2017/06/06 - 2017/06/12
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kodamaさん
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2017年6月に念願のプーリア州への旅に出かけました。
旅行に際したくさんのトラベラーの方々に助言をいただき、また旅行記を参考にさせていただきました。
お礼と報告の意味も込め初めての旅行記を作成しました。
よろしかったらご覧ください
6月6日 成田空港~ローマ空港~ブリンディシ空港~レッチェ泊
6月7日 レッチェ泊 オスツーニへ
6月8日 レッチェ泊 ガッリーポリへ
6月9日 アルベロベッロ泊 マルティーナ・フランカ、ロコロトンドへ
6月10日 マテーラ泊
6月11日 マテーラ~バーリー空港~ローマ空港~
6月12日 成田空港着
私(母親)の体調を考慮し宿泊地間の移動は専用車を手配しました。
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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いつものように母と娘の二人旅。 今回は直前に入札でビジネスクラスにグレードアップに成功し、成田のラウンジを利用できたのだが、ビジネス初体験の娘は舞い上がり ワインをがぶ飲みし時間になっても立ち去りがたい様子。
成田発11時15分発のアリタリアは定刻にドアは閉まったものの空調の不具合とかでなかなか出発せず、結局40分遅れでローマに到着。
国内線を乗り継ぎ 深夜にブリンディシ空港へ。
荷物を受け取り外へでると頼んであった迎えのドライバーさんが待っていて,一緒に駐車場に停めてあった車まで行くと助手席に人影が・・
「マイ ガールフレンド」と紹介され、深夜に真っ暗な田舎道をホテルまで車で行くことに不安を持っていた私達は大歓迎。彼女は控えめな人で彼氏であるドライバーさんと話す時も声を潜め 私達への気遣いをみせてくれる感じの良い女性でした。
30分ほどでオレンジの光に包まれたレッチェの街に入り、これから3泊するパトリア・パレス・ホテルに到着。 -
6月7日
翌日は憧れの白い街オスツーニへ
朝のレッチェの街をイタリア鉄道のレッチェ駅に向かう。 -
レッチェ駅で往復の乗車券を買いオスツゥーニへ 。
10分遅れでオスツゥーニ駅へ到着 -
駅に併設されているバルでバスのチケットを買いました。
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駅前はこのような何もないところ。ここで40分バスを待つのはきつかったです。
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バスでオスツーニの街の中心 サン・ロレンツの像のあるリベルタ広場に到着。
待望の街歩きに出発となりました。 -
美しい路地を発見。
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城壁の外の外周道路
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旧市街の一番高いところより遠くにアドリア海を望む
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新市街の綺麗に刈り込まれた夾竹桃の街路樹。
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適当なレストランのテラス席で昼食。
野菜の前菜(特にとろとろに炒めたパプリカが美味)と海の幸のスパゲティ、それに冷たいビールと白ワイン。とても美味しかった。
ただ会計の時に10?ぐらい多く請求されていることに気づき 確認のためにスマホで計算を始めると「わかった わかった こちらのミスです」と言ってくれたのだが何だか後味が悪くなってしまった。 -
2時半ぐらいのバスで駅にもどるつもりでリベルタ広場で帰りのバスを待ったがいっこうに来ない。その間駅からのバスが2本到着し、運転手さんに駆け寄ると早口のイタリア語であっちみたいな手振りをするのですが理解できずウロウロするだけ。
