ヴルタヴァ川 Vltava
滝・河川・湖
3.68
クチコミ 4ページ目(82件)
61~80件(全82件中)
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歩いても、トラムでも渡れる
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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水鳥も多い川です
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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広~い
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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白鳥が絵なります
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- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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クルージングは体験すべし!
- 5.0
- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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スメタナの我が祖国
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- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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ヴルタヴァ川とスメタナ
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- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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プラハの町を悠然と流れるモルダウ川です。チェコを代表する作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」の代表曲が「モルダウ」、つまりヴ... 続きを読むルタヴァ川のことです。「モルダウ」はドイツ語です。スメタナはリストやモーツアルトに憧れ、小銭だけ持って故郷を飛び出し、プラハにやって来ました。19歳のことでした。ピアノ教師として生活費を稼ぎながら音楽修行に明け暮れていました。ギリギリの生活だったそうです。1848年6月、チェコ人が民族の独立を訴えプラハで革命を起こしました。24歳のスメターナも革命軍に参加しましたが革命は成功せず、スメタナは音楽家として道を模索して、新天地スエーデンへと旅立ちました。異国に居ることによってスメタナの心のなかにチェコ民族の音楽を作ろうという思いが募っていきました。1859年、チェコを支配するオーストリアがフランスとイタリアの連合軍に敗北し、これを契機に民族運動が過熱、チェコ語の劇やオペラを演じるための劇場の建設が始まったことを聞き付けたスメタナは帰国を決意します。しかし保守的なチェコの音楽界はスメタナを敵対視するなど様々な苦難が待ち受けていました。1866年、日の目を見ずにいたスメタナ初のチェコ語によるオペラが初演されると聴衆から惜しみない拍手と歓声が沸き起り、スメタナの名声が不動のものとなりました。こうして音楽家としての地位を得たスメタナでしたが、50歳にして音楽家の命とも言える聴覚を完全に失ってしまいました。こうして彼はプラハを離れ、田舎に引篭ります。しかし、たとえ耳が聞こえなくても、心の中に沸き起こる音を止めることはできませんでした。こうして聴覚ゼロで完成させた楽曲が「ヴルタブァ・モルダウ」です。この辺が、天才たるところです。チェコ国民の夢だった国民劇場が不審火によって焼失してしまったと聞くと、再建資金を集めるため、耳が聞こえないながら自ら指揮棒を振ったそうです。国民劇場が再建された翌年、スメタナは精神病院で60歳の生涯を終えました。スメタナはチェコ音楽の象徴となり、彼の曲がプラハの春音楽祭の開幕曲として、毎年演奏され続けています。 閉じる
投稿日:2014/12/19
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プラハ城を背にして流れ、スメタナの楽曲でも有名
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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モルダウ川
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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絵になる河
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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観光船
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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悠々と流れる美しい川です
- 4.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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モルダウ川
- 4.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
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プラハ市民の生活に欠かせない
- 4.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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ドイツ語では「モルダウ」
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- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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屈指の美しさ
- 5.0
- 旅行時期:2012/08(約13年前)
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チェコ国内最長の川
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- 旅行時期:2012/06(約14年前)
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プラハ城の夕景
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- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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プラハ城地区と旧市街地区を分ける川
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- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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プラハ:バルタバ(モルダウ)川とカレル橋の眺めは春~夏の季節が一番のようだが
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- 旅行時期:2003/11(約22年前)
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中欧4カ国周遊の旅
プラハ => ウイーン => ブラチスラヴァ => ブタペスト
2003.11.26(水).... 続きを読む~ 12.03(水) 8日間
11月27日(木):朝方は霧雨。摂氏6~8度。その後は曇り、正午頃にちょっと晴れ
間が見えたが、結局、曇る。
プラハ城の原型となる、スラブ人達による砦がこの高台に出来たのは7世紀の頃。
13世紀にはボへミヤ王国が繁栄し、その後のフス戦争、30年戦争と宗教戦争が続き、王国はパプスブルグ家のオーストリア帝国に支配される。歴史の変遷は1991年のソ連消滅後のビロード革命によって、共産政権が崩壊し、1993年にはチェコとスロヴァキアが分離して、其々が独立の共和国になる。
プラハ城は、町を見下ろす丘の上にある。灰色のどんよりした曇り空では、茶色の瓦で葺かれた屋根の旧市街やプラハを表現する“百塔の町”がよく見えない。城内には聖ヴィート教会、旧王宮、宮殿、修道院等が建っているが、一部は博物館、美術館になり、大統領府もここにある。
黒塔近くの展望台からの眺めは、バルタバ(モルダウ)川の両岸の家々が曇天の下、霞んで見えています。ドイツ・マンハイムに始まる古城街道はプラハが終点ですが、いつか車で此処まで来てみたいものです。
バルタバ川に架かるカレル橋を目指して、道を下り、川沿いの道に入り、居酒屋ふうのレストランを横に見ながら、橋に至る。
カレル橋は14世紀頃にカレル4世によって築かれ、全長520mと長いもので、幅も10mと広く、ゴシック様式のどっしりした橋である。大勢の観光客が写真を写しています。
橋の欄干には30体の聖人像が並べられ、ご利益があると言われる聖人像は、人がしばしば撫でる為、金色に光っています。私も当然、ご利益を願って、撫でましたけれども?!!異教徒は駄目でしょうか?!!
やはり、このプラハは春~夏の季節が一番のようで、この古都の色合いが木々の緑と調和して、美しさを際立たせると思われます。
閉じる投稿日:2016/05/20