2004/03/24 - 2004/03/25
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erikoさん
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私たちの乗ったタクシーが細い路地に入り、その一番奥のアパートの前に停まると、次々と家のカーテンの奥から顔を覗かす住人たち。よそ者に対するあまりにもわかり易いストレートな行動が、未知の町への好奇心と不安を助長した。
私たちの借りたアパートは、小さな通りを挟んで15,6件の家がひとつの共同体を形成する、極めて土着的雰囲気を色濃く残す地域にあり、朝は洗濯物の匂いとテラス越しに交わす住人たちの会話で目覚めた。たった二泊のこの町に、離れがたい思いを残すことになったのは、ここの住人たちとの暖かいやり取りと、この白い町が持つ田舎臭い中にもどこか凛とした雰囲気が私の中の情動に触れたからだろう。
「レストランはもう開いているかしら?」他愛なく発した私の言葉に、「1時には開いてるよ!」「ノー、ノー!1時半じゃないと開かないよ!」「何言ってるの!開くのは1時45分だよ!」と住人が集まってくる。時計を見ると1時15分。ブラブラ歩いて行けば丁度良い時間だと思った。が、会話は更に続いている。南訛りの強いその会話は、殆ど理解できなかったが、その雰囲気から、もう食事の話題ではない事は私にも分かった。投げかけた手前、直ぐにその場を離れる事を躊躇しているうちにどんどんタイミングを逃す。口を挟む余地なく続く会話。暫くその輪の中に佇んではいたものの、これは本当に食事を逃しそうだ!一瞬の隙を狙って、「グラッツィエ!チャオ!」と早口で挨拶し、無事昼食にありつくことが出来た。会話力の無さと日本人特有の遠慮深さを嘆いたが、一度溶け込むと、無条件に受け入れてくれる住人たちが嬉しかった。
中でもアンジェロ爺ちゃんには世話になった。アンジェロは町を探索中の私たちを見つけ手招きし、行きつけのBARでカフェをご馳走してくれた。そしてまた、探索から戻る私たちを待ち構えたように家から出てきて、おそらく私たちの為に用意しておいただろう籠一杯のチョコレートを差し出し、部屋の中を案内してくれた。整頓された居間のテーブルの上には随分昔に亡くなったという奥さんの写真と、軍服姿の息子の写真が置かれていたが、息子については質問を避けた。悲しい答えが返ってくるのが怖かったから。明日はここを発つと言うと、悲しそうな顔をし、本当の別れの時はもっと悲しい顔をした。私は思わず「夏にまた来るから、待ってて!」と言ってしまった。路地を挟む住人達は来た時と同じ様に、カーテンの奥から私たちを見送り、ただ一人、一見コワオモテのおばあちゃんだけは、私たちの車が路地から消えるまで、僅かに開けたドアの隙間から見つめていた。
※白い迷宮・オストゥーニ?“街並み編”に続く
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複雑な街並みに、漸く目的の通りを見つける。正しい発音は最後まで出来なかった。
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この通りを挟んだ住人たちが、ひとつの共同体のように生活している。洗濯物を干す住民。
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個人が所有するアパートを借りる。玄関は1階に有り、見た目よりも中は複雑だ。
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2階に位置する居間。
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浴室のランドリーが長旅の旅人には嬉しい。早速使ったが、使い方がイマイチ理解できなかった。
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とてもコンパクトなキッチンだが、簡単な料理には不便はない。
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キッチンの背後には、3階寝室に上がる階段。隠れ家的で楽しい。
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その寝室には“エマニエル夫人の椅子”の様な椅子が。実はこの椅子が洗面台を隠す衝立の役割を果している。お洒落だ。
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ドーム型の寝室。何だか楽しい気分。
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寝室の横には屋上へ出る小さな扉が。
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この屋上が、これまた最高!
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そこからはオストゥーニの全てが見える。
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遠方にはアドリア海。
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隣の建物と続いている為、何処までが自分のアパートの屋上か分からない。でもここは間違いなく他人の屋上だろう。
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あの丘が旧市街。白い建物が何処までも続く。
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一番高い所から通りを見下ろす。
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ベランダに洗濯物を干す。
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近所のおばあちゃん。
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お世話になった差し向かいのアンジェロ。アンジェロの家にて。
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