは別れますが、里見が上海に戻り、上海で生活していた頃には要人とココで、何度か食事をしたそうです。 -
コレは六三亭の対面です。
昔ココに江星旅館なる旅館があったそうです。
この建物がそうだったんでしょう。
コレで今日の日本人租界巡りは終わりです。
このまま17路で帰るのもツマランと思い、海寧路、周家嘴路を行き、17路の終点がある通北路まで行ってみることにしました。 -
17路の終点まで来ました。
上の写真の場所をあとにして1時間半かかりました。
ココがバス停です。
向こうに快客なるコンビニがります。
4時を過ぎましたので一杯やりたくなりました。
ということでコンビニで、まずは缶ビールをグイッとやり、白酒のポケット瓶を買い込み、対面の店でビールを飲もうということになりました。 -
コレが対面の店です。
汚くてチッコイでしょう。
まず。ビールは5元以下でしょう。
店の名は冬林面館となっています。 -
店に入り席に着き、外をチラッと写しました。
赤ちゃんを抱くのはお婆ちゃんなのか、お母さんなのか・・・。
赤ちゃんの頭がイイですね。
ロナウド・カットか大五郎カットか・・・というところです。 -
ギンギンに冷えた三得利啤酒は3元でした。安いっ!!
メニューには東林面館となってます。
外の看板には冬林面館となってたのに・・・。
統一しなくては、なんていう気持ちはサラサラないのでしょう。
特色水煮魚のみ20元ですか、その他の料理は皆、8元から12元です。麺類は3元。 -
店の姉さんと言うか、料理人でもあるんでしょう。
上海人か、と聞きましたら、違う南通だ、と言ってました。
最初に頼んだ料理が来ました。回鍋肉・8元です。
真ん中の小瓶がコンビニで買ってきました白酒です。4元です。 -
結局、腰を落ち着けて、ここで晩飯ということにしました。
手前が先ほどの回鍋肉・8元、向こう右が青椒土豆絲を頼んだつもりが間違って来ましたピーマンとモツ千切り炒めです。8元だったのかもしれません。向こう左が上海風焼きそば・3元です。焼きそばは食いきれませんでした。 -
腹も一杯になり、気分もよくなり、勘定しました。
26元でした。どうも計算が合いませんでしたが、もういい気持ちになってましたので、面倒くさくなり、そのままにしてしまいました。
5時半ごろ、前に見えます17路トロリーバスで打浦橋まで帰りました。1時間以上掛かったでしょう。途中寝てしまいました。
今日の経費は・・・・
17路バス・・・・・・・2元
コンビニ・・・・・・・・7元
汚い食堂・・・・・・・26元
17路バス・・・・・・・2元
合計、37元でした。 -
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この旅行記へのコメント (3)
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- 東明路@上海さん 2005/09/10 06:26:34
- 白酒のビール割り?
最初に上海に来た時は水電路の「海虹賓館」に宿をとってました。
この賓館から中心部まで出るのにタクシー(赤いスズキの軽みたいな車)でしたから車窓から見た街の風景と余り変わりませんね。
高いビルが建つには建ったが昔乍らの‘しもた屋風’の町並みは変わってないようです。
この風景を最初に見た時は「何でこんなに遅れてるンだろう」と言うのが印象。
ところで、白酒のビール割りで乾杯するんですか?
昔ね、サラりーマンを始めた頃、東京の田町の駅前の大衆酒場で、焼酎のビール割を飲ませる店があったですね。
これがチューハイの元祖かなって思ってんですが、上海の大先輩は如何なりや?