また 地元の人にも聞いても「ここでいいよ」という人や「あっち」というひとなど様々。
あっちにバス停を探しに行こうにもその間にバスが来たら?と思うと広場を動けず1時間以上ここで立ち尽くし途方に暮れてしまった。
その時 若い男性が「どうしたのですか?何かお役にたつことがありますか?」と流暢な英語で尋ねかけてくれ、英語がわからない私達が必死で「駅へのバス停を探しています」と身振り手振りで訴えると 彼は「待ってろ」と言い近くの何軒かの店に入りバス停の場所を聞いてきてくれました。
バス停は街はずれの警察署の前にあったのです。「グラッチェ、グラッチェ」と青年にお礼を言い 間もなく来たバスに乗り駅へ到着。 -
朝、レッチェの駅で帰りの普通列車のチケットを買ってあったのだが予定の列車には乗り遅れ、次は40分も待たなくてはならないのでそのチケットは捨て10分ぐらいでくるICで帰ることにし切符を自販機で購入(切符の販売窓口は午後1時で終了)。若い人が旅の道連れだと自販機の扱いには困らないのが良いところ。
バーリ行きのホームにはそれなりに待つ人々が居たのだが レッチェ行のホームには私達母子の他には若い女性が一人だけ。
予定時刻を10分ぐらい過ぎても列車が来ない時には「また遅れているのね」と思うだけでしたが30分過ぎても列車は来ず不安になってきて・・
そのうち駅員が駅舎から出てきて大声で同じホームの女性に何か言い 女性がウンザリの表情をするのでこちらも嫌な予感がし「何があったの?」と聞くと「事故で電車が来ない。私はブリンディシまでバスで帰る」とのことで彼女と一緒に駅舎にいる駅員のところまで行きスペイン語で「私達はレッチェのホテルまで帰らなくてはならない」と訴え、「タクシーで帰れ」「どこでタクシーを呼ぶの?」のやり取りの後 駅の正面広場で駅員さんが呼ぶと停車していた2台の車が争ってやって来て、料金等の交渉はスペイン語が分るこの駅員さんが通訳してくれ100ユーロでレッチェまで行ってくれることになり「私はパトリシア・パレスの場所を知っているから私が送る」という積極的な方の運転手の車に乗り込みました。
レッチェまでは車で1時間。ため息がでるものの娘が海外旅行保険の約款を取り出し「タクシー代を保険で補填してもらえるかも」と抜け目がない所を見せてくれて「やればできるじゃん」とちょっと見直す。
やがて車は幹線道路をはずれレッチェの街に入る。ここからパトリシア・パレスを知っているはずの運転手さんが車を止めて道行く人々にホテルの場所を聞きまくり始めたので「えっ この人ホテルを知らないみたい」とささやきあう私達。
結局「私はホテルの場所を知らない。駅まで送るから貴女方はそこで降りて」と言われ 私達も疲れていたのでOKしたが降りる際に「領収書を下さい」と言うと「会社が・・・(何と言っているか解らなかった)・・だから領収書は出せない」と言う。ではそこにあった「タクシー会社のカードを保険の請求のために貰うわ」と手にとると「駄目!」と取り上げられてしまった。ちょっと揉める雰囲気になってしまい、最後には「本当は100ユーロだが90ユーロにまけるからもう降りて」と言われ放り出されてしまいました。
仕方ないので降り、レッチェの駅の窓口でICのチケットを払い戻して貰うことにし、駅員に使えなかったチケットの払い戻しを頼みました。
書類に書き込んだのですが「オスツーニ駅で発行したチケットはレッチェ駅では払い戻しできないのでいったんオスツーニ駅にチケットを送りその後お客の所に送るのだが日本までは送れない」と言われてしまい「では保険会社にタクシー代を請求するために事故証明書を下さい」と言う私達。すると「証明書は明日にならないと出ない」との返事だったので 明日出直すことにした。
と言うと簡単に聞こえるでしょうが その間 英語 イタリア語 スペイン語が入り交じった訳の分からない状態になり 業を煮やした駅員さんは自分のスマホに日本語の翻訳アプリをダウンロードし私達に示してくれた結果です。
疲れてしまったので駅から旧市街のホテルまでバスで帰ることにし、バスの運転手さんにパトリシアパレスの近くのバス停で降ろしてくれるよう頼み、娘とお喋りに夢中になっているとしばらくして運転手さんが「バスは旧市街の中には入れないのでここで降りなさい。このシニョーラがホテルの近くまで一緒に行ってくれるから」と。言葉も良くわからない私達のために地元の女性に頼んでくれたのです。
