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旧商家丸一本間家

名所・史跡

旧商家丸一本間家 施設情報・クチコミに戻る

増毛町で一番の町の歴史を感じることが出来る観光ポイント。

  • 4.5
  • 旅行時期:2022/05(約4年前)
kojikojiさん

by kojikojiさん(男性)

増毛・雨竜 クチコミ:5件

「旧商家丸一本間家」は案内人の方がついての見学になりました。明治14年から建設を始め明治35年に落成した町屋造りを基本とした建物は最盛期には9棟にも及んだそうです。印半纏を着た案内人の方の話しでは初代当主の本間泰蔵は嘉永2年の1849年の生まれで、元々は新潟県の佐渡ヶ島出身だそうです。明治2年の1869年に20歳で小樽へ渡り、現在の滋賀県近江出身の呉服商の松居政助の下で番頭を勤めた後の26歳の時に増毛に移り住み、さまざまな商いを手がけました。明治維新からの10年間に東北や北陸の日本海側からは、北海道への移民が北前船に大挙して乗り込みました。新天地の開拓吏や屯田兵、石炭を運ぶ沖仲士、さらには彼らの生活物資の商人など、一攫千金を夢見る移民が混沌とし、港町の函館や小樽は人種の坩堝と化していきました。ほとんどの移民たちは質素な衣服しか纏えず、京都や大坂の古着が北海道へ大量に送られました。泰蔵は北前船の寄港地だった佐渡ヶ島で古着の山を目の当たりにし、呉服商としての成功を予見したようです。機を見るに敏な才覚で小樽へ渡ったのではないでしょうか。たった5年ほどで泰蔵は松居政助呉服店の番頭を任されています。明治8年の1875年に松居商店が閉店になり、泰蔵はつまずきますが店の在庫商品を参百円で買い取って行商を始めます。翌年には増毛の弁天町に店を構えて長期滞在しますが、この時に目をかけてくれた金融業者との出会いが人生の明暗を分けることになります。着物を売り歩く泰蔵に目をかけてくれた高利貸しの女傑がいたそうで、その女性は呉服店舗を泰蔵へ提供し、なにくれとなく援助しました。明治13年の1880年には、増毛の大火によって店舗を失いますが、さらにこの女性は泰蔵へ投資してくれたようです。火事の教訓から耐火性の強い石造りの店舗を完成させ「丸一本間」の商標を掲げると、荒物雑貨を道北で販売を始めます。さらに増毛でのニシン漁、廻船業にも手を広げ、明治17年の1884年には故郷の佐渡から妻のチエを迎えて、長男の泰輔も誕生します。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2022/08/04

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