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2005/09/10 08:13:02
- 電ブラ&ホッピー&白乾&野毛&パパ・ジョン
- 東明路@上海さん、どうも。
水電路とは・・・・・・北のほうですね。
私も97年末に3ヶ月ほど、彭浦新村に住んだことあります。
閘北はやはり上海の下町とは、また違った雑然感があり、
田舎っぽさも感じられたりします。
いまや地下鉄1号線が延伸して便利になったはずです。
今年になって2度ほど地下鉄であの辺まで行って来ました。
97年頃は中心部へ行くには共和新路をバスかタクシーで
と言う方法しかなく、いつでもどうしようもなく渋滞していました。
白酒のビール割りはしません。白酒をチビリとやりビールをグイですね。
田町の大衆酒場ですか・・・そうしますと南口のほうですね。
あのあたりで私も食事をしたこと何度かあります。
横浜、野毛の立ち飲み屋でウィスキーのビール割りはやったことあります。
爆弾と言ったりします。
焼酎のビール割りで思い出すのはホッピーですね。
ホッピー自体は沖縄のアルコールなしのビールですがコレを焼酎で割るヤツですね。
でも割る焼酎は中国の白酒と違って臭みはグッと少ないですね。
あと、電ブラという飲み物がありましたね。
電気ブランデーの略です。
大井競馬場のあたりの立会川近辺で飲んだこともありますし、
浅草の神谷バーで飲んだこともあります。ココが電ブラの発祥地らしいですね。
神谷バーがまだあるのか・・・と思い検索しましたら、まだあるようですね。
下記がそのサイトです。
http://www.kamiya-bar.com/index2.html
10月に日本に一旦帰りますので、久しぶりに行ってみようかと思い始めました。
私は横浜の人間ですから、
私が飲み歩いていたところは野毛というところです。
安酒場や立ち飲み屋があって、しょっちゅう飲み歩いていました。
土日は馬券を買って昼間から飲んでいました。
このあたりの汚い中華料理屋にはパイカル(白乾・・つまり白酒)
もあり、私は大昔から飲んでいました。
腐乳などを置いてある店がありまして、コレをつまみにしたり・・・。
野毛は不思議な町でして、
ジャズと落語と競馬と立ち飲み屋とゲイの町です。
立ち飲み屋にフラット入って、脇に怪しげな男の二人連れを見たり・・
あるいは、私がよく行っていたサウナは、
実はゲイ2人組が経営していたなんてのをあとになって知ったりしました。
その後そのサウナはつぶれて、2・3年後、その近くの焼き鳥屋に
入りましたら、またその2人組が店で立ち回っていたりと・・・
とにかく不思議な町なのです。
そんな野毛でよく行っていたバーは「パパ・ジョン」ですね。
ジャズと演歌の店です、
ココのマスターは有名です。
年中無休で25年くらいやってるんじゃないでしょうか。
私より一回り上の丑年ですから今年68歳のはずです。
2月に日本に帰りましたときにも行って来ました。
この時は中国旅行関係のMLのオフ会を野毛の中華料理屋で
やって数人を引き連れて行きました。
その仲間は、皆さん
上海に何度も旅行で来てる人、
蘇州で働いている人で去年旧フランス租界に家を買った人、
その人のいとこのゲージツ家さん、
上海師範大学で日本語教師をしていた人・・・・など
皆さん上海絡みの人ばかり。
山崎洋子と言う江戸川乱歩賞をとった推理小説家が居ます。
彼女はオールド上海と野毛が大好きな方のようで、
ある掲示板で知り合い掲示板で話したことがあります。
彼女の小説で「横浜B級ラビリンス」という野毛を舞台にした
連作短編集がありますが、
第1編の短編にはパパ・ジョンのマスターが出てきます。
以上取り止めのない話でした。
- 東明路@上海さん からの返信 2005/09/10 10:33:40
- RE: 電ブラ&ホッピー&白乾&野毛&パパ・ジョン
「彭浦」と云う地名がでると彼女の事が思い起こされる。
1990年の二回目の上海旅行のとき知り合ったというか彼女の妹に紹介されてだが、所謂好みのタイプと言う奴でしたね。
一緒に南京・青島に旅行した事がります。
勿論子持ちに人妻でしたが、彼女は元々延安路に部屋があったんですが立ち退きあい、其の銭で「彭浦新村」付近に新房子を買いました。
46路バスで終点の一つ手前のバス停でした。
彼女曰くここら辺りは戦前まで蚕棚のような貧民が一杯住んでた処だそうです。
妹が日本に留学してて、良く行ってた赤坂のクラブ風飲み屋で働いていたので上海に行くなら姉に会えと言う訳で知り合ったのです。
今でもつきあってますよ。国際Hのロビーで待ち合わせ、新世界の9階?の安い食堂で語らうのが定番です。
OH!想起来了!田町で飲んだのは「ホッピー」でした!
田町の慶応側の駅まえです。
横浜の出身ですか。 石川町に一年ばかり仕事の関係で住んでましたから野毛の動物園には子供をつれて良く行ってました。
大世界も一度入ったことがります。 中は迷路のようになってて飲み屋、KTVが有りましたね。夜だから記憶が曖昧ですが・・・。
ここも上海の子持ちの「少姐」の知り合いが店をやってたんで案内してもらいました。
亭主も一緒にね、彼は某郵便局の局長をやってますから郵便がトラブルと手を廻してもらってます。
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