錫福軒
史跡・遺跡
3.31
施設情報
クチコミ(8件)
1~8件(全8件中)
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錫福軒
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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側室の住まい
- 3.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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楽善斎エリアにあります
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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ソウルにある世界文化遺産の昌徳宮を見学してきました。順路に従い仁政殿から誠正閣へと見学そして左側には別料金の後苑や昌慶宮へ... 続きを読むの入口がありますがその先にはもうひとつの見どころの楽善斎エリアがあります。24代国王憲宗は1847年に楽善斎、錫福軒、壽康斎などの建物を建てました。また最後の皇太子李垠に嫁いだ梨本宮家方子も晩年を過ごしたところでもあります。この「錫福軒」は長楽門から入ったところにありますが金在清の娘慶嬪の居所として使用されていた場所で派手ではなく静かな空間となっています。楽善斎、壽康斎と合わせて見学すると良いでしょう。
ちなみにおトイレは向かいにあります。 閉じる投稿日:2019/03/28
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錫福軒(ソクポクホン) 憲宗の最愛の側室、慶嬪の住まい
- 5.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 3
錫福軒(ソクポクホン) は1848年、第24代国王憲宗(ホンジョン)が、側室である慶嬪(キョンビン)の住まいとして1848... 続きを読む年に建立した建物。
もともと慶嬪は憲宗が正室に・・・と望んだ人でした。
実権を握る祖母の純元王妃の反対で、正室は明憲王后洪氏に決まりましたが、慶嬪を忘れられない憲宗は、3年後に慶嬪を側室として迎えました。
念願かなって最愛の側室と質素に穏やかに過ごしましたが、その幸せな期間はわずか1年あまりでした。憲宗は1849年6月に病のため、わずか22歳(数え23歳)で崩御。
24代王憲宗は、第22代正祖の血を受け継ぐ最後の王で、その曾孫に当たります。
祖父は純祖、父は孝明世子(ヒョミョンセジャ)。
王権が弱まりつつあり、外戚が権力ふるっていた時代。
祖母であり純祖の妃である純元王后(安東金氏)と母である神貞王后(豊壌趙氏)の権力争い、水害、伝染病の蔓延、2度にわたる国王の廃位をねらった謀反事件など、国政の混乱は続き、押し寄せてくる外国の圧力に対抗できるだけの国体ではありませんでした。
聡明だった父の孝明世子があと10年生きていたら、もしくは曾祖父の正祖が改革を成し遂げるまで長生きしていたら、歴史は全く変わっていたかもしれません。 閉じる投稿日:2015/05/24
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側室の住まい☆
- 3.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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王様の側室の住まい
- 4.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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世界遺産、昌徳宮の、楽善斎と並んで建つ、錫福軒。側室慶嬪の住まい。憲宗の王妃は16歳にこの世を去り、 王は次の王妃を選ぶよ... 続きを読むうにし、憲宗本人も王妃の選定に参加した。最終候補に残っていた三人のうち憲宗は慶嬪金氏を気に入ったが、決定権は大王大妃にあり、明憲王后洪氏が王妃に選ばれた。三年が経ち明憲王后との間に子供ができないため 憲宗は王妃が王子を産む可能性がないという理由で改めて慶嬪金氏を後宮として迎えた。憲宗が慶嬪金氏をどれほど気に入っていたかが分かる話しで、新しい住まいとして錫福軒を建てた。ここは王が愛する人と過ごし、気楽に本を読んだり書画を鑑賞したりした極めて個人的な空 間であり、宮廷の建物ながらも装飾を施さない素朴な姿をている。 閉じる
投稿日:2014/04/27
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質素な佇まい・・・
- 4.0
- 旅行時期:2010/07(約16年前)
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朝鮮24代王・憲宗の側室のための住い
- 4.0
- 旅行時期:2010/07(約16年前)
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