「グラッチェ、グラッチェ」と何度もお礼を言い 今度はシニョーラと「中国人?」「日本人です」などと定番の話をしながら 夕方の観光客や地元民であふれた人込みの中をホテルの近くまで送って貰らいました。
日暮れ時からのレッチェはそぞろ歩きをする地元民、観光客であふれ 皆楽しそう。
でも打たれ弱い私達母娘は落ち込んだ気分で手近なワインバーで軽くつまんだ後
ホテルに戻り早めに就寝。 -
6月8日
今日はSud-Est線でガッリーポリへ
レッチェの駅でガッリーポリ往復切符を買ったのだが切符売り場はイタリア鉄道のホームの端にあり分かりずらかったが先輩トラベラーさんの旅行記を参考に無事ゲットできました。
ガッリーポリ行きの列車はそこそこの乗客を乗せ定刻に出発したが冷房がなく、窓を開けていても厚い風しか入って来ず 持参した水を飲みほしてしまい汗がだらだと・・
10分遅れで終点ガッリーポリに到着し灼熱地獄の車内から解放された時は 何とも言い難い思いでした。 -
とにかく海がきれい。
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漁港のそばのビーチ
ここでデジカメを砂浜に落とし壊してしまった(泣
海辺のレストランでの昼食後レッチェにもどることにしたが 帰りの電車は学校帰りの高校生ぐらいの子供でいっぱいでした。
帰りの列車はレッチェまで30分遅れで2時間かかり、途中で乗り換えがあったのだが暑さで頭がボーとし他の乗客が降りるので一緒に降りるという感じでどこで
乗り換えがあったのかよく覚えていません。 -
レッチェの駅に着くと途中で車両も増やしていたので結構な乗客が降りてきました。
我ながらしつこいとも思ったのですがレッチェのイタリア鉄道の窓口に行き 昨日の交渉の続きをすることに。
昨日対応してくれた駅員さんが窓口にいたので 昨夜ホテルでイタリア語でスマホに「保険会社に提出するために事故証明が必要」と入れておいた画面を見せると直ぐにわかり証明書を発行してくれました。
便利な世の中になったものだと感心してしまった。
納得の結果が得られたので気持ちが軽くなりホテルで一休みの後 レッチェの町に
繰り出すことに。夜が更けるとともに大勢の人で道がいっぱいになり、たくさんあるバルにも大勢のお客さんが大声でお喋りしていて心がうきうきリゾートの夜を楽しもうという気分。
私達はピザコーでピザを持ち帰りしホテルの屋上テラスでビールとともに味うつもりでしたが蚊にさされまくり早々と退散。
写真は旧市街と新市街を分けるナポリ門。
写真ではよくわかりませんがここの夾竹桃も綺麗でした。 -
夜も更けたレッチェの街。
街はずれなので人も少なく見えますが 旧市街の中心部の夜の人出はこんなものではなく夜中までごった返していました。 -
6月9日
今日はアルベロベッロへ移動の日
約束の9時きっかりにアルベロベッロから迎えに来てくれた専用車の運転手さんが
現れ、一昨日タクシーでオスツーニからレッチェまで重い気分で戻った道を今日はオスツーニ方面に向けて走ります。
右手には白い街が続き土の向うにはアドリア海が見え道路の直ぐ近くまで入江が迫っている場所もありうっとりするほど美し光景です。
こんなところで一週間程過ごしたい・・
やがて車は幹線道路からはずれオリーブ畑とたわわに実ったチェリーの畑の中を進みアルベロベッロへ。
10時過ぎにはアルベロベッロの配車やの宿を提供している会社のオフイスに着いたら日本人女性が迎えてくれて、アルベロベッロの町の歩き方やトゥルッリの使い方などを説明してもらいました。
部屋で少し休んだあと待望のマルティーナ・フランカとロコロトンドへ出発! -
11時過ぎの列車でまずマルティーナフランカへ。
駅で列車を待っているとアジア人の若い女性がニコニコしながら近づいて来たので「日本人?」と聞くと韓国人とのことでした。 若い頃のボアに似ている人懐こい可愛いお嬢さんで 2本買ってしまったからとペットボトルの水を1本くれました。ソウル近郊の水原の出身だそうで もう4か月もヨーロッパを旅行しているとのこと。
4か月?とびっくりし聞き間違いかと思ったのですが 途中で話の輪に加わったロシア人の中年女性も「4か月!」と驚いていたので間違いではないみたい。
2人とも英語は片言なのに一人旅とは勇気あるなと感心。
