ヴルタヴァ川とスメタナ
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- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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by ミルさん(男性)
プラハ クチコミ:19件
プラハの町を悠然と流れるモルダウ川です。チェコを代表する作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」の代表曲が「モルダウ」、つまりヴルタヴァ川のことです。「モルダウ」はドイツ語です。スメタナはリストやモーツアルトに憧れ、小銭だけ持って故郷を飛び出し、プラハにやって来ました。19歳のことでした。ピアノ教師として生活費を稼ぎながら音楽修行に明け暮れていました。ギリギリの生活だったそうです。1848年6月、チェコ人が民族の独立を訴えプラハで革命を起こしました。24歳のスメターナも革命軍に参加しましたが革命は成功せず、スメタナは音楽家として道を模索して、新天地スエーデンへと旅立ちました。異国に居ることによってスメタナの心のなかにチェコ民族の音楽を作ろうという思いが募っていきました。1859年、チェコを支配するオーストリアがフランスとイタリアの連合軍に敗北し、これを契機に民族運動が過熱、チェコ語の劇やオペラを演じるための劇場の建設が始まったことを聞き付けたスメタナは帰国を決意します。しかし保守的なチェコの音楽界はスメタナを敵対視するなど様々な苦難が待ち受けていました。1866年、日の目を見ずにいたスメタナ初のチェコ語によるオペラが初演されると聴衆から惜しみない拍手と歓声が沸き起り、スメタナの名声が不動のものとなりました。こうして音楽家としての地位を得たスメタナでしたが、50歳にして音楽家の命とも言える聴覚を完全に失ってしまいました。こうして彼はプラハを離れ、田舎に引篭ります。しかし、たとえ耳が聞こえなくても、心の中に沸き起こる音を止めることはできませんでした。こうして聴覚ゼロで完成させた楽曲が「ヴルタブァ・モルダウ」です。この辺が、天才たるところです。チェコ国民の夢だった国民劇場が不審火によって焼失してしまったと聞くと、再建資金を集めるため、耳が聞こえないながら自ら指揮棒を振ったそうです。国民劇場が再建された翌年、スメタナは精神病院で60歳の生涯を終えました。スメタナはチェコ音楽の象徴となり、彼の曲がプラハの春音楽祭の開幕曲として、毎年演奏され続けています。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/12/19
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