2004/10/31 - 2004/11/18
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kyokosa-nさん
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3度目のエベレスト街道を記憶を辿る旅が始まる。
霊峰聳えるヒマラヤの地は変わらずに迎えてくれた。
歩けることに喜びを感じてヒマラヤ再発見の旅にしたい。
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15人乗りの双発機から眺めるヒマラヤの連峰は素晴らしい。わくわくどきどきするような一瞬だ。操縦席の左側に陣取りその瞬間を待つ。
何度見ても良いもので「ヒマラヤ」を眺めて上空を飛んでいる実感を味わう。
1999年のルクラは未舗装の滑走路。土埃まい上がる中に舞い降りた。、無事の着陸にほっとした思い出が。
チベット系の住民が多い中、
ナムチェの里でインド系の親子ずれにカメラを向けた。 -
今回はルクラの飛行場はアーミーの厳戒態勢がしかれている。迷彩服の兵隊の監視下にあり安全といえば安全なのだけれどピリッとした違った印象を受けた。
鉄ジョウモンが幾重にも巻きつけられている。
旅の始まり、無事にここから帰れることを願った。
ネパール語が読めたら?
何が書いてあるのでしょうね。バザールが見えました。 -
ガラン、ゴロンと
荷物運搬のヤクが隊列を組んで通る。
鞍の両側には荷物を紐でくくりつけられている。
狭い山道はヤクに道を譲るのにいっぱい。山側に駆け上がりお通りを待ちました。
木々の彩のない山肌は晩秋のヒマラヤの色を見せてくれます。 -
シャンボチェからナムチェの里まで材木を運ぶヤク。
今回も食事のメインはシェルパシチュウ。どこのロッジでもシチュウは一味違う。ボイルされた野菜を入れてご飯を入れて簡単雑炊。水分をとり野菜不足を補う。
私の好みの常食でもある。
毎日高山病予防のために水分補給。2Lは飲むでしょう。8時になると消灯。長い夜が始まりました。 -
時代は確実に変わった。ポーターの足元も。
はだしからゴムぞうり、そしてスニカーに。。
ヒマラヤの里に落とすルピーが生活を変える。
でも、
ドッコ(底がすぼんだ大きな竹かご)を背負うポーターの生活は変わってはいない。
彼らの持つ「ポッカ杖」はドッコを載せて一息入れるときに使うT字型の便利な杖だ。 -
乾期のヒマラヤは空が青く抜けるような青空だ。
タムセルク、カンテガが美しい。
前にも感激をしてシャッターをきった思い出が。 -
マニ車を回して経文を唱えながら、今日一日の祈りを込めて今日もまわします。山に向かって祈りを込めて。
このトレッキングが何事もなく無事に戻れるように私もマニ車を回した。
ルクラを出てからパクディンで一泊する。トレッカー向けのロッジが増えている。屋根には太陽発電機、ソーラーが取り付けられ裸電球が20:00までともる。
ヒマラヤの里は変わった。嬉しいのだが? -
高所順応。ナムチェからクムジュンへ。
冬の貴重な燃料、ヤクの糞がおせんべいのように干してある。ヤクの落し物は役に立つ。
無料の燃料は草食動物のヤクの糞。臭いがしないし火力はすごい。
大きな石には彩色豊かに経文が彫られている。
クンデの寺院で50R払ってイエティの頭皮を見る。
髪の毛がついている頭皮だが、話には聞いていたが本物かなー。クンデにはかの有名なヒラリー卿の寄付により水道設備が作られた記念碑があった。 -
山の斜面を削った台地はトレッカー向けのロッジが
客を待つ。 -
クムジュンは静かな村だ・
一山超えただけなのに。アマダブラムが目前に聳える素敵な村。いつかここに泊まってみたいと思うのだが未だ実現せず。村の入り口にある門、この門をくぐって村に入る。
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