例によって列車は遅れていますが気にして「遅いね」と時計を覗くのは私達母娘だけ。2人は時間など気にも留めていないよう。これでなくては海外旅行は楽しめないのだなとちょっと反省。
やがて10分ぐらい遅れて列車が入ってきて皆でぞろぞろと乗り込みマルティーナフランカへ。
進行方向右の丘の上にロコロトンドの白く丸い街並みを見たりして、二つ目の駅がマルティーナフランカ。
列車はここが終点で私達は下車ですが、ロシア人女性は今日帰国するそうでバーリー行きに 韓国女性はレッチェに行きに乗り換えとのことでここで3方向にお別れ。
つかの間の旅の道連れでしたが名残り惜しくお互いの旅の無事を祈りながら手を振って別れました。
マルティーナフランカ駅から旧市街に行く道がわからなかったので取りあえず正面の急斜面を行く道を選び上がって行くと集合住宅の中を通り新市街にでたので、
地元の人に道を尋ねながらまたも上がって行くとそれほど時間もかからずに家も路も真っ白な旧市街の一角に突然飛び出し、その街並みが正午頃の太陽に照らされ眩しくて目を開けていられないくらい。
やはり白い街が輝くのは夏の強い太陽があってこそを実感。
迷路状の路に迷いウロウロし、狭い路を徐行して来る車の女性に旧市街の中心であるサン・マルティーノ教会への路を尋ねたところ「うーん分かり難いから」と車から降りてきて途中まで一緒にきてくれたのにはびっくり。
イタリアの田舎の人は親切と聞いてはいたけれど ここまでしてくれるなんて感激してしまった。 -
お昼をサン・マルティーノ教会前のレストラン街?にある「Garibaldi Bistrot」で食べました。この店はどうしても食べたかったプーリア風前菜盛り合せを一人前から頼め しかも一人前を2人でシェアすることを快諾してくれました。
前菜盛り合せとパスタを一人前づつ もちろんきりっと冷えた白ワインも。
前菜はトマトのブルスケッタやナスのソティ、チーズなど全部で5皿ですが 4皿目までは前菜はほとんどたいらげ、ワインもおかわりしましたが もうお腹がいっぱいで5皿目の「小松菜のような野菜をくたくたに煮て独特の味付けをした料理」が出てきた時は思わず日本語で「嘘っ!まだ出てくるの!」と悲鳴をあげてしまい、女性店員が「これで最後だから安心して」というようなことを言い 居合わせた女主人らしい人も「日本人はたくさん食べないだろうけどイタリア人は大食いなのよ」と店員たちと一緒に爆笑していました。
結局最後の皿はほとんど食べられずパスタも半分は残してしまったが どれも美味しく幸せな気分にしてくれた食事でした。
気になったのがチーズで2品あったのですが運んできた店員に「ブッラータチーズ?」と聞くと「これはそうではない。これは・・・」と流暢な英語で説明してくれたのですがまったく聞き取れず。
最初のチーズはモッツァレラではないか・・後で出てきたチーは柔らかく糸を引いていたけど・・ブラッターかな?
と今でも悩んでいます。 -
昼食の後はひたすら街歩きに。
昼食前にインフォメーションで貰った旧市街の地図も迷路のような路地に入ってしまうと地図も役に立たず適当に歩いたのですが この町の人々は皆感じがよく路地で車をよけると笑いながら手を振ってくれたりバイクのお兄さんとはハイタッチしたり。
今度の旅ではいくつかの白い街をめぐりましたが 一番気に入ったのがこのマルティーナフランカです。
写真にとると どれも同じような光景に見えてしまうのが残念ですが、白い街と重厚なバロック建築が両立している魅力的な街並みです -
時が過ぎるのを忘れてひたすら歩きまくっていましたが、残念ながら4時半ぐらいの列車でロコロトンドに向かわなくてはならないので急いで駅に向かいました。
帰りはサント・ステーファノ門を通り大通りを歩きましたが来る時通った急斜面を上る道より遠回りのようでした。
南イタリアでは列車が時間より早く出発してしまう事もあると聞いていたので駅にはいつも10分前に着くようにしていたのですが やはり20分遅れでマルティーナフランカ駅を出発しました。 -
7分でロコロトンドへ到着し徒歩10分ぐらいで旧市街の入り口に到着。
ここでも入り口にあったインフォメーションで地図を貰い街歩きに。
丸い町の様子がわかる所まで旧市街から階段を降りて撮影。
このような場所もブログで教えて下さる方がいて助かります。 -
遠くに見える町はマルティーナフランカ?
