誰もいないぺシ岬で会津藩士の墓に手を合わせる。
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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by kojikojiさん(男性)
利尻島 クチコミ:12件
「会津藩士の墓」がありました。鎖国政策の中でロシア通商使節のニコライ・レザノフが実力での通商を図ろうと、ロシア皇帝のエカチェリーナ2世とその跡を継いだパーヴェル1世の許しを得ずに、樺太や北海道の漁村で略奪を行いました。そのため幕府は襲撃に備えるよう文化4年の1807年に蝦夷地への出兵と防備を会津藩に命じています。1633名の藩士は樺太や宗谷、利尻や松前を警固しました。実際の交戦はありませんでしたが、このとき多くの藩士は寒さと野菜不足のせいで、体がむくみ、腹がふくれ、呼吸困難に陥りました。これは水腫病(すいしゅびょう)の症状だったそうです。会津藩は文化5年の1808年の10月から翌年にかけて帰還します。しかし帰路の途中に嵐に遭い船が難破して51名の死者を出しました。そして利尻島には3ヶ所で8基の墓が残されました。墓石は文化7年に7代藩主松平容衆の命により、新潟で石を刻み松前経由で運ばれました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2022/07/28
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