壽康斎
史跡・遺跡
3.30
施設情報
クチコミ(6件)
1~6件(全6件中)
-
壽康斎
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
- 0
-
楽善斎を見逃さないでね
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
ソウルにある世界文化遺産の昌徳宮を見学してきました。順路に従い仁政殿から誠正閣へと見学そして左側には別料金の後苑や昌慶宮へ... 続きを読むの入口がありますがその先にはもうひとつの見どころの楽善斎エリアがあります。このエリアは左から楽善斎、錫福軒、壽康斎からなっていて24代国王憲宗が金在清の娘慶嬪を迎える為に1847年に建てました。この「壽康斎」その中のひとつで垂簾聴政(摂政)を終えた純元王后の居所だったところです。建物は華やかさはなく落ち着いた空間です。なんだか上品な民家って感じでした。これで昌徳宮は終了でしょうか、後宮が残っていますが時間がありません。また訪問したいと思います。広大な宮殿の見学にはもっと時間が必要です。 閉じる
投稿日:2019/03/28
-
寿康斎(スガンジェ) 憲宗が祖母純元王妃のために建てた
- 5.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 1
1848年に憲宗が、祖母であり当時の大王王妃であった純元王后(スンウォンワンフ)の住まいとして、建立した建物。昌徳宮にあり... 続きを読むます。
憲宗最愛の側室である慶嬪の住まい錫福軒(ソクポクホン)に隣り合っています。
王は毎日朝夕、安否伺いのために尊属の住まいを尋ねる習わしだったので、先王たちの未亡人は王の住まいの近くに居を構えるのが一般的でした。当時内殿最高の地位にある純元王妃の住まいをここに作ったということは、憲宗がそれまでの王の住まいではなく、慶嬪とともに錫福軒に住む意思表示をしたともいえるでしょう。
純元王妃としては、このような質素な館に住まうのは不本意であったかもしれません。
何しろ権力欲の強い方でしたから。
いずれにせよ、1年余りで1849年に憲宗が若干22歳で逝去すると、純元王妃は次の25代王、哲宗の摂政になり、この館をさっさと引き払って、本来の快適な住まいに戻ったようですが。
ここはまた朝鮮の最後の皇女として日本統治時代に対馬の宗家に嫁いだ徳恵翁主の最後の住まいでした。 閉じる投稿日:2015/05/24
-
-
昌徳宮~13~壽康斎
- 4.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
-
寿康宮の跡地に建てられたので、寿康斎と命名
- 4.0
- 旅行時期:2010/07(約16年前)
- 0
-
寿康宮の跡地・・・
- 4.0
- 旅行時期:2010/07(約16年前)
- 0
1件目~6件目を表示(全6件中)
このスポットに関するQ&A(0件)
壽康斎について質問してみよう!
ソウルに行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
ころんさん
-
愛さんさん
-
konomiさん
-
khkさん
-
pockyさん
-
チュンチュ319さん