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夕方5時ぐらいでも日差しはかなり強いのに 旧市街の中は建物が寄り合っているので影が濃い。
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イタリアに限らずヨーロッパの国々ではどんな小さな町でも立派な教会がありますが ロコロトンドでも旧市街の中心の小さな広場に立派な教会がありました。
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アルベッロベッロまで送ってくれた専用車の運転手さんが「ロコロトンドは花であふれた美しい街だから是非行きなさい」と勧めてくれたがそのとおりでした。
観光客も引き上げた後の静かなロコトンドの街をいつまでも歩きたいけれど6時過ぎの列車に乗らないと次は8時半まで列車が無い(それが最終列車)ので 道を間違えないように途中何度も地元の人に指差しで駅までの道をたずねながら 焦って駅まで小走りで向いました。
ロコロトンドの駅で列車を待っていたのは私達2人だけでしたが そこに中学生ぐらいの男の子2人がやってきて切符を買おうとして閉まっている窓口を叩いても応答なし。切符販売機も壊れているのでしばらくウロウロしていたが列車が来る時間も迫り、駅舎の居室(休憩室?)の窓をガンガン凄い勢いで叩き始めた。
そのうち駅員がレジの釣銭が入っている箱のような物を持って若干苦笑いしながら現れました。
「寝ていたのかな。たたき起こすのね。参考になったわ」と話しているうちに今回は何と時間通りに列車が到着!
しかし到着した2両編成の列車のドアがボタンを押しても開かず、運転手と車掌が
窓から首を出して何か言っているのだがわからない。
すると乗客らしい男の子が降りてきて車両のドアをここでもガンガン叩き始めました。私達は男の子が降りてきたドアから乗りることができたのですが あのドア叩きの意味は何だったのか?これも謎。
ちなみにこの車両は冷房車でした。 -
アルベッロベッロの駅で降りたのは私達だけでした。
アルベッロベッロは小さな田舎町といった風情ですが、駅からの新市街の通りは買い物客などで結構にぎわっていました。
トゥルッリの向うに見える「聖メディチコズマエダミアーノ教会」のふたつの尖塔。
撮影ポイントらしく写真を撮っている人がたくさんいました。 -
今晩泊まるトゥルッリに戻り一休み。
何となく私が靴下を脱ぐと右足の親指が血に染まり 爪も浮いているではないか!
