BlueSandsさんのクチコミ全5件
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投稿日 2011年06月21日
総合評価:5.0
ストックホルムへ行くと、1度は必ずガムラスタンに行って食事をする。気に入っている季節は初夏で、暮れなずむ中、ガムラスタンの細い小路をゆっくり歩く気分は格別だ。
あちらこちらに骨董屋がある。ちょいと立ち寄って、旅の記念に小さな置物などを求めるのもお薦めだ。旧い洋品店を覗くと1930年代とか、50年代とかの、いわゆるレトロな日用品が飾ってあったりする。売り物ではないが思わず手を出してしまう。
やがて目指すレストランに到着。
ストックホルムの店では、特段に高価な料理というものはない。かといって、安い価格だけを目的にメニューを見ると、これも見つからない。どのような見せでも値段は中庸なのである。
魚料理もいいが、鹿肉のステーキなんぞも悪くない。- 旅行時期
- 1993年06月
- 利用した際の同行者
- その他
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 4.5
- ガムラスタンには必ず歩いて入っていくこと。だんだんに深まる旧懐の念に引き込まれる感覚がたのしいから。
- 景観:
- 5.0
- 自らが立つ場所からぐるりと360度見回すとわかるが、この旧市街の味わい深い景色は類を見ない。が
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 初夏の夕刻、ということはストックホルムでは午後8時半過ぎになるが、ひとけのない路地に薄青い空気がたちこめる。
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タンチョウたちは元気かなぁ、渡辺さん宅のサンクチュアリもなつかしい。
投稿日 2007年06月16日
総合評価:5.0
鶴居村と聞くと気が引き締まる。
タンチョウをめぐって多くの人が心をひとつに生きていることが思い浮かぶのだ。
サンクチュアリと呼ばれるようになる前、人々は黙々と餌付けを続けていた。
そういう人のお話を聞きに何度か鶴居へ行ったものだ。
ラストタイムは1986年かな。
その時点で「ずいぶん変わったな」と思ったことを覚えている。かつては寒さの中でただ立っていたのだが、その年にはサンクチュアリ近くに瀟洒な喫茶店ができていた。 で、サンクチュアリに行くたびに入り、珈琲を飲むのだった。熱く、うまい珈琲だった。
タンチョウはみな編隊を組んで飛びまわり、嬉々としているように見えたが、いまも元気なのだろうか。- 旅行時期
- 1986年02月
- 景観:
- 4.0
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投稿日 2007年06月16日
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投稿日 2007年06月04日
総合評価:5.0
どうしたことか、このごろよくマントンの思い出がよみがえる。
真夏だった。
イタリアからパリへ向かう鉄道の旅を続けており、コートダジュールでは10日間ばかり過ごすことにしていた。 駅前に小さな広場があり、広場に面してこぢんまりとしたホテルがあった。ともかく荷をほどき、地中海の浜辺に向かう。
日本ではまだまだトップレスがめずらしい時代である。
浜辺にいる女の人はみな胸をさらけだしているので、こちらはどぎまぎしてしまう。
ぼくはポロシャツにジーンズ。
裸の群れの中に服を着たまま立つのはものすごく奇妙な感じだ。
目の端にとらえた短髪の女の人にインタビューを申し入れた。すぐにOK。
学校の教師だという。
仮に32歳、独身としておく。
「トップレスというのはどういう感覚ですか、日本ではほとんど見ないもので?」。
「なにより開放感をかんじます、気持ちがいいわ」。
右手で陽射しをさえぎった彼女は、胸もお腹も日焼けしたきれいなからだでやや傾けて浜辺に座り続けている。
で、トップレスの何がめずらしいのかなといった風情でこちらを見つめ、やわらかく笑うのであった。- 旅行時期
- 1980年08月
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投稿日 2007年01月29日
インターコンチネンタル ヨハネスブルグ サントン タワーズ ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグの空港に着いたのは夜だった。
暗い道をしばらく走るとやがてサントン。
どどーんと、花火のように「街のビル」が現れた。
街をひとりで歩いてはいけない車が交差点で停まったら窓を開けてはいけない、危険だから。
ヨハネスブルグをよく知る人からそう教えられた理由が分かった。危険を避ける方途として、1つの連携ビルに、いわば「街」をすっぽりと収めてあるのだ。
いい悪いの問題は、別。
ともかく、インターコンティネンタル・ホテルは快適だった。
部屋にはいるとシングルルームのイメージを越えて広い空間に包み込まれる。
サイドボードふうの家具でベッド・スペースとデスク・スペースを区切る設定が気に入った。- 旅行時期
- 1997年11月



