ミュンスターの市庁舎:旧参事官室が平和の広間と称されるのは30年戦争終結の「ヴェストファリア条約」が結ばれたからだ。
- 3.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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by jijidarumaさん(男性)
ミュンスター クチコミ:7件
<三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターの町を一日観光>
第10日:2016年10月23日(日)9km、午前は曇天、午後は晴れ、寒い朝3.5~9.5℃
Rathaus市庁舎:
Friedenssaal平和の広間でヴェストファーレン条約の締結
Prinzipalmarktプリンツィパルマルクト8 - 9
https://www.muenster.de/stadt/tourismus/index.html
開館:10時~16時、Euro1.5X2=3(シニア)
ミュンスター市庁舎は14世紀半ばにできたゴシック風の建物で、第二次大戦で
罹災したが、1950年代に特徴的な切妻屋根と共に昔通りに再建された。
旧参事官室の平和の広間で1648年、1618年から続いた30年戦争終結の
「ヴェストファリア条約」が結ばれた。ミュンスターにはカトリック(旧教)、
Osnabrueckオスナブリュックにはプロテスタント(新教)が集まり夫々条約
が結ばれた。
この条約締結の場にはヨーロッパ諸国のほとんどが参加し、参加者の内、
特に多いのは神聖ローマ帝国内部の領主、有力聖職者、帝国自由都市の代表で、
使節の総数は帝国外から37、帝国内から112、計148名であった。
平和の間では出席した歴史上の使者たちの肖像画がずらりと掲げられ、また、
16世紀のルネサンス様式という板張の壁に紋章や見事な木彫りを見ることが出来た。
<三十年戦争(1618~48年)>
ドイツの旅では、この戦争が訪ねた町々の歴史にしばしば登場するので、必須の知識である。30年戦争とはドイツの国土を主戦場に旧教派のカトリックと新教派のプロテスタント、それの後ろ盾となる神聖ローマ帝国、ハプスブルク、フランス、オランダ、スペイン、スウェーデン、バイエルンなどの諸国が参戦した戦争である。
100年前のマルティン・ルターの宗教改革に始まった新旧キリスト教徒の対立が、17世紀に入るとドイツ国内では争いが先鋭化した。新旧キリスト教徒の宗教戦争は1618年、パプスブルグ家がボヘミア(現チェコ)の新教徒を弾圧した事に端を発する。旧教派のオーストリア・スペイン・パプスブルグ家と、新教派のフランス・ブルボン王家が政治的・現実的観点からドイツ国内の其々に荷担し、更に新教派にスウェーデン王が介入するなど、国際紛争が拡大した。この戦争は新教派優勢で終わり、1648年北ドイツのMuensterミュンスター・Osnabrueckオスナブリュックで66カ国によりヴェストファリア条約が調印された。
この間に全ドイツの人口は3分の2に減少し、国土は荒廃したと云う。この事でドイツは300もの小国家が分立する。ドイツはフランスなどに200年の遅れを生じたとされているが、反面では小国家の分立が、全ドイツの国民文化の均等な広がりを育み、今私共が旅を楽しむ町々に、その事の有りがたさを見ることができる。
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- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 3.5
クチコミ投稿日:2017/10/09
いいね!:3票
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