「えっ~」と娘にも見てもらい、持病の腰痛予防の為 旅行中は痛み止めを飲んでいたので痛みは無いものの不安になり オフィスに行き朝案内してくれた日本人担当者に足の指を見せると「包帯で巻いておくと良い」とのアドバイスを下さり、その場にいたイタリア人従業員が「包帯』をイタリア語でメモに書いてくれました。
言葉もわからない旅先で日本語で助けてもらえるのは本当に心強く有難かったです。
娘についてきてもらい薬局でメモを見せ包帯と紙テープを買い、トゥルッリで手当てをしようと包帯を出すとイタリアの包帯はほとんど簾状態。2人で笑いだしてしまった。
日本に帰ってから医者に見せると「靴ひもを強く結んで長時間歩くとなることが多い」と言われてしまい 「毎日2万歩以上歩いていたので・・」と返すと呆れられました。 -
その後 親指の負傷にもめげずアルベッロベッロの散策に出かけました。
夕暮れのアルベッロベッロは日帰りの観光客もおらず土産物街としてあまり評判の良くないモンティ地区も静かでした。
この写真で空に見える黒い点々は燕。
朝夕にはどの町でも私の住んでいる地域ではもう見ることができなくなった燕がたくさん飛んでいました。 -
快晴のアルベッロベッロ
手前にある小さな犬小屋のトゥルッリが可愛い
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6月10日
朝 食事前にアルベッロベッロの街を散策。
今日は最後の町マテーラへ。
約束の9時きっかりにトゥルッリのドアがノックされ今日の運転手さんは綺麗な若い女性。
部屋の鍵は運転手さんに返し出発です。 -
約1時間半ほどでマテーラに到着。
-
今日の宿はサッシと呼ばれる洞窟住居群の中にある洞窟ホテル。
10時頃でしたがここでも直ぐに部屋に案内してくれました。部屋は簡素ですがモダンで広いバスタブやスリッパもあり、岩肌をくりぬいて作ったミニバーに木の蓋をして雰囲気を出していたのも面白かったです。 -
サッシの中は地図も役にたたないので 親指を心配しながらただグルグル歩き回わりました。
アルベロベッロ駅で出会った韓国の女の子が「是非グラヴィーナ(Gravina)峡谷を挟んだ場所から洞窟住居群を見るべき」と勧めてくれたので インフォメーションでたずねるとタクシーの他オープントップバスも行くというので15時の便を予約。
2時間の案内に30分の写真タイムで1人13ユーロでした。
昼食後 暑さも増し私が気分悪くなってしまい ホテルでバスの時間まで休み、15分まえぐらい前に新市街の端にある別のインフォメーションへ。
マテーラには土産物店を兼ねたインフォメーションがたくさんあり 集合場所のインフォメーションはガラス張りのモダンな建物でした。
出発時間が迫ると娘が「時間通りに出発すると思う?」と聞くので「そんなわけないでしょう」と答えたり、私達も南イタリア的時間を楽しめるようになったみたい。
で 時間が15分ぐらい過ぎたところで係の女性がどこかに電話をかけ「もうお客が待っている。早く来い!」みたいなことを言い それから5分ぐらい過ぎた後でガイドに連れられてバスが待つ道路まで出て乗り込み出発。
バスは旧市街には入れないので旧市街の外の道路で私達を待っていました。
ミニバス仕立てのオープントップでお客は私達とイタリア人夫婦らしい二人連れだけ。 -
サッシ側から見たグラヴィーナ渓谷。
ハイキングコースの小道が見えますが渓谷を渡るつり橋は危険との看板があり サッシから渓谷に降りる道は封鎖されていました。
どこの街でも午後にお婆さんが椅子を戸口に出して一人で座っている光景を見ました。娘は「何が面白くてずーと座って外を見ているのだろう」と言っていましたが私は内心「貴女も歳を取れば分かるわよ。この頃はお母さんも家のダイニングの椅子でボーと2,3時間は壁を見ている時があるもんね」と思っていました。
お爺さんが椅子に座っているのは旅行中一度も見なかったと思います。
男性達は夕方から町一番賑やかな通りでお喋りをしていました。こちらの男性達は話好きでお巡りさんも神父さんも街の人々と長い間お喋りをしていました。 -
グラヴィーナ(Gravina)峡谷を挟んでかなりの迫力で迫ってくるサッシ。
一見の価値あり。 -
南イタリア最後の夜はサッシの夜景が見えるレストランで。
このレストランのオーナー夫妻は簡単な日本語を話せ、またナポリから来たという老若男女10人ぐらいの陽気なナポリっ子達が私達のテーブルにやってきて話しかけてくれたり 楽しいひと時を過ごせ思い出深いものとなりました。 -
6月11日
今日は日本に帰国の日。
南イタリアを歩き倒すという私達のコンセプト?に則り 今日も朝食後サッシをぶらぶらと歩きまわった後バーリ空港までの送迎車を待っていると約束の9時ジャストに運転手さんが現れた。
