張氏帥府博物館 Zhang Shuaifu Museum
博物館・美術館・ギャラリー
3.31
施設情報
クチコミ(12件)
1~12件(全12件中)
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現地では人気の観光スポット
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- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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建築美を見るだけでも満足
- 3.5
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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北欧系と中国の伝統建築が入り混ざった館
- 3.5
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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張作霖・張学良親子の官邸及び私邸
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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瀋陽でトランジットの合間に空港発着で行きました。
- 3.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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北方系軍閥のトップに君臨した張作霖・張学良の史跡
- 3.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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張作霖と張学良が住んでいた屋敷。
軍閥のトップだけあって、ほぼ皇帝と同じような考え方で屋敷を建てている。
この中身を見... 続きを読むても、あまり感慨深いものは感じられないかもしれないが、
ガイドを雇って説明をしてもらうと、内容が非常によくわかります。
この場所は、一般の人と面会する場所です。とか、待たせる場所。
軍閥というのは、当時は一種の皇帝もどきのようなものだったのかと
感じます。この時期は、清王朝も無くなり、中華民国が立ち上がった
ものの、各地は群雄割拠の時代で、決してひとつの中国といった様相では
なかったのかもしれない。とガイドの説明を聞きながら感じました。
なので、少々値が張ったとしてもガイドの説明を聞いた方が良いと思います。
閉じる投稿日:2013/10/14
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歴史認識に
- 4.0
- 旅行時期:2012/07(約14年前)
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張作霖・張学良一族の館
- 4.5
- 旅行時期:2011/10(約14年前)
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張作霖、張学良の底力を感じる邸宅。
- 3.0
- 旅行時期:2011/10(約14年前)
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清朝滅亡のごたごたにつけ込んだ張作霖が政府なき独自の支配を始めた満州支配の現場。
日本の力を利用して満州に力を伸ばした張... 続きを読む作霖と満州に力を及ぼすために張作霖を利用した日本。
その思惑を腹に抱えて両者の会談場所になった現場。
日本にとって邪魔になった張作霖が乗った列車ごと爆破され、瀕死の状態で担ぎ込まれ、息を引き取った現場。
事件後すぐに張作霖が国民党の仕業と嘘を言ってお悔やみにやってきた日本軍使者を日本軍の仕業とすべて分かった上で冷ややかに張学良が使者を相手にした現場。
張学良が親日派の部下を拳銃で撃ち殺して、日本と敵対することを決めた現場。
100年足らず前に起った事件の現場がここ張氏帥府博物館の中にあります。
歴史を知っていればそれを感じ、知らなければ、その豪華絢爛さで張親子の当時の権力のすごさを感じることができるでしょう。
日本の中国侵略の第一歩の舞台となった場所でもあります。
日本人なら一度見て普段考えない歴史を感じてみるのもよいのでは? 閉じる投稿日:2011/10/16
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張氏帥府博物館 (Zhangshi Shuaifu Bowuguan)
- 3.5
- 旅行時期:2010/01(約16年前)
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満州王の旧宅
- 4.5
- 旅行時期:2009/08(約16年前)
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とにかく広くてびっくりしました!
- 4.0
- 旅行時期:2009/06(約17年前)
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張作霖、張学良親子が住んでいた場所です。
私が行った時は張作霖とその家族というタイトルの展示があり、
張作霖の写真... 続きを読むや彼に関する文書、遺物、
張学良のおいたちから生涯の紹介パネルがありました。
ひとつひとつ興味深く見ました。
敷地はとても広いですが、特に大青楼と小青楼は必見です。
大青楼は張作霖、張学良親子2代に渡り、官邸、住宅として
使われていた重要な建物です。
とてもお上品な洋館で、彼らの優雅な暮らしを垣間見れます。
小青楼は1918年、張作霖が第五夫人壽氏のために建てた建物です。
1928年奉天事件で関東軍の爆破に遭った張作霖が担ぎこまれ
亡くなった場所でもあります。
見どころが沢山ありますので、ゆっくり半日ほどかけて
見学されることをお勧めします。 閉じる投稿日:2011/08/30
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