盟友のため、我が身は犠牲に・・・。
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- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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by 旅好者さん(男性)
宇土・三角 クチコミ:83件
豊野町の糸石というところに、相良 (さがら) 神社がありました。この神社のあるところが響ケ原古戦場だったところだそうで、合戦で敗れた一方の将・相良義陽が祀られているのだそうです。合戦は1581年(天正9年)のことで、水俣市辺りを治める相良義陽とこの辺りの土地を治める甲斐宗運が戦ったものです。両者は盟友と呼ぶほど仲が良かったのですが、薩摩の島津のごり押しから義陽が宗運と戦わざるを得なくなったそうです。義陽は初戦を制すと敵方領地の中のこの地に本陣を置き、祝宴を開いたそうです。宗運は当然、その隙を突いて戦いを挑み、大勝利を納めます。義陽は討ち取られましたが、端から盟友と戦い気はなかったとされています。宗運はここに神社を建立し、盟友の霊を弔ったとのことです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/12/15
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