この送迎車の時間の正確さは「イタリアの奇跡だね」と娘と賞賛。
車は日曜の為かオリーブ畑の中のすいている道を一路バーリーへ。
運転手さんは話好きなイタリア人で 話に夢中になると両手をハンドルから離して身振り手振りで こちらはヒヤヒヤ。
遠くにビル群が見えてくるとバーリーの空港も直ぐで マテーラから1時間ぐらいかかりましたが 現在新しい道を建設中で完成すると飛行場から30分でマテーラまでこれるとのことでした。
バーリー空港は新しい綺麗な空港で運転手さんとはここで握手をしてお別れ。
私達が心ばかりのチップを差し出すと大げさに喜んで途中で食べなさいとお菓子をくれました。
娘は「今回の旅で出会った人達は皆良い人ばかりで それも楽しさを増してくれたね」と言っていましたが私も同感です。
小さな美しい町々とイタリアの田舎の人々の善良さに触れ 今回の旅の思い出がより幸せなものになりました。
バーリから国内線でローマに。ローマからは国際線で成田まで。
アリタリアは最後まで私達の期待を裏切らずどの路線も20分から30分遅れてくれましたが無事に旅を終えられたので満足です。
カメラを途中で壊してしまい娘のスマホで写真を撮ったのですが私がスマホになれていないため失敗が多くなってしまいました。
パソコン教室で教わりながらのつたない旅行記を最後まで読んでくださりありがとうございます。
追記
帰国し何カ月か過ぎた頃、娘が急に結婚することになりました。
娘が小6の時から始まった母娘の2人旅も今回で終わりになりそうです。
娘の幸せを祈りつつも寂しい気持ちもありますが、最後の旅行が楽しさにあふれた
旅になったことにあらためて感謝です。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ももであさん 2020/04/01 19:28:48
- 南イタリア
- kodamaさん、こんばんは
レッチェ、アルベロベッロ、マテーラと聞きなれた地名だったので、懐かしく拝見しました。
イタリアは南に南下すればするほど味わい深くなるような気がします。
パンデミックでイタリアが世界で最も大変な国になってしまうとは...。
大好きな国だけにコロナ終息宣言されたならば、いつか必ず応援の旅に
出かけたいと思います。
- kodamaさん からの返信 2020/04/01 19:37:42
- Re: 南イタリア
- コメントをありがとうございました。
南イタリアは街も人も心にしみいるような味がありますね。
現在のイタリアの惨状には胸が痛いですね。
いつかまた、ゆっくりと旅をしてみたいです。
-
- deracineさん 2019/04/05 22:12:16
- イタリアのブーツの底で靴擦れ?
- kodamaさん、こんにちは
レッチェ、アルベロベッロ、マテーラと聞きなれない地名なので調べてみたら長靴のようなイタリア半島の靴底にあたる場所ですね!
通な場所に個人旅行でチャレンジされたお二人に敬意を表します。やはり若い方がいると馬力が違いますね
私たち夫婦も初ヨーロッパはイタリアでデビューしました
生意気にも旗(=添乗員同行ツアー)ではなく、フリープランで訪れたところフィレンツェの道に迷いまくりマメをつくる始末
幸いイタリア語のポケット辞書を持参していたので必要な単語を並べて薬局で消毒薬をゲットし難を逃れました
拝読するとハラハラドキドキの連続ですが結果的には楽しい旅行になったようで良かったですね
今度行かれるスペインは私たちの経験では電車も予想以上に正確で、また飲食店も美味しく明朗会計でした
きっと楽しい旅になると思います。では失礼します
- kodamaさん からの返信 2019/04/07 17:55:53
- Re: イタリアのブーツの底で靴擦れ?
- コメントをありがとうございます。
私の初個人旅行もイタリアでした。ベニスに5連泊で周辺の小さな町を
訪れました。
それからこのプーリア州までに2度ほどイタリアに行ったのですが、いつも
一都市滞在だったので、スーツケースを引いて列車で移動するのは来月のスペイン旅行が初挑戦です。
そのためか 今から緊張しています。
>イタリアのブーツの底で靴擦れ?
初見ではこのタイトル意味が分からず??と思いましたが、シャレだと
気づき笑ってしまいました。
南フランスとバルセロナの旅行記も拝見しましたが、
deracineさんはユーモアのセンスのある方ですね。
とても楽しく最後まで拝見しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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