豊臣秀吉の時代に整備され、「唐街道」とも呼ばれていました。一角が公園になっています。
- 5.0
- 旅行時期:2025/05(約8ヶ月前)
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by hijunoさん(非公開)
長岡京・向日 クチコミ:12件
江戸時代の幹線道路です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に整備されたので「唐街道」とも呼ばれていました。
京都と兵庫の西宮を結び、中国地方へとつながっていた道です。
駅から近くにあります。
説明板のある調子八角という場所は、西国街道と丹波街道との分岐点で、多くの人々が行き交っていたそうです。
一角が公園になっていて、地下水が豊富な長岡京市の水に関しての説明もありました。
秀吉が織田信長が亡くなったことを知ると、備中から引き返し、山崎の戦いの際にもこのあたりの水を飲んだのでは?という説明板もありました。また、馬の池の水という、いまでも飲める地下水を汲める場所もありました。水道水100%です。
かつて、このあたりに湧き出る小さな池があったそうです。
また硲遺跡といわれる、弥生時代中期から後期にかけての集落遺跡もあったそうで、
水が豊富な場所で、早くから人々も住み、開けた場所だったこともわかりました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
クチコミ投稿日:2025/08/19
いいね!:2票
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